6.ユザニ山脈
ユザニ山脈と呼ばれる数々の凶悪な魔物の住まう未開拓の地がある。最も高い山には厚い雲が頂上を隠し、雲の上に人類が到達した報告は無く、目撃されたこともない。
切り立った崖が連なるそこは気候も激しい。雨が降ることは無いが、常に雪と雷が降り注ぐ。足元には常に美しい白き雪の絨毯が広がっているが、少しでも見惚れるようなら雪下に潜むクレバスの罠にかかるだろう。ハマってしまったら逃げることは出来ない。身動きが取れないうちに魔物の胃袋に収まるからだ。
ユザニ山脈には多くの貴重な鉱石資源があり、それを求めて毎年多くの冒険者がユザニ山脈に足を踏み入れるが、例外なく洗礼を受けた。大半は死に、生き残った者も腕が無かったり、脚が無かったりと無事とは言い難い状況となり帰ってくる。そして帰って来た者は皆口を揃えて二度と行きたくないと言った。
そしてユザニ山脈に新たな挑戦者が現れる。
それは美しい女性。ダークブラウンの髪を揺らしながら手には2本の長剣。服装は防寒着なのだろう、厚手のマントを羽織っている。
俗に言う軽装。普通の山を登ることすら出来ないであろう装備で、ユザニ山脈に入ろうとする女性を止めたのは1人どころではない。しかし、彼女はそれらを全て無視する。ユザニ山脈の山頂に用があるからだ。
彼女は山の麓に着くと猛スピードで駆け出した。
足の捕らえる雪の上とは思いない速さで頂上までの距離を縮めてゆく。彼女を捉えようとした魔物は3秒で斬り刻まれた。罠として待ち構えていたクレバスは直前で方向転換されるなり、華麗に飛び越えられ矜持を失う。
半日間体を動かし続け、辿り着いたのは厚い雲が目の前に広がる舗装された道。この道はある男によって作られたものだが、一般人が見れば舗装する機材は持ち込めないこの場所で、小綺麗な道見つけたのなら大発見。ユザニ山脈には人がいたと判明するからだ。
雲の中、ユザニ山脈の頂上へと続くこの道は急な坂道をしており、先に進むと厚い雲によって視界が封じられる。
頼れるのは道の節々に魔法によって灯された、点滅する仄かな明かり。それを見失わないように彼女はゆっくり歩きながら先に進む。
視界がだんだん広くなり、もうすぐで雲を抜けるという時、雲海の主が現れる。
1匹の龍。細長い体を唸られながら雷を纏い彼女に突進してくる。
しかし、彼女にとってはどこ吹く風。龍の巨体を一飛びで躱し、道に頭から突っ込んだ龍の頭に強烈な踵落としを決める。龍の頭蓋は砕け散り、受け止めきれなかった衝撃は大地に響き、道を粉々に粉砕する。
寝静まった龍は辛うじて息があるが、もはや死に体。ユザニ山脈の主が死ねば色々不祥事が湧くが、山頂に住む男に任せれば綺麗に片がつく。
全てを丸投げした彼女は先に進んだ。
雲を抜けた先は死地とは言い難い穏やかな場所だった。気温は低く空気も薄いが、魔物はおらず雲の上のため天候も一定だ。
彼女は麓に広がる雲海を背に、岩肌に張り付くようにポツリと建てられた一軒家に入る。
「ノワード、ノワードはいるか!」
家の中は数々の書類が足の踏み場もないほど散乱しており、壁に貼られた黒板には無数の術式や計算式で埋め尽くされている。家の中には剥き出しの岩肌があり、そのには地下へと続く深い穴が掘られていた。隣のキッチンにはまだ香りの立つ紅茶が置かれていたこともあり、彼女はすぐにノワードが帰ってくると思い適当に座る。
程なくして穴蔵から1人の男が出てくる。
男は薄汚れたボロボロの布切れを纏っており、髪はボサボサ、髭も好き放題伸びている。男は床に胡座をかいて座る彼女を見ると、驚いた顔で名前を思い出そうと首を傾げたが、名前を聞いた覚えが無かった男は聞くことにした。
「あー、えーと。今は何と名乗っていたっけ?」
「今はミスタリアだ。ノワードが覚えていないのなら言い忘れていたのだな」
ノワードと呼ばれた男は、タンスに乱雑に突っ込まれた服を取り出し着て、客人をもてなす茶を入れ始めた。
「名前をコロコロ変えるのはめんどくさくないかい?」
「私たちの体は変化しないからな。名前を変えて生活圏を変えないと不審がられる」
「それこそ面倒じゃないか。僕みたいに引きこもればいいものを。それで、今回の要件は?
新しい術式についかい?それとも眠りにつくのかい?」
新しい紅茶を2人分淹れたノワードはミスタリアの元に赴き、対面して座る。ノワードの表情は表面上笑っているが、その瞳は真摯で真面目だ。
「まだ確証はないが……ファスタブルが目覚めた」
ミスタリアのその一言でノワードのうわべの面が豹変する。声が震え、目尻からは涙が溢れる。
「ファブが目覚めたのか……?本当に目覚めたのか…………!?」
「確証は無いと言っているだろうが」
「それでも、こんなに嬉しいことはない!ラスバミアも数日は泊まっていくだろ!?今日は記念日だ、今晩は朝まで騒ごう!!」
ノワードは勢いよく立ち上がり、両手を上げて喜びを体全体で表現する。目尻のダムは決壊どころか粉微塵に崩壊しており、大粒の涙が滝のように流れる。
「昔の名で呼ぶな。もちろん今日はその気で来た。美味い飯を期待しているぞ」
「勿論だ!久しく料理なんてしなかったから、ファブに万全の状態で振舞えるように勘を取り戻さないと」
「あと黒雷龍だったか?アイツが離れで伸びてる。道の補修も兼ねて見てやってくれ」
料理の材料を抱え、小躍りをしていたノワードはミスタリアの発言によって動きを止めた。そして首をゆっくり回してミスタリアに顔を向ける。
幼馴染であるミスタリアは察してしまった。ノワードが爆発すると。
「な、な、なんでそれを先に言わなかった!!黒雷龍がどれほど大事な存在から2000年前にも忠告したよね!!」
ノワードは頭を抱えて叫び散らす。辺りに散らばった紙は舞い上がり、床に置いてあったノワードの紅茶がひっくり返る。
ミスタリアは「これは長くなるな」と呟いたあとノワードの騒音を無視して1人紅茶を楽しんだ。