第83話 目覚めたらそこは……
「……ーき君、悠貴君……」
どこか、遠くから聞こえてくるような誰かの声。その声が自身の名を呼ぶものなのだと分かってくると同時に悠貴の中で疑問がもたげてくる。
なぜこんなにも寒いのか。ベッドの上で寝ていたはずなのに、背中や後頭部から感じるこの固さは何なのだろう……。
自分を呼ぶ声の主がゆかりだと気づいた辺りで目蓋をゆっくりと開ける悠貴。
(あれ……、なんで、ゆかりさんが俺の部屋に……)
ゆっくりと上半身を起こす悠貴をゆかりが支える。
「悠貴君、大丈夫?」
心配そうに尋ねるゆかりに答えようとした悠貴だが、頭がやたらと重い。立ち上がろうとする悠貴をゆかりが制する。
「ダメ! まだ横になっていないと……」
と、ゆかりが悠貴の肩を掴み、そのまま横にならせる。悠貴は目を閉じる。横になっているのにフラフラするような感じがした。手足を動かそうと思うのにその意思が伝わるまで時差があるような気がして気持ちが悪かった。
深く呼吸をして、体の力を抜く。暫くそのままの姿勢でいた悠貴だが、不思議と体の芯が温かくなってきたような気がして目を開ける。目に入ってきたのはゆかりが自分に治癒魔法をかけてくれている姿だった。
体に纏わりついていた重さと心地の悪さはすっかり消えていた。体を起こす悠貴。
「ゆかりさん……、ありがとう……。ここは?」
と、辺りを見回す悠貴。薄暗くてよく変わらないが、およそ自分の部屋だとは思えなかったし、研修施設でもなさそうだった。
「分からないの……。私も分からないの……」
そう言って肩を落とすゆかり。
悠貴は暗さに目が慣れ、そして、頭が覚醒するに従って周囲が武骨な岩肌と籠った空気に包まれていることに気が付いた。
「洞窟?」
そう言って立ち上がる悠貴を今度はゆかりは止めなかった。
「そうなの……。私も起きたらここにいて……。着替えさせられて……、冬用のローブも。あ、住職さんと聖奈ちゃん、俊輔君も一緒よ」
同じグループの面々の名前を聞いた悠貴は僅かにだが安堵する。どうやらG1の5人揃ってここに連れてこられたらしい。
「他の皆は?」
「外に出ているよ。まずはここがどこなのか調べなきゃって……」
ゆかりがそう言い終わった辺りで、悠貴は周囲の薄暗さが揺れ動いているのに気づいた。少し離れた所に蝋燭に灯る火があった。
「あの蝋燭は?」
「私たちが倒れていた所の側にリュックが置かれててね……、そのリュックの中に」
ゆかりが指差した先にリュックが見えた。なんの変哲もないリュック。悠貴は近寄り、その中を改める。
中には他に数本の蝋燭と僅かばかりの食料が入っていた。切り詰めたとしても5人で分ければ何日ももたないだろう。悠貴はリュックを置き、手近な岩に腰かけた。
(一体、これはどういうことなんだろう……)
どう考えても異常だった。
自分の部屋のドアには鍵をかけていたし、それは他の4人だってそうだろう。疲れていて眠りが深かったのかもしれないが、それにしてもこんな所まで運ばれてくれば途中で目を覚ますはずだ。何より……、施設から外へどうやって連れ出したのか。施設は高い塀に囲まれ、厳重に警備が……。
そう考え込んでいた悠貴の耳に人声が届いた。悠貴は声がした方を目を凝らしてじっと見る。洞窟の先の方が僅かにだが明るくなっていた。直ぐに俊輔たちの姿が見えてきた。
「おー。悠貴、目を覚ましたか。ゆかりさん、ごめんな、悠貴の面倒見るの任せちゃって」
全然、と横に首を振るゆかりに笑顔を返した俊輔は悠貴の側に座った。
「どうだった?」
と、誰にともなく聞いたゆかりに宗玄が答える。
「だめじゃ……。外は吹雪いていて見通しが悪い。洞窟の入り口が見えるギリギリの辺りまでは調べたんだが……」
俊輔、宗玄、聖奈は洞窟の外へ出て周辺を調べた。洞窟がギリギリ見える所まで3人で進み、そこに聖奈を残し、聖奈が見える所まで2人で進み、そこに宗玄が残り、宗玄がギリギリ見える所まで俊輔が進んだ。そうやって四方を探索してみたが雪原と山ばかりだった。
宗玄も力なく岩場に腰かける。その横で聖奈がローブについた雪を落としている。
悠貴はまだ頭の整理が出来ていない。
昨夜。普通にG1の5人で夕食の卓を囲み、皆と分かれた後、リーダーたちとの集まりに出た。真美を部屋に送って自分の部屋へ戻った。
そう言えば、と悠貴は思い出す。夕飯を食べた後から急に眠くなってきた。最初は疲れているだけかとも思ったが、考えてみれば……。部屋へ戻る途中のふらつく聖奈。俊輔だって眠気と戦っていたように見えた。ミーティングで居眠りをしていた真美。普段だったらあり得ない。自分にしても真美の部屋から自分の部屋へ戻る時には体に力が入らなくなっていた。
「どうやら……、一服盛られたようじゃな」
まさしくその可能性を考えていた悠貴は宗玄がそう口を開いたのに合わせて顔を上げた。
「いっぷくって?」
聖奈が首をかしげて誰にともなく尋ね、ゆかりが夕食に睡眠薬が混ぜられた可能性があることをを聖奈にも分かるように話して聞かせた。
「訳が分かんねぇよ。ただの悪戯って……そんなことはねぇだろうし」
怒気をはらんだ俊輔の声が洞窟に木霊する。
悠貴は改めて考える。やはり、外部の人間によるものだとは到底思えない。内務省と特務高等警察が直轄するあの施設に忍び込んで、自分たち5人の研修生を拉致してこの洞窟まで運び……。明らかに無理だ。とすれば……。
「施設の誰かが……」
あまり考えたくはない可能性を悠貴は口にした。俊輔は大きくため息をついて悠貴に続く。
「誰か……、か。確かにその可能性はあるかもだけどよ。睡眠薬を飯に入れるだけならともかく、大人4人と子供1人をこんなとこまで運ぶなんて、1人2人でやってのけられる芸当じゃねぇだろうよ……」
俊輔の言葉に静まり返る4人。
悠貴たちのいる場所から洞窟の入り口まではある程度の距離があった。しかしそれでも時折静かに吹き入ってくる風が蝋燭の火を揺らす。外から吹き荒ぶ低い風音が鈍く伝わってくる。
「じゃあ……施設ぐるみでって、そういうこと……?」
ゆかりが圧し殺した様な声で小さくそう言った。
自身の中で浮かんできて直ぐに否定していたはずのその可能性をゆかりに言明され、悠貴は引き裂かれるような思いがした。仮にゆかりの言う通りだとすればなつみや侑太郎も関わっているということになる。
悠貴の脳裏に手塚が浮かぶ。しかし、浮かんだと同時に思い出す。何日か前。夕食の席上のことだった。所要で研修の責任者である手塚が一時的に施設を離れると発表された。
手塚の代わりを責任者を務めることになったと大塚という男が紹介された。大塚は魔法士ではないらしく、特高の高官だということだったが、聞いたのはそれだけだった。
「ふむ……。だとすれば研修の一環ということも考えられるが。睡眠薬を盛り、部屋に押し入る辺り、ただの研修と言うにはちと度が過ぎておるのぉ」
宗玄の言う通り、確かにここまでにも雪山を使っての研修は何度かあった。しかし、事前に詳細は知らされてはいたし、何よりグループの担当教官であるなつみが付き添っていた。
様々な可能性が錯綜する中、5人を重苦しい沈黙が包む。
悠貴は4人を見渡す。どの顔にも困惑が見てとれた。それを見て暗澹たる気分になってくる。状況が分からず、調べることも出来ず、手懸かりすらない。暗闇を薄く切り取って、そこに無理やりはめ込まれたような自分たち5人は余りにも場違いではないかと悠貴は深く息を吐いた。
沈黙を破って俊輔が口を開く。
「おいおい、なんだよ、皆! 黙ってても始まらねぇぞ。仮に研修だとしたらなんとかクリアしなきゃならねぇし、もし誰かの悪巧みだとしたらそいつに一発入れてやらなきゃ気が済まねぇ……」
俊輔の言葉に他の4人が顔を上げる。
ふと、悠貴は羽織っている研修生用のローブのポケットが膨らんでいることに気が付いた。ポケットの中に手を入れる。莉々から貰った手袋だった。この間の雪山での研修の時に使って入れておいたままにしていた。悠貴は手袋をぎゅっと握った。
「俊輔の言う通りだ。何もしなかったら状況は変わらない。研修だとすれば助けが来るかもしれないけど、その保証はない。研修じゃないとすれば自分たちだけで何とかしなきゃいけない」
と悠貴が続く。
(なつみやゆたろーがどうとか……、それは今考えることじゃない。今考えなくちゃいけないのは、この状況からどう抜け出すかだ)
悠貴はそう思い、俊輔を見る。頷く俊輔。
「そ、そうですね! 諦めたらそこで終わりですもんねっ」
と、立ち上がる聖奈。
力を得たゆかりも、
「よ、よーし。やってやろうじゃない……。5人で力を合わせればどうにかなるわよっ」
と続き、その光景に宗玄が目を細める。
俊輔が掌に浮かべた炎で暖を取りながら、まずは現状を把握しなければと話し合う。
「助けはない。自分たちだけで何とかしなきゃしなきゃいけないって前提で動くべきだ。だとしたら、いつまでもここには居られない……。この寒さだ。俊輔の魔力だって限りがある」
そう言った悠貴に頷いた宗玄が続く。
「そうじゃな。移れる場所があるならそうすべきじゃ。しかし……、さっきワシたちが見てきた限りでは近くに建物はない。この天候で闇雲に外を動くのはむしろ危険じゃ」
「だよなぁ……。あ、ならよ、いっそのこと魔装して、一気に駆け抜けるってのはどうだ!? 魔装状態なら寒くねぇし、スピードだって出せる。山を抜けて施設に着けるかもよ」
と力説する俊輔。
あまりにもリスクが高い。施設の方向へ向かって進める確証はないし、離れていく可能性の方が高い。それは最後の手段にしておきたい。悠貴はそう思いながらゆかりと聖奈を見た。
2人は自分たちが洞窟に捨て置かれたときに残されていたリュックを調べていた。聖奈が持ち上げ中身を取り出し、ゆかりが並べていく。蝋燭と食料。食料と言っても栄養食のクッキーの小箱が4つ。
他に何かリュックに入ってないか、とつぶさに調べるが何も見つからない。
「やっぱり、これ以外には何もないです……。どうせならリュックいっぱいに食べ物入れておいて欲しかったですねー」
と、肩を落とす聖奈。そして、
「何でちょびっとだけしか入れてくれなかったんですかね……」
と、ため息をついた。
だよな、と悠貴も脱力した直後、唐突に違和感を覚えた。
(そもそも、なんでリュックを残したんだ……。やっぱり研修にしては不自然過ぎる……。研修じゃないとすれば、俺たちを狙って……。何のために……。何で外に連れ出したんだ、殺したって証拠を残さない為か……。いや、だとしたらわざわざ蝋燭と食料を与えたりなんかしない)
悠貴は結論に至る。
──俺たちは、試されている……。
誰かは分からないが、これは自分たちが生き残れるかどうか試している。そんな気がする。だとしたら……。
(何かしらヒントがあるはずだ)
悠貴はリュックを調べる。底が二重になっていないか、中の見えない所にファスナーがついていて隠されたポケットはないか。
しかし、やはり特に不信な点はない。
悠貴は聖奈がリュックから取り出し、ゆかりが整理した食料と蝋燭に近づく。箱から出されたクッキーの袋。箱も袋も良く見てみたが、やはり変わった所はない。
「一応ね、1日分ってこれくらいかなって小分けにしてみたよー、適当だけど」
と、ゆかりは悠貴に言う。ゆかりが言った通りクッキーの袋と蝋燭がセットにしてまとめられていた。
「2日……、もって3日か……」
と悠貴はため息をついた。
「あれ……」
思わず声を出した悠貴。
並べられたクッキーの袋と蝋燭。
(なんだろう……。何か……気になる……)
悠貴は徐に蝋燭だけを持ち上げ、改めて蝋燭だけを並べてみた。並べられた蝋燭のうち左から2本目の蝋燭を持ち上げた。
「羽田君、どうしたんじゃ?」
持ち上げた蝋燭と並べた蝋燭を見比べる悠貴に宗玄が尋ねる。
気のせいかも、と前置きをして、
「この蝋燭……、他のより、少しだけ、太いんじゃないかって……」
と、悠貴は呟くように言った。どれ、と応じて蝋燭を見比べる宗玄。
「そう言われれば、そんな様な気もするかのぅ……」
他の3人も蝋燭をまじまじと見比べる。
「ホントだ! これ少しだけど太い!」
聖奈が声を上げ、横のゆかりも頷く。
「お前……、よくこんなの気づいたな」
そう感心する俊輔。
悠貴はその僅かに太い蝋燭を更によく調べる。慎重に指で表面をなぞっていく。微かにだが縦に線がはしっているように感じられた。
5人は顔を見合わせる。貴重な蝋燭だ、無駄にすることがあってはならない、しかし……。
それぞれが視線を交わし、誰からともなく頷き合う。
意を決した悠貴は手近にあった小石でその蝋燭の縦に走る線に慎重に小さく小さく亀裂を入れていった。そこに、親指の爪の先端を入れて外側へ向かって力を入れる。
力の加減が難しい。震える悠貴の指先。
パキッと静かな、そして乾いた音がして、蝋燭は綺麗に縦に真っ二つに割れた。割れた中から紙のような物が出てきた。
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