第102話 命ある限り抗い続ける者
「――レイシリョクハンノウ ヲ ケンチ。 ――カイセキ ヲ カイシシマス」
淡々と流れる無機質な声を耳にし、モズとセイラは息を殺し押し固まった。自らの心音は元より、頬を伝う汗の音さえ聞こえるほどに緊張は張り詰めていく。ただ、そんな緊張感の中でもリュートを照らす青い輝きが弱まることは無かった。
「――セイメイハンノウ ヲ カクニン シンニュウシャ ヲ ハッケンシマシタ。 ――ハイジョシマス」
やや血色は良くなった気がするが、未だリュートは目覚めない。魂の損傷が与える影響が分からない故、今、治癒魔術を止める訳にはいかなかった。
「セイラは、このまま魔力を込めてたらえぇ。筋がええから大丈夫や!! ほな、ウチはちょっと行って来るわ!!」
「モズちゃん。ダメだよ。行かないで!!」
八重歯をニカっと光らせたモズ。横たわるリュートに近づくと、血と汗で汚れた前髪を撫でるように耳にかけた。
「ウチにまかせぇ」
小さくそう言うと、お使いに出かけるように、ひらひらと後ろ手を振ってセイラに背を向けた。
「行かせない」と強く願うも両手は治癒に使っており、セイラには引き留める術はない。そのまま、セイラの悲痛な願いを置き去りにして、モズは鏡の外へと消えていった。
「……リュー兄。お願い。早く帰って来てよ」
刺すような青い光の中、消え入りそうな声がこぼれ落ちた。
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「ほんま自分しつこいなぁ。そんなんやからモテないんやで!! セイレーンのお姉ちゃんのお尻ばっか追いかけ回しても、振り向いてくれなかったやろ。そういう所やで。うん」
「――シンニュウシャ ヲ ハッケンシマシタ。――コユウハチョウ ヲ カクニン。 ――セイレイ ノ カクリツ98%」
「おいおい何なん? 98%って!? ほんならウチの残り2%は何で出来てる言うねん。ウチ、混じりっけなしの純粋精霊ちゃんやで。まぁ、ええわ。せっかくやから、ちょっと話しようや、玉ちゃん」
黒い球体の周りをふらふらと飛びながら語りかけるモズ。両手からは赤い血が滴り落ちる。それでも、気丈に振る舞い、無い胸を張ると、
「ちょっと教えてーな。自分、主とかおるんちゃう? いや、ウチの相方がな。ああ、相方って、さっき自分が撃ち抜いてくれた男の子のことやけどな。気づいててん。そこかしこにある、術式に。呪いともちゃうし……あんなん生物にある訳ない。自分、誰かに造られたやろ? ちゃうか?」
―――――!!
黒い球体から何の予備動作なく、漆黒の光が放たれた直後、モズの風切り羽が宙を舞った。
「イテテ!! いきなりかい!! OK、OK……。 ちょっと無粋やったな。今のはウチが悪かった堪忍や! ちょっと、土足で入り込みすぎたわ。謝る、謝る。堪忍な。ほなら、話を変えよか」
羽に大穴を空けられバランスが取れず右側にふらつきながらも、モズは口を止めなかった。相変わらず両手からは、赤い血が流れ落ちている。
――――――!!
モズの問いかけを一切無視して、黒い球体から無慈悲な二の矢が放たれる。それは頭部を狙った一撃だったが、右側によろめいたことが幸いし。耳を掠めただけで直撃することは無かった。
「あぶなッ!! ウチの福耳から福が逃げてまう……。もぅ、わーた!! わーた!! ほな、本題に入ろか。 交渉、取引、調停、和議……まぁ、何でもいいわ。簡単にいうと玉ちゃんの役に立つような何かを提示しようゆうこっちゃ。ギブアンドテイクといこうやないの。
ウチこれでも長生きしとるんよ。やから色々知ってんで。自分、何か知りたいことあるやろ? やから、なりふり構わず喰うとった。ちゃうか?」
饒舌に語りかけるモズに、黒い球体は反応を返すことはない。だが、三の矢が飛ばないところをみると、少なからず会話を聴く気は芽生えたようだ。
綱渡りのような緊張が張り詰める中、その真意を探るように、モズは慎重に言葉を選ぶ。
「さて、自分が知りたいのは、何やろなぁ? そうやなぁー。例えば、『碧の秘宝』、『テンセイの技法』とかどや? それで足りへんのなら『フカイの王』……」
「――キミツジコウ ヲ カクニンシマシタ。 ――キケンインシ ト ニンテイシマス。ユウセン ハイジョシマス」
モズの発した語句に明らかに黒い球体の反応が変わり、空気が揺らぐ程の魔力が圧縮されていく。際限なく高まっていく魔力にモズは、気圧され忘れていた呼吸を再開し、
「――待て待てッ!! 早まんなって。言うとくけどもやな、ウチただの精霊やないで。せやから、ウチを捕食したところで情報得られんで。自分、さっき読めなかったんやろ? ――ウチの2%。自分が喰って、情報得られるの知ってて出て来てるんやで。そんなん、対策してないわけないやろ」
モズの額からゆっくりと一滴の汗が流れ落ちる。こめかみを伝い、下顎を流れ、顎先に至るまで長い沈黙が続いた。モズの会話の内容それは真実か、虚実か、はたまたバラフか……
「――サイカイセキシッパイ、ハンベツフノウ」
「なんや、やっぱりウチをみとったんかいな。性根のエロさがその表面のスベスベ感に滲み出てんで自分。あっ、スケベスケベ感とかいうてないからな。聞き間違えたらあかんで。
――はぁ、ほんでもウチ、セイレーンと違いグラマラスとちゃうのに、それでも男心狂わせてまうなんて、ほんま罪な女やわぁ」
目端に黒い球体を入れつつ、再びふらふらと飛び立つモズ。
「ふッーー!! ほんで、まず知りたいのは何や? 順番に語ったるわ。大サービスやで。今だけや。こんなチャンス二度とないで! でも、ウチ結構疲れててん。やけ、もうちょいこっち来てぇな。声張るんわしんどい」
両手を膝につけ、肩で大きく息を吐きゆっくりと顔を上げるモズ。その動作に合わせるように、ゆっくりと前に出て来る黒い球体が見えた。
「おおッ! 今日一素直やん。そうそう、そうやって友好的にいこうや。ラブアンドピースな。対話が世界をつくるねん。友情が心と心に架け橋を架けんねん。あッ、ちょい右な。ウチ、誰かさんに自慢の美羽に穴開けられて、今、右曲がりやねん」
遂に、一足一刀の間合いに両者が近づいた。この間合いでは、予備動作のない攻撃を放てる黒い球体に分があるのは明らかだ。黒い球体は、圧倒的有利の状況の中、
「フカイノ王 ハ ドコニイル?」
「おお!!そうか、そうか。フカイノ王のこと知りたいねんな。確かにアイツの事は憎んどるやろうな。というか、アイツは人類全てから忌み嫌われる存在やからな。分かるわーその気持ち。OK、OK。教えちゃる。フカイノ王はな、深―い、深―い。闇の中や! 例えばこんなとこ、
【転移】!!」
モズが飛んでいた軌跡、その下に落ちた血がいつの間にか光り輝き、その模様は鳥の羽を重ねたような意匠を形作っていた。濃密な光が圧縮し、描かれた羽が命を得たかの様に羽ばたき出し、黒い球体を包み込む。しかし、すんなりと行くはずがない。光が閉じる寸前、黒い光線が放たれモズの肩を抉った!
「痛ッ――!! イタチの最後っ屁にしては強すぎやろ! 直撃したら死ぬやん。そんな、理不尽な屁ぇ聞いたことないで」
モズは、抉られた肩を押さえつつ、ぐったりと座り込んだ。目の前にいた黒い球体は消えており、モズの肩に役割を終えた光の羽がひらひらと舞い落ちて来た。
「へっ!!ざまぁ、みやがれ。異空間に飛ばしてやったで」
悪態をつき、そのまま仰向けに倒れ込むモズ。泥のようにまとわりつく疲労で、ぐったりとした重い首を僅かに動かすと、傷と汚れに塗れた自分の体が見えた。その姿は、とても勝者には見えないが、
「――はは。でも、まぁ勝ったからええか……」
モズは、せめてもと拳を上に突き出し勝利の余韻を噛みしめようとした。
「――ホームポイント ヲ コウシン シマシタ」
勝利宣言のつもりで突き出した拳に重なる様に、異空間に飛ばしたはずの黒い球体が、何事も無かったように戻ってきた。
「――はは、おかえり。ご飯とお風呂どっちや?あぁ、そない急いで帰って来んでもよかったんやけども。はぁ、自分。ほんましつこいなぁ。もうちょい、休めるかと思うたんやけど」
言葉にすれば呑気に聞こえるが、モズはすぐさま風魔術で自分を飛ばし空中で体勢を立て直し、距離をとっていた。しかし、その着地点目掛けて既に黒い光線が放たれている。モズは、身を捩り何とか躱そうとするも、無慈悲な光線がモズの脇腹を抉っていった。
「ぐぎゃッ!!」
のた打ち回りたくなる衝動を何とか堪えるも、もはや全身から血を流すその姿は、満身創痍という言葉では足りず、生き物であったら決して生きてはいないほどの傷を負っていた。
血煙がもうもうと立ち込める中、黒い球体はそんな状態のモズの真正面に立つと、交渉決裂と回答するように魔力を圧縮し始めた。
「――はは。やめとき、やめとき。こんな小さな鳥さん倒すのに、そんなバカでかい魔力はいらんで。可食部無くなってまうで。ただでさぇ、鳥ガラやっちゅうに……」
疲れ切った銀色の眼には、もはや力は残っておらず、その眼は落ち窪み虚ろだった。血塗れになり、死を待つだけの姿がそこにはあった。対する黒い球体に、人の心があれば躊躇しそうなものだが、これまで、幾千万の獣や魔物、人を喰らってきたにもかかわらず、そんな不要な感情が生まれることは無かった。
もっとも、人が数えきれないほどの動植物を食べても、それらの心が理解出来ないのと同じではあるが……。
―――――!!
これまでで最も圧縮された、極限と言っていい黒い光線が放たれ、モズの体に大穴が空いた。その大穴から砕けるようにモズの四肢が爆散。
「――――モクヒョウソウシツ。――ザントウ ノ ソウサクヲサイカ……」
――――ガギン!!
黒い球体の無機質な声が途切れると、同時に鉄骨がぶつかるような重厚な金属音が周囲を劈いた。同時に、立っていることも困難な程の振動が響き渡り、
「――――だから言ったやろ? 止めときって」
黒い光線が走った射線上、その奥でモズが両手で支えるように分厚い光の鏡を盾にし、立っていた。全身を血と汗と汚れに塗れながらも、その銀色の瞳には決して錆びつくことのない輝きが灯っていた。
「――リカイフノウ。 ――リカイフノウ。 ――リカイフノウ……」
三日月状に欠けた黒い球体から、同じ言葉が流れ続ける。
「――はんフノウ、フノウってEDか自分。そのほうが、セイレーンは安心やろうけど。まぁ、ええ。ほんなら解説したるわ。遠近法って知っているか? ウチはなぁ、光魔術で作った、ちっさな分身を自分の前に作っとったんよ。
同じ大きさでも、近いものは大きく見えて、遠くのものは小さく見えるやろ?そやからな、お前が射貫いたのはウチが造った小さな分身や。本物のウチは、分身と同じ大きさになるように後ろに下がっとったんや。ほんでな、一枚じゃ簡単に割られてまうし、跳ね返せんから重ねて分厚くしたんよ。光の鏡を」
「――リカイカノウ、――リカイカノウ……」
「そうか、そうか理解でけたか。まぁ、今さらどうでもええけど。ほんならそのまま、消えてくれ。流石にもう限界や」
ぐったりと項垂れ、前のめりに倒れ込むモズ。勝者の余韻に浸りたいとこだったが、悪夢は終わっていなかった。
「――キノウテイシ フクゲンプログラム ヲ ユウセンシマス」
倒れたこんだまま、目だけを向けるとそこには、吹き飛ばしたはずの破損部が何事も無かったように復元されていた。
「――はは、そんなんチートやん。流石に参ったわ……」
銀色の瞳は遂に閉じられ、モズは目すら動かす事すら出来なかった。そんな死に体にも関わらず、黒い球体は一切の加減をすることなく、黒い光線を放つ。
「――すまん。皆、後は任せたわ」
(ぁぁ……悔しいなぁ……。みんなの力になれんかった)
今際の言葉に残滓をのせてモズの意識は落ちていった。
命の痕跡すらもかき消す程の光線が、モズを包み込んだ。
――その刹那、
「――ああ、任された! ゆっくりと休めモズ」
吸い込まれるように澄んだキトンブルーの瞳をした剣士が、大剣を振り下ろし、黒い光線を切り裂いた。その傍らには、
「――全くです。無茶し過ぎですよ。そのまま寝てて下さい。後は僕たちが片付けておきますから」
杖を掲げ、緑色光を放つ黒髪の魔術士が肩を並べていた。




