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サラとリュート  作者: 水曜日のビタミン
第6章 ティエラ王国
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第159話 エス・スモーク



 子供のころ、見上げていた空はいつもドブネズミ色だった。



 世界の至宝と称えられるカンディス大聖堂。世界中から人と富が集まり、希望に満ち溢れる都市カンディス。その都市から、わずかに離れた掃き溜め『クロアカ』でエスは育った。


 輝く都市の住人たちは、そこを『この世の地獄』と呼んでいた。


 そこで生き残るためエスは周りの人がするように、自然と盗みを覚えた。

 盗んで、盗んで、殴られて、また盗んで……。

 エスにとってそれは呼吸に等しかった。


 そんなエスが生き様を変えたのはある二つの出会いがきっかけだった。

 一人は、後にエスの親友となるティエラ王国騎士団セラーノ・バルベルデ。

 もう一人は、迷い込んだ地下通路で見つけた死体だった。


 まずは、この死体について話そう。


 それは、雨がしとしと降る日だった。迷路のような道が入り組む『クロアカ』の路地の一角に女性のシルエットと『天国への扉』と書かれた看板が捨てられていた。その背後から足首が出ていた。


 気配から死体だと分かった。


 エスは近づき、何の躊躇もなく冷たくなった骸の懐から革袋を取り出した。袋の中は金貨や銀貨で満たされていた。

 じゃらりと中身を取り出し、自分の皮袋に入れようとした時、袋の底から、いくつもの石が転がり落ちた。それぞれに、異なる名前が刻まれた石。それは、『身代わり石』だった。


『身代わり石』は、降りかかる厄災を代わりに受ける加護の石で、子の健やかな成長を祈って親から贈られるものだ。孤児であるエスもこの石だけは、大切に持っていた。それは、『クロアカ』の下水溝に捨てられていたエスの体に落ちないように巻き付けられていたものであり、エスと顔も知らぬ親をつなぐ唯一のものだった。


(こいつ、こんな大した値打ちのない石まで盗みやがるのか……)


 エスは、途端にその金がひどく醜いものに思えて、その石を握りしめたまま、金も銀も奪わず、その場を後にした。


(……金ってのは、つくづく醜いな。心までも汚しちまう)


 その瞬間、エスの中でひとつの決意が芽生えた。


(――もう俺は、見境なく盗むのは辞める。俺が盗むのは悪党からだ。悪党専門の盗賊になってやる。そう今日から俺は『黒盗賊(ダークシーフ)』だ!!)


 その足で、エスはクロアカの裏社会を牛耳る組織『ロド』の元へ向かった。

 隻腕の男――ロドの幹部、ガルザに面会を願い出ると、エスは単刀直入に言った。


「盗賊相手の盗賊をやらせてほしい」


 鼻で笑う幹部たちを前に、エスは地下通路で見つけた遺体と、ある紙を差し出した。その紙には、死体の特徴と持ち物、更にエスが自力で掴んだ、敵対勢力の構成員と金の流れが書かれていた。


「面白い餓鬼だ」と、ガルザは口角を吊り上げた。

そして、隠すことなく「いい鉄砲玉が手に入ったぜ」と。


 かくして、エスはロド傘下で黒盗賊(ダークシーフ)として働き始めた。


 エスが盗む情報は敵対勢力の金だけに留まらなかった。ねぐらは勿論のこと、間者の名、巡回の順路とその抜け道。敵の懐事情から、性癖まで多岐に及んだ。


 情報の正確さは確かに折り紙付きだったが、馴れ合いを拒否するエスを誰もが「仲間」とは見なさなかった。

 エス自身も、嫌われ者であることをよく知っていたし、それを望んでいたのだ。


 黒盗賊として請けた仕事は、どんな依頼でも一度たりとも失敗しなかった。

 それは新たな理由があるからだ。あの掃き溜めで、黒盗賊として生きる自分を「かっこいい」と慕ってくれる子どもたちを守るためだ。



◇ ◇ ◇ ◇



「エスー! 今日のご飯なにー!?」

「エスー、腹ぺこぺこぺこー!」

「エスー、俺、肉ー!」


 崩れかけた石造りの廃屋に、元気な声が響く。

 エスはくるりと身を翻して、かがり火の前でフライパンを振るった。


「文字の練習やったか? 今日も十文字書けたらご飯だぞー!」

「「「えぇー! エスのけちんぼ! スパルタねずみー!」」」

「うるせぇ! やらなきゃ俺が全部食っちまうからな!」

「「「エスの業腹ねずみー!」」」


 エスは、黒盗賊として稼いだ金を使いクロアカに捨てられていた孤児たちと共に暮らしていた。

 最初はただの気まぐれだった。腹を空かせて震えるガキにパンを一つ投げてやった。

 それだけのはずだったのに、次の日には二人、次の週には三人。気づけば、肩を並べて火に当たる“家族”になっていた。

 彼らのために、金を稼ぎ、学を与え、時には文字を教え、病を治す薬草を手に入れ、雨漏りを塞ぐ板を調達した。


 いつしかそれが、エスの誇りとなっていた。


 だが――その静かな日常に、不安な気配が忍び寄る。


 ある晩。エスが隠れ家へ戻ると、そこには静まり返った闇だけがあった。

 火がない。物音がない。気配すらない。


「……おい。誰か、いるか?」


 返事はなかった。

 血の気が引く。

 脱いだ靴、散らかった皿、子どもたちの寝床――すべてがそのまま残されていた。だが、肝心の子どもたちだけが――どこにもいなかった。

 床に落ちていたのは、一枚の布切れ。

 そこには、血で書かれたような文字が残されていた。


 ――『黒盗賊』へ。これは警告だ。


 怒りが、音を立てて膨れ上がった。

 歯を食いしばる。


(やりやがったな……俺の、大切な家族を……)


 エスは腰のナイフを引き抜くと、深夜の闇へと消えていった。


(やるしかねぇ。あいつらを取り戻す。……絶対に)



◇ ◇ ◇ ◇



 家から続く足跡をたどりエスが追跡を開始した。足跡の僅かな特徴から性別、年齢は元より職業にいたるまでエスは見分けることができた。その能力を使い、突き止めた子供たちの居場所。それは、港だった。


(ちくしょう。よりにもよって、奴隷船に売りやがるとは……みんな待ってろよ)


 エスは夜を待ち、闇が港を覆い隠すと即座に行動を開始した。

 壁を飛び越え、屋根に上り屋根裏から奴隷商の館に忍び込むと、大量のゴキブリをばらまいた。

 館はたちまち騒然となり、叫び声と物音が木霊する。ゴキブリに追われた護衛たちが雪崩のように逃げ出し、数人の使用人だけが蒼ざめた顔で残った。

 その静寂を確認すると、エスは即座に行動を開始。奥から使用人の服を盗み、成り済ますと平然とした顔で地下牢の鍵を手に取り、「奴隷の仕業かもしれないから、見てきます!」と言い。その場を後にした。



◇ ◇ ◇ ◇



「エスーー。やっぱり来てくれた!」

「ぼくしってる、こういうのひーろーっていうんだよ」

「やっぱり、エスかっこいい!!」


「お前ら酷い事されてないか?今、助けてやるからな」


 エスは、即座に子ども達を縛っていた足枷を外そうとした、その時だった。


 ――ガツン!!


 エスの頭に衝撃が走り、どろりと血が流れた。



◇ ◇ ◇ ◇


 気が付けばエスは、手足を縛られ檻に入れられていた。

(ここは……)


 薄ぼんやりと開けた目に飛び込んだ部屋に見覚えがあった。


「まったく。ガキなんて放っておけばいいものを……」


「ガルザ……」


 そこにいたのは、エスにクロアカを牛耳る組織ロドの頭目ガルザだった。


「どうしてだって顔をしてやがるな……教えてやるよ」


 ガルザは薄く笑い、エスの前にゆっくりと歩み寄った。


「敵対勢力と組んだ。……お前の身柄が欲しいそうだ。そこで、手土産にガキどもを攫ったってわけさ」


 エスの目が見開かれる。だが、ガルザは続ける。


「ま、お前のことだ。“必ず助けに来る”と思ってな……その通りになったわけだ」


「てめぇ……!」


「なんだぁ?その綺麗すぎる目は? はん、騎士を気取ろうともてめぇは盗人だ。ガキの命で釣られて、ノコノコ来やがって。ああ、そうだ。もう一つ」


 ガルザは指を鳴らした。


「お前、知りすぎたんだよ。ウチの内情をな。もう、邪魔なんだよ――」


 ガルザは、あきれたように鼻を鳴らすと、口の端を歪めて合図を送った。

 その動作ひとつで、陰から魔術士たちが現れた。

 感情を失った目で、処刑道具のように呪文を唱え始める。


 エスは歯を食いしばった。手足は縄で縛られ、しかも重い鉄製の檻の中。

 身動きひとつ取れないまま、ただその時を待つしかなかった。


(――こんな幕引き、あんまりだろ……)


 部屋に、魔力の圧が満ちていく。

 刃のような緊張が肌を刺し、死の気配が確かに近づいていた――。


 ――ドゴォン!


 爆音とともに、扉が木端微塵に砕け散った。


 巻き上がる埃の中、銀の甲冑をまとった男たちが次々に飛び込んでくる。


「誰だゴラァ!? ここがロドのアジトと知っての凶行か!?」


「――黙れ外道。貴様に発言権はない」


 騎士たちの前に立つ一人が、堂々と剣を振りかざし名乗りを上げた。


「ティエラ王国騎士団 部隊長、セラーノ・バルベルデだ。悪党はことごとく滅してくれる」


 ――――!!


 部屋はそのまま乱戦状態となるも、騎士団の力は圧倒的だった。

 舞い上がった羊皮紙が床に着くよりも早く、ロドの一味は制圧されていた。


「ロドの頭目、ガルザだな。ティエラ王国騎士団 部隊長のセラーノ・バルベルデだ。貴様の悪事、洗いざらい吐いてもらうぞ」


「ちっ!!」


 ガルザは、太々しく唾を吐きながらも早く手枷を掛けろと言わんばかりに、両手を前に差し出した。セラーノが捕縛しようと近づいたその時だった。


「――ぷっ!!」


 背後から、何かが顔の脇を抜けていった。


「まさか毒針?」


 セラーノは顔を引きつらせながら振り向くと、檻に入れられた男が見えた。


「お前なんのつもりだ?ガルザを逃がそうとでもしたのか?」

 怒気の混じった声音がエスに向けられる。


「はん!ずいぶん偉そうな騎士様だ。俺は命の恩人だぞ」


 言われた意味が分からず眉を寄せるも、


「まさか……」


 顔を戻すとガルザがばたりと倒れていた。その手を調べると、


「仕込み針」

「薄汚いそいつの得意技さ。それより、あんたに頼みがある」

「助けられたことは感謝する。だが、お前もこいつらの……」


 セラーノの言葉を遮るように、エスが叫んだ。


「頼む……子どもたちを助けてやってくれ。あいつらには何の罪もねぇ」


 エスは、縛られたままでも叫んだ。


「その後なら……俺をどうしようが構わねぇ。処刑でもかまわねぇ!でも、あいつらだけは……」


 セラーノはしばし黙し、じっとエスを見つめた。


「……お前、黒盗賊のエスだな」


 そして、深くため息を吐いた。


「普通なら信じねぇが……。子供に何かあったらウチの副団長がだまってねぇ。分かった、案内しろ」



◇ ◇ ◇ ◇


「エスーー。やっぱりひーろーだ!!」

「エスーー。こわかったけど、来るってしってたから泣かなかったよ!」

「エスーー。このぴかぴかのおじちゃんは友達?」


 騎士団の圧に気圧されたのか、奴隷商たちはろくに抵抗もせず、あっさりと子どもたちを解放した。


「……取引の証拠がねぇなら、てめぇらが法を語る資格はねぇんだよ」


と、セラーノが低く言い放つと、商人たちは顔を青ざめていた。


 その傍で、エスは子どもたちの頭を撫で、ひとりひとりを優しく抱きしめると、

「お前たち無事で良かった。それでな、俺はもう一緒にはいられなくなったんだ。このおじちゃん達がお前たちの面倒をみてくれるからな」


「やだよーー。ぼくらエスといる!」

「ずっと、いっしょだっていったじゃん!」

「ぴかぴかのおじちゃんも何とか言ってよ!」


 子どもたちの潤んだ瞳がセラーノに向けられる。セラーノは困ったように頭を掻くと、


「エスも我々と一緒に行くんだ。だから、一緒だよ。安心してくれ」


 そのままエスに視線を送ると、


「黒盗賊エス。お前の仕事は調べさせてもらった。

 もの好きなウチの副団長がお前に興味を持っているんだ。

 うちに来る気はあるか?

 俺からは、『子どものために命を張れる正義の心を持っている』と進言しておく、後はお前しだいだ」


「ーーーー!?」


 エスは声を殺したまま、深く頭を下げた。


 騎士団の列を追うエスの頭上――

 ドブネズミ色の空の裂け目から、一筋の光が差し込んでいた。


(……なんだよ。その空の色は。ずいぶんと青いじゃねぇか)



◇ ◇ ◇ ◇



 それから数ヶ月――


 セラーノの紹介により、エスは王国の諜報部隊に属し、斥候の任務に従事。

 彼の裏社会で研ぎ澄ませた嗅覚と判断力は、鋭く他の団員と一線を画していた。

 とりわけ、王妃暗殺未遂事件での活躍は目を見張るものだった。

 事前に異変を察知し、発生を未然に防ぐことに成功。

 この活躍により、王家より『スモーク』の姓を賜ることとなる。

 やがて『三刃』の一角を担うまでに成長した彼とセラーノは、友情という名の強い絆で結ばれていった。



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