隣の柿はよく客食う柿だ
私は龍である。
名前は忘れた。
さて、長らく私と物言わぬ獣しか住む者のいなかったこの山に、先月の暮、新たな住人がやってきた。
新緑の髪と橙の瞳を持つ少女だ。
彼女は人食い柿の精霊であり、それがばれて討伐されそうになったところを本体引っこ抜いて飛んできたらしい。
この地に来たのも逃げるためだけでなく、私を討伐するために度々送られてくる人間の精鋭部隊が疲弊したところを食うためでもあるという。
本体を引っこ抜いたというのもそうだが、面と向かって私にそれを言う辺り肝が据わっている。
人間の魂はピンキリが強過ぎて精霊種には忌避されているはずなのだが、彼女は外れを引くかもしれないドキドキ感こそが好きなんだとか。
趣味が悪いとは思う。
前世はロシアンルーレットで死んだとかよく分からないことも言ってた。
だが最近は私と対等に話せる者などとんと見ない。話し相手になることと、彼女ご自慢の柿をお裾分けしてもらうことを条件に、人間が来た時は魂を確実に喰らえるよう、殺さずに彼女のところに送ってやることにした。
最近では私の下にやってくるのは死にもの狂いで私を殺そうとする人間達以外にいなくて寂しかったという事情もある。
彼女の言うところの、うぃんうぃんな関係というやつだ。
◆◇◆
そして、あれから十年経った今、私は窮地に陥っている。
討伐隊の良質な魂をたらふく食べた彼女は、この短期間で私の鱗を傷つけることができる程の力を得て、本体も世界樹と同レベルにまで大きくなったのだ。
それにいつの間にか神でも殺したのか、神格も手に入れてた。
いや、それだけなら別に良かった。
普通に喜べたし、事実お祝いをするためにわざわざ人間共の街に行き、美味しそうな───かどうかは分からないが、奴隷を買い漁ってやるほど嬉しかった。お金は運良く親切なチンピラ共が払ってくれた。
だが、サプライズのために何も言わずに一月も留守にしたのがいけなかったのだろう。
帰ってきたら、彼女が病んでいた。
最初は分からなかった。
少し落ち込んでいるだけでいつも通りの彼女に見えたから。
プレゼントも喜んで食べていたし、私に笑顔を向けてくれていた。
強いて言うならば、スキンシップがいつもよりも少なかっただろうか。
私のハグも避けられたし、友愛の証だと教えられたキスも舌を絡ませる以上のことはさり気なく拒まれた。
だが、明らかにおかしくなったのは彼女がくれた柿を食べて少ししてからだ。
視界が揺れた。頭がふらつく。吐き気もした。明らかに体調がおかしかった。
そんな私を見て、彼女は
───彼女は笑っていた。
逃げなければ。
それしか思い浮かばなかった。
気付けばどこかの洞窟に居た。
ここはどこだろう。
転移したのか?
分からない。
分かることはただ一つ。
彼女が私に───
◇◆◇
はっ、私は何を……?
目の前で消えていった彼女を思って、ペロリと唇を舐めル。
彼女ハ何を思っているだろウか。
私を見たその目の端には涙が溜まっていたし、泣いているかもしれない。カワイカッタ。
何故あんなことをしてしまったのだろう。彼女には笑っていてほしいのに。
でも、それもこれも全て彼女が悪イ。
私はこんなにも愛しているというのニ、何も言わずに私の前カら一月もいナくなった。
ちャんと戻って来タけど、私は彼女がいなくなってすぐに堕ちてしまっていた。今はもう正気だけれど、帰ってくるのがもうちょっと遅ければ戻れなクなっていたかモシレない。
あンなことは二度と起きてはいけない。ユルサナイ。彼女は私と永遠に一緒にいなければならないのだ。ズット。
? なんだか頭がぼんやりする。
それにしても、彼女が帰ってくルと気付けてよかっタ。狂ったままでいたら確実に心配されてしまっただろうかラ。
彼女に無用な心配はしてほしくないのだ。
先程は昂ぶってつい毒を盛ってしまったけれど、私は彼女を愛しているノだから。
ああそうだ。こんなに暢気に考え事をしている場合じゃぁないんだ。彼女を探さないと。
毒が切レる前に見付けテ迎エに行ってあゲなければ。
どこにいるかはまだ分からないけれど、転移で逃げたよウだし、空間の歪みの残滓を追えバいい。
いつもの彼女なら痕跡ぐらいハ完璧に消せるはずだけど残っているシ、そうでなくトも私なら彼女の居場所はなんとなく把握できる。乙女の勘というやツだ。
私からはニげらレない。
彼女はすぐに見つかった。
この山の中腹に存在する洞窟の中だ。
洞窟の中に一部露出している私の根にすがりついて、私の名前を呼びながらむせび泣いている。
トテモカワイイ。
最初に見つけたのが私で良かっタ。
強靭な理性を持つ私でなければ、あんな私のことしか頭にナいすガた、見た瞬間グッチャグチャに犯してる。野生の獣ならば尚更ダ。
でも、そんなことがあってはいけない。世界を滅ぼさなければならなくなる。彼女をめちゃくちゃにしていいのは私ダケなんダカら。
ソウ、だから保護しなきゃ駄目ナンダ。
周りを全ク警戒できてイなかった彼女を気絶さセる。
いつもの彼女ならこんなことできないけド、さすがはリソースを衰弱効果だけニ注ぎ込んデ作った毒。あと五分もしない内に毒の効果は切れるだろうけど、今の彼女はとてつモなく弱体化している。
こんなに弱ってるならやっぱり保護しなきゃ誰かに犯されていた。
私ならば、触れても濡れてたのがさらに濡れるだけで済むが、他の者ならば理性が保つはずがない。
さあ、おうちに帰ろう。
◆◇◆
お腹の圧迫感で意識が浮上する。
目を開けてみると、ハァハァと息を荒げた彼女が私に馬乗りになっているのが見えた。
なんであんなことをしたんだろう。
どこか遠い意識で考える。
私を嫌いになったのかな。
そんなの嫌だ。
私の頭の中にはもう彼女しかいないのニ。
彼女に拒絶されたら死ぬシカな───
「好き」
んぇ?
「私を受け入れてくれたあなたが好き。
私を強くしてくれたあなたが好き。
私の知らないことを教えてくれるあなたが好き。
世界最強なのにボードゲームは弱いあなたが好き。
寂しがりやなあなたが好き。
添い寝しようとするあなたが好き。
私のことを一番に考えてくれるあなたが好き。
あなたの笑った顔が好き。あなたの綺麗な声が好き。あなたの黒い瞳が好き。あなたのしっとりとした鱗が好き。白魚のような肌も好き。濡れ羽色の髪が好き。シャープな鼻が好き。プルンプルンの柔らかい唇が好き。何度も絡め合った舌が好き。尖った長い耳が好き。髪で隠れたうなじが好き。抱きしめられる度に当たる大きな胸が好き。はだけた着物から見える鎖骨が好き。ピンと伸びた背中が好き。ちょっと塩っぱい汗が好き。何億年も私のために処女を貫いてくれてたあなたが好き。何の疑いもなくパンツをくれるあなたが好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好きスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキ。
あなたの全てが、食べちゃいたいほど甘美なの。
だから、」
───いただきます。
ぇ? どゆこと?
どゆこと?
食べるって何?
え?
というか私のことそんな風に思ってたの?
怖い。
気付かなかった。
困惑してるうちに彼女の顔が近づいてきた。
ああ、今から食べられちゃうのかな……
食べられたらもう彼女と一緒にいられなくなる。
嫌だな。
でも、彼女がそれを望むというならば
───もう、いいや
◇◆◇
明けて翌朝。
折角覚悟を決めたというのに、私は死ななかった。
いや、死にたいわけではないから良かったが、今はそれどころではない。
腰が抜けている。
昨夜の彼女に蕩かされたのだ。
今晩もこんなことがあったら心まで奪われる……!
確かに彼女は魅力的だし、見つめられると胸が高鳴るし、キスしたあとはしばらく彼女のことしか考えられなくなるし、時折無防備な姿を見せられると口元がニヤけたりしてしまいはするが、私は彼女を恋愛対象として見たことはないのだ。
昨夜はあの柿の毒のせいでずっと思考がおかしくなってたし、彼女に触られるとなぜかいつも多幸感が溢れてきて抵抗できないけれど、もう毒は抜けたようで体調は万全だ。
幸い彼女は今ここにいない。
だが彼女はもうすぐ戻ってくるだろう。
私の勘がそう告げてる。
というかむしろ、なぜ今私のそばを離れているのか理解し難い。
ずっと一緒だと言ったのは嘘だったのか⁉
違う。そうじゃない。
今すぐ転移して彼女から逃げなければいけないんだ。
人間の街にでも行って、家を買ってしばらく引き籠もろう。
そうしたら、見つからないはずだ。
幸い、彼女と一緒にいられなかった地獄のような一ヶ月で手に入れた家がある。
◆◇◆
カツンカツンカツン……
彼女が私を探してる。
空間の歪みは消したし、認識阻害障壁すら張ったというのになぜだ……?
あれからまだ一度も日は落ちていないぞ。
経験を更に積んだならばともかく、今の彼女の技量ではまだ違和感すら覚えられないほどの認識阻害であるはずなのに……!
震える体を抑えて衣装棚の隅で縮こまる。
幸いここには彼女に似合うだろうと思って気付いたら買っていた服が山程入っている。
音さえたてなければ服に紛れて見つからないはずだ。
他の衣装棚もあるし、ここだけ少し服が多く見えてもばれることはないだろう。
カツンカツン……
足音が遠ざかっていく。
よかった。ばれなかったようだ。
ホッと安堵す──ガチャッ
衣装棚の扉が開く。
情欲に濁り切った視線が私を貫いた。
「 ミ ツ ケ タ 」
私は今日、終わるらしい。
なぜか下腹部が疼いた。