この世界のトイレ事情 その3
◇ヴェイン・ラ・ラドランシュ
あんぐりと口を開けそうになったけど、俺はなんとか口を引き結ぶのに成功していた。こんな常識があったなんて。いくら貴族の常識がこれでも、あっちとは違い過ぎるから、ミランジェが抵抗したい気持ちはよく分かった。
そして、もう少しミランジェの話は続いた。
舞踏会ではダンスを踊らないとならないから、パニエの形が少し変わるそうなんだ。その形は楕円形。横に広がったもので、後ろはたっぷりのドレープでボリュームを出すらしい。記憶を取り戻す前のミランジェは、そのドレスを着た母に憧れていたようだけど、こちらも下着をつけないと知って、嫌になってしまったみたいだ。
「せめて介助の人がつかない状態で、すますようにできればいいのですけど」
ミランジェは期待を込めて俺のことを見てきた。
……そんな期待の目で見られても、トイレの改良だなんてどうすりゃいいんだよ。向こうの世界のトイレのことなんて、作り方も構造も知らねえぞ!
そう思ったけど、俺はミランジェの視線に負けてしまった。
「一応言っとくけど、あんまり期待すんなよ。前世の俺は技術屋じゃなかったんだからな」
そういったら、ミランジェはパアッと表情を明るくした。
「ありがとうございます、お兄様。もちろん私も協力しますとも」
まだ何も解決したわけではないけど、ミランジェの気持ちは上向きになったようだ。
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あれから三日。僕は頭を悩ませていた。とりあえず、ミランジェが一人で用を足すことが出来るようにしようと、いろいろ調べていたんだ。
まず、用を足すための部屋。壷が置いてあって、そこで用を足す。この部屋つきの使用人がいて、その人は介助と片づけを担当しているそうなんだ。用を足した壷は使用人が魔法を使って移動をさせる。そして決められた場所に捨てる。その後壷を洗って元の場所に戻す。
この部屋をどうにかしようと思ったけど、部屋を作り替えるなんてそう簡単にできるわけがない。だから、他の方法を探すことにした。
向こうの世界で参考になるのは、子供が用を足すのに、確かおまるを使っていたよな。あと、普通のトイレに小さめの便座を被せて、子供が落ちないようにしていた気がする。
よし、それなら便座を作ることから始めればいいか。
そう決めたけど、便座を作るためには何でその形を作るべきなのか。陶器でその形を作ってもらうべきなのか? 板……から形を切り出して、表面はやすりなどで滑らかにしたら、肌にやさしいものが出来るかもしれない。そうだ。そうしよう。
そうなると、ドレスもああいった形ではないものがいいのだろう。ごてごてとした飾りがついていたんじゃ、重くて持ち上げるのは大変だものな。
そう決めたら、執事長に相談して庭師に話がいき、そこから大工に、そして木こりにまで話がいってしまった。板を用意してもらうのに、そこまでかかるとは思わなかった。
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執事長に相談して五日。まさかこの話が父にまで報告がいったとは思わなかった。というのも、僕は父の執務室に呼び出されたんだ。部屋には母と他にも何人かの人がいた。
「ヴェイン、少し話を聞きたいことが出来たのだけどね」
僕はまるで蛇に睨まれたカエルの気分で一人掛けの椅子に座っていた。向かいには執務机に座った父、横のソファーには母。その母の向かいに厳つい男の人が二人。他に座っていない人が三人。その大人たちに見られているのだ。
パサリ
と、僕の目の前に紙が置かれた。書いてある事は請求書みたいだ。木を切り倒したことに対するもののようだ。
「ヴェイン、この木はかなりの大木なのだよ。この木を手に入れてどうするつもりなのかい」
父が穏やかに聞いてくるけど、勝手なことをしたことを怒っているのだろうか。父の顔を見ても、声にも何の感情も見えない。ただ、問いただしているだけのような気もする。
だけど僕はここで対応を間違えるわけにはいかないと思った。まだ、向こうの記憶のことは言えない。そんなことを言ったら、頭がおかしいと疑われてしまうだろう。妄想として片付けられるわけにはいかない。
「えーと、その、ミランジェのため、なんですけど……」
自信がなさげに声に戸惑いを込めて話した。それに子供に甘い両親なら、ミランジェの名前を出せば食いついてくれるだろう。
「まあ、ヴェイン。ミランジェのためってどういうことなの。もしかしてこの前のお茶会に行かなかったことと、関係しているのかしら」
やはり母が食いついてきた。なので、一度母の顔を見てから、眉を寄せて視線を落とした。
「そうなんですけど……」
「ヴェイン、ミランジェが社交をしたくないと言っていると聞いているぞ。ついこの前まで、正式のお茶会に行けるのを楽しみにしてたのに、なぜそのようなことになったのだ。理由を知っているのなら、教えて欲しい」
父も言い淀む僕に問いかけてきた。僕は父と母以外の人のことを見てから、しぶしぶという感じに口を開いた。
「その、正式なお茶会が原因なんですよ」
「あら~、それはおかしいわ。ミランジェは正式なドレスを作る時、とても喜んでいたのよ。出来上がったドレスを見て、早く身につけたいといったわ。あの子のマナーは何処に出してもおかしくないものだし、それ以外で不安に思うようなことはないはずよ」
母が不思議そうに言った。
「ええ。ミランジェはあの日まで本当に楽しみにしていました。でも、ドレスを身に着けたことで、社交をすることが嫌になってしまったのです」




