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華の幼少に帰り咲き  作者: 凛野冥
第1部:Zygomycota
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薔薇の支配にどう抗うのか④

    3


〈イリアスB〉の五〇五号室に帰り着いた僕らは交代でシャワーを浴びた。

 僕がまだ湿っている髪をタオルで拭きながら居間に戻ると、先にシャワーを済ませていたムツミは台所に立っていて、こちらをじっと見てきた。幽霊じみた佇まいだ。

「どうしてミキサーがないんですか」

「どの家にも必ずあるってものではないだろ」

「私はお風呂上がりに自家製野菜ジュースを飲むと決めているんです」

「へぇ、健康に気を遣ってるのか」

「血液をサラサラに保っているんです。見ますか?」

「見ないよ。それよりお腹が空いただろう。ほら、どいて。サラダもつくってやるから」

 母さんは家事をやらない人だったし、叔父さんも家で食事することがあまりないため、僕の自炊スキルは高い。もっとも今日は疲れているので、簡単に炒飯とサラダをこしらえるだけにした。料理中、カウンター越しに見えるムツミは椅子に座って、テーブルの上に乗せたモチナスとかいう熊のぬいぐるみと会話していた。彼女のランドセルの中には替えの下着くらいしかなかったので、僕のシャツを貸している。サイズが大きいからワンピースみたいに着ることが可能で、下を履く必要はなかった。もちろんスウェットも貸そうとしたが「普段男に履かれているものなんて嫌です」と断られたのだ。遺憾いかんである。

 一緒に食事する段になると、ムツミは彼女の事情を少しだけ話した。三日前に家出してから今日まで、適当なネットカフェに寝泊まりしていたらしい。私立探偵・矢韋駄創儀の情報もネットから得たようだ。家に帰るつもりはまったくないと云う。とがめる気は起きなかった。華乃幼少帰咲……その症状を見せられては、家出なんて良くない等とありきたりな言葉で茶を濁せはしなかった。

「気が付くと殺人事件の現場にいると云っていたよね。それが君の能力?」

「みたいです。この椿が事件を嗅ぎ当てると、私は意識が遠のいて、その間に現場へ移動しています。自分では止めることができません」

「それは……怖いな」

 咲いた者は、それぞれに異なる超能力を得ると聞く。神懸かりとはそういうことだ。ムツミの場合は頭に咲いているから、根が脳の中まで伸びていて、潜在的な知覚能力に作用しているのだろう。蘭果さんは胸に咲いていた。あれは本人と云うよりも、それを見た者に作用する催眠めいたものと思われる。

「監禁してくれと云った理由もそれか。たしかに話しづらいことだ」

「危険な目に遭わせてごめんなさい」

 頷くような仕草だったが、ムツミは頭を下げた。責めたって仕方ないので「今更、気にしないでいいよ」と返す。実際のところ、怒ってもいなければ迷惑でもなかった。

「監禁はしないけれど、しばらく此処に身を置くくらいなら大丈夫じゃないかな」

「そのつもりです」

 図々しいなあ。まぁ、こういう子なのだろう。よく観察していると、まるきり不愛想というわけではなくて、ちょっと眉を寄せたり、目を細めたり、口をへの字にしたりと変化はある。それから時々、ぱちりぱちりと二度の瞬きをするのが癖のようだ。

「ベレー帽、脱いでいいんじゃないか?」

 シャワーを浴びた後からムツミは帽子を被り続けていた。

「僕しかいないんだから、隠す必要もない」

 彼女は素直に帽子を脱いだ。頭の椿はやや傾いていた。不自然に濃い赤色。質感も造花みたいである。咲いたのはいつ頃か訊ねてみると、一週間ほど前とのことだった。

 しかるべき医療機関に連れて行くべきなのだろうか。だが彼女の親に無断でというわけにもいくまい。どうするのが良いのか叔父さんに相談してみるつもりだが、明日以降になりそうだ。先程から何度か電話を掛けているけれど、例によって繋がらない。探偵をしている叔父さんの生活は不規則で、家に帰らない日も多い。

 食器を簡単に洗い、洗濯が済んだ衣服を乾燥機付きの浴室に干す。ムツミの制服は造りに素人っぽいところがあって、手製のものだと知れた。黒甜郷学園とかいう彼女の妄想に由来する一品なのだろう。

 居間に戻るとムツミは椅子の上で舟を漕いでいた。まだ二十一時だが、彼女も疲労が溜まっているようだった。いつ意識が飛んでどんな事件に巻き込まれるのか知れず、ずっと神経が張り詰めているに違いない。

「僕のベッドで良いなら貸すよ」

「嫌ですよ。そんな寝汗の染み込んだベッド……」

「じゃあソファーで寝ろ。僕は床で寝る」

 ムツミはうつらうつらしながらソファーへ移動する。僕は寝室から枕と掛布団を持ってくる。

「馬米さんはどうして床で寝るんですか……」

「君をソファーで寝かせておきながら、ベッドで快眠なんてできるか」

「別にいいですよ。ベッドがあるんですから、ベッドで寝てくださいよ……」

沽券こけんに関わる」

「関わりませんよ。面倒臭い人ですね……」

 よく云われる言葉だが、まさかムツミにまで云われるとは。

 消灯しても真っ暗とはならない。カーテン越しの街明かりが室内をぼうっと照らす。ムツミは既にソファーの上でぬいぐるみを抱いてブランケットを纏い、丸くなっている。

「寝ている間に椿が反応して動くことはあるのか? 夢遊病みたく」

「今のところないですね……おやすみなさい……」

 心配なので、応接間に通じるドアの前で眠ることにした。ドアは内開きだから、ムツミが外に出ようとすれば気付けるはずだ。床にはカーペットが敷かれているし、寝心地が悪い感じはしなかった。

 しかし、なかなか寝付くことができなかった。身体は疲れ切っているのに、目を閉じるとムツミのことや蘭果さんのこと等を考えてしまう。外では相変わらず、パトカーや救急車のサイレンがしきりに鳴り響いている。途中、寝言なのか何なのか、ムツミが「寂しいね、モチナス……」と呟いた。

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