第75話 天才少女
「じゃあ悠貴さん、またですっ」
そう言って侑太郎は段ボールを抱え直し、足早に去っていった。
残された悠貴も朝食へ向かう。
昨日は夜に到着したこともあって意識しなかったが、今朝になって施設全体が陽光を上手く取り入れることができる作りになっていることに悠貴は気がついた。採光用の窓が至るところに見られた。
朝の陽光が差し込む階段を上り、ロビーを通り抜けて食堂に入る。昨日と同じ卓の、同じ椅子に座る。室内にはまだ悠貴以外にはまだ数人の姿しか見えない。悠貴は室内をぼんやりと眺めながら物思いに耽る。
研修は始まった。遅れている1人を除いて同じグループの同期との顔合わせも済み、今日は2日目。まだ魔法士らしいことはしていない。夕食をとって、ホテルのような一室で寝た、ただそれだけ。
それでも俊輔と再会し、宗玄、聖奈と知り合った。今朝には好雄の同期だったという侑太郎とも出会った。今はまだ天候のせいで遅れている自分たちのグループの残り1人の同期や、担当教官役の魔法士とも午前中には会うことになるだろう。
年齢、職業、出身地……何もかもバラバラ。そんな凡そ40人の人間の共通点。それが、魔法が使えること。
学校、バイト、サークル、地縁、血縁……通常考えられる人と人を結ぶ、どんな関係とも趣を異にする同期魔法士たちとの関係を悠貴は面白いと思った。
そうやって思索していた悠貴の目が、自身が座る卓へ近づいてくる少女の姿を見て取った。同じG1に配された青木聖奈。聖奈もまた悠貴を見留め、ぱたぱたと駆けてきた。
「おはよーございます、悠貴さんっ」
そう言いながら聖奈もまた、昨日自らが座ったのと同じ椅子に座る。研修初日だった昨日よりも聖奈の声色は明るい。
悠貴も朝の挨拶を返す。
「おはよ、聖奈。寝れた?」
「はいっ。緊張してましたし、布団も枕も変わって寝れるかなって心配してましたけど、やっぱ疲れてたんですね、気付いたら寝ちゃってました」
そう言ってはにかむ聖奈。座ったばかりの聖奈だったが急に立ち上がり、ウォーターサーバーの方へ駆け寄っていく。戻ってきた聖奈の両手には水の入ったグラス。どうぞ、と遠慮がちに悠貴に差し出した。受け取った悠貴が笑顔を向けると聖奈も笑顔で応じた。
聖奈は自分の椅子に戻り、グラスの水を口にする。大人用の椅子は聖奈には少し大きいようで、浅く座ってやっと足が着く、といったところだった。その様子を見てふっと笑う悠貴の脳裏にある言葉が思い浮かんだ。
──天声の姫。
目の前の少女は、そう呼ばれていると俊介が言っていた。類い希ない雷の魔法の使い手。そう伝え聞いたが、どうしてもその異名と目の前の少女が結び付かない。普段からバイト先の塾で聖奈くらいの子供たちとは接している。その生徒たちとパッと見では何も変わらない
(うーん、どこにでもいる普通の小学生だよなぁ……)
悠貴が聖奈を探るようにじっと見つめる。その視線に気付いた聖奈は、
「な、何ですか? 私、何か変ですかっ……? えと、どこだろう……、寝癖はちゃんと直したし……」
あたふたとする聖奈に悠貴は吹き出す。
「悪い悪い、そうじゃないんだ。聖奈ってさ、雷の魔法で有名らしいじゃん? なんか、見た目からは想像できなくてさ。特例で小学生なのにこの研修に参加してるぐらいだから凄いは凄いんだろうけど」
ああ、と聖奈は目を下に落とす。
「有名かどうかは知りませんけど……、実は私、登録の申請したのは去年だったんです。小学生はダメだって言われたんですけど……どうしてもってお願いして、そしたら、じゃあ魔法を使うところ見せてみろって……」
聖奈はこれまでの経緯を語った。
ーー
いつから魔法を使えるようになったのかは覚えていない。気づいたら雷を身に纏わせて遊んでいた。
『危ないから、お友達とか、他の人たちと一緒にいるときは使っちゃダメよ?』
そう母親には言われたが、自分が魔法を使えることを知る友達にはしょっちゅう、見せて見せて、とせがまれた。特に男子たちは、すげぇ、と興奮していた。
ある日、魔法を使える職業があることを聞いた。それが魔法士だった。法務局という所に行って魔法が使えることを見せる、そうすれば魔法士になれる、と。自分のこの力で人の役に立てるのだと知って嬉しかった。
勇んで行った法務局。こんな子供の自分1人で行った為か、窓口では全く相手にされなかった。しかし、暫く粘っていると奥から何人かの大人が出てきた。登録申請者が魔法を披露するという場所へ連れていかれ、魔法を放てと言われた。どうせだから全力でやれ、と言われた。周りの大人たちの自分をからかうような目。湧いてきた怒りに任せて魔法で雷を呼んだ。
そうして天から降り注いだ雷で法務局は半壊した。怒られると思い青ざめてビクビクしていたが、周りの大人たちの態度が180度変わった。
丁寧に車で自宅まで連れていって貰えた。父と母は凄く驚いていた。父と母は何度もその人たちに頭を下げていたが、その人たちはそれよりももっと低く頭を下げていた。
『ぜひ君みたい有能な人物には魔法士になってほしい。本来は中学生からしか登録出来ないが、それはこっちで何とかするから……』
それからというもの、何度も法務省や特高から自宅に人が訪れ、そう言ってくれた。確かに魔法士になりたいと法務局に駆け込んだ自分だったが、話が大きくなり怖くなってしまった。泣いてしまうことも度々だった。
そんな自分を見て、父も母も魔法士の話を丁寧に断ってくれていた。しかし、父と母は、家に来る人たちと話し、中身は知らないが、彼らが取り出した紙を見るたびに表情が変わっていった。
『いいんじゃないか、聖奈。この人たちもせっかくこう言ってくれているんだし……』
父は早い段階で自分をそう説得するようになった。将来のことや生き方のこと……、お前の為だぞ、と語ってくれたが自分にはよく分からなかった。
危ないことはさせたくない、学校だってあるんだし、小学生のうちは勉強を……、そう言っていた、言ってくれていた母。
気付けば、
『お母さん、聖奈が魔法士になって活躍してくれたら嬉しいわ』
と、口にするようになっていた。
そうやって父と母が自分のことばかり気にするのが癇に触ったのだろう、それまではあんなにも仲の良かった姉は口をきいてくれなくなっていった。
姉は1人で部屋に籠ることが多くなり、一緒に遊ぶことはなくなった。その寂しさから母の傍らにいることが多くなった。その母から日ごと囁かれる魔法士のこと。
『あのね、お母さん、聖奈、魔法士になるよ』
学年が上がった、ある日。そう母に伝えた。その時の母の喜び様は忘れられない。帰宅した父にもそう伝えると、偉い、と大声で褒めて抱き締めてくれた。
その週末、父と母はお祝いだと行ってホテルのディナーに連れていってくれた。姉は具合が悪いと言って部屋から出てこなかった。
慌ただしく準備は進んでいった。
そして、出立の朝。
駅には父と母、遠くの都市圏に住む祖父母までわざわざ来てくれた。他にも、学校の先生と友人、普段あまり話すことのない近所の人たちまで……。
行ってきます、と笑顔を作って言うと、皆、両手をあげて見送ってくれた。嬉しかった。嬉しかったけど、独り、電車で泣いた。
ーー
「あ、ご、ごめんなさい……。つまんないですよね、わたしなんかの、こんな話……」
聖奈は笑いながらそう言ってグラスを手にとって水を飲んだ。
悠貴もグラスに口をつけた。
たぶん、聖奈は無理をしている。親の期待に何とか応えようとし、自分の気持ちを吐露してしまうのが親に迷惑をかけてしまうのではないか……、それだけを考え、ここまで来た。
優しい言葉をかけてやりたいとも思った悠貴だったが、何と言えばいいのか分からなかった。不用意なことは言えない。
いずれちゃんと話を聞き、無理はするな、と伝えたい。しかし、それは今ではないような気がした。雰囲気を、聖奈の気分を変えてやれる何かがないか……。悠貴がそう思った時だった。
「ゆ、悠貴ー!」
俊輔の声だった。何事か、と悠貴は駆けてくる俊輔を見る。その後ろからは宗玄もついてきている。俊輔はG1の卓へ着くなり捲し立てた。
「悠貴! あのじーさん、何とかしてくれ! まだ暗いうちからデカい声で経を読み始めて全然寝てられねぇんだよ!」
俊輔が大声で発した苦情を聞き取って宗玄は軽やかな足取りで近づいてくる。
「隠居とはいえ僧籍を拝する身。毎朝の勤行は欠かせませんでなぁ」
宗玄の部屋は角部屋で、その横の部屋が俊輔の部屋だった。まだ日の上らない頃、俊輔は隣の部屋から低く響いてくる声に反応して飛び起きた。
「……、で、布団被って寝て我慢しようと思ってたんだけど、いつまでも止まないから文句を言いに行ったんだけど、じーさん取り合ってくれなくてよぉ……」
聖奈はそのやり取りを見聞きしてくすりと笑った。その聖奈の様子を見た悠貴はほっとした。
そうやって捲し立てる俊輔を宥めるうちに朝食が並べられていった。朝もビュッフェ形式だった。気付けば他の研修生たちも揃っていた。
朝食をとる研修生たちに施設の職員が、もうすぐ、雪で到着が遅れていた他の教官や研修生も到着する予定であることを伝えた。更に、午前中、実技演習を行う、と読み上げた。その職員の言葉に何人かの研修生が、おぉ、と声を上げた。
演習場へ移動し、待機。そこに延着組が合流し、それぞれのグループの担当教官指導のもと初回の実技演習を行うように、とのことだった。
朝食を済ませ、用意を終えた悠貴たち研修生は演習場へ向かう。
研修生たちの目に映る、白銀世界。
道は雪寄せがされていたが演習場は雪に覆われていた。研修生たちは広い演習場に散らばる、それぞれのグループの数字が書かれた旗の下に分かれていった。そして、遅れている教官と研修生たちを待つ。
「うぅー、さみぃー……」
俊輔が体を両手で抱き抱え、歯を鳴らしながらそう漏らした。白い息の濃さが寒さを滲ませる。
演習用の厚手のブーツを履いて、冬用のローブを纏っているが、悠貴は足元から感覚が無くなっていくように感じた。
老体と小学生はこの寒さに耐えられるだろうか、と悠貴は2人を見やる。意外にも聖奈は雪が珍しいのか、手に掬って宙に散らせたり、雪を固めて投げたりしている。その傍らで宗玄も聖奈の雪遊びに付き合っている。
「あ、あいつら、寒くないのかよ……」
俊輔は、信じられないものを見るような目でそう言った。悠貴は雪と戯れる2人のもとへ向かおうと一歩踏み出したところで歩みを止めた。
まだ遠いが、延着組らしき一団が見えた。集団の先頭を歩いていた職員が研修生にそれぞれのグループへ向かうよう指示を出している。
1人、悠貴たちG1の旗がある方へ向かって来る。徐々に近づいてきて姿がはっきりと分かるようになってきた。聖奈がもう1人は25歳の女性だと言っていた。普段接しない年代だけに、どう接しようかと仄かに緊張する悠貴の少し手前。その女性は盛大に転んで雪にまみれた。
「い、いったーい! て、てか冷たいぃぃ!」
悠貴の仄かな緊張が消え去る。悠貴は乾いた声で、大丈夫ですか、と手を差し出し、女性を立ち上がらせる。
「うぅ、ご、ごめんね……」
立ち上がった女性はローブに付いた雪を落としていく。俊輔、聖奈、宗玄も近づいてくる。
そして、
「は、原ゆかりです! よ、宜しくお願いしますっ」
ペコリとお辞儀をするゆかり。
悠貴は若干、呆気にとられていた。年上の女性。自分で勝手にしっかりとした、出来る女の人をイメージしていた。ゆかりは後ろにいた俊輔たちにも、宜しく宜しく、と挨拶をして回っている。
(ま、まあ、気を使わないでよさそうな人で良かった、か……)
と悠貴は気を取り直した。それぞれ軽く自己紹介を終えた5人。
そうだ、とゆかりは口を開く。
「私、ここに来るまで、私たちG1の担当教官の人と一緒だったんですよっ。でね、驚かないで聞いてくださいね、実はその教官……、高校生、しかも女の子なんですよ! 凄いですよねぇ、何でも炎の魔法の使い手で……、あ、噂をすれば、ですね! あの人ですよっ」
ゆかりが指差した、その先。
教官用のローブを羽織った小柄な少女が近づいてくる。
歩きながら少女はローブについているフードを脱いだ。長く綺麗な髪が風に靡く。
「へぇ……、高校生ねぇ。俺と同じぐらいか。悠貴からしたら年下か。な、悠貴?」
俊輔の呼び掛けに悠貴は答えない。答えられない。
悠貴の顔が固まる。
悠貴の目に入ってくる、自分たちの担当教官だという少女の顔。
いつも、バイト先の塾の自習室で掃除をする自分に声を掛けてくるときと同じ顔だった。少しだけ切れ長の、どこか挑戦的に見える瞳。
「なぁに、せんせー。まるで……塾の教え子が魔法士の研修の担当教官として現れたのを見たような顔して……」
笑って、煽るよう声でそう言って、新島なつみは悠貴の前に立った。
「お、お前……、何で……」
悠貴は声にならない声を絞り出してそう言った。
なつみは更に一歩、悠貴に近づき、さらっと言った。
「だから、いつも言ってるじゃんっ。なつ、天才だからって。あ、宿題はやってきてないから見逃してね」
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