第32話 あの夜の真実
「こんな所にいらしたんですね。探してしまいました」
リュートが、母ルーシアから贈られた杖を眺めていると、背後から静かな声が掛けられた。振り向くと、そこにメーラが立っていた。まだ年若い少女でありながら、自然と人を引き寄せ、相対する者の居住まいを正させる不思議な気配を纏っている。それは、生まれ持ったカリスマ性とも呼べるものだった。
「もう、大丈夫なのですか?」
「ええ、リュート様のおかげです。体力的にはまだ厳しいものがありますが、それは私が非力なためです。ようやく、こうして歩ける程度には回復いたしました」
穏やかな声音で感謝を述べるメーラの表情に、どこか決意の色が見える。
「……リュート様、少しお話をしましょう」
一拍置かれたその言葉が、リュートの胸をざわつかせた。
彼女が何を語ろうとしているか、心当たりがあった。
「それは……氷龍のことか? それとも、あの影のことか?」
押し黙るリュートをチラリと見て問いを発したのは、傍らにいたサラだった。
「いえ、その件ではありません。リュート様に、お伝えしなければならないことがあるのです」
「リュートに一体何を?」
「ええ。――あの夜の出来事について」
(やっぱり……そのことか)
リュートは心の中でそう呟き、小さく息を吸い込んだ。
「ご承知のとおり、この村は五年前の冬の夜、魔族に襲われました。腕利きの職人が何人も攫われたことから、彼らの目的は魔紙の製造技術にあったと考えられています。そして、その夜に私の母ジルは魔族によって命を落としました」
衝撃的な内容とは裏腹に、メーラの声音は穏やかで、その笑みは崩れなかった。哀しみを抱えながらも、語らねばならぬと覚悟を決めた者の顔だった。
対して、リュートはうつむき、肩を震わせた。そして意を決したように顔を上げ、拳を握りしめて言葉を絞り出す。
「メーラ様、それは……違います。僕はあの夜、村にいて……僕の術式が、ジル様の命を奪ってしまったんです」
その告白に、メーラはそっと歩み寄り、リュートの手を取った。
「私は真実を知っています。あの爆発は、リュート様の術式によるものではありません」
「……嘘です。慰めるために、そんなことを言わないでください。僕は、確かに火の術式を組んだ……」
「いいえ、私は母様の最期に立ち会いました。手を取って、直接、確かめました。確かに見たのです」
(あの場にいたのは、魔族とジル様と、僕のはず……)
リュートの疑問をよそに、メーラは落ち着きをもって続けた。
「私は『授かりし者』です。私が授かった力は、【触れた相手の行動記録を視る力】。あの夜、母様の手を取った時に、すべてを視ました」
「『ギフテッド』……それが本当なら、国家機密級の能力だぞ」
サラが一歩前に出て厳しい眼差しを向ける。
メーラは一歩も退かず、その手をそっと取ると何かを耳打ちした。
サラの表情が、一瞬で変わる。驚愕から、そして静かに頷く。
「……わかった。信じよう」
サラの口元には、それ以上は語らせないという固い意志が宿っていた。彼女が見せた表情は、それだけでメーラの能力が本物であると証明していた。
「この力は、誇るべきものではありません。私はこれまで、この力で多くの人の内面を覗き、情報を手に入れてきました。人心掌握に長けていると評されたのは、単に人の心を読んでいたからです」
メーラの語りには、自嘲が混じっていた。その眼差しは大人びていたが、同時に、深い孤独と闇を見てきた者の静けさがあった。
「……それでも、貴女はその力を正しい道に使ってきた。それが、今の貴女を作ったのだろう」
サラの言葉に、メーラはふっと微笑む。
彼女は続けた――
「あの夜、魔族は二手に分かれて村を襲撃しました。目的は、魔紙の技術者と、謎の名工シド。戦闘の中、母ジルは自ら前線に立ち、戦いました」
「そのとおりです。あの夜、僕は村にいました。
攫われた母様を探して、空からこっそり戻ってきて……隠れるように入った場所は、たぶん魔紙の製造所です。そこで、魔族と女の人が戦っていて、三つ巴のような状況に……」
リュートの声は震えていた。まるで記憶を反芻するように、言葉を探しながらゆっくりと続ける。
「それで、僕の術式が暴発して……ジル様の命を奪ってしまった。僕のせいで……」
場を包むのは、静かな沈黙。その重苦しい空気を破ったのは、またしてもメーラだった。
「いいえ。あの夜、母を殺したのはリュート様ではありません。あれは、魔族が自爆によって証拠を消そうとした術式によるものです」
「自爆……?」
リュートは顔を上げる。混乱の色を湛えたその瞳に、メーラはしっかりと向き合う。
「はい。リュート様が気絶させた魔族は、その後姿を見せていないでしょう? 彼らは自決と同時に、自らの痕跡を消す術式を組み込んでいました。死体が残っていなかったのがその証拠です」
筋は通っている。リュートの記憶にも、たしかに魔族の死体はなかった。だが、それが自爆だったかどうかまでは分からない。何より、自分にとってあまりにも都合の良い話に思えた。
リュートは、ふるふると首を振った。頭をかきむしり、言葉にならない呻きを漏らす。
その背中の儚さが、メーラの胸を締めつけた。
助けを求めるような震えに、あの日の自分が重なる――
堪えきれず、彼女の瞳からぽろりと涙がひとしずく零れ落ちた。
「私は、あなたに救われた者です」
その言葉に、リュートは顔を上げる。
「ゴブリンに攫われたあの日。嬲り殺されるのをただ待つ絶望の中で、あなたは幼いながらも砦に乗り込み、私たちを救ってくれました。私と変わらない年のあなたが、命を懸けて……。あの勇気と感謝を、私は決して忘れません」
メーラの頬を、今や大粒の涙がつたっていた。
「……それなのに。それなのに、どうしてあなたが“悪魔”と謗られ、罪を背負わねばならなかったのでしょう。ずっと影ながらこの村を守り、魔物を倒し、雨を呼び、川を静めてくれてもいたのに……誰にも知られず、誰からも感謝されないのに」
メーラは、跪くとそっとリュートの手を取り、その額に当てた。
「本当に、ありがとうございました。あなたのおかげで、私は今ここにいるのです」
その温もりが、凍りついていたリュートの心を少しずつ溶かしていく。
――わんわん、と。
堰を切ったように、リュートは泣いた。
その涙は、極寒の迷宮の中でも凍ることなく、熱をもって頬を伝った。
彼の声に呼応するように、杖の先に嵌められた透明な魔石が、かすかに震えていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「大変……お見苦しいところをお見せしました」
リュートは頬をぽりぽりと掻きながら、ローブの袖で目尻を拭った。そして、深く息を吸い、両手で自らの頬をパンと打ち、メーラに正面から向き直る。
「メーラ様。……真実を教えてくださって、ありがとうございます」
その声音には、澄み切った光のような決意が宿っていた。
「勝手なお願いで恐縮ですが、僕たちは準備が整い次第、母様と父様を探す旅に出ます。旅立つ前に、あなたと話せて、本当によかった」
メーラは、静かに頷いた。
「ええ。旅立たれると聞いて、どうしても伝えねばならなかったのです。私も、ずっとこの日を待っておりました」
彼女は一呼吸置いて口を開く。
「ニカさん夫妻から、リュート様のことをお聞きし、何としてもお会いせねばと。……実は、フラウの協力を得て、何度か屋敷へお伺いしようとしたこともありました。ただ、あの家に張られていた“認識疎外の術式”が思いのほか強く、たどり着くことが叶わなかったのです」
その言葉に、リュートが見開かれる。
「……そんなことがあったんですか」
「ええ。ですので、出発までの時間、どうか準備のお手伝いをさせてください」
そう言って、メーラは深々と頭を下げた。
リュートとメーラを包む空気に、誰も言葉を挟めないまま、時間が静かに流れていた。
だが――。
「……あーもう、ええやろ? ウチもしゃべってええか?」
場の空気を割るように、どこか呆れたような声が響いた。
それは、ずっと黙って様子を見ていたモズだった。両手をぱたぱたと振りながら、ため息交じりに呟く。
「いやな、何か場違いっぽくて、ずーっと気配消しとってん。でもさすがに、空気が重すぎて肩凝ってもうたわ。……よしよし、がんばった子には飴ちゃんや。ほら、食べぇ」
言うが早いか、モズは手に持った飴をリュートとメーラの口にぽいっと放り込んだ。彼らは不意を突かれながらも、反射的にそれを口に含む。
「おいし……」
「ふふ……ありがとうございます」
しんみりとした空気に、一気に明るさが戻る。だがモズは気づいていなかった。
その背後――口をうっすら開けて、無言で待機していた者の存在に。
「……ん? あっ」
サラだった。
半開きの口。差し出された掌。だが、飴玉はすでに尽きていた。
「――コホン。それでは、帰ろうか」
サラはそっぽを向いたままそう言った。
その口元は、わずかにふくれていた。
◯ネタバレにならない設定裏話
・授かりし者は、魔術では説明がつかない能力を、持つ者の総称です。平たく言えば超能力です。
・メーラ様の能力も分かりづらいかと思うので補足します。彼女の能力は、生物限定のサイコメトリーになります。
なので、感情や思考を読む事は出来ません。
ただし、彼女は誰かと異なり脳筋系ではない為、読み取った記録から高い精度で心の動きを推察することが出来ます。




