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ものをはむもの  作者: なるみなるみち
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プロローグ【其の罪の名は】

「おれは人妻はNGだ。JK専門でな」

 二〇〇四年。当時、児童ポルノ法はまだ制定されておらず、援助交際がトレンドだった。


 二〇〇四年三月末、東京。人混みにもまれながら川西冬子がどうにか辿り着いたのは、新宿の歌舞伎町だった。

 少女は病院からそのまま飛び出してきたような貫頭衣の上から明らかにサイズの大きな男性用のコートを羽織り、双子用のベビーホルダーで二児を抱えている。足に履いているのはあからさまに室内履きのつっかけサンダルだった。

 この街は派手なネオンと路地裏の闇が交錯しながら存在している。人混みを逃れてたどり着いた路地裏の地面には真っ黒に変色した食用油がベッタリとこびりつき、吸い殻が当たり前に散乱していて反吐くさい。ここは酔っ払ったサラリーマンからやくざものなどの不良、ホームレス、夜の街の女たちや多様な国籍の人種がいる。こんな街だからこそ冬子(ふゆこ)も紛れ込むことができる。木の葉を隠す森としてはうってつけの場所であったが、それでも彼女は疲れ切ってもうなにもかもあきらめて投げ出し、いますぐに休んでしまいたかった。

 普段なら右手で刀、左手で拳銃を自在に操る彼女の両腕はいま、ふたりの乳児ととりあえず必要最小限のものだけを詰め込んだトートバッグだけでふさがっている。

 どんなことがあろうと赤子たちを守らなければならない。その使命感だけが彼女の意識を辛うじて繋ぎ止めていた。

 森永グリコ事件をほうふつとさせるキツネ目の男が、厨房から出てきて、たばこに火をつけようとしているタイミングだった。


   た す け て


 冬子の口から自分では聞いたこともない声が発された。

 意識は暗転し、気づけばラブホテルのスイッチを入れると回転する丸いベッドの上だった。こんなもの、冬子はこれまで見たことがなかった。

 力尽きていた冬子を覚醒させたのは、なんでもないふつうの醤油味の、カップ麺の匂い。

 どうにもうさんくさい男が、双子をソファに寝かしつけて、容器にお湯を注いでいた。

「どうせワケアリなんだろ? ほらよ、三分間だけガマンしろ」

 何もしらないくせに、わかったような顔でものを言う男は、おそらく自分自身のためにお湯を注いだばかりのカップ麺を差し出した。

 たまらなく空腹だったのに、食欲がない。代わりに与えられたペットボトルの水でやっと息をついた。

「あなたは誰……?」

「名前なんてねぇから好きに呼んでくれ」

「どういうこと?」

 油断はできない。冬子は子どもたちを守らなければならない。

 男は赤子たちにやさしい瞳を投げかけた。

「おれは戸籍がねぇんだよ。だから事情を知ってる知己はみんな名無しって呼んでる」

「ナナシさん?」

「妙なイントネーションやめろ。名無しだ」

 戸籍がない。この青年は何を言っているのか。

 素性のわからないこの男は、とにかく乳児の扱いには慣れていた。おしめから粉ミルクまで、足りないものはなんでもここに一式そろっていた。

 水でのどがうるおうなり空腹を覚え、冬子はカップ麺を奪い取り、猛烈な勢いで麺をすすりあげた。

「おいおい、ちょっとはおちつけ。日本語オーケイ?」

 冬子はあっという間にたいらげた。口がやけどするのもかまわずスープまで飲み干した。

 出てきた言葉は「おかわり」だった。

「さっきまで餓死寸前みたいな顔してたのに、もっとゆっくり味わって食えよ」

 キツネ目の青年が笑った。意外と柔和な印象で、安らげる。好みのタイプではないが。どちらかといえば、はっきり言ってキライなタイプだが、人間としておつきあいするのはムリだが、とりあえずは悪い人物ではなさそうだ。

「キツネさんってお呼びしてもいい?」

「かまわんよ。便宜上、木田恒明(きだつねあき)って名前もある」

 キツネは言った。赤子がいるので灰皿は空で、おそらくここにきてからはまだ一本も吸っていない。

 煙草の香りは好まないが、配慮ができるあたりは評価できる。

「たすけてくれてありがとう。でも、迷惑をかけることになるわ」

「そうゆうのは慣れてる。ひとまず休め。風呂もある」

 わけも聞かずに即答だ。

「えっちなことならお断りよ」

「おれは人妻はNGだ。JK専門でな」

 二〇〇四年。当時、児童ポルノ法はまだ制定されておらず、援助交際がトレンドだった。

「個人的な趣味嗜好には口出ししませんが、子どもたちにはくれぐれも手を出さないでくださいね?」

「相手が若けりゃいいってもんじゃない。そんで、きみらのお名前は?」

「わたしは川西(かわにし)冬子。子どもたちは雪子(ゆきこ)涼子(りょうこ)。私たちを助けてくれてどうもありがとう。でも、わたしは恩を仇で返すことになるかもしれない」

 冬子は複雑な表情を浮かべた。

「おまえさんが望まないなら深い詮索はしないから安心してくれていい。すぐそこに交番があるのに警察に駆け込まないのはきっとワケありだったんだろうと想像した。だからまずは表沙汰にせず近くのラブホで保護した。どうだい? おれの対応は正しかったかい?」

 冬子は無言で肯いた。


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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