第49話 命名 時空眼!!
リュートがそっと立ち上がり、微笑を浮かべながら言った。
「それでは、僕は先に休みますね。
……あと半刻ほどは灯っています。もし望まれるなら、一晩中でも灯しておけますよ?」
「――いや、このままがいい」
サラは湖畔に腰を下ろしたまま、リュートが創り出した〈リヒト〉の光をじっと見つめていた。その瞳に映る光は揺らめきながら、夜の静けさに溶け込んでいく。
彼女の背後には、盃が二つと砂糖菓子が静かに添えられていた。そこに残されたのは、気配だけ。すでにリュートの姿はなかった。
* * *
――そして翌朝。サラはいつも通りだった。
剣を振るい、型を繰り返し、やがて模擬戦に入る。少し変わっていたのは、今朝の対戦相手が、一見して華奢な老人だったということだ。
これまでサラが対人戦を行う姿は稀だったが、彼女のことだ。何か意図があるのだろう。そう思いながら、リュートは朝食の準備に取りかかっていた。
と――。
ガタン、と鳥車の外から騒々しい音が響き、すぐに息も絶え絶えのサラが、パトリシアに担がれて戻ってきた。全身には打撲の痕が浮かび、肩で荒く息をしている。
「……すまん。少々、激しくやり過ぎた。治癒魔術を頼む」
リュートは咄嗟に詠唱に入り、治癒魔術を展開。傷が塞がっていくのに合わせて、サラの呼吸はむしろさらに荒くなり、体力が急激に失われていく様子が見て取れた。
(老人相手だったのでは……? 軽い調整戦かと思ってたけど……)
思わず浮かぶ疑問を押しやりながらも、リュートは手を止めなかった。
治癒を終えた後、何事もなかったかのように朝食を済ませるサラ。ホットサンドには、昨晩の残りの尾白鹿の肉と乾燥トマト、さらにチーズが挟まれていた。
二人は食事を終えると、鳥車に乗り込み、クレーターレイクの淵を半周するように進んでいく。サーレイ山脈を背に、山を下る旅の始まりだった。
早朝の山頂には、雲の海が果てなく広がっていた。
その絶景はまるで、日常を遠ざけるために用意された天の舞台のようで、否応なく旅人の胸を高鳴らせる。下山路は雲海を貫く一本の白い線となって伸びており、まるで天空と地上を分かつ境界のように見えた。
しばらくは言葉を交わすこともなく、鳥車は静かに、ゆっくりと進む。標高が下がるにつれ、空気はやわらぎ、陽の温もりが肌を包んでいく。
そんな中、モズがリュートの胸ポケットで「ぐーぐー」と鼻を鳴らして眠り込んでいた。
リュートはそっとモズの頭を撫でると、傍らのサラに目を向けて尋ねた。
「そういえばサラ、僕に何か聞きたいことがあるって言ってましたよね?」
昨夜、リヒトのことを話していたとき、話題が深まりすぎて、もう一つの件に触れ損ねていた。だが、この風景の余韻を壊すのが惜しくて、リュートは今までその話題を避けていたのだ。
サラは、キトンブルーの瞳でまっすぐにリュートを見据えると、少しだけ言葉を選ぶように、慎重に口を開いた。
「ああ……少し気が引けるんだが、聞いてもいいか?」
リュートが無言で頷くのを確認すると、サラはゆっくりと、核心に迫る問いを口にした――。
サラは一度、口を結んでから問いを続けた。
「――単刀直入に言えば、リュートの“不思議な力”についてだ」
サラは言葉を慎重に選びながら、淡々と事実を並べていく。
「膨大な魔力、氷龍を追いつめた『火災旋風』や『疑似迷宮』の再現、迷宮の解析力。さらにこの鳥車を造ってしまう発想力――正直、驚かされることばかりだ。何か、特別な秘密があるのか?」
少し間を空けてから、付け加えるように言った。
「……もちろん、答えたくなければ無理に答える必要はない」
思っていたより軽い質問だった――と、リュートはほっと胸をなで下ろしながらも、すぐに答えることができなかった。
それは「感覚でやっている」ことを言葉にする難しさがあったからだ。
生まれつき備わっていた能力というのは、説明しようとした瞬間に途端に曖昧になる。まるで、生まれてすぐ歩く動物に「歩き方」を尋ねるようなものだ。
リュートは腕を組み、考え込む。そんな彼を見て、サラは静かに首を振った。
「いや、やっぱり無理に答えなくていい。そういうの、伝えるのって難しいだろう」
「――いえ、話したくないわけじゃないんです。ただ、どう説明すればいいのか……」
「たしかシドは、リュートには“映像を記憶する力”があると言っていたな。それは本当か?」
「はい。覚えようと思えば、見たものをそのまま映像として残しておけます」
「……なるほど。“映像記憶能力”か。私の国にも、そういう特殊な力を持った者がまれにいた。だが――」
そこでサラは一呼吸置いた。映像記憶だけでは、到底説明がつかない。魔力、操作精度、術式の応用力。それらは単なる記憶力の延長ではなく、まさに“異質”の領域だった。
「……リュート。もしかして、お前も“授かりし者”なんじゃないか?」
その言葉に、リュートは首をかしげる。
“授かりし者”――イーノ村で出会った少女、メーラが持っていた異能。人の「行動の記録」を読むという、既存の魔術では再現不可能な力。
その力が知れ渡れば、捕虜の尋問、反逆者の炙り出し……国家にとっては極めて重要な“戦略資産”となる。それゆえ、力を持つ者の存在は厳重に秘匿される。
だが、リュートの顔に浮かんだのは、驚きでも困惑でもなく――どこか、軽い微笑みだった。
「うーん……人とあまり関わらずに生きてきたので、自分が普通とどう違うのか、よく分からないんです」
あっけらかんとした言葉だったが、それは決して虚勢ではなかった。
森での隠遁生活。ルーシアに育てられ、村の外で暮らしてきた彼にとって、自他の比較は存在しなかったのだ。
サラは、リュートの軽やかな態度に苦笑しつつも、別の疑問を口にした。
「……そういえば以前、魔術の発動にはイメージが重要だと言っていたな。だがリュートは、使ったことのない魔術を、どうやってイメージしているんだ? シドが全部見せてくれたとは思えない」
その問いに、リュートはぽかんと目を見開いた。
だが、答えは驚くほど自然だった。
「頭の中に、いろんな映像が流れるんです。その中から、イメージに近いものを探して使ってます」
「映像……?」
サラは困惑した。空想するのではなく、「流れる映像」から拾っている――それはつまり、リュートは自分の知らない知識を“観ている”ということだ。
「たとえば、“カルガモジョイント”って言ってた鳥車の車輪の構造……あれも、その映像から?」
「……えっと、“カルガモ”じゃなくて“カルダン”です。でも可愛いから、そっちでもいいかもですね」
苦笑しながら訂正を入れるリュートに、サラは咳払いを一つして仕切り直す。
「――いいか。その“映像”とやらについて、詳しく聞かせてくれ」
「はい。例えば……鉄の箱が空を飛んでいたり、巨大な竜巻や火山の噴火の仕組みを解説していたり。夜でも昼みたいに明るい街とか、敵と戦う絵が動いてる話とか……料理の紹介もありますよ」
語られる映像の数々は、どれもこの世界の常識から大きく逸脱していた。
サラは、各地を修行で巡り、多くの国と文化に触れてきたが――そんなものは、ただの一つとして見たことがなかった。
やがて、心の奥から、ある仮説が浮かび上がる。
「……それらの映像は、この世のものではない……?」
そう口にしたあと、サラの中でひとつの言葉が閃く。
「――『時空眼』」
「なんですか、それ?」
「いや……何となくだ。だが、そうとしか思えない」
その異能――時間や空間を超えて、別の時代、あるいは別の星の知識や風景を“見る”ことができる目。
リュートの中で流れる“映像”とは、もしかすると――
この星の運命見据える神秘の力の可能性だってある。
――それは、まさに“ギフテッド”。いや、それ以上の存在。
しばしの沈黙の後、サラは真っすぐにリュートを見つめた。
「リュート。お前は、やはり“授かりし者”だ。
この世界ではない出来事――あるいは、理の境界を超えた先を“見る”ことができる力。
それは無限の可能性を生み出す凄まじい奇跡にだってなる。
私は、それを『時空眼』と呼ぶことにする」
断言するサラの声には、揺るがぬ確信があった。
夢の中で現れた〈リヒト〉は、こう言ったのだ。
『リュートは、この星の希望だ。サラは、彼の盾となり、剣となるんだ』
あの言葉の真意は、今も掴めない。だが――。
リュートが“何か”を見ていたこと。
そして、その“何か”がサラを救ったことは、紛れもない事実だった。
だがサラにとって、リュートが“ギフテッド”かどうかなど、大した問題ではなかった。
「私の『神羅万象』だって、同じようなものだ。
限られたごく一部の者にしか扱えない剣術。それでも、私はそれを誇りに思っているし、お前の力もそうであっていい」
そう言って、サラは穏やかに笑い、右手を差し出した。
「私は、あの戦いでリュートに命を救われた。
お前は、私にとって“大切な仲間”だ。
これからも共に戦う以上、互いを理解しておいた方がいい。
よろしく頼む」
その仕草には、一切の迷いがなかった。
“他と違う”というだけで孤独に陥ることは、それ自体は珍しくない。だが、メーラとフラウのように、理解者がそばにいれば、心は折れない。
サラの言葉は、まさにそれを体現していた。
リュートは、迷いなくその手を取った。
――そして、ふと思い出したように尋ねる。
「ところで……リヒトさんも『神羅万象』を使っていましたが、あれって何か条件があるんですか?」
「ある。『神羅万象』は、あらゆる“神々”の力を借りる剣技。
実は……ある条件が満たされていないと、会得できない」
少し口調を落とし、サラは告げた。
「これは、他言無用で頼むが……“純血種”には、使えない技なんだ」
「――ということは、サラは……混血?」
「ああ。実を言うと、いくつかの種族の血が混じってる」
なるほど、とリュートは納得した。
サラはドワーフ出身にしては身長が高く、骨格も細く、典型的な特徴とは異なっていた。土や火の魔術への適性も特別高くない。だが、それは“混血”であるなら全て説明がつく。
「……じゃあ、リヒトさんも?」
「もちろん。リヒトも混血だ。私たちは“兄妹”だからな」
さらりと口にされたその事実に、リュートは素で噛みついた。
「――け、けいまい? ……ぱーどん?」
「ぱーどん?」
「いえ……こっちの話ですけど……って、お兄さん!? 血が繋がってるんですか!?」
「そうだ。リヒトは私の“兄様”だ。言ってなかったか?」
「いえ、まったく! てっきり、お二人は……恋人か、婚約者かと」
サラは少しだけ頬を赤らめ、うつむいた。
「……幼い頃は、そうなるのが夢だったな」
あっけらかんとした笑みに、リュートは呆気に取られるしかなかった。
(兄妹……家族……まさか、ブラコン?)
思考が暴走しかけたところで、ふとある疑問が浮かぶ。
「……でも、ファミリーネームが違いますよね? ヘンドリクスとエストレヤ……」
「ヘンドリクスは母方の姓だ。エストレヤの名は……どうにも好きになれなかった」
そこに複雑な事情を感じつつも、リュートは静かに呟く。
「なんか……“自分がギフテッドかどうか”より、ずっと大きな話を聞いた気がします」
「そうか? それより、少し眠る。朝から動きすぎた」
サラはそのままベッドに腰を下ろし、目を閉じた。
リュートは呆然としたまま、その背中を見つめていた。やがて、ぽつりと声が落ちる。
「……まさかのお兄ちゃん」
だがサラは何も答えず、鳥車の揺れに身を預けていた。
淡く差し込む光のなか、鳥車は雲の向こうへと、静かに進んでいった。
お読み頂きありがとうございます!
拙作を書かせて頂いております水曜日のビタミンと申します。
本話より、第3章に突入致します。
前回の切ないお話の邪魔になるかと思い、章末のご挨拶はこちらに書かせていただきます。
そしてまずは、切ない前回のお話をネタにするのような展開になりましたことをお詫び申し上げます。
ですが、作者としては初めからサラとリヒトが兄妹であるものとして書いておりました。
当初からの設定ですので、何とぞご理解いただけますようお願い申し上げます。
また、お気づきの方も多かったかと思いますが、リュートの脳内に流れている映像は赤い四角に白三角のアレです。では、では引き続き第3章をお楽しみ下さい!




