表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サラとリュート  作者: 水曜日のビタミン
第7章 大森林
190/192

第190話 ミスティ



「――お花畑でるんるんしておいでよ。あは」


 ふざけた口調の幼女がサラを蔑んでいた。見下すのではない。弱き者を憐れむ、哀れみの眼差しだ。

 その屈辱よりも先に、サラは己の奢りを突きつけられ、情けなさに打ちのめされていた。

 龍神を従え、この世界最強と謳われる魔族を斃し――この勢いのまま宿願であるカザアナ討伐も果たせる。

 ――そう、錯覚していた。

 だが現実は、無惨で容赦ない。サラは、カビを操る幼女の前にあっけなく敗れた。


「――――ッ!!」

「……ぐッ!!」


 嘆き叫ぼうとしても、声が潰えた。

 喉の奥、いや肺そのものが焼け落ちるように痛む。胞子が内壁に根を張りズタズタに裂いたのだろう。

 微回復機能を備えた白磁の鎧が絶え間なく光を放っている。これがなければ、とっくに命を落としていた。


(待て……誰に助けられた?)


「起きたの? 気分はどう?」


 耳に届いたのはカトリーヌの声だった。


「――最悪だ」


 サラは彼女を見ることなく、ただ天井を仰いだ。ここは……ドライアドの住まう家だろうか。


「……クエエ」


 傍らで、パトリシアが弱々しく鳴いた。


「すまない。心配をかけた」


 きっと、ずっと傍らにいてくれたのだ。忠義を労おうと手を伸ばすと、パトリシアが甘噛みをして抗議するように引いた。その先へ視線を向け――


「――なッ!! カトリーヌ、その腕はどうした!」


 肘から先が、なかった。


「大したことないわ」


 まるで些事であるかのように笑ってのける。


 サラは言葉を詰まらせた。怒鳴りつけたのは心配ゆえだ。

 だが、その腕を失いながらも自分を庇い逃げ抜いたのは、よりにもよって彼女だったのだ。

 初対面の時から印象が悪く衝突さえした相手に、命を救われた。

 庇われてなお怒鳴った自分が恥ずかしい。

 その後悔は、言葉よりも重かった。


「ん~、サラをここまで運ぶ途中にね」


 軽薄な声とともに、ジャンが部屋へ入ってきた。ノックなどしない。手にはコップと水差し。


「気分はどうだい? 安心して。この水はドライアドちゃんがいま入れてくれたばかりだから」


 サラはコップを受け取ることもせず、深く頭を垂れた。


「ありがとう……私を助けてくれて」

「――ふん」

「ん~、礼ならカトリーヌに言いなよ。彼女が一番奮闘したんだから」


 サラはカトリーヌを見つめ頭を下げた。そして腰袋から小瓶を取り出す。


「気休めにしかならんがこれを」

「何?――お酒?」

「ああ、痛みが紛れる」


 コルク栓の匂いを嗅ぎながら中身を尋ねるカトリーヌに、サラがもう一度頭を下げた。


「――いいわ。戦場でのことだから」


 そういうとカトリーヌは栓を抜きくいっと呷ると、


「ちょ!これ凄い強いじゃない!!」

「?ドワーフの国の酒【火鉄】だからな」


 咽るカトリーヌを不思議がるサラ。「まったくもう」といいつつカトリーヌの顔は笑っていた。

その気遣いがサラの心を抉る。


(まだ私は、護られる側なのか)


 奥歯を噛みしめても、現実は覆らない。――ならば、


「すまない……。何があったか、教えてくれないか?」


 サラの問いに、ジャンは気安げに肩をすくめた。


「ん~、逃げるだけならわけないと思ったんだけどね。厄介なのが増えてさ」

「厄介……増えただと?」

「ん~。魔族がもう一人追加。みたいな?」


 カトリーヌの失われた肘先。

 血の滲む包帯を見た瞬間、サラの脳裏にぼやけていた景色の輪郭が蘇ってきた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――あの時。


 カトリーヌと瀕死のサラを背負ったジャンは、崩れ落ちる森をただ前へと駆けていた。

 速度が出ない林冠を、ジャンは枝を裂いて突き進む。

 背後から、胞子を撒き散らしながら幼女が追ってくる。表情だけを見れば鬼ごっこの延長に過ぎぬが、その実、広がる光景は惨烈そのものだった。

 撒かれた胞子は大森林の巨木を次々に蝕み、千年を超えて生きた古木さえ根を腐され、軋みをあげて轟然と倒れていく。


「あは。早く逃げないと追いついちゃうよー。丸裸になっちゃうよー。たのしいねー。うれしーねー。あは」


 感情の底を見せぬ笑みのまま、ミュコラは迫る。


「ジャン、迎え撃ちますわ!」


「ん~。どーやらそれしかないみたいだね」


 二人は正面の大樹を蹴り、左右に分かれた。


「唸れ! 【極光の弓矢(アルテミス)】―(リャマ)―」


 カトリーヌの指先に嵌められた指輪が紅く閃く。

 現れた魔弓が木々を照らし、炎の矢が胞子雲を射抜き、吹き飛ばしていく。

 一筋の光が音を置き去りにした、その刹那、幼女を貫いた。


 ――だが、奇妙なことにミュコラは避けようとすらしなかった。


「ひどいなー。お顔がなくなっちゃったよー。あは」


 顔の半分を失っても、笑っていた。

 そのあまりの異様さに、カトリーヌの喉が凍りつく。


「ん~。ならこれはどう?――【影の踊り子(シャドーダンサー)】―影縛り―」


 ジャンが抜き放ったのは、影を媒介に斬撃を届かせる魔剣――【影の踊り子】。

 だが斬撃は影をすり抜け、甲高い音を響かせて地を穿った。


「お兄さん、どこ狙ってるの? もしかして、へたっぴさん?あは」


「ん~。どうかな、狙い通りだと思うよ。じゃあね」


 顔の欠損を気にも留めず、ジャンは軽やかに笑って踵を返す。その背に胞子が振りまかれようとした瞬間――


「ありゃ、これは動けないね。すごいすごーい! どーなってるの」


 感嘆するばかりで焦りの欠片も見せない。狂気じみた応酬が場をさらに歪めていく。

 立ち去ろうとしたジャンの頬に、一滴の水が落ちた。

 だが、大森林の林冠は分厚い。雨粒が地上に届くはずがない――その不審が足を縫いとめる。

 直後、カトリーヌがサラごと彼を突き飛ばした。

 転がり泥に塗れたジャンが顔を上げると、そこには水で形づくられた巨大な獣の顔があった。


「えっぐ……ミュコラちゃん、ごめんなさい。わだす、また失敗しちゃった。腕しか噛めなかった……」


 巨木の影から、水色の長髪を濡らした少女が現れる。泣き腫らした赤い瞳にさらに大粒の涙を浮かべ、裸足のまま近づいてきた。


「――ぐッ!」


 カトリーヌの美貌が苦痛に歪む。左腕は噛み千切られ、血が滲み落ちていく。


「もー、ミスティちゃん泣かないの。あなたが使えないのはいつものことだから、誰も期待してないよ。あはは」


 ミュコラは彼女の頭を小馬鹿にするように叩いた。


「さぁ、存分に遊んでね! あは」

「ぐすん……今度は上手くやるから……」


 嗤う幼女と泣く少女。異様な二人の魔族が、ひたりひたりと歩を進める。


「――ふん。【極光の弓矢(アルテミス)】―(ティエラ)― 散!」


 カトリーヌは血を滴らせながらも毅然と立ち、ないはずの左手に魔力を滾らせ腕を構築すると、すかさず弓を構えた。矢が幾筋も奔り、土壁が展開して視界を覆う。


「舞え!【影の踊り子(シャドーダンサー)】―影走り―!」


 ジャンの声が響いた瞬間、三人の姿は霧のように掻き消えた。


 残された地面には、かすかに残る足跡。

 その跡を指先でなぞり、ミュコラの口端が不気味に吊り上がる。


「逃げても無駄ですよ。無駄無駄。“印”つけちゃったからね。あは」


「――ぐすん。ミュコラちゃん、また悪い顔してるよ」


 青白い胞子が雨のように降り注ぎ、枯れ木の枝を揺らす。

 その下で響くのは、幼女の笑い声と少女のすすり泣き――

 不気味な二重奏が、森の闇にいつまでも木霊していた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ん~。ボロ負けだったね」


 ジャンが肩を竦めて息を吐く。軽口に聞こえるその声音も、背に滲む汗と乱れた呼吸が戦いの苛烈さを物語っていた。

 サラは唇を噛み、握った拳を膝の上に叩きつける。悔しさを押し殺しきれず、肩が小さく震えた。


「――ザッ……サラ。はぁ。き、聞こえますか?」


 突然、耳に付けた魔道具『風の音』が震え、ノイズ混じりの声が流れ込む。

 リュートだった。


「こちらサラだ。聞こえている」


 上体を起こし、息を整えながら応答する。


「よかった……ぐっ!? 無事だったんですね」


「いや、私とカトリーヌがやられた。カトリーヌが重傷だ。リュート、一旦戻れないか? 彼女を治療したい」


 サラは横目で、血に濡れたカトリーヌの腕を見やった。彼女は意地で平静を装っているが、青ざめた顔が限界を示している。


「――えっ! すみません。こちらも人形を操る魔族に攻撃を受けて、今は里の生き残りを連れて移動しています」


 リュートの声が強張る。背後で木々を踏み荒らす足音や悲鳴が混じり、緊迫した状況がそのまま伝わってきた。


「なに! 同時に魔族が三人も襲来しているのか!」


 思わず立ち上がり、サラは壁を拳で叩いた。乾いた衝撃音が室内に響く。

 数を増す魔族に、リュートでさえ敗走を余儀なくされる――事態の深刻さは疑いようもなかった。

 ――だが、悪夢はそれで終わらなかった。次のリュートの一言が、事態をさらに深淵へと突き落とす。


「い、いえ、襲来している魔族はあと一人。計四人です。僕とセイラが重傷を負っています」


 膝が崩れ、視界が白む。声すら出ない。

 心の弱さが吹き出し、闇となって襲いかかる。


 それでもサラは大剣【龍輪骸】を見つめていた。

 沈み続ける闇の底で、ただその一点だけを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ