第131話 再会
閃光に白く塗り潰された世界が静かに退き、夜の帳がゆっくりと降り始める。
吹き荒れていた強風は、まるで潮が引くように反転し、爆心地へと吸い込まれていく。
崩れ落ちた空からマナが強奪されたその地へと向かって……
「ハァ、ハァ、はぁ……」
「サラ……モズ……」
「……ウチら、生きとる?」
空を覆っていた巨大なマナの塊は、都市に衝突する寸前、サラたちの決死の抗いによって大半が分解された。だが、解き放たれたエネルギーの余波までは防ぎきれず、爆風が都市の広範囲を容赦なく削り取っていた。
その“ポイント・ゼロ”――災厄の中心地にいた者たちが、無事でいられるはずもないが、
「はぁ、はぁ……、――空気鎧」
千の魔法陣を起動させた刹那、リュートは再びグラン・エスペランサを振るい空気の鎧を傘のように展開させチャージ。降り注ぐ瓦礫と暴風からサラたちを守っていた。
「はぁ、ハぁ、……助かった、リュート。それにしても、最後に、い、一体何を突き刺したんだ?」
「はぁ、はぁ、すみません。ドワーフ王に献上するはずだった母様が作った【時雨】です」
名工シド謹製【時雨】それは、どんな防御も一秒間無効化する魔剣であり、ティエラ王国への献上品として、イーノ村から持参したものだった。
「なるほどな。【時雨】でマナの防御を無効化して、その穴を通して私の火山雷が流れたのか」
「か、勝手なことをしてすみません。王への献上品が台無しになってしまいました」
「問題ない。アイツはそんなことは気にしない」
「アイツ……。と、とにかく上手くいって良かったです。それよりも、シーマは……?」
「――コホン。心配ない。ヤツはあっちで完全に気絶ている」
サラは、僅かに残った闘気でシーマの挙動を把握し、
「それにセイラも無事だ」
サラの視線の先、そこには白い獣セイラが大量の屍に囲まれていた。その死者の山を、シエルはつまらなそうに眺め、
「――ふん。美しくないですわ。本当に……」
セイラはシエルが作り出した死者の群れを、ことごとく無効化。最後に残った小さな死者を優しく噛むと、セイラの口に甘酸っぱいリンゴの香りが広がった。込み上げる涙を必死で堪え、透き通った翡翠の双眸をシエルに向けると、
「ボクはこの子たちを絶対に見捨てない!!
君のやることは全部無駄だと何度でも証明してやる!!
君の能力だって、ボクが残らずこの世界から消し去ってやる!!」
極太の前足をダン!と踏み出し、牙を剥き出しにしてセイラが吠える。しかし、そんな、殺意の塊を飛ばされてもシエルの表情は微動だにしない。心が通うはずもない相手は、心底つまらなそうな顔を向けると、
「いえ、遠慮いたしますわ。どうやら来てしまったようですから。肉弾戦専門の方が」
「―――?」
話が噛み合わず、思考が澱むセイラの瞳に血のような赫色が映る。それは、箱庭で見た魔法陣に似ており、セイラの警戒の色が一段階上げられた。そのまま、睨みつけていると、
「あ゛ぁ――だりぃ。 やっぱりシーマのクソ女、破壊しちまいやがった。
俺ぁ、あの天井絵が好きだって言っておいたのによう」
心底気だるそうな言葉と共に、魔法陣から鉄骨のような分厚い筋肉の鎧を纏い、切り裂くような鋭い金色の目をした大男が這い出してきた。その身長は二メートルを軽く超え、頭には二本の角。男の胸には、龍の髑髏の首飾りが掛けられており、
「――カザアナ!!!!」
サラが立ち上がった!
全身から血を吹き出し、腕も砕けとても動けるはずがないのに。
「あ゛――だれだてめぇ?」
「――【雷鳴】」
空気を切り裂く三日月状の紫電がカザアナに迫る。だが、カザアナは無造作に左手を突き出すと、それを掴み、握り潰すようにかき消した。
掌からは、ジュウ……と肉の焼ける音が立ちのぼり、焦げた臭いが空気を満たす。
「――この電撃。思い出したぞ。貴様、ドワーフのとこのイカレ女か?
久しぶりだなぁ。おいシエル、さっさとシーマ連れて帰ってろ。俺ぁ、ちょっと遊んでくわ」
「ふん。相変わらず偉そうに。人使いが荒いことですこと。でも、いいですわ興が覚めたところですし。それでは、『死人の救済者』さんまたいずれ。今度は、もっと極上のゾンビちゃんを連れて会いに行きますね」
冷酷な笑みを浮かべ、氷のように冷たい視線がセイラを突き刺す。
しかし、そんな視線にセイラは一切怯まない。
「ボクは何度でも、魂を救って見せるさ」
いいながら、サラたちを護るようにセイラは移動。
シエルはセイラを見ずにシーマを肩に担ぐと、魔法陣を浮かべ消えていった。
「どけぇ、ドラ猫。お前はお呼びじゃねぇ」
気づけば、セイラの正面にカザアナが立っていた。白い獣であるセイラと遜色ない巨体。人族にも魔族にも見えない巨躯が男の異様さを際立たせていた。
「どけと言われてどく訳ないじゃないか――」
セイラの言葉が終わる前に、乾いた衝撃音と共に、喉の奥から血が噴き出した。
「ガッ……!」
カザアナは一瞬で間合いを詰め、鉄骨のような腕を不可視の速度で放ち、セイラを吹き飛ばしていた。
「貴様ァ――!! あッ?」
サラは怒りに身を震わせながらも、思わず目を凝らした。
カザアナの腕の中にいるのは――人間? まさか……
「――メーラなのか……」
イーノ村でリュートとサラが潜った迷宮その最奥で氷龍に囚われていた少女。
いや、ただ囚われていただけではない。彼女の奮戦なくしては、一緒に閉じ込められていた子供たちはおろか、救出に向かったサラたちの命も無かったのは間違いない。そんな彼女と遠く離れた大陸で、なぜ出会うのか。しかも、カザアナに連れ去られる形で……
ありえない。そう思いながらも、リュートは立ち上がり、その姿を確かめるように目を凝らした。
「……メーラ様? な、なんで」
「なぜ、貴様がその子を捕らえている?」
混乱するリュートの前に立ち、サラが射貫くような瞳をカザアナに向けている。しかし、カザアナは微塵も動じることなく、気だるそうな口を開くと、
「あ゛ん? その反応、この娘と知り合いか? んなん計画に必要だから捕まえたに決まってんだろうが」
「――計画?」
「しっかし、てめぇ、ぼろぼろじゃねぇか。シーマごときに何やってんだ。ほんと、雑巾になるのが好きなやつだなぁ。結局、威勢がいいのは口だけだ――」
サラの問いかけを無視して、心底残念そうに頭を掻くカザアナ。その言葉の終わりを待たずに、サラは、袈裟懸けに斬りかかっていた。
――ゴイン。
おおよそ生物に当たったとは思えない音が響くも、カザアナにダメージが入った様子はない。
「あの時みてえに魔鉄鋼もねぇ。神羅万象ものってねえ。そんな剣が届くわけねぇだろう。はぁ、こりゃ完っ全に見込み違いだったなぁ」
サラの剣がカザアナの肩口に食い込んだ――はずだった。しかし、響いたのはありえない金属音。刃は弾かれ、傷一つつけることも叶わなかった。シーマとの激しい戦いで力を使い果たした状態では、神羅万象はおろか、闘気すらろくに使える状況では無かった。
唯一、消えないのは激しい怒りと憎しみの負の感情だけ。それは、リュートも同じで、
「――その子を放せ。【風弾】」
と、勇ましく啖呵を切るも、唱えた魔術は団扇で扇ぐほどの風しか作れない。
「あん? なんだてめぇ? 魔力が切れてるじゃねぇか。ガキはどいてろ」
言葉と同時に、カザアナの極太の足がリュートの脇腹に突き刺さる。
直後、リュートの体はまるで水切りの石のように回転しながら地面の上を飛んでいった。
土煙がもうもうと上がり、その先に血だまりが広がっていく。
「リューートーー!!」
サラの悲痛な叫びが瓦礫を震わせた。
「お前何してくれんねん!! 土槍×10、火炎矢×10 混合魔法―― ギャ!!」
リュートを攻撃され、怒りに任せたモズが反撃を試みるも詠唱を終える前に、無慈悲な手刀が襲った。そのたった一撃で、モズは激しく地面に叩つけられ、光の粒となって消えた。
「……モズ?」
サラの言葉が空しく零れた。それは、あまりにもあっけない。あまりにも突然訪れた。
モズが叩きつけられた地面には小さなクレーターが出来ていて、ただそれだけだった。
カザアナは、一方的にサラたちを蹂躙していくも、その顔はどんどん曇っていく。そして、ついに諦めたような言葉を吐き捨てた。
「ああ゛つまんねぇ。もういいや。――全員死ね」
鉄骨のような腕が残されたサラ目掛けて振り下ろされる。
「くッ!!――還 流」
拳がサラを射抜く直前、濃縮された力がぬるりと揺らぎ、軌道が逸らされる。
「ーーやると思ったぜ。そいつぁ前も見た」
カザアナはつまらなそうに呟くと、さらに握った拳に更に力を込めた。
「なっ!?」
逸らしたはずのエネルギーが、再び方向を変え、サラへと迫る。
「力を逸らすってんなら、流れに逆らって強引に進めばいいだけだ。 ――死ね!!」
ただただ、純粋な暴力だけが、研ぎ澄まされた技を容易く凌駕していく。
いかに鍛錬を重ねようとも、いかに技術を極めようとも、人が象の突進を止められないのと同じだ。いまのサラには、カザアナの圧倒的な力を受け止める術など存在しなかった。
大岩のような拳が、彼女の胸元に迫る。そのわずかな接触が死を確定させると悟った瞬間、サラの瞳から涙が溢れた。悔しさ、無念、そして情けなさ、何一つ成さぬまま終わるという、あまりに非情な現実。
敬愛する兄リヒトを奪われ、今度は、幾度も死地を共にしたモズまでも目の前で消え去った。
どれだけ恨んでも、どれほど怒りを燃やしても、どんなに抗おうとしても、サラにはもはや対抗する手段が残されていなかった。
ーーただ、無力だった。
自身の弱さが、歯がゆく、許せず、そしてひたすらに悔しかった。
――ガゴン!!
重厚な音が響き、地を揺らすような衝撃が砂煙を巻き上げた。
サラの身体は、力を失ったまま無造作に地面へと落ちた。
「――なぜ……?」
舞い上がる砂煙の中、サラはまだ生きていた。
助かった理由もわからず、ただ呆然と宙を見つめる。
――やがて、煙が晴れる。
その先に現れたのは、黒く焦げたカザアナの姿だった。
だが、それは表面だけの損傷にすぎない。煤に覆われたその下、盛り上がる筋肉はまったく衰えていなかった。
「ったく……めんどくせぇな」
その言葉とともに、筋肉が波打つように蠢く。焼けただれた皮膚は、まるで巻き戻されるかのように再生を始めていた。
それは――『超回復』。カザアナが用いる、理不尽としか言いようのない魔術。
本来、治癒魔術は自身の自然治癒力を先食いするものであり、その代償として大量の体力を奪う性質を併せ持つ。しかし、無尽蔵の体力を有するカザアナには、その常識が通用しない。言い換えれば、それは死すら超越する力だった。そして、再生を終えたカザアナは、まるで何事もなかったかのように、目の前の存在に目を留めると、
「あ゛? てめぇ、魔力切れだったんじゃねぇのか?」
その視線の先には、口元から血を滴らせ、なおも煙を吐きながら立ち上がる一人の少年がいた。
リュートだ。手に握られた杖は、真っ直ぐカザアナを指し示していた。
「まさか……魔石を噛み砕きやがったのか?」
そうリュートは、尽き果てた魔力を速攻で補うため、魔石を無理やり砕き、その魔力を体内に取り込んでいた。肉体への反動を顧みることなく、命を削って放ったのは、グラン・エスペランサによって強化された火炎の一矢だった。
「げほ……サラ。モズの姿が見えませんが、知りませんか?」
カザアナの問いかけに耳を貸すことなく、リュートはきょろきょろと視線をさまよわせた。
傷ついた身体を無理に動かしながら、契約精霊の姿を探すその様子は、見る者が息を呑むほど痛ましい。
左腕は不自然に折れ曲がり、脇腹は三日月状に抉られ、肉の大部分が失われていた。
それでも、リュートはモズを探すことを止めなかった。
「サラ? モズは……」
「すまん……」
リュートの問いに、サラはただ一言、謝罪を返すしかなかった。悲しみに耐え切れず、顔を歪めながら。
「そんな……」
どれほど嘆こうとも、どれほど悼もうとも、現実は決して立ち止まらない。
慈悲のかけらもなく、ただ静かに、残酷に、前へと進み続ける。
目の前には、依然として最凶の魔族――カザアナが立ちはだかっていた。
「なるほどな……イカレ女の仲間も、やっぱりイカレてるってわけか」
仲間を理不尽に奪われても、反撃の手立てが思い浮かばない。
挙句の果てに剣に込める闘気も、魔術を練る魔力も、サラとリュートにはほとんど残されてはいなかった。
そんな絶望の淵に、凛とした少女の声が響く。
「――リュート様」
その声音は、はっきりとリュートの耳に届いた。
まるで霧の晴れ間に差し込む光のように、空気を静かに浄めていく――静けさの中に凛と響く、澄んだ声。それは、まぎれもなくメーラのものだった。
彼女はカザアナに捕らわれたまま目を覚まし、リュートの姿を見つけると微笑を浮かべながら、胸の奥に秘めていた思いを口にする。
「メーラは、リュート様をお慕いしております」
不意打ちのような告白。
だが、その言葉には明らかに、悲壮な覚悟が込められていて、
「――ご武運を」
ドオオ―――ン!!
直後、閃光が世界を塗り替えた。
爆風は一拍遅れて襲いかかり、轟音と衝撃が全てを呑み込んでいく。
「ま、まさか……自爆……?」
メーラは目を覚ますと、すべてを悟り、迷うことなく自爆を選択。
これ以上リュートたちが傷つく未来は、彼女には耐えられなかった。
それは、悲しくも揺るがぬ意志の選択だった。
降りしきる衝撃と絶望に耐えきれず、リュートは膝を折るも、
「あ゛――。無駄なことを。……もう一人いやがったか、イカレ女が。クソが」
カザアナは、爆炎の中に立ち尽くしながら、吐き捨てるように呟いた。
「ハァ……本当に飽きた。じゃあな」
カザアナが拳を撃ち鳴らす。
暴力の化身、絶望の権化とも言える巨体が、ゆっくりと動き出した。
迫り来る、終焉。
モズを失い、メーラをも喪った今、サラにはもはや戦う力が残されていなかった。
どれほど怒りを燃やそうと、枯渇した闘気が戻ることはない。魂を削って立ち向かえるなら、彼女は喜んでそうしただろう。
だが、そんな都合の良い術を、サラは知らなかった。
ならば、自分にできるのはただ一つ。メーラがそうしたように、せめて一矢報いること。
その一瞬に備えるべく、サラは静かに目を閉じた。
誰よりも苛烈な戦場を生き抜いてきた彼女が動けずにいる一方で、リュートは違った。
彼は、魂を削る術を知っていた。
――故に。
膝を折りながら、血を吐き、その赤で地面に魔法陣を描き出す。
深淵を覗くような暗い眼差しで、カザアナを睨み据えると、
「――無駄……てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ」
今までに見たことのない殺気と迫力が、リュートの全身から溢れていた。
それは怒気であり、憎悪であり、煮えたぎる激情そのものだ。沸き立つ憤怒をそのままに、呻くような声で呪文が紡がれる。
「――ムマンザーネ オンクフル オンガフィ ボナカリサ ァファーー……」
呪怨にも似た詠唱に呼応し、魔法陣から黒い闇が溢れ出す。
「あん?てめぇ……まさか、召喚士か? 一体何を呼び出しやがる……?」
カザアナの瞳が見開かれ、声にわずかな緊張が混じる。
リュートの瞳は黒一色に染まり、異形へと変貌しつつあった。
魔法陣の中からは、何本もの奇怪な手が這い出ようとしている。
「まさか、お前……自分を生贄に……?」
カザアナの呟きに、サラが目を見開く。
姿を変えていくリュートの異様さに、彼女はたまらず駆け出した。
「ダメだ! リュート!! 戻ってこい!」
サラは必死にリュートに縋りつき、叫ぶ。
だが、リュートの瞳にはもう正気の光はなかった。彼が何を見ているのか、いないのかそれすらも分からない。
「いいぜぇ……出せよ!! 楽しませてくれそうじゃねぇか!!」
ゴイン、ゴインと拳を打ち鳴らし、カザアナが歓喜の声を上げる。
――その時。
「――湧水。……瀑布。」
どこかから、小さな声が響いた。
「はん? マジかよ、めんどくせぇ……」
カザアナが苛立ちを滲ませる。
サラが辺りを見回した時、目に飛び込んできたのは――常識を超えた光景だった。
サラたちの周囲を、八本の巨大な滝が取り囲んでいた。
次の瞬間、大滝がその形を崩し、暴れ狂う龍のごとく、轟音を響かせ押し寄せる。
水の奔流がサラたちを呑み込み、視界を覆い隠していった。
――気づけば、彼女たちの姿はその場から消えていた。
水が引いた後に残されていたのは、カザアナただ一人。
「……だりぃ。帰ろ」
辺りは、まるで湖のように水で満たされていた。
流されて散り散りになった彼らを探してまで仕留める執着心など、カザアナには初めからない。
最後、面倒くさそうに吐き捨てると、空中に魔法陣を展開し、そのまま去っていった。




