第95話 池の畔に立つ少女
腕に鈍い痛みを覚えながら悠貴は目を覚ます。身体を起こそうとするが、それを優しく制する手があった。ぼやけた視界がはっきりとしてくる。
「真美……?」
悠貴に名前を呼ばれコクンと頷く真美。
「大丈夫? 悠貴君、聖奈ちゃんをキャッチして、魔力を使い切っちゃったのかな、そのまま気を失って……」
真美に言われて思い出す。影の獣たちを退け、空から落ちてきた聖奈を受け止めた。
悠貴は身体を起こそうとするが、再び真美が制する。横になったまま視線だけ動かす悠貴。山小屋の2階寝室。
「まだ起きちゃダメだよ。寝てて……。お腹減ってる? ゆかりさんがスープ作ってくれたからすぐ食べられるよ」
どれくらい時間が経ったのだろう。影の獣たちが侵入してきた窓は応急で塞がれていた。他の窓はカーテンが閉じられているが、外から漏れ入る光はない。ランタンの灯りだけが寝室を薄く照らす。
すぐに腹に何かを入れる気にはならなかった。食事は後で、と真美に伝え、身体の力を抜いて悠貴は天井を見る。寝返りを打とうとして鈍い痛みを感じた。腕を擦る。痛みはあったが傷は塞がっていた。
「ふふっ。傷の塞がり方はゆかりさんに褒めてもらえたけど、痛みは残っちゃったよね……。ごめんね、下手で……」
「真美がやってくれたのか?」
「うん。ゆかりさんや住職さんがやるって言ってくれたんだけど……、どうしても自分でしたくて……」
そう言って立ち上がる真美。深々と頭を下げた。
「本当にごめんなさい! 悠貴君たちは私たち5人を助けてくれた……。それなのにあんなことになっちゃって……。私……止めること……出来なくて……」
言葉を詰まらせる真美。込み上げてくるものを押さえ込み、続ける。
「謝って済むことじゃないのは分かってる……。でも、私にはこれくらいしかできなくて……。悠貴君、本当にごめんなさい……」
真美の瞳に溜まる涙。落ちる一滴。床に落ちると木目に染みて消えた。
悠貴は体を起こす。頭を下げたままの真美を見ながら口を開いた。
「……ごめん、か。そうじゃなくて、こういうときはさ、ありがとう、の方が俺は嬉しいな」
悠貴が静かにそう言うと真美は顔を上げた。そうして目があった真美に向けて悠貴は笑みを浮かべる。
「そりゃさ……、せっかく協力して一緒に頑張っていこうって言った手前、正直ふざけんなよって気持ちにはなったよ。特に聖奈にしたことは、あれはちゃんと謝って欲しい。俺じゃなくて聖奈に、な。でもさ、眞衣達の気持ちも分からなくはないんだ。それだけのことをされたんだよ」
悠貴はそこまで言って、真美に座るように促す。真美は遠慮がちに手近な丸い木の椅子を手繰り寄せ、腰かけた。
「だからさ、気にすんなよ。俺にしたって、確かに痛みはまだ少しあるけど、傷だって真美に治してもらったんだし、……ありがとなっ」
首を横に振る真美。
「うんうん……。当然のことだよ。悠貴君たちは、私たちのこと助けてくれたんだから……」
そう言って一度は表情が僅かに穏やかになった真美だったが、直ぐに表情が暗くなり俯いてしまった。
「もしあのまま聖奈ちゃん人質にとって、悠貴君たちを山小屋から追い出してたら……私たち、G4の人たちと、新本とか廣田と同じになってた……」
真美は心底ゾッとした。確かに自分たちは一度裏切られている。人を信じることが出来なくなって、疑心暗鬼から眞衣たちは暴挙に出た。しかし、だからと言って、自分たちがされたことを他人にしても良いということにはならない。もしそれを是としてしまうなら新本や廣田と同じになってしまう。
思ったまま下を向く真美の内心を見透かしたように悠貴は口を開く。
「でも、お前たちはそうならなかった。そうなりたくなかった……、で、実際そうはならなかった、だろ? だったらそれでいいじゃないか、良かったな、真美」
悠貴の言葉に何度も頷く真美。堪えていたものが溢れ出す。悠貴は何も言わず、ただ天井を眺めていた。
真美が落ち着くのを待って、悠貴は自分が眠っていた間のことを聞いた。聖奈の魔法で影の獣たちは一掃されて、それからは襲撃はない。
一頻り悠貴に現状を伝え終わった真美が立ち上がる。
「ふう……、ごめんね、疲れてるよね。じゃあ私は下にいるから。何かあったら呼んでね?」
「おう、ありがとな。ゆかりさんに、俺はもう寝るからスープは明日の朝貰うって伝えてくれ」
悠貴に目で答えた真美がそっと寝室のドアを閉める。薄暗い寝室。静寂が包んだことで2人の圧し殺した泣き声が寝室に静かに響く。
「……と、いうことだ。だからお前らも気にすんな」
誰にともなく言ったような声色で悠貴が発した言葉は確かに2人へ向けてのものだった。悠貴と同じように寝室に寝かされた佑佳と憲一。ほぼ同時に2人が口にした。
「……ごめんなさい……」
言った佑佳と健一の泣き声が一段と部屋に響いた。
「ああ。もう寝な、早く良くなれよ」
悠貴はそう返して頭から布団を被る。すぐに眠りに落ちた。
翌日。
G1とG3の面々が集まって話し合いの場が設けられた。真美たちから改めて謝罪があった。
一頻り今回のことの話が済んだ所で悠貴はこの難局を乗りきるため、当面はひとつのグループとして行動していくことを提案した。
全員が悠貴の案に賛同し、また全員からの推挙で悠貴がリーダーとなり、悠貴からの推薦で真美がサブリーダーを務めることとなった。当初は固辞した真美だったが悠貴から、ぜひ、と言われて断れなかった。
暖炉の前での寝ずの番、外の見回り、食事、まだ傷の癒えない佑佳と憲一の治療……、役割を洗いだし担当を割り振り、交代で回していくと決めた。
元々は同じ研修生。しかもG1とG3の面々はリーダー同士だった悠貴と真美が懇意にしていたこともあって、見知った間柄が多かった。直ぐにひとつのチームとして機能し始めた。そうして更に数日が経った。
「じゃあ見回り行ってくるよ」
言った悠貴に、行ってらっしゃい、気をつけて、と応じる幾つかの声があった。
あれ以来、影の獣たちや他の研修生からの襲撃はない。しかし、再度の襲撃があると考えるべきだ、と宗玄は言い、悠貴もそのつもりでいるべきだと思った。
陽の高いうちは2人でチームを組んで周辺の見回りをしつつ、周囲の地形を把握する。暗くなってからは1人が2階の窓から外を窺い、それとは別に1人、数時間おきに外に出て周囲の確認をして、同時に暖炉の火守りもした。
(食料のことはあるけど……人数が揃っているのはこれはこれで良かったな……)
交代で休めるとは言え疲労は蓄積していった。特に夜は仮眠がとれるとは言え夜通しの見張りは体に応えた。10人と人手があるので何とか回せていた。
そう思いながら雪を踏みしめていく悠貴。その悠貴に続く、1人の少女の姿があった。
(さて……、どうしたもんかな……)
悠貴はその少女をチラリと見る。悠貴の目に少女の横顔が映った。悠貴の視線に気付いたのか少女も悠貴に目を向けたがすぐに逸らしてし眞衣、ローブのフードを目深く被った。
(やっぱ……なんか気まずいんだよな……)
同じG3の仲間と話すときは以前と変わらない様子だったが、G4、特に聖奈を人質にしたときに対峙した悠貴とは距離があった。
森に入る2人。山小屋に至るまでの地形はそこを通ってきた悠貴たちがある程度把握していた。しかし、逆に山小屋の向こうがどうなっているかは分からない。悠貴たちはそれを確認するために森へ入った。
森を進む2人。悠貴も少女も特に言葉を交わさずにただ雪が覆う森を行く。
「わわぁっ」
少女の上に雪が落ちてきた。魔法士のローブのフードが雪真美れになる。
「大丈夫か? ……眞衣」
近づいた悠貴はフードの雪を払ってやる。眞衣は静かに、はい、とだけ言って頷き、そしてやはり黙ってしまった。悠貴が歩き出すと眞衣が少し後ろに続いた。
悠貴たちが水の地図を頼りに辿り着いた山小屋は傾斜のある原を登った所にあった。悠貴と眞衣が進む山小屋裏手の森も、その原ほどではないが、緩やかな勾配があった。
雪が包む森に2人の雪を踏みしめる音が伝う。その音に水が流れる音が混じっていった。
暫く進むと森が開けた。
その先。池があった。
池に注ぐ水の流れは小高い崖の上からのものだった。大きくはない滝だったが、池に降り注ぐ水音が周囲に響いていた。
悠貴は池の近くまで進む。森を進みここまで上ってきた。弾む息を整えた。ローブを脱いで額の汗を拭う。両手で池の水を掬って顔を洗った。冷たくて気持ち良かった。
眞衣の方へ振り向く悠貴。
「眞衣もこっち来なよ。雪ばっかりだけど歩いてきて汗かいちゃっ……」
悠貴の口が止まる。眞衣は振り向いた悠貴の直ぐ目の前まで来ていた。驚く悠貴を鋭い目で見据える眞衣。
「あ、あの! 何で……、私たち……ううん、私のこと……、助けたんですか!?」
張り上げた眞衣の声が周囲に響く。
悠貴は眞衣の目を見る。怒っているようにも怯えているようにも悲しんでいるようにも見えた。悠貴は眞衣の問いには答えず、滝の方へ向き直した。
眞衣は直ぐに回り込んで悠貴の正面に立つ。
「ちゃんと答えて下さい! 私……、聖奈ちゃんにあんなことして……。それなのに悠貴さんは私のこと庇って怪我までして……」
言った眞衣は悠貴の腕を一瞥し、そして続けた。
「あのまま……、影の獣に襲わせておけばよかったじゃないですか!? そうすれば聖奈ちゃんも助かって、私のことも倒せて……」
そこまで言って黙る眞衣。フードを脱ぐ眞衣。涙が頬を伝う。眞衣は悠貴の方を向いたまま、池に向かって数歩下がった。あと少しで池に落ちる辺りまで来て眞衣は続けた。
「悠貴さんが魔法で攻撃すれば私は池の中……。反撃はしませんよ。悠貴さんが本気を出せば私なんか一撃ですよね。そのまま、さよなら、です。どうせ私のことなんかもう信じられませんよね?」
目を瞑って両腕を広げる眞衣。
そうだな、と低く呟くように言った悠貴。
悠貴の声に眞衣はビクッとして震え始めた。
ざっ、ざっ、と一歩一歩、眞衣に近づく悠貴。
右手を眞衣に翳し……
ビシッ……。
「痛ったーい!」
悠貴が放ったデコピン。
眞衣は額を両手で押さえてしゃがみこむ。
笑う悠貴を見上げ、
「な、何するんですか!?」
と眞衣は怒った。
笑いを圧し殺しながら悠貴は答える。
「悪い悪いっ。あまりにも眞衣が馬鹿だったからさっ」
「ば、馬鹿ってなんですか!? 私は本気で……」
「いや、れっきとした馬鹿だよお前はっ。俺もそうだし、みんなもそうだけどさ、誰ももう気にしてないだろ? もう気にしてるのはお前だけだぞ?」
それは……、と言いはした眞衣だったが言葉が続かない。事実、あの出来事のあと、誰からも責められたことはない。
「眞衣はさ、優し過ぎるんだよ。だからあんなことをしちゃった自分が許せないんじゃないか? だから俺に罰してほしい、消えてし眞衣たい……、そんなとこじゃないか?」
俯く眞衣。悠貴の言う通りだった。あれだけのことをした自分に悠貴も聖奈も優しくしてくれる。その度に自分の存在が許せなくなる。
悠貴は足元の小石を拾って池に投げた。ポチャン、と高い音が鳴った。
「眞衣さ、お前は、あの時、凄く怯えた顔してたよ。聖奈を人質に取って圧倒的に有利だったのにさ。だから、むしろ俺はお前のこと信じることができてる。あの顔は……、眞衣が本当は優しい人間なんだって証だよ。もう一度言うよ、眞衣は優しくて良い子だよ。そしてそんなお前を俺は信じてる」
そう言って眞衣を見つめる悠貴。でも……と口ごもる眞衣に、再度デコピンをする構えを見せる。眞衣はビクッとして額をガードする。
「これ以上ゴチャゴチャ言うなら魔装状態でデコピンするぞ!? そしたらホントに池の中にまっしぐらだぞ!」
悪戯っぽく言った悠貴に立ち上がった眞衣が慌てて返す。
「わ、分かりましたよ! もうデコピンは止めて下さい!」
その眞衣の様子に悠貴は笑った。その様子に今度は眞衣は怒ったように顔を紅くして捲し立てた。
「も、もう……、何なんですか、一体……。私、真面目に考えて悩んで……。悠貴さんがそんな感じじゃ、私ひとり馬鹿みたいじゃないですか!?」
「ははっ、さっきも言ったろ、眞衣は馬鹿だってな。もう気にすんな、気にしてるのお前だけなんだからさ。うぅ、流石に冷えてきたな……。昼飯も食わなきゃだし、そろそろ山小屋に戻るか……、ほら、行くぞ」
悠貴は足元に置いておいたローブを持ち上げて羽織る。来た道を戻ろうと歩き出す。
「ゆ、悠貴さん!」
眞衣の声に振り向く悠貴。眞衣はまだ池の畔で佇んでいる。
「何だよ、まだ何か……」
言いながら眞衣に近づく悠貴。
下を向いたままの眞衣。
「ほら、もう良いから行くぞ。風邪引く……」
顔を上げてニヤッと笑う眞衣。
ビシッ!
「痛ってぇー!」
眞衣のデコピンに悠貴は額を押さえる。
「さっきのお返しですっ! 中学生の女の子に本気のデコピンとか、ホントあり得ないですよ! あー、あと、私のこと馬鹿馬鹿言い過ぎです。そりゃ確かに赤点ギリギリだったりはしますけどっ……」
言って悠貴の横を通り過ぎ、森へ向かって駆けていく眞衣。振り向いて楽しそうに声を上げた。
「山小屋まで競走ですっ!」
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