閑話 とある不良ケモミミお姉さん
私は獣人の狼人族に生まれた娘、エリィだ。狼人族は高いSTRとAGIを持ち、獣人の中でも随一の近接戦闘の才を持つ。しかし、狼人族は獣人の中でも本能的、物事を深く考えることが苦手で、勘や感情で動いてしまう。言い方を変えれば、直情的な短気な馬鹿だ。
だからこそ、人間の罠に嵌まり、私の居た村は全員奴隷落ちさせられた。首には奴隷紋が刻まれ、主人となったものの命令に逆らえば喉が絞まる。正しく奴隷紋は私達に嵌められた首輪だった。
奴隷商人の所では、最低限の躾がされる。頭が悪く物覚えの悪い私たちは、獣臭い脳筋などと狼煙られながら鞭で叩かれる日々だ。狼人族はSTRとAGIは高いが、VITは普通程度だ。鞭で叩かれたら普通に痛い。ステータスが成熟している大人の狼人からどんどん売れていく。どうやら力仕事の必要な場所に買われたらしい。それは男も女も関係ない、奴隷を買うような人間にとって獣人の女性は性的に無価値らしい。
ついに私が買われるようだ。私を買いに来た人間の貴族は、ハンカチを鼻に当てて近づいてくる。そして顔を歪めながら、奴隷商人と話をしている。
「匂いが強いな。もっとマシにならんのか。」
「匂いが強いのは、獣人としての強さの証拠です。現にこの者は、この歳でSTR57であります。」
「ほう、やはり腐っても頭まで筋肉でできていると言われる事はある。」
「お安くしておきますのでどうですか?」
こうして私は人間の貴族に買われたのだった。貴族の邸宅で奴隷として働く事になった。馬小屋で飼われている馬と寝食を共にし、他の使用人や奴隷から臭いや汚いと罵られながら、毎日重い荷物を運んだ。どんなにしんどくても、お腹が空いても、高熱にうなされていても、毎日のように力仕事をさせられた。
そんな日々を繰り返すうち、身体の成長とともにめきめきとステータスが伸びていった。重い荷物を持ち上げるのも運ぶのも軽々こなせるようになっていき、余裕が出てきた。そうなってくるとしんどくなるのは、他の使用人や奴隷からの、下げすむ視線や罵りである。毎度心が折られ、夜馬小屋で奴隷になる前の楽しかった思い出を思い出しては、ひっそりと泣いた。
こうして奴隷になって十数年が経った頃、私に奇跡が起きた。首の奴隷紋が消えたのだ。奴隷紋が消えるのは奴隷紋の主人が死んだ時だけ。つまり何らかの理由で、私を買った人間の貴族が死んだのだ。それも予期せぬ死だ。病死などで死んでしまう場合は奴隷紋の所有権を譲る、そうすれば死んでも奴隷紋が消えることはない。
邸宅ではパニックが起きていた。逃げ出そうとする一部の奴隷を衛兵が取り押さえている。私も例に漏れず衛兵に取り押さえられそうになる。だが、成長したステータスで全力を出せば、衛兵の網を潜り抜ける事ができた。
貴族の敷地を出て、更に街も出た。そして体力が続く限り、走って、逃げて、逃げ続けた。足を止めたら再び捕まりそうで怖かった。太陽が沈んで、太陽が登る、そして太陽が沈んで、また太陽が登る。3日走り続け、太陽が沈み3日目が終わる時私は満足して、走るのをやめた。
一晩寝てお腹が空いて野ウサギを捕まえて食べた。少しお腹が満たされ、私は仕事を探し始めた。街に行って仕事をくれませんか、と言っても誰も鼻をひん曲げ、「臭い、どっか行ってくれ」と私を煙たくあしらった。
仕事を斡旋してくれる冒険者ギルドがあると知った。でも登録料がいるらしい。でも街の人達は私を臭いと言って仕事をくれない。仕方がないので近くの森に行った。そこにやって来た冒険者を襲い殺した。装備を剥がし、別の街の武器屋に持っていって売った。そしてその金で冒険者登録を行った。Fランクから始まったがステータスの高い私には簡単な依頼ばかりだった。すぐにDランクに上がった。
Dランクに上がってパーティーを組みたいと思ったが、どの冒険者も私が近づくだけで怪訝な顔をする。挙句の果てには、臭い、汚いと罵られた。Dランクの依頼はソロでも出来たので、ソロで頑張った。Cランクの依頼は流石にパーティーを組む必要があることはわかった。だからDランクの依頼を毎日こなし続けた。
ようやく装備やアイテムなども揃っていき、お金に余裕が出来てきた。少し高い宿に泊った。安い宿は何故か安心してぐっすり眠れなかったからだ。高い宿にはシャワーがついていた。大衆向けのシャワーが利用できる店なんかもあったが、そういった公共的で視線のある場所は苦手だった。どうしても汚い臭いと罵られ蔑まれているようだったからだ。
その日私は数年ぶりに身体や頭を洗った。何度擦っても汚れが落ちず、髪の毛も手ぐしが通らない程だった。シャワーを浴びると匂いや汚れはマシになった気がした。それからは毎日高い宿に泊まりシャワーを浴びるようになった。そうすれば少しでも汚い臭いと思われないかもしれないと思ったからだ。
そんな時、私は獣人の奴隷に出会った。私と同じように重いものを持たされ、奴隷紋の主人から汚い、臭いと罵られていた。獣人の奴隷がよろけて、荷物を落としてしまう。荷物がよほど大切だったものらしく、奴隷紋の主人は奴隷に罵詈雑言を浴びせながら暴力を振るった。
気付いたら私は剣を抜き、奴隷紋の主人を殺していた。冒険者についで2人めの殺人だった。周囲から悲鳴が上がりパニックが起こる。私は無我夢中で奴隷紋の消えた獣人の元奴隷を抱えると、全力で逃亡した。また走って、走って、逃げれるところまで逃げた。
そうして、冒険者を続けながら見つけた獣人の奴隷を助ける事を繰り返していた。必要なら奴隷紋の主人も殺した。そんなうちにいつの間にか冒険者の称号は剥奪されており、救った獣人をまとめ上げ、獣人解放団の団長になっていた。団員のみんなは私の事を慕ってくれる。臭いや汚いなんて決して言わない。獣人解放団で活動するうちに、信じられるのは同胞である獣人だけになっていた。団員のみんながみんな人間に恨みを持っていたかというとそうではない。寧ろ同胞を救うという方に共感した仲間だった。
いつものように人間に奴隷にされた獣人を見つけた。小さい子どもなのに、毎日のように働かされているらしい。私は指名手配されてる場合が多いので、部下がその奴隷を救いに行った。部下が連れて帰って来たのは本当に、子どもの獣人だった。こんな子どもを無理やり働かせる人間の主人に嫌悪した。
だが、連れて来られた獣人の子どもが、連れてきた獣人と口論を始めた。なんだなんだっと思っているうちに、拠点に侵入者が現れた。侵入者は奴隷を連れ戻しに来たらしい。私は返り討ちにするために、侵入者に相対する。男の方はローブ姿で無表情で少し気味が悪い。女の方は私が奴隷だった頃、私を罵った女の使用人の格好をしていた。少しあの頃の思い出がフラッシュバックして、気分が悪い。
私が自己紹介すると、獣人の子どもが叫んだ。そして驚くべき事を口にする。私が助けてきた獣人の奴隷たちは一様に感謝を口にした。だが目の前の少女は、私の行為を否定した。奴隷である日々が楽しくて幸せだと吐かした。私は自身の奴隷時代を思い出し、あんなものが幸せであってたまるかと、少女に言い返す。少女の話に登場する人間と私の記憶にある人間が違いすぎる。私は思わず絶句する。
そのうちに少女は侵入者の元へ逃げていった。侵入者は少女を連れて出ていこうとする。私は思わず呼び止めてしまった。だが、少女はそれを真っ向から振り払った。呆然とする私にローブの男が語りかける。ローブの男は、獣人を差別しない嫌わない人もいるのだと言い、少女の周りの人たちやローブの男自身がそうであると言った。私は思わずそれを否定する。
「ッ!…嘘だ!!貴様も心の内では獣人を見下している筈だ!」
更に私はその男の近づいた。そして自分の臭さと汚さをアピールした。
「私に触れるか!?私の匂いを嗅げるか!!?…出来ないだろう?臭くて汚らわしい獣だからな!!」
男は私の言葉を黙って聞いていた。そして男は少女と女を帰らせた。だが私にとって少女と女はもはやどうでもいい存在だった。目の前の男にしか興味がなかった。
少女と女が居なくなって、男は私に手を伸ばす。奴隷時代がフラッシュバックして思わず身体が反応してしまう。それを見た男はそれまで無表情だった顔を綻ばせ、優しい笑顔で言った。
「なに?触って欲しいの、欲しくないの、どっち?」
なぜか恥ずかしくなって、強く言い返してしまう。
「き、貴様が触りたくないだけだろ!び、ビビっているのは貴様の方だ!」
男の手が私の耳を触る、優しく愛でるように触られて、何故か耳が熱くなる。徐に男は私の首に顔を近づけると私の匂いを嗅いだ。臭いと思われそうですごく心配になったが、匂いを嗅いだ男は満足した顔で優しく私に微笑みかけた。
それからの男は凄まじかった。耳や尻尾だけでなく全身を撫で回され、全身の匂いを嗅がれた。そして終始、「かわいいね」だの、「良い匂いだよ」だの、「ツヤツヤな毛並みだね」だのと甘い言葉を囁き続けた。
全身がポカポカして、毛穴から嬉し涙のような汗が吹き出した。匂いを嗅がれ耳元で甘言を囁かれるたび、脳がぐちゃぐちゃに掻き回されるようだった。何も考えられなくなり、身体の支配権を明け渡すような感覚。気付いたら仰向けになり、求愛の鳴き声を上げていた。
満足した男は帰っていったが、私は暫くの間思考がまとまらず、夢心地だった。思考が戻ると今まで何かに取り憑かれていたようで、気にしていたものがなんかどうでも良くなっていた。そんな気持ちを団員のみんなに話すと「実は人間の中にも良い人も居るって分かっていました」と教えてくれた。何か付き物が落ちたような気がした。今なら何か新しい目標に向かって走り出せそうだ。
私は先程のあの男との時間を思い出し、自身の首を撫でる。既に奴隷紋は無いのだが、そこには新たな愛の奴隷紋が嵌っている気がした。奴隷だった頃の奴隷紋の主人である、貴族のことを考えると吐き気がする。だが新しい首輪の主人、いや御主人様の事を考えると、息が荒くなり全身が火照って、お腹の奥底がキュンキュンしてしまう。
あーあ、もっと早くに出会いたかったなぁ。私もう29歳だ。




