第93話 カルネアデスの板 Ⅷ
「酷いのぉ……」
そう、一言だけ、宗玄が呟く。悠貴が一頻り話し終わり、宗玄がそう口にした後、辺りを沈黙が包んだ。
真美からここまで辿り着いた経緯を聞いた悠貴はG1の他の4人に声を掛け、山小屋の外へ出た。
ドアを開けて直ぐのテラス。屋根があるのでテラスには直接は雪は積もっていない。しかし、吹き抜ける風が雪化粧を施す。床や手摺が粉雪で白くなっていた。
沈痛な面持ちのゆかり。 一度大きく息を吐く。場を和ませようと明るく口を開いた。
「ま、まあ取り敢えずはみんな助かったんだし、あとは協力して迎えが来てくれるのを待つだけだねー……」
言ったゆかりに残りの4人は何とも言えない表情を浮かべた。ゆかりは項垂れる。
「て、訳にはいかないか……。あの5人、ホント酷いことされたんだもんね……」
呟くようにそう言ったゆかりを一瞥して悠貴は思う。裏切られたG3と、裏切ったG4。仮に研修施設に無事戻れたとしてもこの両者の間の溝が埋まることはないだろう。どうあっても禍根が残る。
悠貴は軽く頭を振った。先のことを考えていても仕方がない。今はG3の5人の体と心のことを考えたい。
「とにかくさ……、俺たちまで暗くなってたらダメだ。せめて俺たちだけでもいつも通りでいよう」
そう言って見回した悠貴に俊輔が応じる。
「だなっ。おれも湿っぽいのは嫌いだからよ。それにしてもG4の連中……、自分たちの命が懸かってるってのは分かるけどよ、……許せねぇ」
俊輔の言葉に悠貴は拳を握る。
(……そう、真美たちは何も悪くない)
悠貴はG4のリーダーの廣田のことを思い浮かべた。確かに冷たい印象はあった。それでも同じリーダー仲間として、G1以外の研修生の中では良く話す方だった。同じ大学生ということもあって立ち話をする程度の仲ではあった。だから自分が知る人間がそんなことをするというのは簡単には信じられなかった。
それは新本についても同じだった。真美たちG3に率先して攻撃をし、憲一に重傷を負わせた新本という男は顔を知っているだけで直接話したことはなかった。周囲に高圧的に接している姿は度々目にしていたので印象は悪い。それでも、同期の仲間であるはずの研修生を殺そうとしたとは信じたくなかった。
悠貴たちは真美たち5人の容態について話し合った。憲一と佑佳は傷が治りきっていない。真美、眞衣、琥太郎は傷は良くなっているが体力の消耗が酷かった。治癒魔法を交代でかけていこうと順番を決めていく。食事や見張り、見回りのことも話した。
切りの良い所まで話し合ったところで悠貴はテラスを下りた。冬の陽射しが心地良い。深呼吸をして景色を眺める。白銀が冬の空の蒼さを際立たせる。
(どんな思いでここまで辿り着いたんだろう……)
思いながら悠貴は真美たちG3の5人がいる2階の部屋の窓を見た。少女が1人、窓辺に佇んでいた。その少女を見やる悠貴。向こうもこちらを見ているような気がして悠貴はきまりが悪くなって身体の向きを変えた。
(あの子は……、えーと、眞衣……だったな)
少女の名前を思い浮かべ、さっきまで見ていた窓に悠貴は目を戻したが、眞衣は窓辺から姿を消していた。
ゆかりが口を開く。
「と、とにかくっ、G3の人たちも一応は助かったんだし、皆で仲良く協力して頑張っていこう!」
ゆかりの言葉に他の4人も頷く。中へ戻ろうと揃って歩き出す。
宗玄が悠貴を呼び止めた。
「どうしたんですか、住職」
悠貴に問われた宗玄は一拍おいて答えた。
「悠貴君や。人は忘れることの出来る生き物じゃが、同時に、忘れることの出来ない生き物でもある……。あの子たちが負った心の方の傷は魔法では治せない……」
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陽が山の稜線に沈み始めている。西の空は鮮やかな茜色に染まっていた。陽の傾きが景色を包む白銀に黒い影を繰り出し、伸びた影が山小屋を囲む森に届く。
その様を見ていた悠貴。息を呑むような景色だったが、茜色の空は余りにも鮮やか過ぎてどこか怖かった。
山小屋へ戻ろうとした悠貴の周りの雪が舞う。斜面を駆け上ってきた風は湿気を含み、重く悠貴に吹きつけた。
凍える自身の身体を擦り、悠貴は山小屋へ向かって歩き出す。
テラスへ上がり、靴に付いた雪を払う。そうして山小屋の中へ入ろうとした悠貴は僅かに振り向いて空を見る。やはり怖いほど鮮やかな茜色の空が広がっていた。
「お帰りなさい、お疲れ様っ」
悠貴が小屋へ入ると夕飯の支度をしていたゆかりが声を掛けた。ゆかりの横では聖奈が手伝っている。
同じように、お疲れ、と悠貴に言った俊輔は暖炉に薪をくべていた。火の魔法が使えることもあって暖炉の管理はほぼ俊輔がしていた。夜の火の番こそ寝ずの見張りも兼ねて交代でやっていたが、日中は概ね俊輔がこうやって火の加減をしている。
暖炉の側のロッキングチェアーでは宗玄が仮眠をとっていた。重傷だった佑佳と憲一。その介抱を中心的に担っていたのが治癒魔法を得意としていたゆかりと宗玄だった。
宗玄と同じく疲労を溜めているはずのゆかりが夕食の用意もしてくれている。一旦は暖炉の側で薪に座り、冷えた身体を暖めていた悠貴だったがゆかりを手伝おうと立ち上がった。その時。
「……聖奈ちゃん」
悠貴は声のした方を見る。階段の真ん中辺り。降りてきたのはG3の眞衣だった。
自分に何の用かと困惑気味に自分を指差す聖奈。頷いた眞衣が聖奈に近づく。
「聖奈ちゃん、良かったら上で少し話さない? 私、中1なんだ。年だって近いのにまだ全然話してなくて……」
嬉しそうに頷きかけた聖奈だったが、思い止まって横に立つゆかりを見上げる。
ゆかりの横まで進んできた悠貴が聖奈に向かって笑顔を向けた。
「行ってきなよ、仲良くなるチャンスだろ? ゆかりさんの手伝いなら俺がやるからさ」
聖奈の顔がぱぁと晴れる。眞衣は聖奈に手を伸ばし、聖奈はその眞衣の手に引かれ、2階へ上がっていった。
「ふふっ、女の子同士、仲良くなれればいいわね」
夕飯の用意をしながら言ったゆかりに悠貴は頷く。しかし、途端に昼間、宗玄に言われたことを思いだし表情が曇る。
「なぁに、悠貴君……、聖奈ちゃんを取られて妬いてるの?」
意地悪そうな声でゆかりが悠貴をからかう。そのゆかりに悠貴が口を開こうとした、その時。
「キャーーーー!」
悲鳴の主が聖奈であることは声からすぐ分かった。悠貴は階段を駆け上がる。ドアが開けっ放しになっている寝室に駆け込む。
「ゆ、悠貴君……」
ドアの側にいた真美が震えた声で悠貴の名を口にしたが、悠貴は真美を一瞥すら出来なかった。
寝室の奥。部屋に入り込む西陽が部屋を照らす。窓の側、魔装した眞衣。掌を聖奈の首もとに翳しながら立っている。入り込む西陽を背にして立つ眞衣の表情は分からない。
「な……、何してるんだ!?」
言った悠貴が近づこうと一歩を踏み出した時。
「来ないで!」
悲鳴にも似た眞衣の声が寝室に響く。聖奈を捕らえる眞衣の横には憲一、佑佳が立つ。
憲一、佑佳も眞衣と同じく魔装をして悠貴と対峙している。
(何で……、どうして……)
状況が飲み込めない悠貴。不意に宗玄が発した「心の傷」という言葉が過った。
悠貴の横に立った真美が口を開く。
「ね、ねぇ、3人共もう止めて! 聖奈ちゃんだって怖がってるでしょ!?」
真美の言葉は届いているはずの3人。鬼気迫る表情で怯えきっている。
「どうした!?」
俊輔、ゆかり、宗玄も部屋に駆け込んできた。光景を目の当たりにした俊輔が叫ぶ。
「おぃ、てめえら、何やってんだ!?」
詰め寄ろうとする俊輔をゆかりと宗玄が押し止める。
「お前さんたち……、どうしたんじゃ? 聖奈を押さえている限り、ワシらからは何もできん……。落ち着いて訳を話してくれんかのぉ」
宗玄が低く、静かに3人に語りかけた。3人は警戒を解かない。魔装する眞衣の手は変わらず聖奈の首もとを捉えている。
「あ、あなたたちは……私たちをどうするつもりなの!?」
敵意を剥き出しにして、怯えながら眞衣が放った言葉で悠貴は理解した。この3人はG4に裏切られたことを引きずっているのだ。そして、また裏切られるのだろうと極限の不安に襲われているのだ。
「ふむ……。やはり、ワシらを信じられんようじゃな。確かにお前さんたちはそれぐらい酷い目に遭ったからのぉ」
眞衣の言葉を聞き、そう口にした宗玄。
佑佳が呟くように「酷い……ね」と口にした。そして堰を切ったように、
「そうよ……、酷い! 酷過ぎる! 何で私たち、こんな目に遭わなきゃいけないのよ! ねぇ……何で……」
佑佳の言葉の最後の方には嗚咽が混ざる。
「佑佳……」
悠貴の横にいた真美は3人に向かって一歩踏み出す。
「いや、真美……、来ないで!」
真美が近づくのを見留めた佑佳はそう叫んで魔装の力を強める。
「いい加減にしろよ! 恩を仇で返すような真似しやがって!」
ゆかりを振りほどいた俊輔。
「う、うわぁぁー!」
叫んだ憲一が無防備に立ち尽くしていた真美に火の魔法を放つ。
「いかん!」
宗玄が咄嗟に魔力の盾を作り、真美の前に立つ。憲一が放った火球は宗玄の盾にぶつかると甲高い音を立てて霧散した。
「け、憲ちゃん……」
弟のような存在だった。少し生意気な所はあるが根は優しい中学生。憲一のことをそう思っていた真美は愕然とした。憲一は明らかに自分に向けて牙を向いた。
「……ま、真美は何でそいつらの味方するんだよ!? そいつらだって、どうせ最後には新本たちみたく俺たちを裏切るんだろう!」
憲一の叫び。
真美は何も言えなかった。実際、自分たちはG4に裏切られた。殺されかけた。G1の5人はそうじゃない。そう叫びたかったが証がない。怯え、震えている3人に信じる心を取り戻させられるだけの証が。
真美は力なく立ち尽くすしかなかった。
(くそ……、どうする……。何とかしたいが聖奈が……)
動けない悠貴。考えあぐねる。
その場の誰もが動けなかった。しかし。
「ぐ……が、はぁはぁ……」
苦しそうな声を上げて憲一が膝をつく。それに合わせるように佑佳も力なく倒れた。
「2人とも! もう無理しちゃダメ! まだ傷は塞がってないし、体力だって魔力だって全然回復していないんだよ! 早く横にならなきゃ……」
そう言ってゆかりが駆け寄ろうとした。
「来ないで!」
眞衣が叫ぶ。威嚇するようにゆかりの足元に風の魔法を放つ。肩で息をして、小刻みに震えている。
同じ風の魔法を使う悠貴には何となく分かった。眞衣は掌に風の魔法を這わせ、聖奈に向けているが本気で傷つける気持ちはなさそうだった。むしろ飛び掛かって混戦になったほうが聖奈を傷つけてしまうかもしれない。眞衣自身も……。
そこまで思った悠貴はふと体の力を抜き、心を落ち着かせる。そして、何事もないように自然な足取りで眞衣の方へ向かってゆっくりと歩きだす。
「こ、来ないでって言ってるでしょ!」
ゆかりにそうしたように眞衣は悠貴の足元へ威嚇の魔法を放つ。しかし、悠貴の歩みは止まらない。
「大丈夫……、眞衣。俺は、お前に何もしない」
悠貴は静かにそう言って、一歩一歩と進む。
「だめ……、来ないで……、お願いだから来ないで!」
叫んで魔法を放つ眞衣の手元が狂う。掠めるつもりだった風の矢は悠貴の腕をとらえた。一筋の傷をつける。血が滴る。
当てるつもりはなかったのに当ててしまった……。震えが大きくなる眞衣。
「大丈夫だ、眞衣。何も心配するな。俺は……、お前とは戦わない」
悠貴が近づくのに合わせ、眞衣が聖奈を捕らえたまま下がる。しかし、下がるうちに窓辺に達して眞衣の足が止まる。
「大丈夫だよ、眞衣。俺は、俺たちは眞衣や真美、他の皆を仲間だと思ってる。皆で生き延びて、皆で戻りたいと思っている。それには眞衣の協力が必要なんだ……。力を、貸してくれないか?」
悠貴の顔。血が滴る腕。涙を流しながらそれらを見比べる眞衣。
怯えた表情で悠貴を睨みつける眞衣。
しかし、どこまでも穏やかな悠貴の眼差しに次第に心が溶けていく。
そして、ふっと力を抜き、魔装を解く。
「ご、ごめんなさい……。わ、わたし……とんでもないことを……」
顔を覆う眞衣。捕縛が解かれた聖奈は駆け出して悠貴に抱きつく。悠貴のローブにしがみつきながら声を殺して聖奈は泣く。聖奈の頭を撫でながら、頑張ったな、と悠貴は言った。
「あ、あの、悠貴さん……、その腕……、わたし……」
眞衣に言われて悠貴は自分の腕の傷を見る。浅くはない。防御せずに近距離で食らった。これくらいで済んだのはむしろ幸運だったかもしれない。
「これくらい平気だよ、気にすんなっ。まあでもしばらくは眞衣の治癒魔法で癒してもらわなきゃだな」
悠貴はそう言って眞衣に笑いかける。窓から入る西陽で逆光になる。日差しが目に入り眞衣の表情が上手く捉えられない。それでも眞衣が泣きながら笑ってくれているのは分かった。
(良かった……)
そう、悠貴が思った、その直後。
眞衣の背後の窓。黄昏色に染まる窓。
突如、黒い影が現れた。
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