第一章【女の顔をした戦争】(3)
全快とはいえないまでも、冬子の体力は外出できる程度には十分回復していた。
新宿は日本の中心である東京の中心地である。冬子の知識はそれしかない。
この街のことを何も知らない……平成三年、都庁舎が丸ノ内から西新宿に移転されたことで、東京都新宿区は旧来の副都心から晴れて「都心」となった。
まさか国の中央がこんなわいざつだとは、予想もしなかった。
都庁のまわりだけが綺麗に整備されていて、中央公園はダンボールとブルーシートで作られたホームレスの集合住宅だった。
「ねぇねぇ、モデルにならない? 芸能界デビューのチャンスだよ!」
新宿アルタ横、通称『スカウト通り』で、通行人の女性たちに片っ端から下心丸出しの声をかけるチンピラたちに、確実に騙されるとわかりきっているのに、夢見る片田舎の少女たちがついてゆく。当時の少女たちは、のちに被害者の顔をした。
令和になってやっと珍しくなってきたボッタクリ居酒屋など当時の歌舞伎町では当たり前で、エチオピア人がいかがわしい店のポン引きをし、フィリピーナが売春をもちかけ、イラン人は偽造テレホンカードを売り、ベトナム人は豚を盗み、チンピラは栄養ドリンクの瓶に入れたシンナーを販売し、ホームレスらは空き缶を拾って生計を立てていた。
当時、指定暴力団最大手と福建マフィア、地元ローカル組織が三つ巴の抗争をしていた。
青龍刀で暴れる福建人を、やくざが粗悪な中国製トカレフコピー、通称「黒星拳銃」で撃つ、そんな日常。
平成一三年九月一日、歌舞伎町ビル火災は、死者四四人を出した。被害者の大半が風俗店にいた。
翌年二月に五〇台の防犯カメラが設置されたおかげで、治安は少しはマシになったものの、このおかげで抗争は可視化されなくなってしまった。
警察も打つ手がなくなり、その二年後、暴力団排除条例がやっと制定された。
当時、日本国内でもっとも有名な芸能人の兄である元作家の都知事を、地元商工会の顔役として応援していたのが、地元ローカルの組織であった。政治の力を借りなければ彼らも縄張りを守ることさえできなかったのだ。
そんな事情を、田舎から出てきたばかりの冬子が知るはずもない。
事前調査などしているような場合ではなかった。執拗な追手から逃れ、やっとはじめて息をつくことができたのが、この極東アジアの無国籍都市だった。
この時点で、区役所にも土地所有権の正確な記録がなかった。
新宿駅のしょんべん横丁からゴールデン街に至る界隈は、東京大空襲で登記簿ごと消失していた。
「私のものです」と主張し、ビルを建てたものがその土地を支配した。
訴え出る権利を有するもののほとんどが、先の大空襲で住民票ごと焼き尽くされた。土地の不法占拠を指摘しようにも、証拠がなければお話しにならない。
この時代、法務省の記録と辻褄さえ合わせれば、誰でも自由に他人になれた。
松本清張の小説『砂の器』を一読すれば、これらがすべて事実だったことがわかる。いくらスネにキズがある身でも、ここではカネさえ出せば自由が買えた。
駅のまわりを埋め尽くしたホームレスらはその日の口糊をしのぐために個人情報を売り、キツネは皿洗いのかたわらホームレスらの戸籍の転売屋をしていた。
そんなことを、冬子は知らない。