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サラとリュート  作者: 水曜日のビタミン
第6章 ティエラ王国
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第169話 生と死の境界線

 


「ジェイさん!!」


 セイラが駆け抜けた先で、蒼槍を振るいながら巨大な奔流を迎え撃つジェイの姿が見えた。

 だが、それはもはや“ブレス”と呼べる代物ではなかった。吹き荒ぶそれは、質量を帯びた奔流――まさしく神の御業というべき水の大波だった。


「あら……やっぱり、水の精霊相手では効果が薄いみたいですわね」


 圧倒的な攻撃を放ちつつも、思い通りの結果が得られなかったことに、落胆しシエルはつまらなそうに呟いた。だがその声とは裏腹に、ジェイの全身は激しく損傷していた。

 目と耳から血を流し、膝を折るジェイ。その周囲を、白い閃光が容赦なく包み始める。


(あの光……さっきサラ姉を襲ったやつだ)


 セイラは即座に理解した。あの光を受けた者は、生きて還れない。

 助けるには、今すぐ飛び込むしかない。

 決意を込めて後ろ足に力を籠めた、その瞬間――


「――――!!」


 ジェイが片手を伸ばし、セイラを制した。血塗れの口元に、微かに笑みが浮かぶ。


「――水鏡ワイ・オニオニ


 宣言と同時に、淡く輝く水鏡が宙に現れる。鏡面に反射された光が拡散し、白い閃光の軌道を乱していく。


「すごい……!」


 セイラが思わず声を漏らす。神なる龍種を前にして、一歩も退かぬその姿――その胆力と技巧は、まさに騎士の誇りだった。


 だが――


「や、やっぱり防ぎきれていないよ!」


 反射されたはずの閃光の一部が、ジェイの身体に到達し、皮膚を焦がしていた。

 その白い光――水龍ルヴィナスの放つ神技は、液体を自在に操る力を秘めていた。水を煮沸し、凍結させ、断ち割る。それは、体内の六割が水分で構成される人間にとって、即死級の破壊を意味していた。

 それでもジェイは後方へ跳び、間合いを取る。


「えっ!? なんで動けるの? ……あっ!」


 目を凝らせば、彼の傍らに小さな影があった。少女の姿をした精霊が、必死に癒しの光を彼に注いでいたのだ。

 聖なる光が、白き破壊の輝きを打ち消している。

 ――精霊の献身が、ジェイを神の裁きから救っていた。


「なら、ボクもがんばらないと!」


 セイラの翡翠の瞳に決意が宿る。

 魂の底から願いを込め、見えない空に向かって叫ぶ。


「お願い! ボクに力を――『天使の梯子(ヒンメルス・ライター)』!」


 その瞬間、空間が輝いた。

 マナが蒼く昇華し、光の柱がセイラの体から放たれる。それは死者を慰撫し、魂を浄化する鎮魂の祈り。

 祈りは奇跡を生み、迷うことなく水龍の巨体へと向かっていった。


「はん? なんですの? 今さらこんな光――……ちょっと、待ちなさい!!」


 その光が何を目的としているのか、シエルが気づいた時には、すでに遅かった。

 水龍と同化していたシエルの幽魂体が、光によって引きずり出されようとしていたのだ。

 セイラの放った光は、肉体ではなく“魂”を浄化するもの。

 シエルという存在そのものを昇天させようとしていた。

 ーーが、なぜかシエルの声音に歓喜が混じっていた。


「ああ……なんという美しさ。この慈悲、この輝き。やはり、あなたは女神様なのですね。さあ――ともに、還りましょう」


 蕩けるような恍惚の表情を浮かべるシエル。

 かと思えば、その姿はコインを裏返すように一変。

 ――突如として、水龍の巨体を大きく揺らすと、セイラ目掛けて突進を開始した。


 それはただの質量任せの肉弾攻撃――だからこそ最も単純で、最も致命的だった。

 遠距離魔術の攻防とはまるで異なる、容赦なき圧壊の一撃。

 精緻なマナ制御に全神経を注いでいたセイラは、とっさの対応ができなかった。


 ――ゴギッ。重く何かが砕ける音が堅牢な洞窟の壁を揺らした。


 白い身体が宙に舞い、風に散る木の葉のように回転しながら落下していく。


「セイラ殿!!」


 ジェイの悲痛な叫びが飛ぶ。だが、彼もまた内臓を焦がされ、即応できる状態ではなかった。

 床に流れる、紅い血。砕けたその身体が、もはや限界だと告げていた――その時。


「――よく頑張ってくれた」


 地に叩きつけられる寸前。

 セイラの巨体を抱きとめたのは、金髪の剣士――サラだった。

 空を切り取ったような澄んだ瞳が、優しさと怒りを湛えてシエルを見据える。


「――貴様、私の仲間に手を出して、ただで済むと思うなよ」


「あら……その傷。見れば見るほど、私のおもちゃにちょうど良さそうですわ」


 シエルは楽しげに笑いながら、血塗れの剣士を嘲る。

 サラはセイラを優しく横に寝かせると、無防備なほど静かな足取りで歩き出す。


「健気ですわね。その身を捧げて、助命の懇願かしら? でも、そんなことなさらなくても……ええ、皆さん仲良く並べばよろしいのよ。さぁ、死になさい」


 死人使い(ネクロマンサー)シエル・ビー。

 その存在は、生の否定、悲哀と絶望の増幅、そして狂気の喜悦そのものであった。

 だがサラの瞳は、一片の曇りもなく、ただ真っ直ぐに輝いていた。


「その台詞、この一振りを受けてから言ってみろ」


 よろけながら大剣を構えるサラ。

 その姿は儚く、立っていること自体が奇跡のようだった。


「はぁ……エッジが楽しいところ、全部持って行ってしまったようですわね。その体ではもう、龍神は呼べないでしょうに」


 玩具を失った子どものように、シエルがつまらなそうに呟いた――その瞬間。


「貴様ら魔族は、神に祈らんだろう? 一目、会わせてやる。――来い!水神ラトナ!!」


 サラの大剣が光り、水の名を冠する神の名が発せられた。

 周囲のマナが煌めきながら大剣に収束していく――。


「なるほどのう。やけに騒がしいと思うたら、水龍か。……まったく、憐れな姿に成り下がりおって。その時でもないのに、無理やり起こされたか」


 現れたのは、透き通るような蒼い髪を揺らす、水を纏う若き女性の姿。素足のまま水面に立ち、蒼衣をまとったその姿は、まるで泉そのものを具現化したかのよう。

 揺れる水面が彼女の足元に蓮の模様を描き出し、声に応じて周囲の空気が一層清浄に変わっていく。


 ――水神ラトナ。サラは極限まで消耗しきった体のまま、祈りを捧げ、この神を顕現させた。


 ここは聖なる泉アセリアの核心地。聖なる水の神力が満ちているならば、神を降ろす条件は整っているはず。

 自らの闘気を糧にせずとも、わずかなきっかけさえあれば――。



 ブレス、閃光、そして突進。

 それは単なる攻撃の連携ではない。破壊そのものが意思を持ち、怒涛の水流としてラトナに叩きつけられるも、


「……とうとう知性も手放したか。哀れよのう。誇り高きはずの龍よ」


 死神の鎌に撫でられるような一撃を受けながらも、ラトナは一歩も引かない。むしろ、哀れみを滲ませた瞳で、水龍を静かに見下ろしていた。


「古の時を生きし龍よ。時代のうねりに乗り損ねた時点で、もはや貴様の席はこの舞台にはない。潔く、退場するがよい」


 切りつけるような言の葉が放たれた瞬間、水龍が一歩、無意識に後退した。シエルの魔術による拘束を無視してすら、身が引かれるほどの威圧だった。

 ラトナの唇がわずかに綻ぶ。


「ここは――アセリアの心臓。我が聖域。格の違い、思い知らせてくれよう」


 掲げられたラトナの手が、静かに振り下ろされた。


 その瞬間、古代の遺構が、呼吸を止めたかのように沈黙する。

 かすかな水音すら消え、洞窟の天蓋が蒼白に染まりゆく。


 地底湖の奥に隠されたこの聖域――

 神々の時代から封じられていた“根源”が、いま顕現しようとしていた。


 白と黒。

 相反する色彩が空間全体に滲み出し、古の石柱が光に震える。


 その中心。

 水面を割るように、静かに――それは現れた。


終ノ(フルーメン・)水門(モルティス)


 精緻な装飾が施された荘厳な門が空間を支配するかのように出現。ゆっくりと外扉が開かれると、そこには雄大な流れ。無論ただの水の流れではない。

 この地に刻まれた神の記憶、世界の理が崩壊する“断罪の流れ”であった。


 視界が揺れる。空間が歪む。

 神代の封印がほどけるように、遺跡の大地が音もなく割れ、流れ出したそれは、音なきまま魂を飲み込む。


 ……そして、時が弾けた。


 ――決壊。


 河が咆哮を上げ、洞窟の内壁すら裂けるほどの衝撃が世界を揺るがす。


 かつて神を祀るため築かれたはずのこの空間が、いま、神によって“裁きの場”へと変貌していく。


「『死』を弄ぶ者よ。我が断罪を受けるがいい。その所業、もはや悔いる価値すらない」


 ラトナの言葉が洞窟に響いたとき、聖域全体が応えるように震えた。


 水ではない。

 あれは、命の根源を流し去る神の審判だ。


 ラトナの言葉が天に届き、すべてが終わったかに思えた――


 ――誰もが、そう信じた。


「……わたくしは『死』を冒涜などしておりませんわ」


 静かに、しかし鋭く、声が返る。


「誰よりもその境界を見つめてきたのです。最も大切なあの子を、冥界から取り戻すために……!」


 狂気とも、執念ともつかぬ声。これまでのシエルとは明らかに異なる響きだった。


「知らん。知ろうとも思わん。貴様がいかなる理由で命を踏みにじろうと、罪は罪。――消え失せろ、命を辱めし者よ!!」


 今度はサラが断罪の剣を振るった。


「……ふん。勝てばいいだけの話ですわ」


 シエルは嗤い、手を掲げる。水龍から魔力を、際限なく、強引に引き出していく。


「なっ……!」


 その異様な行為に気づいたサラが、目を見開いた。


(まさか、あれを使う気か……!? だが、神の力に抗えるはずがない――)


 顕現した冥界の河の中心――そこを流れる水流が、不自然な軌道を描きながら空間に巨大な魔法陣を描き出す。


 ――そして、光が地下世界を呑み込んだ。



 ◇ ◇ ◇ ◇



「くッ……やられたか! セイラ、ジェイ、無事か!? どこだ!?」


 咄嗟に周囲を見渡すサラ。

 二人の名を叫ぶもその姿が見えない。

 キトンブルーの瞳は宙を泳ぎ、脳裏には爆光の残滓が焼き付いている。


「姫……? いきなり現れて、どういう状況なんだ?」


 見慣れた声が響き、振り返った先にいたのは――


「エスか! セラーノは!? 救出できたか?」


「……ああ、なんとかな。サビーネの頑張りでな。あいつは魔力切れでもう動けそうにないが、無事は無事だ」


「よかった。なら、すぐにここから――!」


「待ってくれ姫!状況を説明してくれ!……ぐっ!?」


 ただならぬサラの態度に、実態を察するエス。しかし、サラの後方に目をやった直後、あまりの衝撃に言葉が途中で止まった。


 ――彼の視線がとらえたもの、それは絶対にあってはならぬ光景だった。


「ふふ。やりましたわ。あの神技は、アセリアの中だったからこそ成しえた芸当。でも、場所が変われば話は別ですの」


 そう言い放ちながら、地上へと転移した水龍が、圧倒的な存在感を放っていた。



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