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華の幼少に帰り咲き  作者: 凛野冥
第1部:Zygomycota
6/32

紫陽花の静寂を抜け出して①

    1


 茜条斎なんてヤブ医者しかいないだろうという偏見を抱いていたけれど、むしろ怪我人の絶えない街だからこそ、ちゃんと各分野の名医が揃っているらしい。今時の角膜移植手術というのは日帰りでできるものだそうで、僕は半日も経たずしてまともな視界を取り戻した。術後すぐは視力が低下するが、これも次第に改善していくとの話である。それより細菌や真菌に感染しないよう、抗生剤を欠かさず点眼することが重要であるとか。

 手術の後に僕はしばらく病室のベッドで寝ていて、目覚めると叔父さんが来ていた。叔父さんは大体の事情を掴んでいたし、僕が昨晩と今朝に送ったメールも読んでいた。「気付いてやれなくて済まなかった」と詫びつつも、その調子は淡々としていて、いつもの通り余裕に溢れていた。僕の方こそ無茶をやって大勢に迷惑を掛けてしまったことを謝ったが、叔父さんは僕を責めなかった。

「お前は立派だよ、逸見。俺も手を焼いていた〈人間モグラ叩き〉を解決したのだからな」

「でも、もっと上手いやり方があったと思うんです」

「後からなら誰でもそんなやり方は考えられる。大事なのは実際の結果だ。そしてこの結果は素晴らしいものだよ。誇っていい」

 初めて叔父さんから子供扱いされずに認めてもらえた気がして、嬉しかった。

 病院を出ると車が一台停まっていた。見た目には分からないが、警察の車らしい。くたびれた顔の刑事ふたりが、僕らを〈イリアスB〉まで送り届けてくれるとのことだった。叔父さんは警察に顔が利くから、そのように手配してくれたのだろう。

 車中では事情聴取を受けたけれども、雑談と大差ない簡単な内容だった。昨晩の時点で通報して欲しかったと注意されたくらいで、特段おとがめなしだ。これも叔父さんがあらかじめ口利きしてくれたおかげと思われる。

 話は蘭果さんのことに移った。彼女は僕とは別の病院に搬送され、今もまだ目覚めていないと云う。

「華乃幼少帰咲の罹患者は、華を傷つけられると最悪の場合、死に至ることもあるのだ。咲いた箇所にもよるが、根が中枢神経にまで複雑に絡み付いているからね」

「そんな……」

 目の前が真っ暗になったかと思った。

「僕はただ、知らなかったんです」

「お前が知らなかったのは当然だよ、逸見。一般にはここまでの情報は開示されていない」

「それに、」と助手席に座っている中年の刑事が引き取る。

「不治枝蘭果は命に別条はないと聞いています。一時的なショック状態ですよ。明日には目覚めるでしょう」

 続く話によれば、蘭果さんは茜条斎を離れた土地で治療を受けることになるそうだ。咲いた者が犯罪を起こすケースは多く、そうした者達を収容する施設があるらしい。

「華乃幼少帰咲は、どんな治療をするんですか?」

「確立された治療法はないが、俗世間のわずらわしさを離れ、静かな場所で過ごすのだよ。精神病へのアプローチと同じだ。完治して普通の生活に戻れる者はほんの一部だが」

 叔父さんの話し方には、どこか突き放すような感じがあった。僕は落ち着かなかった。蘭果さんの容体も気掛かりだけれど、一番の心配はムツミだ。僕はムツミのことは刑事に話さなかったし、叔父さんもそれに触れようとしなかった。だがムツミが咲いていることと、彼女の不思議な能力については叔父さんに送ったメールにも書いたのだ。叔父さんはどう考えているのだろう。

 やはり彼女も施設に入るべきか。しかし治るのはほんの一部……治らなければ、ずっと施設暮らし……?


    2


〈イリアスB〉に帰り着いた頃には、すっかり夜になっていた。

 麻酔を受けたせいか、視力が低下した視界に慣れないせいか、いまいち気分が優れない。

「ムツミくんは部屋で待っているのだね。出られないようにしたとメールにあったが、どうやったんだい」

 エレベーターに乗ったところで叔父さんにそう訊ねられたので、錠の内側を破壊したと答えた。すると叔父さんの左手が僕の肩に乗せられた。

「逸見、あそこはお前が借りている部屋かい。お前が家賃を払っているのかい」

「え、違います」

「そうだな。あそこは俺が借りている部屋だ。逸見、俺はお前を其処に一緒に住まわせるにあたって、口頭でも文書でも、何かルールを設けているかい」

「特にないと思ってますけど……」

「ああ、それはお前の常識的な判断を期待しているからだよ」

 五階に到着して扉が開いたが、叔父さんは出ようとしない。右手の人差し指で『開』ボタンを押しっぱなしにして、僕に語り掛け続ける。

「備品や家具を壊すな、なんてわざわざ云わなければならなかったかね? そんな当たり前のことを? 俺が紙に書いて、壁に貼っておかなければならなかったのかね?」

 め、めちゃくちゃ怒られている! 叔父さんは落ち着いた口調だが、それが恐い!

「ごめんなさい……」

「謝罪は必要ない。まったく役に立たないからな。そうではなく、修理業者を手配しなさい。修理代は、お前が〈人間モグラ叩き〉を解決したことでチャラとしよう」

「分かりました。ごめんなさい……」

 叔父さんは僕の肩から手を離すと、エレベーターを出た。僕は冷や汗をだらだらかいてその後に続いた。こんなに怒られるとは思わなかった……。

 鍵を用いて解錠し、五〇五号室へ這入って行く叔父さん。そういえば蘭果さんに命じられてムツミを花天月高校に呼び出していたが、結局は出られなかったのだろう。そうでなければ怒られ損である。

「俺もお前も部屋の中にいる時は、どう施錠したらいいんだい」

「それはですね、この靴箱が丁度、ドアノブのすぐ下と同じ高さなんですよ。これを移動させることによって――」とまで云ったところで、空気を読めないと評されがちな僕でもさすがに察して、口ではなく手を動かす。どうして僕はこう、いつも調子に乗ってしまうんだろうな……一度真剣に考える必要があるかも知れない。ドアノブが下げられなくなったのを確認した後、念のためドアチェーンまで掛けた。

 応接間を通過して奥の生活スペースへ行くと、叔父さんが窓を開けて、外に顔を出している。ムツミの姿は見当たらない。ソファーの上にランドセルやぬいぐるみが置いてあるだけだ。

「窓は開いていたよ。ムツミくんは猿のように排水管を伝って地面まで下りたようだね」

「え! 五階ですよ、ここは!」

 慌てて窓際に駆け寄り、叔父さんと同じように顔を出す。このアパートにベランダはない。壁には筒状の排水管が取り付けられていて、下まで続いている。

「十階だろうがそうしただろう。咲いた人間がどんな無茶をやるものか、お前は昨日今日で学んでいるはずだ。手足を縛っておくべきだったね」

「でも、それじゃあ本当に監禁ですよ」

「合意の上だということを書面に残しておけばいいのだ。この機会に教えておこうか、逸見。迷ったときにはとにかく裁判で負けないようにだけ気を付けて行動しなさい」

 どうしよう。ムツミは携帯を持っていないので、連絡のしようがない。とりあえず向かうべきは花天月高校か? だが蘭果さんが起こした事件によって今日は休校になったそうだ。ムツミがまだ事情を知らずに校門で待っているとは考えにくい。

「自分の家に帰った、なんて気の抜けるオチじゃないですよね」

「ないだろうね。ムツミくんは両親の死を知っているはずだ」

 叔父さんがやけに簡単に云うものだから、つい聞き逃しそうになった。

「どういうことですか、それは」

「偶然か必然か、今日の昼に知ったのだよ。伊升ムツミというのは本名だ。茜条斎に家族で住んでおり、私立宰臨さいりん女子学園に籍を置いているものの登校拒否が続いていた。とはいえ家庭に問題があったわけではない。父親は真面目な会社員だし、母親はピアノ教室で先生をしていた。だが二人は四日前に自宅のアパートで殺害された。発見されたのは今朝のことだ。連絡が取れないので、父親が務める会社の上司が通報したのだ。一人娘の伊升ムツミは現在、行方不明となっている」

 叔父さんはデスクの上のPCを起動し、立ったままでカチャカチャと操作する。僕はその背中へ問い掛ける。

「殺害されたって、どんなふうにですか? 犯人は?」

「犯人は分からない。殺され方は実に奇妙だよ。扱い方が非常に難しいために事件は報道されていないが、俺は警察から協力要請を受けている。そこで知ったというわけだ。逸見、お前もまんざら無関係ではないな。写真を見るかい」

 手招きされたので、傍らまで行って恐る恐るPCの画面を覗き込む。しかし気の利いたリアクションはとれなかった。画像は鮮明だが、咄嗟には理解し難い光景だった。

 二人の男女、だと思う。どちらも裸だ。向かい合うようにして床に正座し、前方へかがんでいる。二人とも首から上がない。首の付け根同士が繋がっているのだ。いくら目をらしても切れ目などなく、もとからそうであったみたいに、二人できれいな『Ω』のかたちを成している。

「これは本物の人間なんですか? 作り物じゃなくて」

「ああ、それぞれムツミくんの父と母の身体であることは確からしい。云うまでもなく、どちらも死亡している。何者かによって首を斬られた後、見ての通り繋げられた。解剖したところによると、血管や神経だけでなく細胞レベルで完全に結合されていたそうだ。どうすればこんな芸当が可能なのかは今のところ不明。ふたつの頭部は見つかっていない」

 あまりの奇怪ぶりに絶句する。冗談ではないかと疑いたくなったが、叔父さんはこんな悪趣味な冗談を云う人ではない。

「ムツミくんが家出したのも四日前だという話だったね。おそらく彼女は両親の死体を目にしたが、通報せずに家を飛び出したのだ」

 胸の奥に刺すような痛みがはしった。自分の両親がこんな姿にされたのを見て、ムツミはどう感じたんだ? 彼女の恐怖と不安がどれほどのものか、想像も付かないじゃないか。

 知らなかったとはいえ、僕の彼女に対する態度がそれに相応ふさわしかったとは思えない。彼女と話がしたい。今どこにいるんだ。焦燥感が増す。居ても立ってもいられなくなる。

「彼女は重要参考人だ。是非とも話を聞きたいのだが、少々困ったね」

「どうしたらいいんでしょう。もしかしたらまた、何か事件に巻き込まれているかも――」

 その時、ポケットの中で携帯が着信音を立てた。珍しい。叔父さん以外から電話を受けることなんて滅多にない僕だ。表示を確認すると、知らない番号だった。もしかしてムツミ?という考えが浮かんで、通話ボタンをタップする。

「もしもし」

 だが電話の向こうからはどんな声も音も聞こえない。ちゃんと通話中になっているのに。

「誰ですか? ムツミ?」

 続く沈黙。いや、静寂か。

「悪戯? 切りますよ?」

 反応はない。腹が立ってきた。

「お互いのために教えておくと、僕は無言電話なんかでこたえるタチじゃないんだ。時間の無駄ですよこんなことは!」

 切ってやった。叔父さんに「もう堪えているように見えたがね」と笑われてしまい、少し決まりが悪くなる。

「それに逸見、想像力を働かせなさい。お前には悪戯電話を受ける心当たりがあるのかね」

「ありませんが……」

「一度ムツミくんかと訊いていたね。彼女に番号を教えたのかね」

「教えました」

「ムツミくんが事件に巻き込まれている可能性を考えたならば、声を出せない状況下にあるのではとも疑うべきだな。今のは彼女からのSOSだったのではないかね」

「あ!」と声を洩らしつつ、もう一度番号を表示する。しかし折り返し掛けるのは危険かも知れない。叔父さんの云う通りだとしたら……だが小声で囁くくらいのことも叶わなかったのだろうか?

「いずれにせよ他にアテはないのだ。その番号はどこかの固定電話だね。住所を特定し、向かうことにしよう。逸見、お前も来るなら、私服に着替えなさい」

 当然、僕は「分かりました!」と返事する。休んでなんかいられない。

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