1.蟲の王
長かった。
あの忌々しいラスバミアの王に封印されてから14046年と75日。この時を待ち続けた。
もうすぐだ。もうすぐ解ける。
待ってろラスバミアの王。私は貴様を許さない!絶対に忘れないぞ!!
□
ここはラサグアの街。伝説にある古代ラスバミア王が生涯をかけて発展させた土地と言われている。ここにはラスバミア王が悪神を封じたと言われている石碑が街の中心にあり、その石碑を守るように街がある。
私はその街の領主の娘をやっていた。父は税を上げ私腹を肥やし、母はブランド物の服や鞄を買い漁り貴族らに賄賂を渡すのに必死になっていた。その結果がこれだ。
「殺せ!」
「俺たちを苦しめる悪魔の血は根絶させろ!」
「娘を返して!」
「早く火を付けろ!」
謀反、一揆、革命。私たち家族は痩せ細った市民によって街の中心に磔にされた。父は鬼の形相で怒号を上げ、母は涙に顔を醜く腫らしながら命乞いをしていた。
私はこれまでの両親の行動に疑問を持ったことは無かった。市民は下、私達一家は上と教えられて育ったせいだ。けれど市民からしたらそれは間違いだったらしい。
そして悪魔の所業を見逃し、同じ血の流れている私も悪意をぶつけるに相当する。逃げられないように両足を切り落とされて同じように貼り付けにされた。
市民の不満は止まることを知らずに石まで投げ始めた。母の顔にクリーンヒットし、娘を売ると必死に叫び始める。そしてとうとう足元の薪に火がつけられた。
「まだ死にたくない……」
気温が上がる中、私はそう呟いた。
その時、黒い何かを載せた強烈な風がやってきた。その風は磔にされた十字架の背後にあった石碑に集まって黒い球体を生み出す。
市民は叫び出す。悪魔の魔術だ、仲間を呼んだぞ、いや神の思し召しだ。などと意見は様々だ。程なくして球体は解けて1人の男が現れる。
上半身は裸で下半身には毛皮の腰巻のみ、大量の骨飾りを全身に着けており、頭にはヤギの頭蓋骨を深く被っている。
「フハハハハハハハハハ!!やっとだ、やっと解放された!!待ってろラスバミアの王よ!今向かうからな!!」
ラスバミアの王。この街では有名過ぎる単語でその場にいる全員は察してしまった。石碑から出て来たこの男は古代ラスバミア王の封印した悪神なのだと。
悪神は黒い何かを操作して周辺に燃え滾る火を消し去る。そして磔にされた私に話しかけて来た。
「小娘よ。ここはどこでラスバミアの王はどこにいる?」
「私が今話せる状況にあると思ってるの?」
「ふん、反乱か。どこの時代も変わらんな。良かろう小娘。我が助けてやる」
悪神は両手を広げ叫ぶ
「我は帰って来た!我が眷属よファスタブルの名の下に集え!」
街中から黒い波が集まる。それは虫、蟻や蚊をはじめとした昆虫に見たことも無い蟲までも出て来る。よく見れば先程火を鎮火させた黒い何かはハエの大群だ。
革命を起こした市民は迫り来る黒い波に阿鼻叫喚で逃げ惑う。
「ひっ……!」
私はつい声を上げてしまう。人が虫に喰われるのを見て上げたのではない。私は虫が嫌いだから上げたのだ。
「なんだ小娘。人が死ぬのを見るのは初めてか?だが、この光景を目に焼き付ければ他の死に方なんぞで怖がることはない。我の力をしかと見届けよ」
「ち、違っ、私、虫が大っ嫌いなの……」
「なんだと?」
悪神は私の発言に声のトーンを落とし、そのヤギの頭蓋骨を私の顔元まで近づけて睨む。私、虫を操る悪神にとんでもないこと言ってしまった。
「そうか……嫌いなのか………そうだよな。女の子は虫嫌いだよな……」
悪神は私に背を向けて肩を落とす。そして体操座りをしながら市民が虫に喰われ続けているのを眺めている。
「おい!助けるのが遅いんだよ!!早くしろよグズが!!」
「早く降ろしなさい!ロープで痣が出来ちゃうじゃない!!」
私の横から声が上がる。父と母だ。どうやら両親は叫び続けけていたため、この男の正体に気が付いてないようだった。悪神は危機が去ったと思い込んでいる愚かな2人を落とすように降ろす。
「もっとゆっくり降ろさんか!私が怪我をしたらどうするつもりだ!責任取れるのか!?」
「そうよ女性をなんだと思っているの!!」
五体満足の両親は悪神に指をさし怒鳴り続ける。既にそこが安全地帯でもないのに。
「我が助けるのはそこの小娘のみだ。貴様らは知らん。とっとと失せろ」
「なんだとぉぉ!?」
とうとう父がキレて悪神に殴りかかる。悪神は避けようとしない。父の拳が当たるかと思われたその瞬間、拳は止まる。大量の虫、主にムカデが父の腕に絡みつき動きを止めているのだ。
「うわぁ!!離れろ!離れろ!この虫が!!っ痛!!」
虫が絡まったその場所から虫は父にどんどん這いずり、やがて1つの黒い塊となる。黒い塊は歪んだ球体を保っており蠢く。虫に飲まれた父を見て母は股を濡らしながら虫の居ない場所に向かって走り出す。しかし建物の影で見えなかっただけで母も虫の波に埋もれる。
父の飲まれた黒い球体は溶けるように小さくなり、その姿を消す。そこには何も残ってなかった。肉片も身に纏っていた衣服すらも。
「さて先ずは自己紹介をしよう。我の名はファスタブル。全ての蟲の支配者にして王。そして愛する者である!小娘、貴様の名は何という」
悪神、ファスタブルは立ち上がり私を十字架から降ろしながら自己紹介をする。丁寧に虫を退かせて自らの手で。
「私の名はカスミラ……です。助けてくださり、ありがと……ございます」
「慣れない敬語なんぞ使わんでよい、我々は取引相手、対等の関係だ」
私は領主の娘として常に上に立っていたので敬語が苦手なのを察したのだろう。気を遣われた。
「そう、ならお言葉に甘えて。改めてありがとうファスタブル」
「うむ、礼を言えるのは良いことだな。その格好では辛かろう。少し待て、椅子を探す」
ファスタブルは近くの民家から1つの箱と椅子を取り、戻って来る。
「少し失礼するぞ」
ファスタブルは地に倒れ伏している私を横抱きにし、椅子に座らせる。両足が切断されて無いので、この気遣いは非常にありがたい。さらに箱からガーゼと包帯を取り出し私の応急手当をしていく。この人本当に悪神なの?
「さてカスミラよ。治療をしているこの間に我の求める情報を教えよ」
「あ、うん。先ずここはラサグアの街。古代ラスバミア王が生涯をかけて発展させた土地にある街よ」
「ん?生涯をかけて、ということはラスバミア王は死んだのか!?」
「え、まあだいぶ昔に」
ファスタブルはラスバミア王が死んだと聞き、気を落とす。
「そうか……死んだのかアイツ」
やはり恨んでいるのだろうか。自身を封印したラスバミア王を。
「まだ告白してなかったのに……」
「────え?」
ファスタブルは頭を抱えて落ち込む。
「ちょ、ちょっと待って!」
「なんだ」
「告白て、え、なにラスバミア王のこと好きだったの?てかラスバミア王は女性だったの?」
当然の疑問だ。恨むならまだ分かる。けど告白とはなんだ?そもそもラスバミア王は男性として後世に伝わっているが女性なのか?
「ラスバミアは美しい女性だ。あの者より美しい存在は見たことない。好きかどうかは……ノーコメントだ」
ファスタブルは頬を赤らめる。いや、告白とか言った時点で隠すだけ無駄なんだけど。
「そもそも何で封印されてたの?」
その質問には答えにくそうにボソボソと答える。
「最初はイタズラだったのだ。好きな子にイタズラするあれだ。だがラスバミアは虫をとんでもなく嫌っていてな。…………喧嘩した」
まさかそれだけ?それだけで封印されてたの?
「我にだけ恋の病をかけたラスバミアが許せなかったのだ。だからラスバミアにも恋の病を患わせたかった」
「はぁ、アンタ馬鹿じゃないの?」
私は呆れてそんなことしか言えなかった。
子供か! 要はラスバミア王に振り向いて欲しくてちょっかい掛けてたんだろ!? 子供か!
「そもそも何で死んでおるのだ。ラスバミアは不老の筈なのに……我が必死に封印を解いたのが馬鹿みたいではないか」
これからやることが無いな、とファスタブルは呟く。ならば丁度いい。
「ねぇ、やることが無いなら私と来ない?この街はもう駄目だし、私は足が無くて1人だとまともに動けない。家には金があるわ。報酬も払うし護衛を兼ねて私に雇われてみない?」
ファスタブルはその提案に目から鱗だったようで、子供のようにはしゃぐ。
「それは誠か!その提案、是非とも了承しよう!この時代のことなんぞ全く分からぬからな!この時代をよく知る人物と共に行動出来るのは有難い!!」
私は足を奪われた。街は虫に飲まれて市民と両親は消えた。思う所が無いと言えば嘘になる。それでも恋する蟲王との旅にワクワクしている自分がいた。これからは抑制された空間ではなく外の広い世界で生きていく。
お父様、お母様。貴方達のやり方は、間違いでしたが、私をここまで育ててくれた事には感謝します。私はこれから外で学び、貴方達とは違う人生を歩みます。
──それではさようなら。