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サラとリュート  作者: 水曜日のビタミン
第4章 後日談
114/191

第114話 シルクの過去 前編

 


「ところで、お前大丈夫なのか?」


 そう問うたサラのキトンブルーの瞳には、心配の色が浮かんでいた。


「――スン」


 その質問に答える様に、シルクは小さく鼻を鳴らした。



 〓〓〓〓〓



 ――『授かりし者(ギフテッド)』。人の心の匂いを嗅ぎ分けることが出来るシルク。


 常人が持ち得ないその能力は、使い方によっては、ギャンブルで相手の心理を読み切り巨万の富を得たり、言葉巧みに人心を掌握し教祖となることや、国主を傀儡として操り国を傾かせることすら可能とする凄まじい能力である。

 しかし、実は彼女のこの能力には大きな欠点があった。それは、心臓の拍動と同じで自身では止めることが出来ないのだ。シルクは、不幸なことに産まれ落ちたその時から二十四時間、途切れることなく能力が発動し、絶えず人心の匂いを嗅ぎ続けているのである。

 彼女は、オルビヤ王家の第一王女として王城に産まれた。そう現在の序列第五位ではなく、第一王女としてである。彼女を語る上ではまずは、そこについて触れよう。


 当時オルビヤでは、王弟の謀反により王座を賭けた激しい内乱が勃発していた。初めこそ権威と数の暴力で現国王側が優勢だったが、調略に秀でた王弟の知略と策謀により、次第に戦況は一進一退へと変化。王弟は搦め手を好んで使ったことから、城内には王弟派に内通した間者が溢れ返り、辻斬りや毒殺により多くの死傷者が日を追うごとに増えていた。こうなると、もはや誰を信じてよいか分からなくなり、国王派は皆、疑心暗鬼に苛まれていった。

 そんな王宮内で、シルクは誕生した。

 想像して欲しい。大量の香水、溢れかえる糞尿、腐敗した屍、果実の甘い匂い、異臭際立つカメムシそれらが詰め込まれた部屋に閉じ込められる状況を。


 歓喜、敬愛、信頼、期待、関心、皮肉、警戒、嫌悪、悲憤、激怒、悲嘆、哀愁、拒絶、不安、恐れ、恐怖、嫉妬……


 それら全ての感情が、脳を焼かれるほどの強烈な匂いの暴力となり、生まれたばかりのシルクに襲い掛かったのだ。通常人間の鼻は強烈な匂いの場所でも、時間が経てば、鼻が慣れてある程度気にならなくなる。しかし、シルクの能力は違っていた。人の鼻と違い、匂いに慣れることが出来なかったのだ。

 そのため、生まれたばかりのシルクは七日七晩泣き続けた。

 声帯から血が流れようとも、眠ることも、気絶することすらも許されず、耐え難い匂いの地獄の中、世界を拒絶し、ただ泣き続けた。しかし、そんな原因など分かりようのない医師団が、ついには薬や魔術で眠らせようとしてが全く効かず、一向に泣き止む気配のないシルクを見ると、流石に信頼を置いていた重臣たちでさえ、「この子は『呪子』ではないか?」という目を向けざるを得なかった。


 そんなシルクに対して、出産直後の疲弊した体にも関わらず、献身的な介助を続けた王妃であったが、いつまでも泣き止むことのない我が子に疲れ果て、心身に支障をきたすのは、そう時間の掛かる話では無かった。錯乱しつつある王妃と、原因不明で泣き続ける王女。この異常な状況に困り果てた王は、仕方なく信頼できる親衛隊数名をつけ、二人を城内の尖塔に隔離することにした。


 そして、これが功を奏することとなる。決して、狙ったことではなかったが、武官や文官、衛兵や侍女、遠方の武器を売りつけに来る商人、謁見に訪れる有象無象……数限りない人で溢れかえる王宮内から、隔離された塔に移動したことで、シルクを混乱させていた不快な臭いは大幅に薄まった。

 このことで、今までの錯乱状態が嘘のように止まった。しかし、城内に戻せば再発するため、仕方なく尖塔での隔離は継続されることとなった。


 そうして、一年、二年と時が過ぎていく間に、王の側室が次々に妊娠・出産をしていった。本来ならば、しきたりにより、一年以内に居並ぶ家臣の前で、洗礼を受けさせなければならないのだが、王宮内に移すと、気が触れたように泣き叫び始めるシルクを、家臣団の目に触れさせるわけにいかず、いつまでも洗礼は行われないままだった。洗礼を受けなければ王位継承権が生まれないため、シルクは第一王女として生まれたにも関わらず、王位継承順位がどんどん下がっていった。


 やがてシルクが成長し、たどたどしくも言葉を発するようになると、今度は不思議な事を言うようになった。


「この人、ヤ! あっちいって」

「かぁたまから はなれて!」


 隔離された尖塔内であっても、王妃に挨拶に来るものは少なからずいた。しかし、その何人かを露骨にシルクが拒絶したのだ。不思議に思った重臣が内偵を進めた結果、シルクが拒絶した者は、そのことごとくが相手方と内通していたことが発覚した。

 極めつけは三歳となり、ある程度我慢も身につけだしたシルクが王と初めて食事を共にした際だった。


「あっこにヤなにおいのひとが かくれぼしてる」


 と天井を指差したのだ。突然の指摘に驚き、気配を殺しきれなかった刺客は、即座に発見され捕縛された。暗殺未遂という大罪行為の決定的な証拠を掴んだこの一件を機に、徐々に形勢は逆転していき遂に王弟派は瓦解。王弟は流刑の身となった。

 王の座を脅かす者がいなくなり、気を良くした王は、王妃の反対を無視して幼い我が子に論功行賞と洗礼を同時に行うと国内外に発表してしまった。


 ――そして、迎えた論功行賞の日。当然のように事件は起こった。



 〓〓〓〓〓



「今、この日、この時、この場所でオルビヤは生まれ変わる! この場にいる皆で新たな歴史を刻んでいくのだ!」


 国王は、王国の誕生から前王までの歴史を淀みなく大仰に語り尽くし、出自の正当性を示す。歯が浮くような文言で、王国への賛美を長々とした演説。そして、最後に拳を突き上げ高らかに新たな始まりを宣言した。中央に居並ぶ家臣団は高揚し、共に拳を突き上げ歓喜に湧いている。その状況を招待された列席者は、ある者は品定めをするように観察し、ある者は退屈そうに欠伸を堪えていた。


「――落ち着いて私の可愛いシルク。貴方はただ黙って頷いていればいいの」


 上質な絹のドレスが皺になることを一切気にせず、膝の上に乗せた幼子を周囲から守るように両手で抱える王妃。その腕の中で、三歳を過ぎたばかりのシルクは、こみ上げる嘔気と必死に闘っていた。

 以前より幾分かましになったものの、相変わらず王宮内は耐え難い匂いに満たされており、長引けば長引くほど幼いシルクの心と体は衰弱していった。


「さぁ、もうすぐあなたの出番ですよ。それが終われば直ぐに母と帰りましょう」


 いつも通りの優しい笑顔、いつも通りの太陽に当てた寝具のような落ち着く匂いの母様。シルクは母の胸の中で大きく深呼吸をすると、幾分か持ち直し「こくり」と頷き一歩前に出た。


「――おや、あの幼子は?」

「ああ、あれが噂の……」

「ふん。あんな幼子が凶手を見つけられるはずがない。これは、とんだ茶番だな」

「大方、王妃の子を贔屓するために、でっち上げた手柄であろう」


 心ない声が至る所から漏れ出した。それは真横に立たないと聞こえない程の小声だったが、誰が見ても向けられる視線や仕草から、幼子が拒絶されているのは明らかだった。


「――うっ!! 」


 向けられる白眼視と噎せ返る悪意の匂いに耐えきれず、シルクの胃は悲鳴を上げた。絶望的な感覚に崩れ落ちそうになるその瞬間、誰かに抱きしめられた。


「――だいじょうぶ? おちついて」


 強く閉じていた眼をゆっくりと上げると、美しいキトンブルーの瞳と目があった。同時に嗅いだことのない匂いが鼻をつく。それは、春の野原を走り抜ける風のように甘くて、陽だまりのように温かくて、そして生命力に溢れた力強い匂いだった。

 控えめでありながら、年相応の可愛らしさ放つベージュのドレスを、シルクが戻した吐しゃ物で汚しながらも、そんなことは一切気にせず、ただただシルクを気遣う優しい瞳がそこにあった。


「――あ……」


 突然、藍色のマントが目の前に翻り、キトンブルーの瞳をした幼子が包まれた。と、同時にいつの間にかシルクの汚れた口元は拭かれていた。再度、今まで嗅いだことない匂いがシルクの鼻を掠めた。

 それは、針葉樹の葉のような清涼感があり、どこまでも抜ける青空のような爽快感と陽だまりのような温もりを感じさせる匂いだった。


「――我が名は、リヒト エストレヤ ティエラ王国騎士団副団長也。此度は、我が愛妹がシルク姫の美しさに引き寄せられ大変な失礼を働いた。晴れやかなる式典を汚してしまったことを心よりお詫び申し上げる。ついては、いかなる罰も受ける所存で――」

「――よい。顔を上げてくれ」


 片膝を着き、頭を垂れ断罪を求めるリヒトを王の右手が制した。


「若くして龍神を従えたティエラ王国の至宝と称される騎士の妹君から羨望の目を向けられたのだ。これほど、名誉なことはない」

「はっ!! 寛大なお言葉痛み入ります」


 リヒトは今一度頭を垂れると、マントで包んだままの妹を抱え上げ優雅にその場を後にした。流れる水のように無駄のない洗練された所作、瞬きを忘れさせるほどの整った顔立ち、心を射貫くようなサファイヤの瞳。リヒトが去った後も一同はその残滓に見とれざるを得なかった。


 キトンブルーの目をした少女の飛び出しと、リヒトの優雅な立ち回りにより、いつのまにかシルクの失体は参列者の記憶から消えていた。居並ぶもの全員がリヒトに魅せられ、見とれていた。そして、シルクだけが嗅ぎ取れる嫌悪感しか湧かない悪辣な臭いは、いつの間にか消え去り、会場は感動で上塗りされていた。それは、ともすれば国王の嫉妬を招きかね状況のはずだが、国王自身も絵画に見とれる様にその余韻を楽しんでいた。


「――おほん。それでは、シルク アスセナ オルビヤよこちらへ……」


 平常心を取り戻すように、国王は咳払いをしてからシルクを呼び寄せた。

 その後、無事に洗礼と式典を終えシルクは、『白百合姫アスセナ』の称号と第五王女の地位を賜ったのであった。


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