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華の幼少に帰り咲き  作者: 凛野冥
第1部:Zygomycota
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薔薇の支配にどう抗うのか①

心を洗って香となし、体を恭しんで花となす。

――弘法大師

    1


 父親は初めからいなかったし、母さんも子育てに疲れたとって失踪してしまったので、僕は叔父さんに引き取られた。それまでの田舎町とはまるで異なる大都会の一角――しかも国内随一の犯罪街として知られる茜条斎あかねじょうさいの住人となってから、半年ばかりが経過した春。

 一年生の夏に編入した公立花天月かてんげつ高等学校での一日を終え、叔父さんと二人で暮らす賃貸アパート〈イリアスB〉の五〇五号室に帰り着く。叔父さんは矢韋駄やいだ創儀そうぎという名前で現在二十九歳。職業はこの町の私立探偵だ。五〇五号室はその事務所を兼ねており、玄関を這入はいると八畳の応接間がある。したがって、奥の生活スペースへ行くには必ず此処を通ることになる。

「おう。おかえり、逸見いつみ

 こちらに振り向いて気安い感じで片手を上げる叔父さんは、しかし接客中だった。ガラス製のローテーブルを挟んで向かいのソファーに腰掛けている客人は、どうやら女子学生のようだ。おかっぱ頭に緋色のベレー帽を乗っけて、濃い藍色のセーラー服を着ている。

 僕は会釈だけして奥に引っ込もうとしたが、叔父さんに呼び止められた。

「丁度良かったよ、逸見。この子の相談に乗ってあげなさい」

「え、いいんですか」

 正直、物凄く気になっているところだった。

 叔父さんは背が高いうえ、整った顔立ちに整えられた顎髭が嫌味でない色気を醸し出し、パーマをかけた髪は堅すぎず緩すぎない絶妙なバランスを保っている。いつだって余裕を持ち、多くの人々が彼を信頼する。憧れない方が無理な人物だ。

 しかし僕がその仕事を少しでも手伝おうとすれば、軽くあしらわれてしまうのが常だった。それが今、叔父さんの方から声を掛けてくれたのだ。

「誰ですか、その人は」

 喜び勇んで叔父さんの隣に座った僕へ、客人はいぶかしそうな視線を向けてきた。顔立ちの幼さから、まだ中学生と思われる。ちょっと不健康に映るほど肌が白くて、表情にも生気がない。

馬米うまごめ逸見。俺の助手をしているのだよ」

 叔父さんの紹介に預かった。知らぬ間に、なんと助手になっていた。

「私を馬鹿にしてますか。頼りなさそうに見えますけど」

 客人は内向的に見えて、なかなか直截的にものを云う。僕も黙っていられない。

「見縊ってもらっちゃ困るぜ、中学生……中学生だよね?」

「ああ、依頼人の伊升いますムツミくんだ。学校はどこだっけか」

黒甜郷こくてんきょう学園中等部の三年生です」

 聞いたことがない学校だった。制服にも見覚えはない。

「どこか遠くから来たの? こんな街にひとりで?」

「依頼に必要な情報じゃないです」

「依頼の内容は?」

「私を監禁してください」

 耳を疑った。隣では、叔父さんが肩をすくめる。

「これの一点張りなのだよ。事情も話してくれないのだ」

「監禁って、犯罪じゃないですか。探偵に依頼するのはナンセンスですよ」

「私は真剣です」

 そう云うムツミは無表情だ。成程、ふざけているようには見えないが。

「もしかして、君は誰かに狙われているのか? つまり保護してほしいという意味?」

「違います。自分の身は自分で守れます」

 こりゃあ難問だ。叔父さんが手を焼いているらしいのも頷ける。

「まぁ、こういうわけだ。お前に一任するよ。俺はこれから出掛けないといけない」

 叔父さんは立ち上がった。思わず「え!」と声が出た。

「やはり真面目に取り合ってませんね」と云うムツミも表情は変わらないものの、不満らしいと分かる。

「大真面目だよ。君が話してくれないので詳細は分からないが、逸見を宛がうことで当面は仔細しさいないと判断している。一方で俺がこれから出掛けるのは、例の〈人間モグラ叩き〉を調査するためなのだ。急がないとまた死者が出るだろう」

〈人間モグラ叩き〉――現在、茜条斎を賑わせている連続殺人事件のひとつだ。一昨日に叔父さんが被害者の遺族から真相究明の依頼を受けたのは知っている。

「逸見は俺の優秀な右腕だよ。とにかく信頼して、まずは事情を話してくれ。じゃあな」

 叔父さんはジャケットを羽織って出て行った。嬉しいことばかり云ってくれるが、すべてムツミに向けた方便なのだと理解した。僕は困った子供の世話役を押し付けられたわけだ。いささか以上にテンションが下がった。

「何ですか、人間モグラ叩きとは」

 ムツミが卓上に置かれた煎餅に手を伸ばしつつ訊ねる。喋り方も煎餅みたいに平坦だ。

「よっぽど情報にうといようだな。内閣総理大臣の名前を云えない僕でも知ってるぞ」

 驚きつつも説明してやる。

 四月の初週に幕開けたこの連続殺人は、一週間に一度のペースを保ち、これまでの被害者数は三人に三回を掛けた九人にのぼる。犯人は毎回、茜条斎のどこか人目に付きにくい場所でモグラ叩き台を制作すると、その中に人間を閉じ込めて、ハンマーで撲殺する。

 モグラ叩き台は、アパートの前なんかによくあるステンレス製の大型ゴミ箱をイメージするといいだろう。上蓋には人間が頭だけ出せるほどの穴が複数開けられていて、底に繋がれたホースから出る水道水が内部を常に満たし続ける。被害者たちは呼吸するためにいずれかの穴から頭を出さなければならず、そこで犯人がハンマーを振るうわけだ。

「私は総理大臣の名前、分かりますけどねえ」

 煎餅をばりばり齧りながら聞いていたムツミの感想はそれだけだった。

「今週はまだなんだ。もう木曜だからな、創儀さんが急ぐのも当然だよ」

「あ。人間モグラ叩きと云いますけど、モグラを叩いてはいませんよね」

 また煎餅に手を伸ばすムツミ。お腹が空いているのだろうか。

「人間を叩いているんですから、人間叩きと云うべきです」

「それじゃあ人間でモグラ叩きをしてるってことが分からないだろ」

「モグラ叩きしてないじゃないですか。人間叩きでしょ?」

「違う。ゲームの名称がモグラ叩きなんだ。いいんだよ、そんなことは」

 それよりもこの子をどうするかだ。日も暮れようとしている。

「監禁なんてしないぞ。そういう性癖なら、この街にはいくらでもお店が――」

「性癖じゃないです」

「じゃあ何だ。誰かに狙われているわけでもなく……もしかして家出中とか?」

 今更になって一番現実的な推論が立った。探偵事務所に来た依頼人ということで、何某なにがしかの事件に結び付けようとするバイアスが掛かっていたのだろう。

「そうですね。家出でないとは云えないです」

「飛び出したはいいものの、行く宛てがないってわけか。家はどこなんだ」

 ムツミはこれには応えない。煎餅をばりばり食うばかりだ。

 僕は携帯でコクテンキョウ学園と検索するが、それらしいものはヒットしない。

「学校名も出鱈目でたらめか」

「出鱈目じゃないですよ。ちゃんとあります」

 傍らに置かれた黒のランドセルを開けるムツミ。最近買ったばかりのように真新しい。

「さっきから気になっていたんだ。どうして鞄がランドセルなのか」

「黒甜郷学園では初等部から高等部まで、みんなランドセルが義務付けられています。今いる生徒は中等部三年生の私と、この子――モチナスだけですが」

 ランドセルから出てきたのは、お手製らしい熊のぬいぐるみだった。造形は可愛いけれど、毒リンゴみたいな緑色をしている。彼女はそれを膝の上に乗せて会話し始めた。

「ねえモチナス、探偵の人も助手の人も話にならないよ。どうしようね私達」

「さては妄想の学校だな。一定理解した」

 だが家出少女を匿うのも探偵の仕事ではないだろう。

「家に帰るつもりはないのか。最寄り駅まで送ってあげてもいい」

「監禁してくださいと云ってるじゃないですか」

「気乗りしないが、警察に通報するしかないな」

 本当ならもっと僕にしかできないような鮮やかなやり方で解決を図りたかったのに、依頼人と依頼内容が悪すぎる。叔父さんが僕に活躍の機会を与えてくれたなんて勘違いした分、今の僕は落胆さえしているのだった。

「警察が来たら、貴方にエロいことされたと訴えます」

「あのさあ、その脅しはあまりに品がないぜ。電車で痴漢の冤罪を着せる悪戯があるだろう? 僕はああいう理不尽を心から憎悪している」

 とはいえ困った。そんなことをされたら僕は破滅だ。

 この子を家出少女と知って夕暮れの茜条斎に放り出すこともできないし……。

「せめて家出の原因くらい話してくれないか。それを解消できれば、監禁なんて話もなくなるだろう」

 だがムツミは喋らない。虚ろと云うのとも違うけれど、ぼーっとした視線が僕へ向いているだけだ。薄く開いたまぶたの隙間から覗くその瞳は、墨汁で塗ったみたいに黒くて、人形めいている。

 僕は小さく嘆息した。このまま待っていてもらちが明かない。

「じゃあ僕が話すよ。断っておくが、これは説教じゃないからな」

 この歳で年下相手に説教なんて始めたらお仕舞である。あくまでも説得だ。気恥ずかしいので、彼女の膝に乗ったぬいぐるみを見詰めることにする。

「帰る家があるなら、それはとても恵まれているんだよ。僕は家から捨てられた身でね。家出したからには、君は何か嫌なことがあったんだろう。親や兄弟との衝突だろうか。もしかすると良い家族じゃないのかも知れない。それでもね、自分から家を捨てることないよ」

 まさか会って間もない女子中学生にこんな話をするとは。しかも僕が苦手とする道徳じみた話。早くも後悔しそうになった――が、ムツミの反応が僕の意識をぶっ飛ばした。

「ぜーんぜん、わかってくれないじゃん」

 ゾッとするほど低音の声。半分ほどしか開かれていなかったその両目が今、見開かれている。そして何より、頭に被ったベレー帽が、触れてもいないのに動き始めたのだ。何だ? 中に何かいるのか? ムツミは微動だにしない。ただベレー帽だけがむくむくと持ち上がって、脱げて、ソファーの後ろに落ちていく。

 そして現れたのは一輪の華だった。鮮やかに紅く咲いたそれは椿だ。

「えっ?」

 僕は腰を浮かせた。生えている。おかっぱ頭の天辺に、地肌の下から華が生えている。

「私の居場所は此処ではない。捕捉した。此処ではない場所。向かうべき場所を」

 俊敏な動きでもって立ち上がるムツミ。身をひるがえして駆け出す。呼び止める暇もなかった。玄関扉を開け放つと、外へ出て行ってしまった。

 呆気に取られる僕だったが、次の瞬間にハッとする。

 話には聞いて知っているのだ。実物を目にしたのは初めてだけれど、話としては有名なのだ。

 ムツミは咲いていた。あれが華乃はなの幼少ようしょう帰咲かえりざき――彼女はその患者だ。

 追わないといけない。僕もまた部屋を飛び出す。錠を掛けたいところだけれど、その時間はない。

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