第72話 魔法士新人研修施設
進行方向の左手に施設の隔壁をとらえたバスは徐々には減速していく。
雪は相変わらず降り続いているが、研修施設の塀の上には等間隔でライトが置かれていて、随分と辺りが見渡せるようになった。研修生同士の話し声も聞こえてきて、にわかに車内の空気が浮わついてくる。
しばらく続いていた高い塀が急に途切れた。それを合図にバスは左折する。その先を少し進むと入場門が見えてきた。バスはその手前の検問所と思われる場所で一度停車した。バスのドアが開く。乗っていた特高の女魔法士は外に出て、警備員と言葉を交わす。女は直ぐバスに戻ってきた。その直後、バーが上がり、バスは施設の中へ向かって動き出す。
悠貴は事前に、好雄から研修施設のことについてもつぶさに聞いていた。好雄や優依が参加した新人研修は夏期に行われたものだったので、季節感的な差異こそあったが、ここまでの道中も駅前の様子以外は聞いていた通りだった。曲がりくねった道の先に確かに研修施設があった。
悠貴なりに想像を膨らませてはいたが、広さは思っていた以上だった。門を越えて悠貴の目に入ってきたのは、どこまでも広がる広大な敷地だった。その窓から見える景色の奥に、ライトに照らされて浮かび上がる白い建物があった。
その建物の向こうにも敷地が更に広がっているとしたら全体では一体どれ程の広さになるのだろうか。そう思った悠貴と同じような感嘆を抱いた研修生の口々から、おぉ、と声が漏れた。
小高くなった丘の上の白い建物を目指し、バスは緩やかな曲線をえがく道を進む。辺り一面は雪に覆われていたが、道の雪寄せはしっかりとされていた。道脇に掻き寄せられた雪が低い土塁のように続いている。
窓の外をじっと見つめる悠貴。近づくにつれ、白い建物の輪郭がはっきりとしてくる。大学の研究施設のような外観だった。綺麗で精緻としているが、あまりにも整然としていて、どこか威圧的な感じがした。
バスは更に近づき、見えていた建物が実は幾つかの建物の集合であったことが分かった。バスはその建造物群の中を進み、一番高い建物のエントランスに辿り着く。
ガラス張りのエントランス。バスの中からでも中の豪奢な様子が窺える。横の俊輔も同じくエントランスの中の様子を垣間見たようで、ヒューッ、と口笛を鳴らした。
「へっ、スゲエな。研修施設ってよりはホテルみたいなとこだなっ。まあ、上の下ってとこか」
俊輔はそう言って荷物をまとめ始める。
(これで……上の下、か。駅のカフェに入る時もそうだったけど、やっぱこいつ、育ち良いんだな……。見た目だけならただのヤンキーなんだけど、一応、内務官僚の息子だしな……)
悠貴はエントランスの中と俊輔を見比べ、そして、思い出したように荷物をまとめ始めた。
「では、全員降車の用意を! そのままエントランスの中へ入ってください。別に職員がいますので、その指示に従ってください!」
心なしか、ここまでよりも覇気を感じさせる声で、特高の女魔法士は研修生たちに指示を出した。それに呼応して慌てて準備を始める研修生たち。車内が慌ただしくなった。ドアが開き、前の席の研修生たちから降り始める。
その様子を最後尾から窺う悠貴。改めておおよその人数を数えてみたが、やはり二十を少し超えるぐらいだった。
前の進みに従って悠貴と俊輔もそろそろか、と立ち上がる。リュックを背負い、ラケットバッグを持ち上げる悠貴。忘れ物がないかを確認して俊輔に続く。
施設の明かりで薄暗く照らされる車内。悠貴がドアに近づくにつれて寒さが増す。バスから降りると寒さが身に染み、感覚は、寒い、というよりも、痛い、に近かった。
「うぉ、なんだよ……、この寒さ!」
夕方に入り、更にバスでだいぶ山を上ってきた。気温は下がるだろうとは思っていたがここまでとは……。体を擦って凍える悠貴を俊輔が笑った。
「んだよー、悠貴、軟弱だな! これぐらいの寒さでガタガタ言うなって。ほら、行こうぜ……うぉっ!」
悠貴を促してエントランスへ向かおうとした俊輔は地面に積もった雪に足をとられ、盛大に転んだ。
「いってぇー!」
尻餅をついた俊輔。手を伸ばして俊輔を立ち上がらせようとする悠貴も思うように動けなかった。
「ほれ、大事ないかの」
そう言って俊輔に手を差し出した人物。悠貴が何度か目にした、厚手の袈裟のようなものを羽織った老人だった。出で立ちが出で立ちだけに印象に残っていた。
差し出された手を遠慮がちに掴み、俊輔は立ち上がる。
「ありがとな、じーさん」
そう感謝の言葉を口にした俊輔に、ほっほっほ、と笑い、老人は続ける。
「気を付けなされ。この辺りは人の往き来が多いみたいじゃから、雪が踏み固められておる……。歩幅を小さくすることですな」
そう言って老人はひょこひょことエントランスの中へ向かっていった。
「なんだよ、あのじーさん。やたらと軽快だな……。って、悠貴、俺たちも中に急がねぇと!」
俊輔は転んだ拍子に体に付いた雪に頓着することなく先を急ぐ。エントランスの手前で再び転ぶ。その姿を見た中学生くらいの女の子二人がクスクスと笑っていた。
悠貴もエントランスへ向かう。老人の言った通り歩幅を小さくして歩く。ペンギンみたいだな、と滑稽にも思ったが確かに歩きやすかった。
エントランスの中へ入る悠貴。
至るところに装飾が施され、研修生たちはその光景にキョロキョロと物珍しげな視線を向けている。
暗いところにずっといたせいか、目が慣れない悠貴は目を細める。追い付いてきた俊輔が悠貴の横に並ぶ。腕を押さえている。転んだときに打ったようだ。
悠貴と俊輔を含む研修生の一団は全員既に建物の中へ入り、広いエントランスのほぼ中央で寄り添って固まっている。知遇を得た者同士で囁くように言葉を交わす研修生もいたが、大半の研修生は緊張した面持ちで様子を窺っている。
そこに、バスに同乗していた特高の女と男とは別の人物が近寄ってきた。ローブは羽織っているが特高の制服は着ていない。研修生たちに向かって口を開く。
「皆さん、お疲れ様でした。中には遠方からいらっしゃった方もいることでしょう。新人研修の運営スタッフを代表して皆さんを歓迎致します」
そう言って歓迎の意を表する男。自分と同じくらいか、と思った悠貴は研修の資料の中身を思い出す。新人研修には先輩の魔法士がスタッフとして運営に加わっている、と。
魔法士に関しては見た目とキャリアは必ずしも一致しない。むしろ、一致しないことのほうが多い。中学生で覚醒して高校生になっていればキャリアは4、5年にもなることがあるだろうし、いくら年配に見えても、覚醒したてなら1年目の初心者。
実際、悠貴の目の前に立つ、先程の袈裟を羽織った老人だって同期の新人だ。一団の前で話すこのスタッフも仮に自分と同じ位の歳だとしてもそれでキャリアは量れない。
前に立つ男は研修生たちを見回しながら続ける。
「本来であれば、このあと2階の食堂で夕食を兼ねて皆さんのグループ分けとそれぞれのグループの担当教官の発表、そして諸連絡を行う予定でしたが、この雪でまだこちらに到着していない教官と研修生がいます」
施設側としても相当予定が狂ったのだろう。悠貴たち研修生の前に立つ若い男は手元の端末を確認しながら落ち着いて話しているが、その後ろを職員が足早に往き来している。
「そのような状況なので大幅に予定を変更します。遅れている方々は天候が回復すれば、明日の午前中には到着する予定です。皆さんの方には一旦それぞれの個室に荷物を置いてきて頂き、今から30分後を目安に2階の食堂にお越しください。続きはその場でお伝えします」
そこまで男が伝えると、側に控えていた数人が研修生それぞれに、氏名を確認し、個室の番号を伝え、鍵を渡していく。
悠貴もそのようにして鍵を渡された。
悠貴に鍵を手渡したスタッフ。先ほどまで前に立って話していた男よりも若い、というよりも幼さを見てとれた。悠貴は鍵を受け取りながら、相手を自分よりも年下……、高校生か下手をすれば中学生か、と思いを巡らせていた。
悠貴に鍵を渡し終えたそのスタッフは端末や資料を抱え、次の研修生の応対に向かおうと一歩踏み出した所で思い出したように立ち止まり、手元の資料に目を落とす。
何かに気づいたようで、もう一度悠貴を見る。人懐っこい笑顔を浮かべて軽く頭を下げて離れていった。
その様子が気になった悠貴だが、早く荷物を下ろしたい気持ちが勝る。宛がわれた個室へ向かう。エントランスを進み階段を上っていく。
手元のマニュアルに書かれている施設の構内図も見つつ、階段を上り、3階へ着く。廊下を進みながら、それぞれの部屋のドアに書かれた数字を追っていく。自らの番号の部屋を見つける。鍵を差し込み、室内へ入る。
薄暗い室内。入って少し行った左側に書卓が備え付けられている。悠貴はその側まで行くと書卓の椅子を引いてリュックを下ろし、ラケットバッグをその椅子に立て掛けた。
身軽になって一息ついた悠貴は改めて部屋を見渡す。広くはないが一人で生活していく分には困らない位だと思った。
書卓の奥に小さなクローゼットが備え付けられていて、研修生に支給される冬用のローブが掛かっていた。そのクローゼットから部屋の奥へ向かって少し歩いたところにカーテンが掛かっている窓があった。
カーテンの隙間から淡い明かりが漏れ入ってきていて、それが室内の暗さを薄めていた。もう外は日が落ちて完全に暗くなっていたが……、と思い悠貴はカーテンを開けて外を見る。
奥行きがある、冬を重ねた景色が広がっていた。その最奥には小さく、施設を囲う高い塀が見て取れた。好雄の話ではその手前には森が広がっているはずだったが、流石にここからでは距離があるし、この暗さではよく分からなかった。
その手前には演習場が広がっている。その演習場へ向かう道がこっちの施設から伸びているのが分かる。演習場にも、その道にも大きめの外灯が立ち並んでいる。
その外灯から放たれる明かりは、一面の雪に反射し、更に辺りを淡い光で包む。雪自体が発光しているようにも見えた。
風は収まったようだが、雪は今もまだしんしんと降り続いている。大きめの雪の粒は、まだこれからも雪が降り積もっていくことを予感させたが、その雪も外灯の明かりを受けて反射している。
目の前に広がる白銀の世界の美しさに目を奪われていた悠貴だが、次第に室内の寒さが感じられてきて体を擦る。部屋の大きさに比べて窓は幾らか大きく感じられた。実際、外の寒気をこうやって室内へ伝えている。
寒いとは思うが、目の前に広がる光景が、いよいよ新人研修が始まるのだという高揚感を呼び起こす。窓を僅かに開けると外の空気が入ってきた。冷たい、という表面的な心地は直ぐに消え去り、凛とした清々しさが残る。冬をふんだんに含んだ空気で肺を満たし、悠貴はゆっくりと息を吐く。
──いよいよだ。
悠貴はもう一度大きく深呼吸をした。
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