タケちゃんのお店
今日も、ちょつぴり 不思議なお話です。
楽しんで頂けたら嬉しいです。
皆様、いかがお過ごしですか?タケちゃんのお話にお付き合い下さり ありがとうございますm(_ _)m
さて、今回は タケちゃんのお店のお話です。
朝鮮から命からがら実家のある離島まで帰ってきた
タケちゃんですが、まだ出征した トジちゃんは
帰ってこないので、リヤカーを使ってお店をする事にしました。お寺や学校、地域の行事に出店する
今で言えば キッチンカーとかデリバリーの先駆けのような商売をして頑張り、店舗を構えられるようになったのです。
タケちゃんのお店は、高度成長期の波に乗れたのか、安定の繁盛ぶり。固定客がたくさん付き、商品もどんどん増えていきました。
その頃、島外でモーターボート選手をして、ブイブイ言わせていた、私の父が母に捕まり私が出来て結婚することとなり、タケちゃん夫婦との同居が決まりました。母は、国立病院の看護師をしており 当時の離島では、安定した収入が約束されていました。父は、個人経営の会社に入りましたが、ブイブイ言わせるのは本土にいた時と変わらず 母の悩みは尽きませんでした。
私は、両親が仕事の時 祖父母に世話して貰っていたのですが、赤ちゃんサークルなどと言うオシャレな道具があるはずもない頃だったので、お店の小上がりで
冷蔵庫が入っていた段ボールに入れられてました。お店に来るお客さん達に「箱入り娘だね〜」と言われましたが、何の事だか わかりませんでした。
私の楽しみは、3時のおやつタイム❤️母は、充分な生活費をタケちゃんに入れていたのに、タケちゃんがくれたのは、10円のチロルチョコばかり。そうして浮かせたお金は、いったいどこへ?今だに謎です。タケちゃんは、着飾らず、チープな物が好き。
ただ、他人に物を配るのが好きだったな〜、と思います。
タケちゃんのお店の1番奥の袋戸棚に、男の子の日本人形が入っていたのですが、私は、その人形が怖かったのを覚えています。夜、お店が閉まった後1階が真っ暗になるので、1階にしかない、トイレに行くのがその人形がある事で何倍も恐ろしかったです。
今、私の部屋には、前髪が伸びる、アンちゃん というお人形がいますが、この子には、癒されるばかりで、怖さはありません。
その頃は、現金だけでなく、カケでも良かったので、月末にその月の分を払いに来る人が多かったのです。
今で言えば、クレジットですね。
私が小学生の頃、よく近くにおつかいに行ってました。お店の商品の配達です。品物を持って行くと、必ず「おつかい、ご苦労様。これあげるね❤️」と
お菓子などを貰えました。特に高そうな物や珍しい物をくれたのは、芸者さんでした。かなり年配の方でしたが、売れっ子のようでしたよ。
私が小学校の高学年になるまで、自宅には内風呂が無くて、川を隔てた銭湯、タツミ温泉に毎日通ってました。ライオンだか、竜だかの口からお湯が出る大きな湯船。私は、3回落ちて溺れました。いつもは、祖父のトジちゃんと行っており、トジちゃんと一緒の時は落ちた事がありません。落ちた3回は、母、叔母、タケちゃんと一緒に行きました。
溺れて気が付いたら、病院の処置室で 死にかけていたそうです。
トジちゃんは、海軍の船で、ボルネオ島あたりまで遠征したのですが、トジちゃんの乗る船は、決して沈没しなかったそうです。そのパワーのおかげなのか、トジちゃんと一緒なら溺れない伝説が確立しました。
スゴイね、トジちゃん。
さて、私が溺れて死にかけた3件ですが
3回共、とても良い香りのする キラキラ光るお花畑に行ってました。あそこは いったい どこだったのでしょう。
また、次回 お会いしましょう。
ありがとうございましたm(_ _)m
私をはじめ、私のまわりには、不思議ちゃんだらけです。楽しんで頂けましたか?
また、次回 お会いしましょう。
ありがとうございました*\(^o^)/*