第105話 オペ
「――それでは始めましょう」
リュートの前にアイリスに膝枕された状態のリゥビアが寝かされ、「すーすー」と寝息を立てている。呼吸に合わせてお腹が上下しており、寝顔も安らかだ。これだけなら従前のリゥビアと変わらず忌避感は感じないのだが、一度瞼が上がれば黒一色の瞳に見つめ返され、即バトル再開となる危険な状況に変わりはない。
「サラ、バイタルを」
「バイタル……このことか。生命力70、魔力50、状態異常 無」
サラの右目前方に光の板が現れ、リゥビアの状態を表す数値が並んでいる。それを指で追うように読み上げた。
「――コホン。しかし、この白衣にこんな機能があるなら、初めにいってくれればよかったのに」
サラは、リュートを横目でチラリとみて、バツが悪そうに愚痴をこぼす。
「ほんとだよ」と応じるのはセイラだ。
「それにしても、その恰好すっごいカワイイねぇ。そんなにかわいいから、私はてっきり、リュート君が好きな子に好みの服装を着せて、楽しみ出したのかと思ったよ」
都合の悪さを数の力で誤魔化そうと女性陣に(何でまた責められているの?)と抗議を口にしようとしたところで、アイリスが爆弾を投下。悪い笑みを浮かべている所をみると、確信犯で間違いない。否定、肯定どちらを選んでも『詰む』ため、リュートは、涙目で抗議を示すことしか出来なかった。
一方のサラは「何か言ったか?」と、首を傾げ全く気付いていない。興味の無いことは耳に入らないようだ。
「ところで、この白衣はリュートが見ている世界の法衣か何かか?」
サラが、白衣の裾を掴み、浮かんだ疑問を投げかけた。リュートは、話が切り替わった事に胸を撫でおろし、
「ええ。医療行為を補助する方が着る正装のようなものらしく、縁起を担いでみました」
「――『見ている世界』? それ何のことなの?」
と話に付いて行けないアイリスに、セイラが耳打ち。
「リュー兄には、『別の世界を覗き見る能力』があるんだ」
「何それ? そんな能力聴いたこと無いんだけど……」
「『授かりし者』っていうらしいんだけど……。一応、ボクにもそんな能力があって、ボクは『死者への干渉』が出来るんだ」
「えっ!凄い!! そんなのでっかい神殿とかに偉そうに座ってそうな神官様でも、たぶん出来ないよ! あれっ!? ちょっと待って、サラちゃんは神様達と交渉が出来るんだよね……。君達って一体……。ひょっとして、神様の使途か何か?」
この世界に能力持ちは数百万人に一人いるかどうかであり、能力によっては異端として要らぬ誹りを受けることもある。それ故秘匿にする者も多い。アイリスの知識では、そんな能力はお伽話の類であった。
「そんな風に言ってくれたのはアイリスさんが、初めてだよ!ありがとう! ボク、嬉しい!! リュー兄なんてひどいんだよ。初めて会った時なんて、助けてあげたのにボクの事、「『死人使い』?」って言ったんだから」
セイラが、アイリスの顔にごろごろと顔を擦りつける。「ちょっと、セイラちゃんくすぐったいよぅ」といちゃつく女子二人の画に、ほっこりしつつもリュートが場を正した。
「さあ、仲がいいのはそこまでにして、二人とも始めますよ!」
束の間の息抜きが終わりを告げ、リュートが深呼吸の後に術式を唱えだす。溢れ出る魔力が風を起こし、全員の顔が一斉に引き締まった。
「――解析開始……ゲート構築」
リュートの杖【グラン・エスペランサ】が横たわるリゥビアの胸元に乗せられ、八色の光る玉が浮かび上がる。八つの玉は複雑に飛び交いながらやがて積層型の立体魔法陣を形づくっていく。眩いばかりの光は周囲を明るく照らすと、赤黒く気持ち悪い壁や、足元を白く清浄な空間に染め上げていった。更に、完成した光の筒の下から金色の糸がリゥビアの体に向けて伸びていく。
「――魔力回路結合開始。サラ、バイタルを」
「まて! バ、バイタル低下!? 生命力30、魔力20、状態異常 ……『猛毒』 だと!?」
サラの眼が大きく開かれ、読み間違いが無いか確認するように、何度も指で文字がなぞられている。光の文字板の先、横たわるリゥビアの体に紫色の痣のような染みがぽつぽつと浮かび上がる。「なっ!!」サラから小さな驚きの声が上がり、その声を追い越すように様に、急速に染みが体を侵食していった。
「――早速、防御機構が起動したようです。ーーセイラ」
冬の湖面のように静かな声が響く。その声音に一切の動揺は見られない。努めて冷静なリュートの声に、びくりと背中を震わせたセイラが一歩前に出た。リュートとは対照的に、セイラの鼓動が早まり、足はぶるぶると震えていた。セイラは、怖気づく自身を落ち着かせるように一度目を閉じてから、指先を噛み、流れ出る血をリゥビアの口に添えた。しかし、浸食の速度は、幾分落ちたものの消える気配はない。セイラは、自分の中で次第に大きくなっていく焦燥感を抑え込む様に、必死に思考を巡らせた。
(どうすれば紫の侵食が止まるの? 一度毒をボクの体内に取り込んで、解毒薬を生成したらいいのかな? ……あぁ違う、そんな時間はないよね。そうか、毒じゃなくて、呪いってことも。だめだ違う、光の板には『猛毒』と出ていた。だめだ。わからないよ……)
焦れば焦る程に考えはまとまらず、縋るようにリュートに目をやった。
しかし、リュートはセイラに一切目を向けることなく、額に汗を浮かべながら光の筒の制御に全神経を集中している。筒には見とれてしまう程美しく、精緻で繊細な文様が浮かんでいる。これが、ただの装飾ではなく全て意味のある術式だとしたら、一体どれだけ精密な制御が必要なんだろう……。
リュートの術式に圧倒されたまま、ふと目を横に振ると、両手を組み祈りを捧げるアイリスが見えた。いや違う、これはただの祈りじゃない。 小声で『祝歌』を口ずさみ、リゥビアの容態を少しでも和らげようとしている。更に、その横では、サラがリュートの指示を逃すまいとその挙動を見つめていた。
(――あぁ、ボクは一体何をやっているんだ!! 解毒と解呪これは、ボクしか出来ないんだ!!)
セイラの中で覚悟が決まった。気づけば、鼓動は落ち着き、足の震えも止まっていた。
「……zzz……セイラは出来る子や。ウチは知ってんで……zzz」
その時、首に括り付けられた布の中で眠るモズの寝言が、タイミングが良く聞こえて来た。
「――そうか!!」
(サラ姉の『神羅万象』は、生きとし生けるもの全てのものとつながることで神々と交信する秘術。「独立思考型遊撃なんちゃら」って、ボクには分からないけど、サラ姉が全てのものとつながることが出来るなら、きっと人でも魔物でもないリゥビアさんとだって……)
セイラは幽魂体となり飛び出すと、確信を持って覚えたての魂の治癒魔術を紡ぎ出した。青く澄んだセイラの手がリゥビアの胸に置かれると、水が溢れる様に青白い光が辺りを包み出した。
「きっとこれは、体を蝕む毒じゃなくて魂そのものを侵食する毒なんだよ。だから、体内の毒を解毒しても意味がなかったんだ!」
青い光が輝きを増すとともに、リゥビアの体に浮かんでいた染みは小さくなっていった。
「バイタル安定 生命力60、魔力40、状態異常 弱毒!!」
サラが力強く読み上げた。
「――お見事ですセイラ!。このまま、いきます!!魔力回路結合再開。――結合確認。解除開始!!」
杖から放たれた特大の八色の光が、光の筒に投じられた。エネルギーを注入された光の筒が高速回転を始めると、光の糸が織られ布へと姿を変え、リゥビアの体を包んでいった。
「――カイセキ ヲ シュウリョウシマシタ」
「「「――――!!!!」」」
またしても、空気を読まず、待たず、もっとも忌避されるタイミングで、背後から無機質な声が流れた。




