第178話 旅立ちの吉兆
「サラ、本当に国に戻らなくていいんですか?」
リュートの問いかけに、サラは迷いなく頷いた。
手際よく荷物をパトリシアに括りつけながら、振り返ることなく答える。
「ああ。国を脅かした魔族は討った。
王城への報告と今後の対応は、セラーノたちに任せた。
私には、やらねばならぬ戦いがある」
「でも……」
言い淀むリュート。たしかに魔族は退けたが、サラは王族だ。
王国を離れ、このまま旅を続けて本当にいいのか――その疑念が胸をかすめる。
だが、その逡巡を見透かしたかのように、サラは静かに言葉を継いだ。
「私の本願は、リヒトを殺したカザアナを討つこと。
それが果たされるまで、私は王族ではなく、ただの剣士だ。玉座に縛られて時を待つなど、性に合わん」
澄みきった碧眼には、迷いの色ひとつない。
「にへへ。リュー君、よかったじゃん。姫とまた一緒に旅できるんだよ?」
「ええ……。って、いや、そうですけど! ……ユウさんは、それでいいんですか?」
「姫はね、昔から一度言い出したら最後、アタシと同じで絶対に引かないタイプなの。説得とか無理無理」
「……はあ。――あれ? “昔から”って……お二人、幼馴染なんですか?」
「そだよー? 知らなかった? アタシが十九で、姫が十七!」
「――えっ!? まさかの十代!? ……若っ!!」
「ちょっと待てリュート。“若い”とはどういう意味だ。まるで私が年増だと言っているような……」
「い、いえ! 違います! ただ、ドワーフ族って長命だから、てっきりもっと年上かと――」
「お前、今までそう言う目で私をみていたのか?」
「いや、見た目通り十代とは思わなくて!」
「ふふーん。姫、リュー君はもっと違う目で見てるんだよ〜?」
「ちょっ!ユウさんっ!」
突然の一言にリュートは顔を赤らめるも、サラは小首をかしげたまま、きょとんとした様子。
そんなサラを一瞥して、ユウがひそひそ声でリュートに耳打ちする。
「姫はね、超がつくほど鈍感だから、これくらいじゃ全然伝わらないよ。本気でやるならもっと爪痕残さないと」
「……努力します」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「わーっ!かわいい!! エスさん、これ本当に貰っていいの?」
「もちろんだぜ、セイラちゃん! 嬢ちゃんには、だいぶ助けられたからな!」
旅支度を進めるサラたちの背後で、エスが緑色の魔石をあしらったティアラをセイラの頭にそっと載せた。魔石はリボン状に意匠され、髪飾りのように自然に馴染んでいる。
「これなら髪留めみたいで、可愛いだろ?」
「ほんとに可愛い! ……エスさんって、見かけによらず優しいんだね!」
「お、おい、それって褒めてないよな……?」
セイラがくすくすと笑いながら、ジェイが作った水鏡に映る自分の姿を覗き込む。
何度も「うんうん」と頷いては、満足げに頬を綻ばせた。
やがて表情を少しだけ曇らせ、セイラはぽつりと口を開く。
「……やっぱり、三人は国に帰っちゃうんだよね」
「――ああ、すまねぇ。助けてもらったのに、ろくに礼もできねぇままってのは、オレも心苦しい。けどな、セイラちゃんの本当の身体……オレも全力で探してみるよ!」
「ほんとに……ありがとう!」
セイラが両手でティアラを押さえながら深々と頭を下げると、エスはがっしと拳を打ち合わせた。
「任せとけ! これでも裏の世界には、ちょいとばかし詳しいんだぜ?」
「そういえば、ユウさんもそんなこと言ってた!」
「ユウが!? ……なあ、その時オレのこと、なんて言ってた?」
「んー? “貧民街の保育士”さんって!」
「おい! 俺はベビーシッターじゃねぇー! もっと男としての俺を見ろぉぉぉ……はあ……」
がっくり肩を落とすエスを横目に、セイラの視線がふいにジェイへと向けられる。
「ジェイさんも、ありがとう。地底湖から無理してボクを地上まで運んでくれて……おかげで、死者のみんなを天に還すことができたよ」
姿勢を正し、丁寧に頭を下げるセイラに、ジェイは静かに頷いた。口数こそ少ないが、その眼差しは、王国のために尽くした少女への深い感謝が滲んでいた。
少しの沈黙のあと、セイラが遠慮がちに切り出す。
「――あのね。もしできたらで、いいんだけど、ジェイさんが連れてるあの女の子と、お話できないかな?」
それは、ジェイが契約している水の精霊のことだった。
地底湖で魔族と渡り合った際、彼の力を支えた存在――その活躍がなければ、戦況は変わっていたのは間違いない。
ジェイは無言で頷き、手にした槍の先をくるりと回した。
すると、槍の穂先から青い光がほとばしり、小柄な少女の姿が現れる。少女はすぐにジェイの服の裾をつまみ、半身を隠すようにして様子を伺った。
「精霊様、こんにちは。驚かせてごめんなさい。ボクはセイラっていいます。よろしくね! それで、ちょっと……教えてほしいことがあって」
セイラはそう言って、一つの小さな結晶核を差し出した。
「この子、モズちゃんっていうの。リュート君の契約精霊でね、前は天使みたいな姿だったんだよ。でも、今はこんな風になっちゃって……目を覚ますのかも分からなくて……ボク、心配で……」
セイラの翡翠色の瞳をじっと見つめた精霊は、おそるおそる結晶核に手を伸ばした。
水のような膜を指先から生み出し、それを結晶に沿わせるように撫でていく。
やがて調べ終えたのか、彼女はジェイの耳元にそっと囁いた。
「――生きてはいる。ただし、著しく消耗している、とのことだ」
「消耗……そっか。でも、生きてるなら大丈夫! ありがとう、精霊様!」
セイラは両手で結晶核を抱きしめると、まっすぐ前を見つめた。
「なら早く、モズちゃんを治してくれる人のところへ行かないとね!」
想像以上に悪かったモズの状態に胸を痛めつつも――セイラの顔は南の空に向いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――これを、頼めるか?」
旅支度を終えたサラが、ひと振りの包丁をユウへと差し出した。黒ずんだ刃は禍々しい妖気を帯び、見る者の胸に得体の知れぬ圧を刻む。
「姫、これって……」
ユウの顔が引きつる。それは、かつて自らの腹を裂いた刃であり、ジェイの精霊すら切り裂く凶器だった。
「ああ。シエルが使っていた刀だ」
「……あはは。やっぱり。ちょっとトラウマ蘇ったんだけど」
乾いた笑みを浮かべつつも、ユウは震える手で刃を受け取った。
「リュートに確認した。これは、シドが打った『鎮魂の小太刀』で間違いないそうだ。
ただ……何らかの呪いが付与されているらしい。至宝と謳われたシドの作品が、このまま穢れたままでいるのは惜しい。
ルーメン・ヴァルカ山の鍛冶師――リオラに見せてくれないか?」
「リオラ……あの山奥にいる綺麗な女の子だよね?
了解! 任せて! 必ず届けるよ! 姫はそのまま大森林へ?」
「ああ。モズを元に戻さないといけないからな」
「ていうか……お母さんが伝説の名工シドってだけでもびっくりなのに、お父さんの方まで古代魔術に関係してるとか……それ、チート過ぎない?」
「ちな、お父さんって名前なんていうの? アタシ、一応魔術学校首席で卒業してるんだから、知ってる可能性もあるよ?」
ユウが興奮気味に捲し立てる。
「父様の名前は……テオです。有名かどうかはわかりませんが、魔道具士だったと聞いています」
「テオ……? うーん、どこかで聞いたような……エス、知ってる?」
「テオか? ああ、そういや、貧民街にいた頃に聞いたな。そんな名の凄腕のダンジョントラベラーがいたな」
「本当ですか!?」
リュートが、珍しく身を乗り出した。瞳が期待に輝く。
「なーるほど。迷宮探検家ってことなら、古代魔術の書を見つけててもおかしくないか。魔道具の素材を集める過程で、偶然手に入れた可能性もあるしね!」
「だから、いろんな筆跡の本があったんですね!」
「え……ちょっと待って。まさか、その古代書物を解読したの、キミ?」
「……はい。何か手がかりがないかと思って」
「……一人で?」
「はい」
ユウは頭を抱え、その場にへたり込んだ。
(マジで? 嘘でしょ……)
(古代書の解析なんて、学者が数人がかりで年間で一ページ訳せるかどうかって代物なんだよ。本当にこの子はいったい……)
「ユウ。リュートがちょっと“アレ”なのは今さらだ。張り合うと大切なものを失うぞ」
「う、うん……覚悟はしてたつもりだけど、完全に予想の斜め上を行かれたよ……。
でもさ、本当に君の“持ってる不思議な力は、異世界を見る力だけなの?アタシ的には、その解析力の方がよっぽど異能に思えるんだけど」
ユウの驚きにもかかわらず、
……なんのこと?
まるでそう言いたげに首を傾げるリュートに、ユウはもう何も言えなかった。
話題の熱が冷めぬまま、ふとサラが一歩前へ出る。
「皆、すまないが……国に戻ったら、シドとテオ、二人の情報を探してくれ。本来それが帰国の目的だった」
静かに告げた言葉に、セラーノが敬礼で応じる。
「国難を救ってくれた方へ、何の恩返しもできぬようでは騎士団の名が廃ります。必ずや、探し出してみせましょう!」
サラもそれに敬礼を返すと、軽やかにパトリシアの背に跨った。
旅立ちの時が迫っている。
リュートは、これから向かう遠く大森林の方角を見つめている。
去り際に、ユウがふと疑問を口にした。
「……そういえばリュー君。あの飛空艇《ノーチラス号》って、どうするつもり?
――って聞いてる?」
カンディスから王国へ向かうために使った飛空艇は、今なお王城近くに置き去りのままだ。
「あっ、すみません。ちょっと空が気になって。
えっと、どうせあの船では、大森林には近づけませんし、そのまま置いていきますよ。
よければ、お空の散歩にでも使ってください。ユウさんなら操縦できると思います」
「……散歩って。あの船、古代技術の粋を集めたような超貴重品なんだけど……。君って本当に……」
「ふふ。そういうことだ。頼むぞユウ。
では、みんな行って来る!!」
サラがパトリシアの手綱をパンと弾いた。
――が、珍しくパトリシアが動き出さない。
不思議に思ったサラが、鞍から降り相棒の様子を確認しようとしたその時だった、
「皆さん、伏せて下さい!!」
空を睨むリュートから突然の檄が飛んだ。
直後、巨大な風船が割れたかのように、見えざる圧力の奔流が一気に突っ込んできた。
燃え残った木々の枝は軒並み弾き飛ばされ、周囲は一瞬にして粉塵で覆われる。
――――
しばしの静寂の後、ボウルを伏せたような半球が、灰を浴びながら一行を覆っていた。
「なんとかやり過ごせたようです」
リュートは掲げた杖を降ろすと、魔力を解放。
視界が晴れると、そこには周囲の木々は吹き飛び、一面の荒野が広がっていた。
空の青さがその不気味さを際立たせている。
「一体今のは、何だったんだ?」
剣柄に手を置き、警戒態勢をとるサラ。
「おそらくロブストへ向かう時に夜空で見た、あの極光です」
示されたリュートの解。
それは、飛空艇ノーチラスで見た、輝く光の柱と直後の魔力の余波だった。
向かう空の先――その見えぬ何かを射抜くように、二人の眼差しが鋭さを帯びていく。
だが同時に、何かに見返されているような感覚が背筋を撫でた。
言い知れぬ恐怖を胸に抱えながら、二人はただ空を見上げていた。




