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とある世界の裏側の日常風景


 この作品は、現在、Arcadia(http://mai-net.ath.cx/)というサイトにも投稿している一次創作で、多重投稿になります。


 内容は現代日本の東北地方を舞台に、能天気な『魔法使い系』の女主人公が、生真面目な『戦士系』の少女(少なくとも見た目は)と、三枚目の『遊び人系』の男の子(と言うにはちっとばかし年を食っていますが)ともに、様々な怪奇現象に立ち向かうお気楽アクションコメディです。

 剣と魔法と、鬼と妖怪と、神と悪魔と、英雄と怪物の取り留めのない話になりますが、お気に召しましたら幸いです。





「本日は、英国航空スカイライン287型機をご利用頂きまことに有り難うございます。当機はヒースロー国際空港発、成田国際空港直行便──」

 ……懐かしいユメを見ている。

 これは、今から三年前の話。

「マナカは寝てしまったか。無理もない、出立間際のごたごたが堪えたのだろうな」

 ふむ、と美髯を蓄えた紳士風の父が、わたしの頭をぬいぐるみのように撫でる。

 大好きな父親の手。

 それはいつも「よくやったなマナカ」と、わたしを優しく包み込んでくれる手の平だった。

「ごたごたの一言で済ませてもらっては困りますわ。トレイシー先生も、ローランド幼年学部長も、今回の件は寝耳に水でしたのよ」

 微睡(まどろ)むわたしの身体にコートをかけてくれたのは母だ。

 英国生まれ、倫敦育ちの母親。

 とても美人で気立てもよく、怒らせるとちょっとだけ怖ろしい母の手がわたしの頬を撫でる。

「それは詫びるが、今回の件は私も驚いている。倫敦のお偉方に話を通すのが遅れたのは純粋な手落ちだ。勘弁してくれ」

「私も驚いていますわ。……英国人の私がこの子を身篭ったと言うだけで貴方を追放したあの家が、今になって混血と忌み嫌うこの子を後継ぎに指名するなんて」

 日本人の父親と、英国人の母親。

 祖国の家はわたしが『あいのこ』だと言うだけで両親を追い出したのだ。

 ……その結果。

 わたしは母の故郷で成長して。

「ふふ。それだけこの子が優秀だという事だろう。人手不足に悩むあの家が何としても呼び戻したいと思うのは、むしろ当然の事だ」

「……確かにこの子の才能は神がかっています。けどそれだけの理由で、古びた因習に固執するあの家が余所者の私まで呼び戻すかしら?」

 何かわたしの評判を耳にした祖国の親戚が、自分たちのした事も忘れ、手の平を返して両親を呼び戻したとか。

 その変節ぶりは、当時13歳の子供だったわたしの目から見てもみっともなく、帰国したあかつきには何か嫌味を言ってやろうと思っていたくらいだ。

 無論、両親に内緒でだけど。

「君の不満も分かるが、そろそろ許してやってくれないか? あの家は閉鎖的な日本の鬼討組織の中でも特に排他的お家柄でな。……始祖が未だに存命している事もあって、《神人(まろうど)》の貴い血は近親婚によってのみ保たれると信じきっているのだ」

「その理屈は解ります。けれど、鞍形山の《瘧神(えやみのかみ)》を討伐する為に私たち英国の魔道士に助けを求めておいて、事が済んだらあれでは、誰だって怒ります」

「何しろ世間知らずな人たちだからね。実際、私がこの国で最初にした事は、彼らの代わりに《連盟》の人たちに頭を下げることだった。ふふ、君との結婚に反対されては堪らないから私も必死だったよ」

「まぁ貴方ったら──」

 ……でもいいのだ。

 父は祖国の家族を恨んでいないし、母も口ではきついコトを言ってるけど、本音では仲直りしたいって思ってるようだし。

 わたしも本気で恨んでいたわけじゃなかったから、帰国したら仲良くやっていこうと思っていたのだ。

 だって、

「しかし帰国したら大変だぞ? 何しろマナカの二代目襲名は、御前会議で《(アカシャ)》の了承を取り付ける事が前提の話だ」

「大丈夫よ。あの人たちは兎も角、桐生家初代マレビト倶利伽羅(クリカラ)はれっきとした現世神。その決定はきっと《王》の了承するところにあるわ」

「……今だからこそ言うが、あの家が私を呼び戻そうとしたのは、これが最初ではないのだ」

「どうせあの女と手を切れ、じゃなくて?」

「その通りだ。だが私はその度にそれだけは出来ないと訴えてきた……その事が家族揃っての帰国に繋がったと思うと、感無量だ」

「貴方……」

 いつもは謹厳実直な両親も、この飛行機に乗り込んでからはこれこの通り。

 娘のわたしが狸寝入りを決め込まなきゃいけないほどの熱々ぶり。

 ああもう。いいぞ、もっとやれ。

「私が不甲斐ないばかりにお前たちには苦労させてしまったが、もう大丈夫だ。落ち着いたら故郷の町を案内してやろう。自慢ではないが、杜の都と呼ばれる桐生市は名所には事欠かん。一度や二度で案内しきれるものではないから覚悟しておけ」

「あら素敵、わたし日本の温泉に興味があるの! バースの温泉は俗っぽいから行った事がなくて。ねえ、温泉って本当に地面からお湯が湧きだしてるの?」

「勿論だとも! よし、帰国したら真っ先に温泉に行こう。何もかも、マナカと三人で鞍形山の霊湯に浸かって旅の疲れを癒してからの話だ」

「あら、マナカと一緒はダメよ。この子はもう、父親と一緒のお風呂に入っていい年頃じゃなくってよ」

「なんだ、私だけ除け者か。それは些かならず寂しいぞ」

 そんな会話を耳にしながら微睡む時間。口元がにやけ、胸の中が穏やかになるのを自覚する。

 わたしは──桐生(きりゅう)マナカは幸せだった。

 何も思い煩う事はない。心優しい父親と、愛情豊かな母親。偏屈物には事欠かない世界の裏側において、もはや何かの奇蹟と言うしかないほど善良な両親の許にあるこの幸福。

 それがずっと続いていくんだって、

「──っ!?」

 がくん、と身体が投げ出される衝撃に微睡みを中断されたこの瞬間まで、何の疑いもなく信じていたのだ。

「マナカ……!」

 上とも下ともつかぬ方向に投げ出されたわたしの身体に手を伸ばして、両目を剥いた父は叫んだ。

「マナカ!? マナカ──」

 ……何が起きたんだろう。

 安全な空の旅だったはずだ。英国のヒースローから日本のナリタまでの旅客機での移動。過去にその航路での事故はなく、あってもちょっとしたトラブル程度だって聞かされていた。なのに、これでは言い訳も出来ない墜落事故に……!

「けほっ」

 ぐるぐる回る視界の中、背中に何か硬い物がぶつかって息が詰まる。

 そして、最期の瞬間──涙に霞んだ両目が捉えたのは、

有翼魔人(ビヤーキー)!? こいつら米国の──」

「貴方、錫杖を……私は」

 歴戦の鬼討師である父と、魔道士である母が、それまで知識の中にしか存在しなかった《鬼》の眷属と戦う姿だった。




 ……風を感じて目を覚ます。

 気が付けば視界には、既に崩壊する機体の阿鼻叫喚たる末路はなく。代わりに何もない、本当に何もない空虚なソラが目の前にあった。

 何事が起きたのか確認しようと身体を起こして、言葉を失う。

 わたしが地面だと思っていた物は、薄い膜状の金属だった。わたしの身体を優しく受け止めるほど柔らかい、金属性の二等辺三角形が風に乗り、雲の上を飛翔していたのである。

 言葉を忘れるのも道理というもの。世界の裏側に生きる者たちにとって最高の学府である倫敦の連盟本部にて英才教育を受け、古今東西の魔術、法術、秘蹟に通じたわたしもこんな神秘は知らない……。

「良かった、意識が戻りましたかマナカ?」

 その声でようやく気が付いた。

 気配なんて感じなかったのに、振り向いたわたしの前には鋼鉄製の人形が直立していた。

 いや、これは人形なんかじゃない。

 日本の傀儡とも、英国のゴーレムとも、チェコの自動人形とも違う人ならざる人の姿。

 ……あえて言えば騎士だろうか。

 板金の甲冑で全身を包み、それぞれの愛馬に騎乗して自慢の剣を振るい、敵と戦い討ち取る為の騎士。目の前のそれは、歴史や伝説で語られる勇ましい騎士の姿とかけ離れているのに、何故そう思ったのか。

「……思考に若干の混乱が見られますね。ならば何があったか説明するのはもう少し待ったほうが賢明でしょう」

 低く抑えられた声は年若い女の子のものだ。

「それともよもや日本語を解さぬと?」

 わたしより一つか二つ年上の女の子が発した流暢な日本語。 

「……ううん。日本語は得意、だけど……」

「それは有り難い。私は異国の言語に不慣れですから」

 ただ、その姿をなんて言えばいいのか。

 ソレは全身に鋼鉄を纏っていた。

 東洋の鎧とも、西洋の甲冑とも違う鋼鉄製の防具は、あまりに異質。

 色は褐色。鋭角的な形状は全身を隙間なく包み込む滑らかな金属製のスーツをベースに、胸と両肩、両手と両脚の部分を何重にも巻き付けたシャープな板金で補強し、その頭部はすっぽり覆う尖った兜のようなものに包まれて何も見えない。

 ……まるで刃物で出来た人形のよう。

 わたしの知る限りこんな生き物はこの星に生息していない。

「……ああ、この姿を警戒しているのですね。すみません、気が付きませんでした」

 そう思った瞬間──まるでわたしの思考を読んだようにソレは、

「嘘……」

 ソレは意思のある液体金属なのか。瞬く間に溶け出した鋼鉄は足元の鉄板に吸収され、そして、その中から現れたのは……。

「私はマギカ。桐生家初代マレビト倶利伽羅によって創造された《式神(しきがみ)》倶利伽羅マギカ。彼の命に従い、彼の後継者である貴女を守護する任に就いた貴女の従僕(しもべ)です」

 風に靡く朱い髪と、赤みがかった黒曜石の瞳。艶やかな白磁の肌を包む青い和服。

 それは際限なく気高くて、息を飲むほどに美しい──思わず嘘と言いたくなるほど綺麗な女の子だった。

 これが父さんの言ってた大和撫子ってヤツかと、見当違いの感想を思い浮かべるわたしの耳に、酷く可憐な少女の声が滑り込む。

「我らが《王》の名においてマレビトの格を認められ、桐生家初代倶利伽羅の後継者と認められた桐生マナカに永遠の忠誠を」

 そうしてわたしは理解した。

 わたしの頭はこれっぽっちも理解していなかったけど、わたしの血は誰に説明されるまでもなく理解していた。

 ……そう。

「そしてマナカ、私は貴女に残念な報告をしなければなりません」

 人の世に呼び出された自然ならざる災厄を鎮めるマレビトの宗家。

 その後継ぎに選ばれたわたしは、

「私が貴女を確保したとき、貴女の両親は──」

 この子と一緒にあいつらと戦っていかなきゃいけないんだ、って事を。




「……ん」

 温かい布団の中から手を伸ばして、むやみやたらに(やかま)しい目覚まし時計を鷲掴みにして黙らせる。

 ……いつも思う。

 どうしてわたしはこんな物をセットしたんだろうって。

 それぐらいコイツは憎たらしくて仕方ないヤツなのだ。

 特にあの音。

 じりりじりりって何だーって叫びたい気分。

 どうせわたしを起こすなら、もっと優しい声で「起きなさいマナカ」ぐらいは言ってほしい。

「む……」

 なんて微睡んでいたら今度は呼び鈴が鳴り出した。

 ぴんぽんぴんぽんはっきり言ってうるさい。連呼するな。

「こんな朝っぱらから……」

 手元の目覚まし時計を確認して居留守を決め込む。

 だってまだ七時半だ。

 これが平日ならちょっとピンチだけど、今日は休日だからノープロブレム。

 黒潮が打ち寄せる太平洋に面した桐生市は北国の割には暖かいが、わたしの家がある愛生町(あいおいちょう)は、十月の終りともなるとそれなりに冷える。

 特に朝は日本アルプスの登頂に成功した寒気が、極寒の鞍形山(くらなりやま)を下ってきて大変なことに。

 ならお日様が元気になる昼過ぎまで眠るのは、美容と健康が気になる16歳の女の子にとって義務というもの。

 そうに決まってる、そうに決めたと布団に潜り込む。

「……」

 なのに呼び鈴を押しまくる誰かさんは何を考えているのか。

 ぴんぽんぴんぽんと鳴り響く呼び鈴の間隔はますます短くなり、厚手の掛け布団を頭までかぶっても近所迷惑な騒音は消えてくれない。

 仕方なく掛け布団に包まったまま起き上がる。

「……」

 見慣れた六畳間の和室。

 私物は少ない。

 倫敦で飛行機に積み込んだ思い出の品は、肌身離さず持ち歩いていたこいつを除いて全部燃えてしまった。

 父さんが作ってくれた木彫りの彫刻も、母さんが作ってくれたテディベアのぬいぐるみも、全部燃えてしまったのだ。

「あんな夢を見るから……」

 ぐっと堪える。

 まだ泣けない。わたしはまだ一人前になっていない。わたしはまだ両親の仇を討っていない。

「……というか空気読めあいつ」

 ごしごしと目元を拭って廊下に出る。

 身嗜みを整えるのは後だ。今は乙女の感傷に泥を塗った下手人をとっちめないと。

 下手人には心当たりがある……っていうか、あいつしかいない。

 ぴんぽんぴんぽんと煩い事この上ないので、冷え切った廊下を渡って玄関へと急ぐ。

 板張りの廊下。漆喰の壁。そして安物のタイルを敷き詰めた玄関が視界に入り、引き戸の鍵を外したわたしは、

「今日は七時までに起きるという約束ではなかったのかマナカッ」

 ……こう。

 凄まじい勢いで引き戸を開けた女の子の剣幕に驚いて尻餅をついた。

 ぼふっ、とマヌケな音をたてて掛け布団が緩衝材になる。

「……やはりまだ起きたばかりなのだな、貴女は」

 はあ、と呆れたような溜め息。

 わたしより一つか二つは年下に見える少女。黒い髪、黒い瞳と純和風の容貌。夢の中で見た姿とは違うラフな恰好。白いティーシャツに袖を通して、洗いざらしのジーンズを穿いただけの見てるこっちが寒くなりそうな服装の女の子は、一応、対外的にはわたしの妹で通しているわたしの従僕──人ならざる《式神》である。

 名前はマギカ。

 桐生マギカは、ほとほと呆れたようにかぶりを振り、蛙のように鎮座するわたしに戻した目を曰くありげに細めた後、

「ではマナカ、まずは弁明から聞かせてもらおう」

 なんて、ふざけた台詞を口にしたのであった。

「……」

 これには、流石にカチンときた。

 被害者が加害者に弁明とはこれ如何に。わたしの貴重な睡眠時間と乙女チックな感傷タイムを台無しにして、ネグリジェの女の子に尻餅までつかせておきながら何様の心算か。

「弁明、ねぇ」

 ふうん、とすこぶる好戦的な吐息を漏らして身体を起こすと、マギカの表情がますます険しくなる。

 そうして至近距離で睨みあうこと数秒の後、先に口火を切ったのは頭を直角にしてわたしを見上げるマギカだった。

「……そうする事が不本意であるように聞こえるが」

 開戦理由に一つ追加。わたしを見上げる角度がむかつく。

 別にわたしの背が高すぎてこうなっているわけではない。マギカの背が低すぎてこうなっているのだ。

 だっていうのに「貴女の目を見て話すのは疲れる」と言わんばかりに見上げてくるとは失礼にも程がある。なによ、自分の背丈が150センチそこそこと低すぎるのが悪いんじゃない。

 だっていうのにわたしの所為にするな。わたしは大女じゃないやい。

「だって弁解する筋じゃないしね」

 ふふん、と鼻を鳴らして続ける気分はこの上なく好戦的。

「それより何で呼び鈴を鳴らすのよ。本邸の鍵ちゃんと渡したでしょ?」

 言外に目上の者に出迎えさせるとは何事かと批判してみる。

「私もそうした方が手っ取り早いと思ったが、所詮は婢女(はしため)に過ぎない私が、当主である貴女の邸宅に無断で上がりこむのは如何なものかと言う向きがあるのでな」

「あーそういうコト……それじゃ当主命令、今日からあんたはこっちで寝泊りしなさい。それで何か言われたら、使用人が離れに引っ込むのは何かと不便だってわたしに言われたって答えなさい」

「それは断る。私は確かに貴女の従僕だが、その務めにおしめも取れない子供の世話は含まれていない。だと言うのにこれ以上こき使われて堪るか」

 ……こいつめ。

 黙って微笑っていれば死ぬほど可愛いのに、どうしてそんなに可愛げのない態度を取るのか。

「それより私の質問に答えてほしい。貴女は昨夜、寝る前に約束した筈だ。今日は《(さいだん)》の調整で疲れているので、残りの準備は明日の朝に終わらせると。

 なのにそんなに寝惚けてどうするのだ! 御前会議は正午からなのだぞっ!!」

「えっ!?」

「『えっ!?』じゃない! まさかと思ったがやっぱりか!? すっかり忘れていたのだなマナカッ」

 はっとなって口を塞ぐ。

 そして、ようやく思い出したこれまでの経緯を四捨五入して考えると、何故か不条理な結論が導き出される。

「もしかして悪いのはわたし?」

 否定の言葉を期待して訊いてみる。

「だからそう言っているのだッ」

 だが返ってきたのは全面的に肯定する言葉だった。

「私は一睡もせずに必要な手筈を整えていたのに、七時までに起きると約束した貴女はいつまで経っても起きてこない。貴女はいま何時だか分かっているのか? もう八時を過ぎているのだぞ!?」

 それを否定する材料はわたしの中に無い。

 だって色々思い出した今は、雑事をこの子に押し付けて布団に潜り込み、早めに起きるという約束も忘れて二度寝を決め込んだわたしは人としてどうか、って思うし。

 勝手に昔の夢を見て感傷的な気分に浸っていたのを邪魔されたって理由で、何か気の利いた嫌味でも言ってやろうと思い立ち、考え無しに実践してしまったわたしは相当アレだったわね、とも思うし。

「何を呆けている。何か反論したい事があるなら口にしたらどうだ」

 ……つまり悪いのはわたし。

 この子はぜんぜん悪くないので反論なって以ての外。そう思い立った瞬間、

「ごめんなさいッ」

 がばり、とお辞儀して女の子の顔と女の子の顔がごっつんこ。

「……どうして急に謝るのだ」

「……ごめん。ホント、ごめん」

 まぁ至近距離で睨みあっている状態で背の高いほうがお辞儀をすればそうなるわね……というかもっと早く気付け、わたし。

 よろめき鼻の辺りを押さえるマギカと唇の辺りを押さえるわたし。

 マヌケだと思う。本当に何をやってんだかと自己嫌悪に駆られる。

 咄嗟の感情に振り回され、考え無しに行動して失敗する。そんな失敗をうんざりするほど繰り返してきたというのに、何時まで経っても成長しないわたし。

 相変わらず理想と現実のギャップが激し過ぎてなんだかへこみそう。

「貴女は本当に困った人だ……」

 その結論はマギカも同じだろうに、

「私はもう怒っていない。だからこの話は止めよう。それと……」

「……それと?」

「挨拶を忘れていた。おはようマナカ。今日も元気な貴女に会えて嬉しい」

 彼女はくすりと微笑してそんな台詞を口にする。

 ……それは反則だろう。

 今までの険悪かつマヌケな話の流れから出てくるはずのない笑顔。

 ひっそりと野に咲く花のように微笑んだ女の子は、わたしの失敗を何もかも許してくれそうで申し訳ない気持ちになる。

「……おはようマギカ。それとごめん。わたし昔の事を思い出してイラついてた」

「だからその話はもう止めにしようと言ってるのです」

 ぼそぼそと言い訳でも口にするかのような心境でうなだれるわたしに対し、毅然と胸を張った親愛な従者は「さあ」と身体を屈めて掛け布団を拾ってまた微笑む。

「食事にしよう。今朝は時間が無いので簡単な洋食にするが構わないだろうか?」

「ええ」

 しみじみと嘆息して敵わないと認める。

 やはり四百歳の年齢差は大きい。

「それでは貴女は洗面所で顔を洗って着替えるように。あまり時間をかけないように頼むぞ」

 人ならざる《式神》の少女、桐生マギカ。

 桐生マナカの相棒はこんな女の子だった。




「さて、と」

 あまりあの子を失望させられないので頑張ってみる。

 洗面所で顔を洗い、自慢の黒髪を梳かしたわたしは自分の部屋に戻り、布団を畳んで掃除機をかけ、今は着替えの真っ最中。

 寝ている時はつけない主義なので、身につける下着はブラと一緒に選ぶことになる。

 別に勝負下着と言うほどではないが、今日はそれなりに大事な日だ。何かの間違いで見られても女のプライドを保てるお気に入りを出そう。

 そして上に着るものは、まぁ、あいつらが用意した正装なんて眼中に無いから何を着ても一緒か。ならそっちもお気に入りを出そう。

 呪術加工を施した青いブラウスと、黒いタイトスカートの組み合わせ。ブラウスの襟元に施された幾何学模様(きかがくもよう)の刺繍と、ブラウスの袖とスカートのベルトに使われている宝石の意味が判らないヤツは流石にいないだろう。

「よし」

 自らのチョイスに満足してネグリジェを脱ぐ。

 すると何か鎖のようなものが顔にかかり、そして落ちた。

 そして、裸になったわたしはある物を付けっぱなしにしていた事に気が付いて、少し慌てた。

「やばっ」

 本当に少しだけ。

 肌身離さず身につけていたのは理由があっての事だし、形状記憶の魔術で保存されたそれが床に落ちた程度で瑕付く事もない。

 まぁそうは言ってもこいつの事を忘れていた言い訳にはならないんだけど。

「父さん、母さん……」

 純銀製のロケット。あの襲撃で両親を失ったわたしにとって、肌身離さず身につけていた思い出の品は自分の命より大事な物だった。

「わたし、頑張ってるよ」

 しみじみと呟いて抱きしめる。

「……」

 そうして暫し無言の時を過ごしたわたしは、

「何時まで着替えに手間取れば気が済む! 食事の用意はとっくの昔に終わっているぞ!!」

 結局あの子に怒られてしまった。

「すぐ行く。お腹が空いてるんだったら先に食べてていいわよ」

 大急ぎで下着を替えながら廊下に向かって答える。

「……」

 するとこの沈黙。

「ちょっと、何だってこのタイミングで黙り込むのよ」

「……特に理由は。あまり気にしないように」

 何でかよく分からないけど、これ以上待たせるのは危険な気がする。

 仕方なくスカートを履いたわたしはブラウスに片手を通して急ぐ。

 廊下に出ると漂ってくる芳ばしい匂い。

 ブラウスのボタンを閉め忘れたわたしはマギカにもう一度怒られたあと、食欲を誘う朝食の席に着いた。




「いただきます」

 と、それぞれの流儀で手を合わせる。

 純和風のリビングに鎮座するちゃぶ台の上に並んでいるのは、マギカ曰く簡単な洋食にしては手が込んでいるもの。

 焼きたてのトーストと、ハムを添えたサラダをちゃぶ台の中央に。そしてテーブルのこちら側にはスクランブルエッグと淹れ立ての紅茶。向こう側には片面焼きの目玉焼きと、何故か玄米茶。

「ある意味凄いわね、それ」

「?」

 これを和洋折半と言っていいものか。

 ずず、と玄米茶を啜るティーシャツジーンズの和風少女を眺めつつ、トーストを失敬して、苺のジャムをたっぷりと塗りたくる。

「時間が無い。無作法ですが食事をしながら今後の話をしたいのですが」

「構わないけど、口の中に食べ物がある時は喋らないでね」

 言ってトーストを齧る。

「マナカは私を何だと……いえ、失言でした」

 そりゃあ、ね。

「でもだいぶわたしの流儀に馴染んできたと思うわよ」

「マナカ!」

 と、口の中に食べ物がある事に気が付いて言葉を切る。

 いや実際この子に人間らしい生き方を教えるのは大変だったのだ。

 まぁそうする必要も無かったんだろうけど、この子は《式神》として生まれ変わってからこの方、ただの一度も食事や入浴をした事がなかったとか。

 常世の裏側における現世おいて、人為によって歪められた自然である《瘧神》とその眷属を、本来在るべき自然に戻す強制力である《神人》の一部である《式神》ならでは在り方だが、それは自然であっても普通とは言えない。

 なのでわたしは三年前、食事も摂らずトイレにも行かず入浴もせず、睡眠すら取らずに護衛と称して四六時中付き纏うこの少女にある命令を下したのだ。

 つまり人であれと。

「おかげでいっつも口煩かった母さんの気持ちも分かったかな。あんたってホント、手のかかる赤ん坊だったわね」

「……私はあの時ほど動物や無機物の《式神》を羨ましいと思ったことはなかったのに」

 そう言ってもぐもぐと食べ物を咀嚼するマギカを眺めて微笑む。

「で、本題に戻るけど……今日の召集はあんたがした事よね?」

「はい。少し長くなりますが、食べながら話しても構いませんか?」

 こほん、と小さく咳払いしたマギカは自分のペースを取り戻そうとするかのように、努めて丁重な言葉遣いで続けてくる。

「だから口の中に食べ物がなければ話しても構わないってば」

 無情に断言すると、くっ、と言葉に詰まる不思議な女の子。

「……分かりました。それでは断腸の思いで可及的速やかに食事を済ませます」

 マギカは途端に凄まじい勢いで食事を済ませ、はぁ、と物悲しげな溜め息をつく。

「……」

 前から思ってたけど。この子、食い意地張ってるわ。

 まぁこの子に食べる事の素晴らしさを教えたのはわたしだから、今さら文句を言えた筋じゃないんだけど。

「? ああ、マナカはどうぞゆっくりと食事を進めてください。主に喋るのは私ですから」

 こぽこぽと玄米茶のお代わりを淹れて、続ける。

「マナカがこの家の当主として御前会議を経験するのは今日で二度目になりますが、その事で質問は?」

「ないわね。形式は違うけど、自然との同調は魔術の基本だし、倫敦にいた頃は毎日のようにやってたし」

「私たちが用いるのは法術ですがまぁいいでしょう」

 そう言いながらも「あまり異国の法則を持ち込まないように」と視線で訴えて、マギカは神妙な顔付きで話を進める。

「事の始まりは一月ほど前になります。……鞍形山の結界に綻びが観測された日ですね。その日私は強い波動を関知して、それが《王》の呼び声である事を理解し、即座に人としての機能を停止して《世界》と一体化しました」

「ちょっと!」

「ご心配なく。機能停止は私が望めば直にでも復帰する一時的なものです」

 こちらを安心させるためか優しげに微笑するが有耶無耶には出来ない。

「それで復旧率は? 正確な数字をお願い」

「復帰直後は三割、次の日には七割、三日後には九割……今は完全に回復しています」

「ああ、だからあの日はあんなに調子が悪かったんだ」

 あまりに珍しい光景だったから記憶に残っていた。

「まさかあんたがご飯を残すなんて、さ。わたしてっきり天変地異の前触れだとばかり」

「……そういう言い方は誤解を招く。貧しい次代を知る私は、食べ物を粗末にしたら罰が当ると固く信じているだけだ」

 何でかこめかみに青筋をたてたマギカが言い訳しつつ、なお続ける。

「だが私の体調不良が天変地異の前触れという穿った見方は外れていない。世界と一体化した私は新たな災厄の発生を予感した」

「新たな災厄って……!」

「ええ、新たな《瘧神》がこの国に誕生するという事です」

 ……言葉もない。

 マギカの言う《瘧神》とは、人為によって歪められ、それ故に人に災いを為す超自然的な現象を指す。

 世界の在り方は自然であれという物だが、かつてこそ自然の一部だった人類の進化は世界の予測を超え、自然を歪める霊長にまで発展した。

 そしてその欲望は凄まじくこの星を食いつぶすほどで、世界という親の手から離れた人類は、時に世界そのものを歪めるほどの《自然ならざる場》を作り出してしまう。

 そうして歪んだ場の向こうから──世界の内側から呼び出されるのが《瘧神》だ。

 人為によって歪められた自然であり、世界法則であるそれらは、召喚の場を形成する負の想念によって脚色され、人が恐れる姿となって人に災いを為す。

「対策が要るわね」

 対策は人と世界の二手によるもの。

 既に述べたとおり、世界は自然である事を尊ぶ。故に歪められた自然である《瘧神》には世界の修正力が働く。

 それが《神人》という世界法則の顕現。世界の内側から現れた世界法則の化身である彼らは《瘧神》に接触し、可能なら世界法則への帰順を促し、不可能なら殲滅して実体化の核を封印する。

 そうして《瘧神》を封印した《神人》はその地に定着する。理由は《瘧神》を歪められた自然たらしめる負の想念が完全に浄化されるまで復活の危険があるからだ。

 しかし常世の裏側である現世に留まる為に人の姿を借りた《神人》は、必然的に老化という自然法則に囚われ、神の名に恥じないその力も時の流れとともに劣化していく。

 だから人の姿を借りた《神人》は彼らを崇める人と交わり、マレビトという強い力を宿した子を成して《瘧神》の復活に備える。

 桐生家もその一つで、わたしこと桐生マナカは桐生家初代マレビトである《神人》倶利伽羅の子孫にして、彼と同格の力を持つと認められた二代目だ。

 故に《瘧神》との戦いではわたしが陣頭指揮を執らなければならない。それが桐生家の二代目を襲名した桐生マナカの義務なのだが……。

「……ごめんなさい。どうしたらいいか思いつかないわ、わたし」

 そのノウハウがわたしの中にない。

 魔術の都倫敦で受けた英才教育は、主に一人の術者として大成する為のものであり、流石の《連盟》もわたしが宗家を継ぐとは予測出来なかったので、マレビトの当主としての教育は受けられなかったのだ。

 無論この家を継いだ三年前から今まで何にもしてこなかったわけではないが、流石にまだ《瘧神》そのものと直接戦った事はない。

 つまり、これが初陣。勝手が分からず困惑するのも当然だと思う。

「貴女が責任を感じる事はない。その辺りを補佐する事も私の仕事ですから」

「それじゃ対策は?」

 食事を摂る手を休めてしゅんと項垂れたわたしに微笑み、マギカはわたしの《式神》として言うべき事を口にする。

「その準備が昨日までのものです。世界と一体化した私は新たな《瘧神》が呼び出されるに足る場の存在を感知しましたが、それにどう対処するかは世界の防衛本能と言える《王》の意思を確かめずには始まらない。新たな《瘧神》の顕在規模が如何ほどか。その判明なくして新たな《神人》が派遣されるか、それともこの国に定着したマレビトだけで対処しなければならないのかは判らないのです」

「でも《瘧神》って確か……」

「ええ、彼らは発生の原因である負の想念を体内に取り込む事で成長するため、誕生直後は概ね脆弱です。それがマレビトの普及とともに新たな《神人》の派遣が激減した理由でもあります」

「ようするに速攻で発見して叩きつぶせばいいわけか」

「はい。やはり貴女は理解が早い。助かります、マナカ」

 やる事が見え、そして事態もそれほど逼迫していないと判明して安心し、食欲を取り戻したわたしは二枚目のトーストにマーガリンを塗り、ハムを載せて齧りついた。

 一つの宗家が単独で事に当たらなければならなかった昔と違い、今は世界中のマレビトが《瘧神》の顕現に対処する《連盟》が成立している。

 倫敦の大英博物館に本部を置くこの組織には、文字通り世界中の《鬼討組織》が参加している。例外は独自の組織が発展したバチカンと、欧米への不信から《連盟》への参加を見合わせた中東の《鬼討組織》くらいだ。

「《連盟》には貴女の代理として既に話を通してあります。彼らは『主だった術者』を百名、『際立った術者』十名前後編成し、要請があり次第向かわせる用意があると」

「やった、それじゃ楽勝じゃない」

「楽勝とは言いませんが、私も大事には至らないと判断しています。事実、未曾有の災厄をもたらした大戦に手をこまねいた事への反省から提案された《連盟》が成立して以来、新たな《瘧神》の誕生が大事に至った例は無い。これが百年も昔となると《神人》でも容易に対処できない《天変地異(タタリ)》級の災厄などざらでしたが」

 と、何故か軽蔑したような視線でわたしを一瞥して湯飲みを探すマギカ。

 そうしてもぐもぐと咀嚼したわたしはある事に気が付いて口を開く。

「それじゃ今日の会議って?」

「世界の方針を確かめる物です」

 ずず、と玄米茶を啜ったマギカが残念そうな顔をして肩を落とす。

 気持ちは分かる。長話がたたって、このトーストと同様に冷めてしまったのだろう。

「その存在を私が感知した事から、新たな《瘧神》の顕現は日本、それも東北地方に限定されると思いますが断定は出来ない。昨日までの準備は《王》との接続可能な《場》を作り上げる事で、本日の御前会議は実際に《王》と接続して、その意思を確認する事になりますが……これは《神人》級のマレビトである貴女にしか出来ない難事です。負担をかける事になると思いますが、どうかよろしくお願いしますマナカ」

「それはいいけど、御前会議となるとあいつらも参列するんでしょ? 連絡は?」

「それは既に私が……」

 ん、と言葉に詰まったマギカを見て悟った。

「ねえ」

 と、間を置いて呼びかける。

「はい。まだ何か?」

「それじゃ今まで私に教えなかったのって……」

「……出来れば貴女を巻き込みたくなった。貴女はこの家の二代目として本当によくやってくれている。去年の夏に《連盟》の要請で参加した第七次トランシルヴァニア戦役の手並みもそうでしたが、本年初頭に出雲大社で行われた《(みち)》の修復が三日で終わったのも貴女の功績であると、宮司が甚く感心しておられました。が、しかし……」

「しかし、なによ」

「……以後の貴女の衰弱は目に余った」

「まぁ、ね」

 魔術といい、法術といい、秘蹟という、マレビトだけが可能とする超常現象。《神人》の末裔であるマレビトは自己を世界に接続、あるいはより深く埋没して一体化することで世界法則に干渉し、意のままに操る事が出来る。

 だがそれは人の手にあまる奇蹟。何のペナルティーも無しにほいほい出来る事ではない。

 考えてみるといい。生身の人間が《世界》というよく分からない物に接続するのだ。接続の度合いが深ければ深いほど生身の肉体は深刻な代償を支払う事になり、また、如何なる手段をもってしてもこの負債を踏み倒す事は出来ない。

 わたしの場合《神人》の血が異常なほど濃い事もあって接続の負荷はそれほどでもないが、その代わりというべきか《世界》からの脱出……つまり自己の復帰が異常なほど遅れるのだ。

 まぁこの辺りは人をベースにした《式神》であるマギカと似たようなものなのだが。

「ですから私は、本来《神人》にしか出来ない《王》との一体化を貴女の代わりに行えるほどの《場》を作れないものか試行錯誤し、可能なら私が《王》と接続してその意思を確かめる事で、貴女の負担を減らしたかった。ですから、私は──マナカ!?」

 最後まで言わせなかった。

「止めなさい! 食事中に何をッ」

 ちゃぶ台を巻き込まないように注意して抱きつき、そのまま押し倒す。

「っ……戯れはここまでです、怒りますよマナカ……」

 ああもう。なんていいヤツなんだろうって感慨もひとしお。

「まったく貴方という人は女性の身でありながら同じ女性を……それも自分の従僕を押し倒して何をしようと言うのだッ」

「別に何も……あれ、もしかして期待しちゃった?」

「き、期待とは何を……!」

「……何してんだお前ら?」

 と、そこで聞きたくもない声を耳にして首を動かす。

 顔だけを振り向かせたわたしの前に不愉快な姿を現したのは、予想通り。

「サダミツ。あんたこそ何しに来たのよ?」

「定章だ。それと質問したのは僕の方が先だろ? さっさと答えろよあいのこ」

 ……いい気分が吹っ飛んだ。

 顔立ちこそそれなりに整っているものの侮蔑の表情を露わにして、あろう事がこのわたしを『あいのこ』呼ばわりする不愉快な面を張り倒してやりたくなる。

「見て判んないのあんた?」

「判るか馬鹿」

「そう。頭悪いのね、あんた」

 侮蔑の表情に軽蔑の表情を返して断言する。

 するとサダミツは余裕の笑みをひきつらせて……いい気味。何か言おうとして舌を噛んだ。

「……いいから答えろよあいのこ」

「なに怒ってんの、バッカみたい」

 あんな質問に答える気はないと言わんばかりに立ち上がって睨みつける。

「……」

「……」

 そうして睨みあうことかなりの時間、何故か身体を起こしたマギカが溜め息をついて、言った。

「穴があったら放り込みたい気分です」

 だが彼女が何を言わんとしているのかは、よく分からなかった。




「それで何しにきたのよあんた。召集は正午なのにこんな朝っぱらから来ちゃったりしてさ」

「別に早く来ちゃいけない決まりなんてないだろ。嫌いなんだよね、何もしないで時間が過ぎるのを待つのって」

 そう答えて欠伸をする不躾な男を睨む。

 こいつはサダミツ。桐生定章。本当はサダアキだけどわたしの中ではサダミツ。

 五歳年長の従兄妹──と言っても近親婚しかした事のない桐生家の同世代は、みんな従兄妹になるわけだが、こいつだけは本当の意味での従兄妹。つまりこいつの父親はわたしの父親の弟ってわけ。

 ようするに一族内の血筋においても、現実の地位においてもわたしの方が格上。なにしろわたしは桐生家の頭領なわけだし、年長の従兄妹とはいえ、サダミツごときの下風に立たなきゃいけない理由なんてどこを探しても見当たらない。

「それよりお前のシキガミが感じた災厄の予兆とやらはどうなってるんだよ? もうとっくに解決してるんだったら尊敬してもいいんだけどね、お前も」

 なのにこいつは末席の分際でそんな事を言う。

「馬鹿言わないの。そう簡単に行くわけないでしょ」

「はん。ようやく教えてもらったにしちゃ余裕があるじゃないか」

 思わず台所で食器を洗っているマギカを見てしまった。

「……すみません。一族の主だったものには連絡と、貴女への口止めを」

「そういう事さ。自分の流儀を大事にするものいいけど、少しは当主たる者の自覚ってもんを持ってほしいね。だらしない頭を持って苦労するのは僕たちなんだからさ」

 そう言われると返す言葉がない。実際、件の接続の後遺症でマギカが難しい顔をしていた時も「便秘かしら」としか思わなかったし、学校にも毎日通ってたし。

 でも、別に遊び呆けていたわけではないだ。

 ただ誰に何て言われようと父さんの言いつけ──要は自分の流儀を譲る気はない。

 父さんは言った。自然である事と普通である事は同義ではないが、両立が不可能という訳ではない。酷く困難ではあるが、我々は人である。その事をマナカ、どうか忘れないでくれと。

 わたしを身篭らせた母さんを捨て、桐生の家に戻ることを良しとしなかった父さんならではの言い付けを、娘のわたしが破るなんて論外の極致。

 桐生マナカはこの家の二代目であると同時に、桐生城西高校に通う普通の女の子でもあるのだから、誰に対してもそれを譲ってはいけないのである。

「何にやにやしてんだよ、お前」

「あんたの顔がおかしいからでしょ」

 言って、ティーカップに口をつける。

 まぁ言うほど悪いヤツでもないのだ、こいつも。

 何しろ若輩の混血の分際で家督を継いだわたしに対する主だった一族の対応は、丁重な無視が基本。先代の遺言とその《式神》であるマギカが居るからとやかく言う向きは起きていないが、今回の件だって召集したのがわたしだったら、良くて理由をつけての欠席が殆どだっただろう。

 例外はこいつと、こいつの父親。あとは鞍形山の《眷属(けんぞく)》くらいだ。

 それでも鞍形山の《眷属》が重視しているのは、当主であるわたしじゃなく桐生家そのものだし。こいつの父親が重視しているのは重鎮として面子としきたりだけだ。

「……まぁいいさ。お前みたいなちんくしゃでも一応女の子だし、子供の言う事に腹を立てるのも大人気ないしね」

 そんな連中に比べてば、わたしの事を『あいのこ』だの『ちんくしゃ』だのと言ってくれるこいつの方がマシってもんだ。

「で、結局何が言いたいのあんた?」

「お前みたいなあくたれを従兄妹に持った僕は恵まれない星の下に生まれたって事さ」

「……そうね。たぶんアンタみたいな従兄妹を持ったわたしの次くらいに不幸なんじゃない?」

 とは言え厭くまであいつらに比べりゃマシって程度だ。選民思想に凝り固まった鼻持ちならない従兄妹。加えて、わたしの事を『あいのこ』だの『ちんくしゃ』だの『あくたれ』だのと言いやがる、デリカシーの欠片も無い男とお近付きになりたいなんて思わない。

「今日は特に不幸だわ。朝っぱらからふざけた面を拝まされて、その上、話し相手になってやらなきゃいけないなんてさ」

「……」

「失礼」

 またしても余裕の笑みをひきつらせるサダミツの前に、デザートの林檎を置いたマギカは微笑み。

「林檎を剥きました。サダアキもどうですか?」

「……貰うよ」

 何もこんなヤツに恵んでやることないと思うけど、まぁこれくらいは許容範囲か。ぶっちゃけ毎年食べきれないで余らせてるし。

「しかし随分変わったじゃないかマギカも。以前はご神体の傍でぴくりとも動かなかったのにさ。なに、こいつとの生活は楽しい?」

「はい、概ね」

「そうかい。そりゃ良かったな」

「はい」

 そんな会話を耳にしながら考える。

 今までの事。そして、これからの事。

 しゃり、という林檎の食感が口に優しい。

 願わくば桐生マナカも優しい人でいられるますように。

 会話の途絶えた居間の中、時計を見上げて確認する。

「あと二時間か」

 この胸に湧き立つ不安が緊張に依るものだと願いながら。




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