ここ一番の淫夢をみたんだが!
多少センシティブな表現を含んでいるので、閲覧注意です。
「……シュ…………シュウ君?」
「うぅん? ……あと、二時間だけ寝かせて……」
「もう! それは”だけ”って言わないの。しょうがない子ね。……早く起きないと、襲っちゃうぞ?」
「――へっ!? ……あ、あれ? 所長?」
「……そんな他人行儀な呼び方はイヤ。いつもみたいに、”リンちゃん”って呼んで」
「”リンちゃん”!?」
え? いや、いやいやなんで所長が居るのさ! それに”さん付け”ならともかく、愛称でなんて呼んだことないぞっ!?
何かがおかしい。そう感じた俺は重い瞼を無理やりこじ開け、周囲の様子を伺うことにした。
ぼやけた視界に、以前と何ら変わりのない研究室が映りこむ。
それが当たり前の日常のはずなのに気が付けば、思わずホッと息を吐いていた。
「そうか。……そうだよな、あり得ない。やっぱり、どうかしていたみたいだわ」
そう。巨大な黒紅竜や焼死体の山、冒険ギルドも奴隷達も皆全て、夢だったのである。
ふむ。一安心したところで、何故か隣で寝転んでいる鈴音さんに、その心でも聞いてみますか。
「もうなに? まだ寝ぼけてるの? 太陽はとっくに有頂天だよ?」
「……ちょっと何言ってるか分からないですが、きっと今お昼頃なんですね?」
「ふふ、そうだよ。ホントはこうやって、いつまでも寝顔を眺めていても良いのだけどね」
鈴音さんが、俺の黒髪を左手でさらりと撫でながら顔を覗き込んでくる。
右の頬に触れる柔らかな掌の感触とその優しい表情に、俺は得も入れない安心感を覚えた。
鈴音の言う通り、秋の微風に揺られたカーテンの隙間から差し込む日差しが、今現在の大体の時刻を教えてくれる。
どうやら今居るこの場所は、研究室で仮眠という名の惰眠をむさぼるために用意したソファベットの上らしい。
「ほらほら。早く服着て準備しないと、ラヴィニスが嫉妬で般若になっちゃうぞ?」
「はいはい。……え? 服? 着る?」
そんな何気ない鈴音の言葉に、どこか違和感を覚える。
なにか自身の知りえぬところで、重大な何かが起こっているようなそんな感覚である。
そして、意識が覚醒する。
「っんなあぁぁぁ!」
「わわ! なに? どうしたの!?」
「なにってしょちょ――っ!」
自身の現状に驚愕し、何とも素っ頓狂な声を上げてしまう。
それに釣られ、身体をビクゥと震わせ反応する鈴音さん。
そしてそんな彼女を見て俺は思わず息を飲み、カッと目を見開いた。
そう。視界に飛び込んだのは、生まれたままの姿でコテンッと首を傾げる鈴音と、見つめた彼女の瞳の中で同じく生まれたままの姿で固まる俺だったのだ。
そのまま、どれほどの時間が経ったのだろうか。思考停止してしまった俺の脳は、目の前の現象を理解しようと必死にフル稼働している。
目の前に映るのは、まるで神の奇跡と呼ぶに相応しい凹凸のバランス比を持つ麗しい女性の肢体。
そして、その持ち主である美女が心配そうに此方を見つめて手を差し出し、微笑しながら自身の頬を優しく撫で回しているではないか。
次第に彼女の瞳が慈しみを帯びていく。徐々に明確になっていく現状に思考だけでなく、俺こと朱羽夜のシュウ君も脈動し始めたようだ。……此方も、元気にフル稼働である。
……何を言ってるかは、察していただけると幸いです。
「シュウ君? どうした――もう、昨日もあんなにしたのに。こっちのシュウ君は、いつもいつでも元気なんだから」
「……え? あぁ!? これはチガ――っ!」
「ふふ。私ならいつでもどこでも良いって言ってるでしょ? ほら……いくよ?」
「ふぇ!? ちょっ! どこを触って……! うぁ!」
「んっ、うぅん……。……んもう、そんなに動いたら……出来ないでしょ?」
「ちょ! 何をする気ですか……! だっ、ダメだって……ば……」
「何って……ナニ?」
「ふぁぁ! 定番ネタ、ありがとうございますぅぅぅ!」
混乱と羞恥の極みで、俺は自分でもよく分からない言葉を発してしまう。
そしてそんな俺はモンスターをハントする狩人のような目をした鈴音に拘束され、身動きが取れない状況になってしまう。
このままだと捕獲……いや捕食されてしまうのも時間の問題だろう。
「ちょっと! 何を騒いでるんですか! 起きたなら早く来て下さい! カトゥ……ルーアとロアちゃんのドレスが、ようやく今日になって届いたんですよっ!?」
聞き慣れた女性の怒声と共に、ドンドンと研究室のドアがノックされる。
それに驚き正気を取り戻した俺は、そんな喧噪などなんのそのと未だ自身の息子に奇襲をかけている全裸の美女の肩を、ガッっと強めに掴んだ。
「ふぁん! ……もう。なぁに?」
「なぁに? じゃ、ありません! 服を着て下さい!」
「エーヤダー」
「!? ダダこねても駄目です! いつもの所長に戻って下さい!」
「今の私……、嫌い? 可愛くない?」
「――っ!? 大好きです。とても可愛いです! 愛してます! 夢でもなんでも!」
「…………嬉しい、好き」
「ぐぅ可愛ぁぁ! でも、駄目です。今はほら、早く服を着て下さい!」
「そんな強引なシュウ君も、好き」
俺の脳は、逆にこれこそが夢だと断定した。まずどう考えてもありえないこの状況を、現実と認識できなかったのだ。
言われた通り渋々――今もチラチラと見ているが――着替えている鈴音を眺め、勿体無かったかなと思いつつも俺は思案する。
確かにそう考えるのが辻褄が合いそうだな、と。
まずはこの場所。少し異なる点はあるが、どう見ても俺の研究室兼自室なのである。
実際は先日の異世界転移のせいで、既に崩壊しているはずなのだ。
そして鈴音の存在だ。俺にとって、彼女はとても手の届かない高値の花である。美しく聡明で、もし生まれ変わるならこの人のようになりたい。そう願うほどには憧れている、理想の相手なのだ。
そんな彼女が甲斐甲斐しく自身の色々な面倒を見てくれそうなこの雰囲気で、俺は間違いなく夢であると確信したのだ。……それも、とびっきりの夢想である。
夢だと断定した上で現状を分析しようと思い、それを可能にしてくれるであろうイヴに心の中で語り掛けてみることにした。
――イヴ。いるか? 俺の状態が今、どうなっているか聞きたいんだけど……。
《了解。マスターは今ギルド『夜烏』の客室の一室で横になっています》
……そうか。やはりこれは夢だったんだな。
《理解。残念でしたねマスター、事後で無くて》
何のことかなっ!? いや何が言いたいのかは分かるけども、そして確かに残念だけどもっ!
《……ふふっ》
イヴ!? あのイヴが、笑ったっ!?
これは推測だが、今頃寝ている美少女の姿の俺の身体も、動揺でビクンと強張っていることだろう。
イヴと念話の如き会話が出来ることにホッとした瞬間に言葉の爆弾を落とされ、さらに笑うという衝撃の連鎖爆破を受けたとなれば余計である。
実際、イヴと出会ってから一度も笑ったことがないのだ。……少なくとも俺の前では。
アヴィスフィアに転移してからというものイヴの成長? は著しい。
今までも確かに弄られたり呆れられたりしていたが、こんなにはっきりとした感情表現はしていなかったのだ。
「シュウ君? 何ぽけーっとしているの? つば……ラヴィニスが物凄いジト目を私に向けて来てるから、そろそろ復活して欲しいのだけど」
「え? ――ヒッ!」
そんな風に俺が未だ憮然としていると、鈴音が不思議そうに声を掛けてきた。
鈴音の言葉通りにその視線の先を追っていくと、胡乱なジト目を鈴音に送るラヴィニスが居た。
そして、その後方には恐ろしい鬼の形相をした夜叉(半透明)が控え、俺に単一色の光点を向けながら首をコテンと横にしているではないか。
実際にはそのような化け物などこの場にい居るはずが無いので、多分俺の弱い心が見せた幻なのだろう。……フシュルルルゥとか白い息を吐いているのも、間違いなく幻覚に違いないのだ。
「すず姉! アイヴィス様を襲うときは一緒にって言ったじゃないですか!? 抜け駆けなんて、ずるいですっ!」
「やー。ごめんごめん。なんかこう懐かしい反応のシュウ君を見てたら、なんかもう抑えきれなくて……」
「そこは我慢して下さい! 今日が何の日か、忘れたわけでは無いのでしょう? ……私だって、我慢しているのに」
「う。ホントごめんね。今度シュウ君一日貸すから、それで許して? お願い!」
「……三日」
「――ぐぅ。……分かった。それで良いよ」
いつの間にか扉を開け中に入ってきていたラヴィニスが、鈴音にそう詰問する。
俺が軽い恐怖状態に陥っているのを尻目に、俺の予定が勝手に決まっていく。
話している内容があまりにも現実味がなかったので、半分以上は理解出来なかったけども。
そんな俺に「やったー! 約束ですよ! アイヴィス様、やりましたっ!」と両手を挙げ、飛び込むようにして理想の嫁――ラヴィニスが腕に抱き着いてくる。
そこには既に夜叉の姿は見受けられない。やはり、幻想だったのだ。
何より今は、そんなことを気にしている場合ではない。
……左腕に、幸せが訪れているのである。
当然委縮した俺の”金棒”も、これをチャンスとばかりにピクリと反応し、やがて”利かん棒”になった。
何を言っているかは、察して以下略。
「あ、アイヴィス様……。そんなにされては、衣服を着ることも儘ならないでしょう。今、私が沈めて差し上げますね」
「ふぁ!? え、ちょ。やめ――」
「こら! 何しようとしてるの!」
「何って……ナニに決まってるじゃないですか」
「くぅぅ。この妹、私と同じセリフをぉぉぉ! そしてシュウ君! どうして抵抗しないの!?」
「え? あぁ、なんかこのまま流されるのも、それはそれでありかなぁ、と」
「流石。キミは相変わらず純応力が高いね。私の時は抵抗したのにこのやろう」
「おっ。今の所長の話し方、ちょっとイヴに似てましたね」
「――あっ!」
「? ――あ」
口を滑らせたような焦り方を見せる鈴音に俺は首を傾げた。そんなに狼狽するものだろうか、と。
ちなみに、今この瞬間も未だラヴィニスの猛攻は続いている。
絶妙な妙技にてインターセプトしていた鈴音が固まったことで、彼女のその御手は再び蹂躙を開始する。……どのような、とは言わないが。
《通告。気のせいです》
ん。おっ、ノリがいいねイヴ。そういう変化は好ましいね。
《不満。何故か今までの私を否定されているような気がして、少し憤りを感じるのですが》
それこそ気のせいだよイヴさんや。要は俺にとって、お前こそが一番身近に感じているってだけの話だよ、ん。
《狡猾。そんな言われ方をしたら、怒るに怒れません》
くぅ。……はは。そいつは重畳。それで、そんなイヴさんにお願いしたいことがあるんだが。
《疑問。何でしょう?》
う……んぅ。限界というか何というか、そろそろ俺の息子が異世界に転移しそうなんだよね? 出来れば助けてあげて欲しいんだけど……。
《……最低。知りません》
え? あっ、ちょ! ホント不味いんだってイヴさん! イヴ様ぁ! あ……アッ――――!
《………………》
……何が起こったかは、皆まで言うまい。
一方的に蹂躙された俺は、尻を丸出しにしたまま膝をついた。
傍から見れば、なんとも間抜けな姿であろう。
なにせなすがまま、されるがままで、何も出来なかったのだ。
その事実を忘れようとシャワーを浴び、また服も着替えて身も心もすっきりとした俺は、ふと疑問に思っていたことを独り言ちる。
「なんで、覚めないんだ?」
当然の疑問である。なんで夢の中でトリップ――は良いとして、シャワーを浴びて服も着替ることが出来て、あまつさえ”すっきり”出来たのだろうか。
全てが幻というには、余りにもリアルすぎる感覚だったのだ。
それは、今も甲斐甲斐しく俺の世話をしている二人にも言える。
鈴音は俺の濡れた黒髪をドライヤーを使わずに乾かし、ラヴィニスは虚空から冷えた飲み物をコップに注いでくれている。
不思議と頭をなぞる温風の感触と、キンキンとしたのど越しまでもがある。
《解答。今回二人と結んだ夫婦――乃至、俺嫁誓約には、その際の互いの感情を”最低限”にするという絶対の仕組み(ルール)があるのです》
そんな俺の疑問にイヴが答える。しかしその内容は、聞きたかった情報と微妙にズレていた。
なんか右斜め上の答えが返ってきたんだが……うむ。とりあえず置いておくとして――誓約に、ルールだって?
《訂正。厳密に言えば誓約と制約の呪法。……”束縛の呪い”といった方が正確かもしれません》
そ、束縛の、呪い……?
おそらくイヴはあんな醜態をさらした俺を見て、何故二人が冷めなかったのかと言外に伝えたいのだろう。
そんな彼女の意図には気が付いたが、敢えてスルーした。……敢えて、ね。
大事なことだから何度も言いますが、敢えてだからね? 早すぎるとか、受け専とかは聞こえないっ!
俺は脳裏に浮かぶ情けない自身の姿を想像し、両耳を抑えて首を左右に振った。
しかし今は以前の男である俺の姿なので、さらに恥を上塗りしている気がしてならない。
――そ、それで? 俺嫁誓約で発生する呪いとやらは、俺にどんな影響を与えるのかい?
ドツボに嵌りそうな気がしたので話題を変えようと、イヴに気になっていた質問をしてみる。
しかし、半ば強引な方向転換をしたその質問に帰ってきた解答は、何とも恐ろしい事実であった。
《通告。”嫁あるいは妻”は”俺あるいは夫”にどんなに悪口を言われようが、どんなに酷いことをされようが、契約時の感情以下には下がることはありません。それは行使した側も同様です》
《概要。互いが心に”誓約”を課し、口づけによりその誓いが成立した瞬間に、その新たな制約が発生するということになります》
《結論。つまり簡潔に言うならば、何をされても嫌いに慣れないのです》
――んなっ!? そ、そんなのって……。
《質問。マスターはどう思いますか?》
どう、思うって……それは――。
《疑問。恐ろしいですか? 悍ましいですか? 気持ち悪いですか? どう……感じますか?》
…………。
俺嫁誓約の真実も然り、その後に続いたいつになく激情をぶつけてくるイヴに対し、俺は思わず息を飲みこんでしまった。
その様子を、鈴音とラヴィニスが心配そうに見つめている。……二人には俺とイヴの会話は聞こえてないはずなのに、だ。
俺は考える、その誓約の意味について。確かに人の心は移り往く、人が忘れる生き物であるから故に。記憶としては残っていても、そのとき感じた無数の感情を一体どれだけの人が覚えていられるだろうか。
それ故に、永遠の愛なんてものの存在などあり得ないだろうと。物理的に、そして感情的にも、だ。
俺嫁誓約下での制約では、その感情面の最低値が固定されるらしい。
正直、実感は全くと言っていいほど沸かないが、確かに今現在ラヴィニスのことは嫌いじゃないし、なんなら好きになっているまである。……当然、鈴音さんに関しても同様だ。
表裏一体だな。と、俺は考える。とても魅力的であるように思えるが、そしてそれと同時にとても恐ろしいものだとも感じたのだ。
しかし俺は、そこに嫌悪感を感じなかった。故に、その気持ちをそのままイヴに伝えることにした。
……そうだね。確かに、恐ろしいかな。自分でどこまで認識出来ているかも分からないし、ね。
《…………》
そう精神で口にした瞬間、イヴが軽くショックを受けたように俺は感じた。
鈴音やラヴィニスに至っては、顔をサーッと真っ青……いや蒼白にしている。そんな様子を見て、俺は慌てて次の言葉をひねり出した。
でも、不快じゃない。ラヴィニスが常に一緒に居てくれる。その安心感は、正直何物にも代え難いね。
《――ッ! 質問。本当……ですか?》
あぁ、本当だ。相手がラヴィニスだったってこともあるのかもな。
《…………》
俺の回答に喜色の様子を浮かべるイヴと鈴音だったが、次の言葉に再び固まってしまう。
逆にラヴィニスは満面の笑みを超え、恍惚と言っても過言ではないほどのだらしない顔をしている。……それもまた、可愛いのだが。
ん? どうしたんだイヴ?
《……通告。マスターに、伝えねばならない大切な儀があります》
むむ? そんなに改まるなんて、らしくないぞ?
《…………》
伝えることがある。そう確かに言ったのに、依然としてイヴの歯切れは悪いままだ。
いつも物事をハッキリと言い切るタイプの彼女が、こんな優柔不断な態度を取るのは見たことが無い。
不安そうな視線を感じるので、恐らくは俺がそれを聞いてどう思うかを気にしているのかも知れない。
けれどそもそも俺の感情なんて、最初からイヴに全部筒抜けだと思っていたんだけどな。
「シュウ君。ここからは私が答えるよ」
「? 所長?」
イヴとの脳内会話のつもりだったのだが、口に出ていたのだろうか。
それとも察しの良い鈴音さんの事だ。表情などの外的要因から読み取った可能性もある。
なんてな。たとえ表情が読めても、流石にその内容まで把握できる人はこの世に存在しないだろう。
「あれ? もしかして所長、俺とイヴの会話が聞こえるのですか?」
「うん、聞こえるよ。その辺も含めて、私が答えるね」
俺は鈴音へと向き直り、感じていたそもそもの疑問を直接彼女に質問することにした。
頭の中がはてなマーク一色になったので、とりあえず現状を説明して貰おうと思い立ったのだ。
やはり分からないことは聞くに限る。そう考え、次に続くだろう鈴音の言葉に耳を傾けてみる。
「まず今いるここは、シュウ君の脳内……いわゆる、夢の中って奴だね」
「――っ!? やはり、夢なのですか!」
「そうだよ。これは夢であり、同時に現実でもあるんだ」
「? ……良く意味が、分からないのですが」
「ふふ。いきなり言われたら、それはそうだよね」
精一杯理解しようにも、俺にはよく分からない。その様子がおかしかったのか、鈴音さんは微かに微笑み、何やら一人で納得している。
彼女はいつもそうだ。最初に必ずと言っていいほど思わせぶりな態度をとる。
そして疑問符を浮かべる俺を揶揄い、それでいてきちんと理解できるまで説明をしてくれるのだ。
……全く、質が悪いったらないね。
ラヴィニスもポカンとしていたであろう俺を眺め、愛おしそうに微笑むのはむず痒いから止めなさい。
「今私がキミとイヴの会話に介入出来ているのは、私とキミが既に誓約済みだからなんだよ」
「えっ!? 俺と所長が、誓約?」
「実はそうなんだ。キミがあの事故で眠りこけているときにこっそりと、ね?」
「――はぁっ!? ね? じゃないですよ! つまり俺は、所長に寝込みを襲われたってことですか? ……この、変態っ!」
「へ……変態?」
なんだ……って……。とでも言いそうな表情を浮かべる鈴音さん。その隣では「ぶふっ」とラヴィニスが吹き出している。
何故かイヴもが少しバツが悪そうにしているようにしているのだが、一体何があったんだろう。
「それで? 変態所長は、俺にどんな悪戯をしたんですか?」
「うう……。キミを助けるためには、どうしても必要なことだったんだよ……」
そう弱弱しく語る鈴音さん。見るからに縮こまり、しょんぼりしているのが分かる。
変態と言われたのが余程堪えたのだろう。その可愛らしく落ち込む姿に今のアイヴィスを重ね、やはり彼女こそがこの身体本来の持ち主なのだと再確認した。
それにしても先程からラヴィニスが首をガクリと下げており、その表情を伺うことが出来ない。
何となく不穏な雰囲気となっている気がするんだけど俺、何かしちゃいましたかね?
「俺を助ける? 性的な意味でってこと?」
「違うよ! さっきも言ったでしょ!? 本当に命が危なかったんだからねっ!?」
涙目でそう訴える美女の顔が、動けば触れてしまうほど近寄ってくる。その肩を震わせ、溜まった涙が今にも零れ落ちそうになっている。
う、うあ!? ち、近いぃ。それにそんな潤んだ瞳見つめられると、その。こ、困るんだが。
涙を湛える鈴音さんのその艶っぽい姿に、俺は思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまった。
「あのキミの身体は、高濃度の魔素に充てられていて”崩壊寸前”だったんだよ。例えるなら放射能を浴びて、全身の細胞がガン化したって言えば分かり易いのかな?」
「え? 嘘でしょ。俺それ、なんで生きてるの? 実は死んでない?」
「例えだからね? 本当は魔素に充てられて、細胞全てが『魔化』してしまったんだよ」
「ま、魔化?」
「そう。魔化。細胞が変質して。『魔化細胞』と呼ばれる組織に変質したってことだね」
つまり――といつも通り、俺に説明してくれる。ほぼ密着していた身体はいつの間にか離され、どうやら鈴音さんは教師モードへ突入したようだ。
魔化、そして魔化細胞とは、既存の身体細胞が魔素に晒されることによって変質する現象のことを言うらしい。
その変質により細胞はより強固な魔化細胞となり、作業効率やその寿命また耐久性が上がるのだ。
無駄が最小限まで省かれ、環境に最適化される。早い話、進化である。
本来魔化とは魔素が多い環境で育ったり、魔素に晒された動植物などを食して体内に取り込むことで、世代を重ねて徐々に変質していくものである。
これは何も生物だけでなく、鉱石などの無機物にも作用する。
ちなみにそれらは含まれる魔素の純度が高いほど硬度や光沢があり、値段もそれに応じて跳ね上がる。
あるいは限られた魔素を有効に使うべく、自らを理に定めたものも存在する。
例えば獣人だ。彼らの多くは数の多い人族から迫害され、移り住んだ先の過酷な環境に耐えうるために肉体を魔化させて適応してきたのだ。
彼らは所有しているほぼ全ての魔素を、”己の肉体の強化すること”で世代を重ねてきた。故に、魔法を使用するほど魔素に余裕が無いのである。
身体強化を経て、なお余りある魔素を持つ者の中には、特別な技能や特性も持つ者も一部存在する。
そして皮肉なことに”魔法を使えない”ことが、現代でまた新たな差別を生んでしまう結果に繋がってしまったのだ。
ヒトの場合はそれこそ多岐に渡る。
肉体の強化は勿論だが、魔法や技能、特性に至るまで全てに適性がある。よく言えば万能、悪く言えば器用貧乏ともいえる。
しかしその効果は大きく、才ある者は幼少時から複数の技能や特性を持つものも現れた。
そもそも技能とか特性とは何かという話からなのだが。
技能とは、その者のもつ能力と言えるだろう。
剣術が得意なら剣技、魔術が得意ならその各属性の魔法というわけだ。
それは戦闘から生活に至るまで様々なものが存在し、中には役に立つのか分からないものまである。
特性は、言うなれば体質であろう。
毒に対抗する毒耐性や、フクロウの超感覚というべき聴覚もこれに分類される。
常用的に有効化できる能力といったところであろう。
他にも派生や特質といった変化を遂げる技能や特性もあるが、この場では割愛されることになった。
「聞いてる限りだと、むしろ良い事のような気がするんだけど……」
「そうだね。長い時間をかけ、細胞に魔素を馴染ませることで変質すれば、ね」
「んー。そうしないと……どうなるんです?」
「ふふ。簡潔に言えば、炭酸水を作ろうとして水の入ったペットボトルの中にドライアイスを入れて密閉し、シャイクしたときみたいな感じになるかな?」
「それって簡潔、ですか? ていうかそれ、どうなるのです?」
「パーン。だね」
「パーン……?」
「そそ。君の身体が四散するんだよ。花火みたいにね」
「――っ!? ちょっと想像しちゃったじゃないですか……」
どうやら俺の細胞は取り込んだ魔素の量が多すぎて魔化に耐えられなくなり、危うく内部から破裂してしまう寸前だったらしい。
実際にあの現場でそうなった者も複数人居るそうだ。そう。俺と椿沙は、鈴音さんのおかげで九死に一生を得たのである。
同時に「他の生存者は一体どうしたのだろう?」とも思ったが、今重要なのはそこではないのでその疑問を飲み込むことにした。
その代わり、ふと疑問に思ったことを鈴音さんに聞いてみた。
「あれ? そう言えばなんで所長は無事だったのですか?」
「ん? あ、あぁ……私は以前この世界に居たことがあるから、かな」
返ってきた答えは何やら煮え切らないものだったが、俺としてもふと思った疑問だったのでそれ以上の追及は控えることにした。
ここがアヴィスフィアならば、彼女がここに来たことがあっても不思議ではないという理由もある。
追及されないことに少しホッとした様子の鈴音さんは、「話を戻すよ?」と続きを話し始めた。
「つまり寝込みを襲……誓約をしたのは、それを通してキミに干渉して、”内外から君の肉体と精神の崩壊を止めるためだった”ってわけさ」
「え? でも、誓約? あれって確か、双方の同意が必要なのでは無かったのですか?」
「そうだね。でもキミ、心当たりは無いかい? たまに……いや、結構頻繁に言っていただろう?」
「え? 全く、覚えが無いんですが……」
「ぐ……ぅ。本当にキミは! 全く以て、立ちが悪いよっ!」
「勝手に盛り上がっていた私が馬鹿みたいじゃないか!」とか、「は、初めて……だったのに……」とか独り言ちり、愕然とする鈴音さん。
それに対して俺は、コテンと頭を傾げている。今の俺は以前の姿なので、可愛らしさよりも憎らしさの方に比重が傾くことだろう。
「……もう、良いよ。話が進まないし……」
「むむ。いじける所長か、悪くない……いやとても良い。可愛い、好き」
「! そういうとこだよ! ずるいっ!」
「? 本心なんですが……?」
「くぅぅ。この野郎ぅ……!」
腕をバタつかせ、照れながらも悶える美女がここに居る。怒りと喜びや悲しみが綯交ぜになっているせいか、まるで阿修羅像のような百面相を繰り広げている。
そんな鈴音さんを正面に捕らえて「器用ですねぇ、所長」などと事も無げに呟いた俺のせいで、彼女はガックシと肩を落としてしまった。
《……唖然。話が全く前に進みません》
……すまん。所長を揶揄うのが楽しすぎて止められなかった、反省はしていない。
話が全く進まないことに遂には口をついてしまったのか、イヴがぼそりと呟いた。
俺としてもその自覚はあったのだが、鈴音さんがあまりにも可愛らしい反応をするので我慢できなかったのだ。
《質問。鈴音との誓約に不快感はありますか?》
唐突にイヴがそんなことを言ってくる。
なんだ突然。あるわけないだろ? ていうか、それはお前も知ってるだろう?
《……安堵。良かった……》
どうしたんだイヴの奴? さっきから少し様子がおかしい気がするが……。
俺が訝しむのも当然で、そもそもイヴは依然俺のことを”とても分かり易い”と言っていた。
それならば俺の一言一言に対し一喜一憂することも無いはずだし、なんなら感情そのものが直に伝わっているはずなのである。
「――あぁ。もしかして、イヴとの間に何か違和感を感じるのかい?」
「はい、実はそうなんですよ。普段は聞かないようなことを聞いてきたり、俺の感情の機微を気にしたり。こんなイヴは、初めて見ましたよ」
いつの間にか立ち直っていた鈴音が、俺とイヴの会話に割り込み話しかけてきた。
おそらくは俺が不審に思っていたのに気が付いたのだろう。
実際今のイヴはどこかおかしい。俺のことは全て見通されているものだと思っていたのだが。
「最初に言ったかもしれないけど、ここは夢の中なんだ。詳しく言うなれば、キミの今の脳――つまりイヴの記憶に司る場所にいるというわけだね」
「イヴの……記憶?」
「いや、それは正確とは言えないか。その中にはイヴと君、そして私とラヴィニスも含まれる。つまり、”キミと夫婦(俺嫁)誓約を交わした者達の精神”が語り合う場に居ると言えば良いかな」
「あぁ、この姿は精神に起因するものだったのですね。なるほど、だから俺は俺の姿をしているのか」
「ふむ。そうなるね」
「あれ? でも、おかしくないですか? 特にラヴィニスが」
「ふふ。それはしょうがないんだよシュウ君。今のキミと私みたいに”自覚”してこの場にいるならともかく、今の彼女にとってこれは”夢”なんだ」
「むむ? 分かったような分からないような……」
夫婦(俺嫁)誓約を結んだときにできる繋がりのうち、特に強固なものは夢――ここでは記憶を共にすることができる。
虫の知らせとか正夢などの最終形態とでも言えば良いだろうか。
元々人工知能としての起源が影響しているのか、イヴの記憶はパソコンに酷似している。
フォルダ分けされているのは依然語ったが、例えば俺はパソコンで言うホームグループに”烏鷺朱羽夜”として存在しているのだ。
この場所”烏鷺朱羽夜”は他から完全に独立しており、俺とイヴの二人しかアクセス権限がない。
以前イヴの説明にあった”何らかの繋がりを知覚する”とはこの事で、うまく活用することで念話のような会話をすることも出来るようになるとのことだ。
念話は対個人でも複数でも可能で、ネットでいうならば個別チャットとパーティチャットのようなものらしい。
「あれ? でも、それでなんでイヴが鈍くなるのです?」
「あぁ。それは一時的に、君とイヴの主従が反転するからだね」
「反転? どういうことです?」
「つまり、君が眠っている間はイヴが身体の所有権を持っているんだよ」
「! ということはつまり……」
「そう。たとえキミが睡眠などにより意識を手放しても、キミの身の安全は保障されてい――」
「――今なら、イヴの心を覗き放題ということですかっ!」
「――ふぇっ!?」
《――ふぇっ!?》
二つの焦った反応が、俺に向かってグルリと振り向いた。……イヴに関しては見えないので確かではないが、何となく視線を感じる気がするのだ。
あれ? でもコレ、どうやって見るんだろ? 確か『マスター』っていうフォルダがあるって言ってた気がするんだが?
「ちょっ、ちょっとシュウ君! 人の記憶を勝手に覗き込むのはどうかと思うよ! 人として!」
「え? でも、イヴは俺のことを全部知ってるのに不平等じゃない?」
正論という言葉の盾を装備し、情報の開示を求めてみる。
実際イヴが何を考えどう思っているのか、滅茶苦茶興味があるのである。
《――ッ警告! マスターの行為は、プライベートの侵害に当たります!》
しかし、そんな俺を必死に止めようとイヴによる強い静止の声が掛かった。
なんだよそれ。おかしいだろ、ずるい。俺もお前のこと知りたいんだ……良いだろ?
《――ダッ、ダダダ、駄目。きょ、拒否しますっ! お願いですマスター、許して下さいっっ!》
ちぇー。しょうがないなぁ……分かったよ。
《……感謝。ありがとうございます、マスター》
ふぅぅ。とでも言い表せそうなイヴの安心した様子に増々気にはなったが、いつも冷静な彼女がこんなにも狼狽するのだから余程秘密にしたいことなのだろう。
そう。彼女を本気で困らせるようなことは、俺の望むことではないのである。
「まったく。ほんとーーーーうに君は、立ちが悪い」
「むっ。なんで身を引いたのに、そんな言い方されないといけないんです?」
「気が、付かないの……? う、嘘でしょ?」
「え? ……何か、不味かったですか?」
《確信。マスターは、一級フラグ建築士の資格を取得しているようですね》
え、なになに? 二人して一体なんなの? なんか俺、変なこと言っちゃった?
どうやらその引き際を完璧に見極めた手際と、それに全く自覚のない俺に鈴音さんは愕然としたらしい。
イヴは俺のことを”天然ジゴロ”であると、ある意味最上級の言葉で賞賛している。
俺としてはそう言われても困ってしまう。引き際も何も、彼女が言いたくないのならしょうがないことなのである。
結局、最後まで彼女達の趣旨の意味が分からないまま、俺はこの夢から覚めることとなったのだった。