第148話 濃煙
「そういえば、ここはどなたのお家ですか?」
布団の中で、服をもぞもぞと着つつ、リュートが疑問を口にする。
「ここはね。タニアさんて親切なおばさんのお家だよ。アタシ達はキレイな池のほとりに転移しちゃって、たまたまその近くにいたタニアさんに助けてもらったってこと」
「へー。親切な人が通りかかってくれて良かったですね。それで、そのタニアさんは?」
「なんか、お祈りに行くって、出て行ったよ。アタシも着いて行こうかなって思ったけど、リュー君ほっとくわけにもいかないしね」
「……なんか、すみません」
「それで、魔力は回復した?」
「全快というわけにはいきませんが、立ち眩みしない程度には。ひとまずサラに連絡を取ってみます」
「うん!よろしく」
リュートは耳につけている魔道具「風の音」に指を当て、静かに目を閉じると魔力を込めた。
「……あれ?」
「ん?どしたの?」
「魔力が……つながらない。何かに阻まれてる感覚です」
「あー。そういうことか!」
「どういうことなんです?」
リュートの疑問に答えることなく、「うん、うん」と頷き納得の表情を浮かべるユウ。
全く分からず、答えを催促するような視線を送ると、ユウは「おほん!」とわざとらしい咳をしつつ、
「この南の森は、魔鉄鋼の一大産地なんだよ! ティエラ王国はこの森で魔鉄鋼を採取してるんだけど、魔鉄鋼は魔力を通さないから、その影響で、この森では魔術士の力は半減しちゃうんだよ!」
「えっ?ってことは、この森では、僕ら役立たずってことでは……」
「ぃやー。ちょっと強めに魔力を込めれば大丈夫だよ。まぁ、リュー君ならすぐ慣れるよ!なはは」
魔力の半減する森で、魔術士しかいない状況は、結構深刻なのでは?と思いつつも、底抜けに明るいユウの振る舞いにリュートの不安も半減。気を取り直して、
「ここが南の森なら……モズが何か知っているかもしれません。少し、呼びかけてみますね」
リュートがそう言うと、ユウが目を輝かせながら身を乗り出した。
「おー! そういえば精霊様って、大森林のご出身だもんね!」
リュートは軽く頷き、首にかけた魔石、モズの魂が宿る石に、そっと魔力を注ぐも、
「……あれ。こちらも、反応がありません」
「精霊様、寝てるんじゃないの?」
軽く笑って返すユウに対し、リュートはわずかに眉をひそめていた。転移の際、何か異常があったのでは?そんな不安が胸をよぎる。
だが、目の前のユウは、そんな心配などどこ吹く風とばかりに、いつものように明るく笑っていた。その姿に救われる思いがして、ぎこちないながらも口元を引き上げた。
その時、鼻先に別の違和感を感じ、
「……なんか、臭くないですか?」
リュートが鼻をひくつかせると、ユウがきょとんとした顔を向けた直後、口元を尖らせながら、
「臭い? アタシじゃないよ?もぅ!」
「……いや、そういう意味じゃなくて……」
空気の中に、焦げたような匂いが混じっていた。鼻を刺す、黒く澱んだ感じ。
それは、何かが燃えている証だった。
「んっ?ほんとだ、焦げ臭い……これって、火事!?」
ユウの表情が一変する。脳裏に真っ先に浮かんだのは、先ほど一人で外へ出て行った人物。
「タニアさん……!」
「探しに行きましょう!」
二人は迷うことなく杖を手に取り、戸口へと駆け出すと、扉を開けた瞬間、重たい空気が肌にまとわりついた。森の中はすでに薄煙に包まれ、視界の奥で、赤く染まった炎の尾が揺れている。生木が燃える特有の湿った焦げ臭さが目と鼻を刺激する。
「こんなになるまで、気づかないなんて!」
リュートが唇を噛むようにして声を上げる。
「だめ。この森……魔力探知が効かない……」
返したユウの声音には、いつもの明るさがなかった。タニアの魔力を追おうにも、地中に含まれる魔鉄鋼が、その気配を濁している。
「どうしよう……」
ユウは杖を抱え、今にも泣き出しそうな顔で足元を見つめている。リュートは、そんなユウの肩を抱ききっぱりと言い切った。
「ユウさんしっかりしてください! 僕たちが転移した場所は分かりますか!」
「え?なんで?」
「僕たちがいた場所がお祈りをする場所の可能性があります。
転移先になるような場所です。きっと魔力濃度も高いはず。なら、祭壇として扱われていてもおかしくない!」
「そっか!!君、賢い!ついて来て!こっちだよ」
ユウは一直線に走り出した。当然のように風魔術を操りインパラが駆けるように、一足飛びで木々の間を駆け抜けた。そうして、一瞬でタニアと出会った陥没泉に着くと、
「はぁ、はぁ……ダメだ、いない!どこ?どこだよタニアさん!!」
ユウがオレンジ色の髪を振り乱し周囲を見渡すも、周囲に人の気配はない。混乱が焦燥に変わり、桔梗の瞳に涙が浮かぶ。
「もう、心当たりなんてないよ……」
顔を覆い、下をむくユウにリュートが吠えた。
「しっかりしてくださいユウさん!なら、今度は原因を断ちましょう!」
言うが早いか、リュートはそのままユウの体を抱き上げると、足元の枯葉がふわりと舞い上がった。収束する魔力の渦が臨界を迎えたその刹那、ふたりの身体が重力の鎖から解放され空へと舞い上がっていった。だが、魔鉄鋼の影響で飛行が乱れ、
「リュー君、右っ!!」
ユウの声に、リュートが咄嗟にユウを守るように抱え込む。リュートの腕の間から伸びた杖先が淡く光り出した次の瞬間、風の刃が放たれ、目前に迫った枝を切り裂いた。
「ごめん!お姉さんのアタシがしっかりしないとだね!! こっからは、もう大丈夫!!」
やるべきこと、出来ること、その手順がはっきりと示され、ユウの顔にいつもの明るさが戻った。
空を覆い隠す木々を細やかな連携で払いのけながら、ふたりはついに樹冠を抜け、空へと飛び出した。
眼下には、果てしなく広がる南の森。いくつもの火点がその深緑を焼き崩し、煙が螺旋を描いて空へと昇っている。
「リュー君、あそこ二時の方向!」
ユウの指さす先。そこには、他の炎とは明らかに異なる、不気味な光があった。
まるで意思を持つかのように、森の一角を蝕みながら、じわじわと燃え広がっている。
それは魔術特有の輝きだった。その意味するところを理解し、ふたりは短く頷き合うと、迷いなくその方角へ向かって飛び立った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ギャーギャー」とけたたましい鳴き声が飛び交い、栗鼠や猪といった獣からトレントや人食い花に至るまで、あらゆる魔物が棲家を追われ逃げ惑っている。
命を刈り取る重苦しい匂いが、森全体に広がり今まさに死がじわじわと広がっている。
そんな黒煙に包まれた視界の中、赤い輝きが一定の間隔で明滅していた。それは、まるでイネを植えるように、等間隔に不自然なほど規則的に光り、炎のように揺らぐことも、煙と共に空に昇ることもない。直線的に灯るその赤は、明らかに術式の産物だった。
「コーホー! そこまでだ、悪党!!」
煙を割って現れたのは、ユウ・ワンズ。健康的な太ももを露わにし、地面をダンと踏みしめ杖をくるりと一回転させると、オレンジの髪を揺らしながら声を張り上げた。
「太古の森林に炎を放つ不届き者は――ティエラ王国騎士団、ユウ・ワンズ様が団長に変わってお仕置きしてやる!」
濃煙が立ち込める中でも、その声音は乱れることがない。それは、ユウがリュートの創作魔術【空気鎧】を身につけているからだ。
「いやー。この魔術、思いのほか汎用性が高くて、高くて、自分でも驚いてます」
後方でリュートが感心したように呟く。しかし、すぐにユウがくるりと振り返り、むっとした表情を向けると、
「ちょっと、リュー君。今、アタシがカッコいいところだよ! 出て来るなら、『僕は、悪を切り裂く一輪の薔薇だ! 覚悟しろ、悪党!』とかノってくれなきゃ!」
「えっ……なんか、そういう学芸会っぽいのは……学校通ったことのない僕には厳しくて」
「不憫な身の上話キター! って、なにそれ!? あいつアタシたち無視して、まだ火ぃつけて回ってんじゃん!!こんにゃろ!!」
ユウが怒鳴ると同時に、杖先から閃光がほとばしった。煙の中に見えた人影へ向かい一直線に放たれるも、着弾と同時に光が放たれ、飛んで来た射線をなぞるように、閃光が跳ね返される。
「えっ……!?」
ユウの身体が硬直する。自ら放った閃光がいつの間にか返す刃のように、今度は彼女自身へと襲いかかった。
「ユウさん!!」
咄嗟にリュートが身を投げ出し、彼女を庇う。
閃光がリュートの腕に直撃し、ローブが赤く染まる。
ユウがなぜ動けなかったのか――その答えは、すぐに明かされた。
黒煙の中から、ふたつの影が現れた。
ひとりは、土気色の肌に生気のない瞳を持ち、焦点も定まらぬまま宙を見つめていた。人の姿をしていながら、もう人ではない者。否、かつて人であったもの。
その顔、その杖、まとう魔力は、
「……お師様」
ユウが、かすれた声で呟いた。
いつものふわりと咲く花のような笑顔が消え、心に黒い闇が差し込める。
二人の前に立ちはだかったのは、ティエラ王国騎士団副団長にして、宮廷魔術士。アルヴァン・ミラフォート。その変わり果てた姿だった。
そして、もうひとり。
「あらぁ。またお会いしましたね、若き魔術士君。今日は、あの勇ましい猫ちゃんは連れてないのかしら? うふふ」
艶めいた声で笑いながら、闇の中から現れたのは、カンディスを襲った魔族。
骨のように白い肌に血の気の通わぬ笑みを浮かべた 死人使い、シエル・ビーだった。




