第2話 魔法Ⅰ
一般的な学習塾であればありふれた光景。
子供の迎えに来たある保護者。自分の子供はどこだろうと辺りを見回すが見当たらない。まだ授業が終わってないようだ。
子供を待つついでに、と塾の中の様子を窺う。
ほとんど自分が過去に塾に通っていた頃の光景とは変わらない。入り口から見渡せる自習室では生徒たちがそれぞれのブースの中で懸命に勉強している。
促されて近くの椅子に座る。受付のスペースでは生徒が先生と談笑している。生徒との距離が近いことが評判で、それもあって子供を通わせることにしたが、どうやら評判通りらしい。本当に仲が良さそうだ。
自習室と教室は大きなガラスで仕切られていて見通しが良い。ガラスは仕切ると同時に掲示板の役割も果たしている。
「自習室使用時の注意事項」「模試の受け方と日程」と、これもまた塾では日常的である事柄が映し出されては消えていき、そしてまた繰り返し表示される。
そうして、子供を待つ父の目に入る言葉……。
『自習室では友達、妖精・精霊等との私語は禁止』
『模試の受験中は電子機器の持ち込みは禁止。同様に魔法の使用、妖精・精霊を呼び出すこと及び意識内で会話することは禁止』
父親はひとつ大きく息を吐いた。こればかりはまだ慣れない。夢見心地で自分の中で未だ十分な理解が伴っていない。それでも認めないわけにはいかない。現に自分の子供がそうなのだから。
魔法が使える人間がいる。その人間たちは妖精やら精霊やら悪魔やら鬼やらを呼び出すことも出来る。
それらのことを事実、知識としては知っている。
しかし、多くの人間がそうであるように、自分には出来ない以上、それらのことが感覚的には分からない。
子供が呼び出した精霊と昨日の夜も話した。
息子のことを守ってくれて話し相手、友達になってくれている。家では自分とも話すし食事も共にする。会話ができ魔法を使えることを除くと通常のペットと変わらない。自分の生活に溶け込んでいる一部としての認識はできている。
しかしそれは自分の生活と直結していて普段から目にしているからだ。慣れるしかない。
「お父様、お迎えありがとうございます」
と、声を掛けられた。父親は声のした方を向く。声を掛けてきたのはスーツ姿の男。まだ若い。恐らくは大学生のバイトだろう。父親は立ち上がって応じる。
「こちらこそ。いつも息子がお世話になりまして……」
父親がそう返した辺りで、パパ、と声がした。
迎えに来た父親の息子が駆け寄ってきた。
息子の手をとった父親は、じゃあ、と口にして、息子は、先生またね、と挨拶をして教室から出ていった。
その帰路についた父子を見送ったスーツ姿の男。振り向いて教室の中が視界に入る。教室の電子掲示板に次々に映し出される文字。その中である文字が目に入って呟いた。
「魔法かぁ……」
そう言えばまだ教室の掃除してなかったな……。
思って歩き出したスーツ姿の男は大学生の塾講師アルバイト。羽田悠貴。
悠貴は頭に残る、魔法、の言葉を振り払うように頭を振って教室へ戻った。
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「悠貴!」
バイト先の塾が入っているビルから出てきた悠貴は呼び止められて振り返る。悠貴の目に入ってきたのは桂莉々。所属しているテニスサークルの友人で自分と同じ大学1年生。学部も同じ法学部で、大学でもサークルでもよく話す仲だった。
「よっ、莉々じゃん、お疲れ。予備校?」
予備校、と悠貴に言われた莉々は手に持っていた参考書を見せる。
「うんっ、そうだよ。で、今帰り。悠貴はバイト?」
頷く悠貴に今日の講義は長かった、と腕を伸ばす莉々。思い出したように手をぽんと叩く。
「ねえねえ、もう帰るだけなら一緒にごはん食べていこーよ!」
莉々は悠貴の肩をぽんっと手で叩いた。
悠貴は思う。これがどれだけ男を勘違いさせてきたか……。悠貴は男殺しと名付けていた。
人懐っこい莉々はとにかくコミュ力が高い。誰とでもすぐ仲良くなり、男女から好かれる。屈託のない笑顔と若干ガードが甘いところ、そして今まさに自分にしたような気軽なボディタッチに勘違いしてしまう男は多くいた。
勘違いが高じて実際に告白した連中は日を待たずにフラれていて屍の山を築いていた。勘違いしていただけあって当人たちは成功を確信していた分、傷は深かった。敗者復活戦を試みる猛者も居ないではなかったが結果としては治りきらない古傷を自ら抉り致命傷になるだけだった。
(まあ……、こいつは全然意識しないでやってるんだろうけどな……)
ふう、と溜め息をついた悠貴。
「まあ、いいけど……、俺明日1限だからそんな遅くまで付き合えないぞ? 莉々は大学から近いからいいだろうけど」
莉々はいわゆる地方出身組だ。大学進学と共に上京して今は通っている大学の近くの学生マンションで独り暮らしをしている。
悠貴が誘いにのってきたので莉々のテンションが上がる。
「全然大丈夫、私も帰ってからやることあるし。あ、そうだ。塾講って時給高いんでしょ? 悠貴稼いでるんでしょー、おごってよっ」
「いや、時給は高いかもだけどそんな日数も時間も入れないし、思ってるほどじゃないぞ」
「えー、でもやっぱ単価高いならそれ相応に稼いでるんじゃ……」
疑惑の目を向ける莉々から目線を逸らして悠貴は返す。
「そんなことないって……。てか、むしろ莉々のほうが稼いでるんじゃん? 確かバイトしてたよな?」
「ただのカフェだよ。時給安いから結構入らないとあんまり稼げないんだよねぇ……。うう、だからさ、今月結構厳しいんだよ……」
言った莉々は肩を落とす。悠貴は笑った。
「予備校も行ってるのに大変だな……」
笑いながらも悠貴は複雑な目を莉々に向けた。
莉々は司法試験を受けるため予備校に通っている。普段の気軽さや心配で時にむっとするようなガードの甘さからは想像もつかないが莉々は努力家で、そして基本的に真面目だ。大学、サークル、バイト、予備校……と自分から見れば多忙を極めているが、莉々は平然とこなしていた。
『私はやりたいこと、やってるだけだから』
そういう莉々の台詞を聞く度に悠貴は思う。
自分もこれくらい、今の自分の生活に「ハマる」ことができればと。
「はあ、分かったよ……。でもさ、次はお前が奢れよ」
悠貴の言葉を聞いて顔を上げた莉々が笑顔になる。
「やたー! ありがとっ」
才能に恵まれた目の前の少女。おまけに努力家。莉々の笑顔を見て悠貴は苦笑する。
自分なりに頑張って入った今の大学は一般的には難関大学と言われている。勉強にそこそこ自信があったが、上には上がいることを莉々に教えられた。
(莉々がこんなキャラじゃなければ俺はこいつのこと遠ざけていたかもしれないな……)
一度遠い目をした悠貴は、行くぞ、と歩き出す。
「あ、ちょっと待ってよ! 悠貴!」
言った莉々が悠貴を追いかける。
悠貴が帰ろうと思って向かおうとした方向とは逆の方向に2人で進む。夕食をとるには少し遅い時間だった。帰りが遅くなりたくないのは2人とも同じだったので、大学近くのファミレスに入った。
「はぁ……、疲れたよぉ……。今日の講義、すっごい難しくてさ……。これなんだけど……」
莉々は予備校のテキストを開いて指で示しながら悠貴に語る。
「あぁ、ごめん……。俺まだこの辺り勉強してないからさ……」
言った悠貴は少し無理して笑った。
「あ……こっちこそごめん……。まだ大学じゃあやってないもんね……。そう言えば、今度サークルの皆でさ……」
莉々は話題を変えてサークルのことを話し始める。
一頻り莉々の話が終わった頃に注文した料理が届いた。
悠貴は食事を口に運びながら窓の外を見る。
窓は通りに面していてこの時間でも人通りは少なくなかった。
(あ……)
悠貴の目に入ったのはローブ姿の女の子だった。横を歩く友人と楽しそうに談笑しながら過ぎ去っていく。
「……でさ……、って悠貴、聞いてる?」
莉々にジロッと睨まれた悠貴は、もちろん、と取り繕って莉々に話の先を促した。確かに……、なるほど……、と返しながら悠貴は窓の外に目を移して思った。
(魔法、かぁ……)