第一章【女の顔をした戦争】(4)
何も知らないまま、冬子は歌舞伎町をさまよう。「お礼を言わなければならない」。
しかし、スマホがなかったこの時代、ここはまさに異世界だった。スラムから闇市、そしていびつなまま歓楽街になった歌舞伎町の地下には、さらに都市開発を口実としてどこまでも拡張されてゆく地下ダンジョンが広がっていた。
そこは無知で土地勘のないものがいきなりわかるほどイージーな場所ではない。
しかも、冬子は交番に相談するわけにはいかなかった。確実に足がついてしまうからだ。
警察情報すらその気になれば利用できる古巣に最大限警戒しなければならない。監視カメラも彼女にとっては身の安全を守るどころか、追手に見つかるリスクを高める要因でしかなかった。
幸か不幸か、人が多い。
プロレスアニメのお面をつけ、ピンク色のかつらをつけた新聞配達員が目の前の雑踏を通り過ぎてゆく。
それにしても、どこもかしこも中華料理屋ばかりだ。いいかげん空腹に耐えかねてラーメン屋ののれんをくぐったら、そこでいきなり皿を洗っている追跡対象と再会した。
冬子はとっさに言った。
「あの、ラーメンを」
「おれは皿洗いだ。店主に言っとくれ」
「お好みのかたさは?」
店主が聞いた。
「あの、ふつうで」
「あいよ毎度、五百円」
バリカタはまだいい、ハリガネとはどういう意味か。冬子は「中華料理」の奥ゆきの深さを知ってしまった。
キツネは黙々と皿を洗っていて、話しかけづらい。
しかも冬子は双子のベビーを抱えていて、熱々のラーメンが食べづらい。
「あー、休憩いいっすか?」
見かねたキツネが仕事を休んで赤子たちの世話をしてくれる間、冬子はやっと博多とんこつラーメンを食べることができた。これまでこんなに美味しいものは食べたことがない。
「ありがとう、キツネさん」
冬子はやっと礼を述べることができた。
「こんなところウロウロしやがって。幸せにゃあなれんぞ」
キツネは器用に赤子たちをあやしながら言う。
「あなたしか頼れない。わたしたちを匿って」
冬子のすがりつく声に、キツネは大仰に肩をすくめてみせて部屋の鍵を差し出した。
「おれのセーフハウスのキーだ。そこのマンションの地下一階で他に部屋はない。仕事あがったらすぐに行くから食べ終えたらそこで待ってろ」
これで場所はわかったろう。
「エントランスの暗証番号は番号四桁でそのあとシャープだ」
キツネは再び冬子がわからないことを言った。冬子が戸惑っていることに気づき、キツネは店主に一言告げた。
「わかった。食い終えたら一緒に行こう。おやっさん、もうあがるぜ」
「あいよ」
「ありがとう」
「いいからゆっくり落ち着いて食え。おいスープを飲み干すな。おやっさん、替え玉」
「あいよ」
冬子はわけがわからないままおかわりをしてスープまで飲み干した。
「おやっさん、おれのバイト代から引いといてくれ」
冬子は五百円玉を手渡しで返された。