第112話 交渉
「では、こういうのはどうでしょう?」
黒髪の少年が、自信あり気に立っていた。
「リュート、何か思いついたのか?」
思うようにいかない現状に、剣柄に手を置き苛立ちを隠せないサラ。シルクは、そんなサラにやれやれと両手を上げつつ、リュートに値踏みするような目を向け「スン」と小さく鼻を鳴らした。
「ふむ。リュート君と言ったね。今回の活躍はサラから聞いているよ。どのような結果になろうとも君への恩赦は約束しようじゃないか。それで、君は一体、何を思いついたんだい?聞かせて貰おうじゃないか」
「ありがとうございます。シルク様」
リュートは、片膝を着こうとするもシルクが手で制止したため、胸に手を当て頭を下げた。その所作にシルクが機嫌よく頷いたのを確認してから口を開く、
「では、恐れながら申し上げます。クラーケンの討伐は、公表せず伏せてはどうでしょう?」
「なっ!?」
「なぬ?」
一言目から、サラとシルクの瞳孔が開いた。
発言の意図が分からず「ぐぬぬ!?」と頭を捻りだすサラに苦笑しつつ、直ぐに冷静さを取り戻したシルクが問いかける。
「ふむ、してその真意は?」
「まず経緯をおさらいしましょう。セイレーンが船を襲いだしたのは、ここ最近のことですね?」
「その認識で相違ない。過去に、セイレーンが人を襲ったという記録は少なく。そればかりか、報告では一部の漁村では航海の安全を司る女神として祀られることもあると聞いている」
「はい。僕もギルドでそう聞いております」
「ちょっと待て!それとクラーケン討伐がどう繋がるんだ? 私たちが討伐したのはクラーケンだぞ! 長きに渡り人類を苦しめて来た魔物だ。S級の魔物討伐どころの騒ぎではない功績のはずだ。それが正当に評価されないなど、私は納得がいかん。――いや、百歩譲って私はいい。でも、リュートやセイラ達の功績は正しく歴史に記録されるべきだ」
話の先が見えない展開にしびれを切らしたサラが、足を「ダン」と踏み鳴らしながら、一気に捲し立てた。
「それが難しいんです。ですよねシルク様」
「何? 一体どういうことだ?」
話について行けないサラが、リュートとシルクを交互に見るもシルクは相変わらず値踏みするような目をリュートに向けている。その視線に怯むことなくリュートは説明を続けた。
「まず、第一にシルクさんの能力は、先ほど仰られた様に公式には伏せられています。このため、情報の裏付けにはなりません。加えて、災厄とされるクラーケンを討伐したとなれば、他国はオルビヤ王家に貸しを作ることになります。なのでクラーケン討伐の情報を諸手を上げて信用し、感謝の姿勢をとっても得るものがないのです。仮に声高に討伐を訴えても『クラーケンは、一時的に姿を隠しているだけだ!』とか、言い逃れはどのようにもできますので」
「――ぐぬ!」
サラは、苦い記憶が思い出され思わず息を飲んだ。
二枚舌、三枚舌を重ねることで国家間の絶妙な均衡は保たれている。そのことは、武に生きるサラであっても、かつてはティエラ王国の近衛隊長として、王国内部にいたこともあるから当然心得ていた。だが知っていることは、受け入れられることと同義ではない。サラは、そのような権謀術数の数々を目にし、それらを嫌悪していたのだ。
「まだ、幼いのに……というのは失礼に値するな。確かに君の推察の通りだ。他国から、一方的に発表された情報を簡単に信用するようなことは、同盟関係にある国家間でもありはしない話だ。そもそも、同盟国を裏切ることも、珍しいことではないのだからね。
故に、たとえ討伐の証明として、クラーケンの死体を目の前に置いたとしても信じることはないだろうね。それが国家というものだ」
「――ッふん!」
サラは面白くないとばかりに、壁にもたれ鼻を鳴らした。ただ、退席せず耳を向けていることから一定の理解は得られたようだ。その態度に苦笑いを浮かべながら、リュートは話を続けた。
「このように、クラーケンの討伐は与える影響が強すぎるんです。それならば、ひとまずその話は置いておきましょう。では、肝心のアイリスへの恩赦についてですが……」
「――ごめんね。その話は私からさせて」
リュートの言葉を遮り、いつの間にか海上で待機していたはずのアイリスが話に割って入って来た。
「アイリスどうしてここに!? はっ!? シルク待て」
「サラの反応を見るに、君が商船を襲っていたセイレーンなんだね」
真珠の瞳、人化しているもののうっすらと鱗の見える腕。その姿と匂いからシルクは即座に名乗り出た女が件のセイレーンと判断。気配を察したサラが止めようとするも、「スン」と鼻を鳴らしたシルクの尋問が始まってしまった。穏やかな声音とは裏腹に兎の意匠を凝らしたアイマスクに隠された瞳は、射るような鋭い輝きを放っている。
しかし、そんな敵意ある視線を送られてもアイリスは怯むことは無かった。その強い視線を正面から受け止め、両ひざをつき、首を差し出すように頭を下げて名乗り出る。
「私の名はアイリスと申します。お初にお目にかかりますシルク王女様。私が商船を襲っていた【黒い瞳のセイレーン】に間違いありません。クラーケンに操られていたとはいえ、船を襲っていた事実は変えられません。きっと命を落とした人もいたはずです。それは、もはや許さる罪ではありません。この度は、どんな罰でも受ける覚悟でここに参りました」
全てを認め何かを悟ったような振る舞いは、自白にもかかわらず高僧のような気品を纏っていた。その静謐な空気の中、アイリスの背中から小さな子供がちょこんと姿を現し、アイリスと同じように両膝をついた。
「王女様。無礼を承知で申し上げます。某にも発言をする機会を頂けないでしょうか?」
シルクは、その幼い外見とは裏腹に落ち着きと知性を感じさせる言葉使いに思わず「ほぅ」と感嘆の声をあげ、手を差し向け発言を許可した。
「某はリゥビアと申します。長年、クラーケンの一部としてあやつの行動に組しておりました。現在は、リュートどのの御尽力により、あやつから完全に独立しておりますが、以前は私が見知った情報がクラーケンと共有されていました。その情報が人々を絶望に陥れたことは想像に難くない事実です。
もたらした被害という意味では、某の罪は、アイリスの比ではありません。アイリスを断罪するならどうか某を先に断罪下さい」
アイリスとリゥビア、二人の覚悟の籠った眼をサラは知っていた。
その眼は、自分の信念のため、守るべき者のため死を恐れず敵地に挑む戦士の目と同じだった。それ故、サラは口を挟むことが出来ず、ただ強く拳を握りしめた。そんなサラの様子をあえて見ることなく、アイリスとリゥビアの懺悔を、神妙な面持ちで聞いていたシルクが、しばしの沈黙の後口を開く。
「ふむ、自信の能力を疑いたくなるような話もあったが、誰も嘘は言っていないな。――では、それらを踏まえた上で、何か妙案があるんだろう? リュート君。君からは最初から、私をだまそうとか、丸め込もうとかそういう匂いは一切していないのだから」
結末を覚悟し、閉じられていたサラの瞳が再び開き、縋るような視線をリュートに送った。リュートはその視線に「にこり」と笑い返すと、
「では、こういうのはいかがですか?世間を騒がせた【黒い眼のセイレーン】の被害を押さえる術が見つかったという噂を流してはどうでしょうか?」
「ふむ。続けた給え」
セイレーンも被害者であったという点に一切触れずに、黒い眼のセイレーンの対処法について、話しだすリュート。論点がズレているといえば、それまでの話であり、彼の真意は全く掴めない。しかし、リュートの目と匂いからは、確かな自信が感じられた。故にシルクは、思案気な表情を崩さず説明の続きを促した。
「幸いなことに、この村にはセイレーンと共存してきた歴史があります。そこで、その伝承を利用して、【白い眼のセイレーン】を模した船首像をつけたら、【黒い眼のセイレーン】に襲われなくなった。と吹聴するのです」
「ふむ。それは【黒い眼のセイレーン】は、討伐対象のままにするという事か?」
「はい。黒い眼のセイレーンは討伐対象のままで構いません」
「しかし、海路が再開すれば、徐々に白い船首像をつけていない船も移動を始めるぞ。そうなれば、【白い眼のセイレーン】像の有無に関わらず襲われないことなど、直ぐに知れることになるぞ。あからさまに商人を騙す行為は、国家の信用を落とし入れることになる。とても良策とは思えないぞ?」
(はぁ。――所詮は子どもの浅知恵か……)
的確に提案の欠点をついていくシルク。その声音は、徐々に力を失っていく。そして、最後に失望交じりのため息が漏れた。その変化に気づいたサラの顔も下がる。しかし、そんな二人の表情とは対照的にアイリスとリゥビアの二人の顔は、晴れ渡る青海のように晴れやかだった。
――審判が下る。
この場の誰しもがそう感じた時だった。今だ飄々とした表情を崩さないリュートの発言が場を一転させる。
「はい。そのとおりですシルク様。なので白いセイレーン像に付加価値をつけ、商人にとって本当に価値のあるものに変えてしまいましょう!」
「はへぇ?」
「はいぃ?」
調略にも似た口先だけの策に、予想外の続きが加えられ、サラとシルクから思わず拍子抜けの声が漏れた。サラは、気が抜けた顔を正すように「コホン」と咳ばらい。シルクは「スン」とサラの吐息を吸い込むようにサラを一嗅し、姿勢を正した(サラが露骨に不快な顔に変わったのは言うまでもない)。
「――して、付加価値だと? 詳しく聞こうじゃないか」
「はい。付加する価値ですが、具体的には魔物を鎮静化させるアイリスさんの歌声の術式を像に刻みます。【黒い眼のセイレーン】と遭遇しないどころか、他の魔物にも効果があるとなれば、積み荷を失うリスクや船の修繕費を減らしたい商人には、喉から手が出るほど欲しい機能になるはずです。
更に、追加費用を払えば、天気の変化を知らせる機能や、日時を知らせる機能、仲間の船同士で情報をやり取りできる機能何かを付加してもいいかもしれませんね」
次々と湧き出るリュートの斜め上をいくアイデアに、シルクは驚きを禁じ得なかった。ただし、そのアイデアがもたらす利益に考えを巡らせ、思わず口角が上がるのを隠すことは出来なかった。
「して、そんなことが実現可能なのか?」
「ええ。むしろそっちの方が簡単です。気圧の変化という物理的な変化に対応させたり、対となる文字盤に投影する機能を応用すればいいだけですので」
「いや、そうではなくそんな高度な術式が組めるのか……と、これは愚問だったな。クラーケンを討伐した君達が言うんだ。その信憑性は、信じるに値する。察するに、先ほど空を彩った荘厳な天の火も君の仕業なのだろう?」
「はい。僕の出身地の村で生産してますので、お気に召したようでしたらぜひ、ご購入を!」
シルクは、ちゃっかり別の商品の売り込みを始めるリュートの商魂強さに若干引きつつも、今一度提案内容を吟味。しばしの考慮の後に、一つの疑問を口にした。
「ふむ。確かに、像の需要は見込めるだろう。しかし、そんな高性能な像ならば、製作に時間が掛かるだろう? まさか君は、国お抱えの職人に志願するとでもいうのか?」
「いえ。僕は両親を探さねばなりません。ですが、今言った程度の術式なら僕が鋳型を作りますので、それを使って金属性の鋳造や、陶製の鋳込みといった製法で大量生産することが可能なはずです」
「――『今、言った程度なら』か……はは、なるほど。これは、たしかに規格外な魔術士だ。しかし、少し話が見えて来たぞ」
「待て!私は、全く分からんぞ」
「あぁマイスイーート。そんなところも可愛いね」
うっとりとした視線を送るシルクに向けて本気の殺気を放つサラ。しかし、シルクは動じることなく鼻を大きく広げ深呼吸。サラがのけ反るのを確認すると、
「つまり、少年はこういいたいのさ。【黒い眼のセイレーン】は、討伐対象のままで構わない。しかし、それでは被害にあった人に遺恨が残ったままになるから、【白いセイレーン像」を販売して、被害者の救済に当てたいと」
「なっ!!」
「流石シルク様、その通りです。もちろん販売は、国家を通じて行っていただき、利益を上げていただいて構いません。高値を吹っ掛けなければ、国に対する商人の印象も良くなることでしょう」
「ちょっと待て!それでは、ただの賄賂ではないか!!」
謝罪や贖罪でもなく、事実を全て伏せ、金で解決するともとれる遣り口に、サラは堪らず声を荒げた。
「サラ落ち着いて下さい。被害者への補償は必要です。戦争でも、国家が戦死した遺族へ恩給を上乗せすることがあるでしょう。サラには不服かもしれませんが、お金に色はありません。それに、これはアイリスさんの能力を活かした賠償なんです」
「――ぐっ。賠償か……わかった。確かに被害に対する賠償は必要だ。それはいい。納得しよう。だが、リュートやセイラへの褒章はどうなる?クラーケン討伐の功績が評価されないままではないか!!」
「ボクは褒章とかあんまり興味ないんだけど……」
お金での決着に腑に落ちない点は多いものの、賠償というかたちで処理することで、無理やり溜飲を収めたサラだったが、功績が正しく評価されないことは(たとえ当人たちが気にしていないとしても)、信条として許すことが出来なかった。そんなサラを横目にシルクは、また「スン」と鼻を鳴らすと、
「その様子だと、まだ交渉が続くと見ていいのかな?」
「はい。お許しいただけるなら」
「聞こうじゃないか」
苛立った感じを隠すことなく、サラの顔が上がるのを確認してから、リュートが話しだす。
「ここにいるセイラは、クラーケンの毒や呪いを無効化するなど、今回の戦で特段の成果を上げました。彼女とは、ミーネウ山脈で出会ったのですが、自身の記憶を失っており、出自に関する情報を探しています。なので、彼女には褒章としてオルビヤ王家のお力をお貸しいただき、情報収集に御助力頂きたいと考えております」
「なるほどね。それ位なら私の権限で対処可能だ。彼女にとっては金銭や名誉を与える論功行賞よりも、情報が何よりも価値があるという事か。分かった便宜を払うと約束しよう。
――それで、君は何を望むんだい?」
「私は、商人ギルドに属していますので……」
「あい、分かった。ならば白いセイレーン像の売上の5%は君に振り分けようじゃないか」
「ありがとうございます!!」
「――ふん!!」
面白くなさそうに話を聞いていたサラが、一段と強く鼻を強く鳴らした。ただし、話を止めない所から察するに、思い描いていた形ではなく、かなり気に食わないが、ギリギリ承服できない内容ではなかったらしい。そして、話は終わったとばかりに去ろうとしていたサラを、シルクが引き留めた。
「さて、それではもう一人の功労者であるサラにも褒章を渡そう」
「はぁ?私はいいと言っただろう」
「そうはいかない。アイリスとリゥビア両名への沙汰と合わせて決めねばならない。人的な被害出ていることを鑑みれば、金で万事解決というわけにはいくまいよ」
その言葉で、場の空気に緊張が走り、全員が察した。サラへの褒章のはずが、話はいつの間にかアイリスとリゥビアへの断罪について変わったのだと。
シルクは、その緊張した空気に悪戯気な顔を向けると、
「では、サラへの褒章は行方知れずとされる【海神様の所在に関する情報】としよう」
「ちょっとまて、アイリスとリゥビアへの裁きからどうして、その話に繋がるんだ?それにお前、まさか海神様の情報を掴んでいるのか?」
「いや、私は知らないよ。皆目見当がつかない」
「はぁ?それでどうして、褒章になるんだ?」
「なるほど!そういうことですか!確かにそれは名案ですね」
分けわからんという顔を向けるサラとは対照的に、リュートはその意図を理解したようだ。
「察しがいいねリュート君。やはり、君は賢い子だ。君の推察のとおり、彼らに探してもらうのさ。
アイリス、リゥビア。君達二人には罰として【海神様の所在に関する情報】の収集を行ってもらおう。私の愛するサラにとって、重要な力となる海神様の情報だ。君達二人なら適任だろう? 」
「私達を許して下さるのですか?」
大粒の涙を浮かべたアイリスの顔を、シルクが優しく見返した。
「許すも何も、そもそも我々は魔物を裁く法を持ち得ていない。ならば出来ることは、互いの持つ価値と価値の交換だ。互いに見合う価値を出し合えるなら、たとえ身分や種族が違おうとも、この少年が示した通り交渉は成立するのだよ。
ああ、それと大事なことを言い忘れていた。勘違いしているようだが、【黒い眼のセイレーン】の攻撃で死者は一人も出ていないよ。確かに沈んだ船は幾つかあるが、不思議な波や風が吹き誰一人として溺れる者はいなかったよ」
「シルク。さては貴様、交渉を有利に進めるため、その情報をあえて公開しなかったな」
「そう怖い眼を向けないでおくれよ。マイスイーートを愛する気持ちに嘘はないが、国民の利を一番に考えてのことだ」
国民のためと言われてはそれ以上、抗議出来ずサラは、また「フン!!」と不満を示す事しか出来なかった。
「それでは、交渉成立ですね!!」
「ああ、約束しよう。オルビヤ王国王女 シルク アスセナ オルビヤ この名において此度の騒動は幕引きとしようじゃないか」
「偉そうに言うなシルク。結局セイレーンの討伐依頼もクラーケンの存在もそのままじゃないか」
シルクの幕引き宣言を遮るように、堪えきれずサラは八つ当たりのように毒を吐いた。そんなサラにつかつかと近寄ると、
「そんなに急かさないでおくれよマイスイーート。君にはもちろん特別報酬も用意しているよ!さぁ、私の胸の中へ飛び込んでおいで!!」
――ズガン!!
両手と鼻を広げ片膝立ちの変態の頭に、本日二度目のげんこつが打ち降ろされたのであった。




