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アヴィスフィア リメイク前  作者: 無色。
一章 皇女の軌跡
7/55

奴隷ギルドに入団することになった!

ここから一章とさせて頂くことにしました。

 ギルド『夜烏よがらす』。数あるギルドの中で、どちらかと言えば闇ギルドに分類される。


 アインズ皇国の罪のない民に手を出すことは無いので犯罪性は無いが、現代日本における常識でいうならば黒であろう”ヒト”を商品とした商売を生業としている。


 メインの商品は、亜人族と呼ばれる獣人達だ。


 その中でも、尾耳(おみみ)族と呼ばれる人間の身体の一部に動物的な特徴――猫や犬の耳や尻尾等――を持つ獣人が大半を占めている。特に女性は、愛玩を目的とした需要が多いのである。


 獣人は基本的に魔法を使えない。


 身体能力にヒト族や他の亜人族よりも優れているものの、魔力適性が低い故に誓約などの呪術に対する耐性も弱いのだ。


 奴隷契約を結んだ場合、ご主人様が”絶対のルール”となる。


 そう。契約させられた内容が()()()()()()()でも、一切合切抵抗することが出来ないのだ。


 簡潔に言えば、商品としてはこれ以上ないくらい扱いやすい種族といえる。


 中には敗残兵や犯罪奴隷と呼ばれるヒト族や他の亜人種の商品も存在するが、よほどの魔法耐性があるものでないとこの契約を拒否することが出来ない。


 ちなみにここでのヒト族とは、現代日本においてのヒト科ヒト族に分類される霊長類(ホモ・サピエンス)に酷似した人類のことを指す。


 彼らが獣人と異なる点は、ある程度主人の命令に対し、抵抗することが出来るという点にある。


 仮に奴隷に対し、「床を一日中舐めていろ」と命令したとする。


 ヒトも獣人も、主人に命令されればその通りに床を舐めるだろう。


 ただしヒトの場合、監視の目がなくなった時点で床を舐めることを止めるのは可能だ。


 だが、獣人は違う。


 そう。たとえ主人の監視がなくなっても、意思に関係なく一日中舐め続けるのである。


 命令が撤回されない限り、完遂するまでその行為をし続ける。当然命令された本人には意識はあるが、指示された内容にどう足掻いても抵抗出来なくなってしまうのである。


 無論。命令の意味が理解出来なければ、無効となるなどの例外は存在する。


 では次に、”命令違反した場合どうなるのか”という点だ。


 まず、基本的に獣人は命令を違反できないので関係はない。


 つまりここでのペナルティは、ヒト族や獣人以外の亜人族に科せられるものである。


 まず前提条件として、奴隷となったものは例外なく管理番号が刻まれた首輪を掛けられる。


 これにはとある拘束魔法が施されており、命令に違反した場合は死なない程度に首が締まるようになっている。


 正確には命令違反に主人が気づき、それは違反であると面と向かって明言した場合に限る。


 そしてその拘束は、主人の許しが出るまで続くのである。


 仮に隙をついて脱走を試み、そしてそれが実現されたとする。


 しかしながら皇国の各出入口には、「防犯門セキュリティゲート」と呼ばれる認証魔法が付与された門――飛行機に搭乗する際の金属探知機のようなもの――が設置されているため、国外への脱出はまず不可能なのである。


 もしも脱走やそれに準ずる行為が発覚した場合、主人次第ではあるが、最悪鉱山送りになる可能性もある。


 そしてこの契約の一番重要なところが、”奴隷がご主人様を傷つけることが出来ない”という点だ。


 例えば自身が行う行為により主人が物理的に傷つくだろうと思ったことを行動に移そうとしたとする。その瞬間に首輪が反応して重量が増し、地面にひれ伏すようになっているのだ。


 これも前者と同じように、主人の許しがなければ解除できない。もっとも反抗しようとした奴隷を、主人がどこまで許すかは定かではない。


「一体、どうなってるんですか所……イサギさん! どうして貴女がそんな非人道的なことを……っ!」

「…………」


 そして、そんな商いを生業としているギルドのリーダーがイサギ。つまり鈴音なのである。


 自然と声が荒くなってしまったが、致し方あるまい。


 以前――つまりは姿が変わる前の彼女を知る俺としては、話を聞いた今でもとても信じられない気持ちなのだ。


 しかし、対するイサギの反応は芳しくない。無表情で口を紡いだまま、何も語る様子がないのである。

 

 昨日さくじつ。彼女の提案を受け入れた俺達は、その足でアインズ皇国に入国する運びとなった。


 通常は身分証明書がないと国内には入れないのだが、職業柄なのか黙認された。


 夜烏のお得意様の中には貴族階級の者も多数存在するらしいので、門番としても見て見ぬふりをするしかないのかもしれない。


 そう。自分や家族の生活、或いは生命に直結する問題なのだから。


 俺達はその日、夜烏内の客室で一泊することになった。ラヴィニスや加藤と同室だったのは、一重に警戒心からである。


 自分達のギルドマスターであるイサギに厚遇される俺達――特に俺に対して、殺気立ったものをラヴィニスが確認したのだ。


 「なんでまた俺? いつからトラブルをメイキングする体質になっちまったんだ……」と内心不安を感じつつも爆睡した夜が明け、現在進行形で夜烏のギルド長室に訪れているというわけだ。


 因みにこの場にはソファーから立ち上がり対面に座るイサギに憤り睨みつける俺と、それを見つめ若干オロオロしているラヴィニスの三人しかいない。


 加藤は部屋でお留守番で、ギルドの他のメンバーはギルマスであるイサギが退出させたのである。 

 

「何故……何も答えてくれないのですか?」

「…………」


 俺はイサギが何も語ってくれないことに、若干の不安と戸惑いを覚える。


 たとえ相手が鈴音だとしても、自分達の置かれている状況を楽観することは出来ない。


 ここでの問答次第では周りが皆敵になり、身の危険が危な――状況が悪いのである。


 なにせあの快活だった鈴音がだんまりなのだ。……なぜか、俺の姿をしている上で、だ。


 ていうか俺って、黙ってると結構人相悪かったんだな。


 憤りながらも、軽くショックを受けたのは此処だけの話である。


「必要なことだった……からかな」


 少なくない時間を経て、イサギは絞り出すようにして俺の質問に答えた。


 黙っていたのは、単に言い辛かったからなのだろう。色々考えた上で、その全てを一言で纏めたのだ。


 落ち着かないのか、自身の短い前髪を指でクルクルと巻く仕草をするイサギ。


 そんな彼女の仕草を見て、俺は”眼前で目を逸らす男性は間違いなく鈴音である”と改めて確信した。


 ……見た目だけで言えば、()なのだが。


「必要? 奴隷がですか? ()()さん! 答えて下さいっ!」

「――っ! それは……」


 それでも、いやそれだからこそ俺は感情的になってしまう。


 ……鈴音さんが、奴隷商なんてするはずがない。


 妹を気遣い、母校を憂い、俺と理想を語り合い笑った優しく朗らかな彼女が奴隷商人になっていることが信じられないし、信じたくないのだ。


 他に聞くことも、また気を掛けるところも沢山残っている。だが、どうしても問い質さずにはいられないのである。


《通告。落ち着いて下さい、マスター》


 ――で、でも奴隷だぞっ!? ヒトをヒトとも思わない非道な行いを、よりにもよって何で鈴音さんが……。


《進言。彼女におっしゃりたいことがあるのは理解しました。ですが、今は彼女の話を最後まで聞くことが、この場において最良だと思われます》


 ……それも、そうだよな。……わかったよ。


 イヴに諭され、自分が冷静でなかったと何とか自分を納得させようと試みる。


 今すぐに気持ちを整理することは難しいので、渋々少し硬めのソファーへと腰を下ろすことにした。


「……すいません、イサギさん。少し感情的になってしまいました」

「…………」

「改めて、ご説明をお願い出来ませんでしょうか?」

「……了解した」


 言葉こそ丁寧なものにしたつもりだが、鈴音に対しての不満がどうしても拭いきれない。


 別に意識した訳ではないが、必要以上に距離感を感じさせる口調になってしまった。


 そんな俺をみて少し寂しそうな表情……とまではいかないが、雰囲気を醸し出すイサギに、気づかぬ振りをして続きを促した。


「そうだね。まずはキミ達の現状について、軽く説明しようか」


 イサギはそう答えると、俺達の置かれた状況について要点をまとめて簡潔に話を始めた。


 その切替の速さは彼女らしいと言えるだろう。


 曰く、先日研究所で起こった不可解な現象は”異空間転移”によるものであること。


 最初の光の奔流は、「転移中の空間内で、”魔素”と呼ばれる魔力などの元になる()()の集合体に突然晒されたことで、脳が全身に極光を浴びたと錯覚したものだろう」とのことだ。


 そして、その影響を受けた範囲は神苑学園大学全域を含む約二〇〇haだという。東京ドームに換算すると、約四三個分になるそうだ。


 ニュースとかでよく言われてるけど……正直、この表現で理解出来る人がいるのかね?


 ともあれ。その後の大きな衝撃は、膨大な体積の物体が転移後の場所――俺が最初に意識を取り戻した所――に定着するときに発生したものだろうとのことである。


 いや、仮にそれが本当だとして、俺が女性になっている意味が分からないんだが。


 それにただ衝撃を受けたにしては凄惨すぎる。明らかに外的要因があるはずなのだ。


 俺はまずその点についてイサギに質問することにした。何も分からない故に、疑問点は一つ一つ確実に潰しておきたいのである。


「――はぁ? あの日から一年も経っている……ですって?」

「うむ。そうだ。キミがあの研究所で意識を失ってから、ここの年月でおおよそ一年になるね」

「ま、待ってください。ここの、年月で?」

「いかにも。ここ――アヴィスフィアは日本と一年の周期が違うのだよ」

「アヴィスフィア……」


 なんと、俺が目覚めたのは研究所で気絶してから約一年後のことだったのだ。


 それに彼女の話だと、どうやら現代日本とアヴィスフィアは一年の日数が異なるらしい。


 曰く、アヴィスフィアの一年は周期に分けられていて、一年が四百日で一ヶ月が五十日なのだそうだ。要するに一年は八か月ということになる。


 降り立ったこの地には季節があり、それぞれが現代日本同様に春夏秋冬に分かれている。


 各季節の期間はきっかり二ヶ月で、春から始まり冬で終わる。例として春から上げるなら、前春一月、後春二月、前夏三月……となる。


 各季節の日数はちょうど百日なので、数値的にはとても解り易いのだ。


 因みにアヴィスフィアの一日は日本換算で約二十二時間で、時間以下コンマに至るまでは同様。空気環境や物理法則も地球とよく似ている。


 詳しい説明は俺も良く分からなかったので割愛するが、地球に居た時と比べて大きく違う点を挙げるとするならば、それは『魔素』の存在だろう。


 この元素はあるいは地球での物理法則を丸々覆してしまうほどの、とてつもない代物であった。


 魔素とは、既存の元素に寄り添いその性質の効果を高めるものであり、また変化させるものでもある。


 現存するほぼ全ての元素との親和性が高く、またその元素の代替すらも可能だ。


 極端に表現するならば、魔素が存在していれば他の元素は不要なのである。


 言うなれば、『万能元素』とでも表現するのが良いのだろうか。


 そんなとんでもない元素である魔素。当然といえば当然なのだが、ひとつ大きな問題点があった。


 それはずばり、『絶対量』が不足しているのである。


 例えば仮に”焚火を起こそう”としたとする。


 その全て過程を魔素で行おうとすると当然百パーセント、原料は全て魔素から算出しなければならない。


 そもそもこの世界の住人の一般的な魔法力――魔素を魔力に変換して行使することで物理現象を改変する力――でその行為を行うと、せいぜいライターの火ぐらいしか出せないのだ。


 その上、行使した後は『魔力枯渇』と呼ばれる頭痛や倦怠感に襲われる状態になってしまい、日常生活に支障を来してしまうのである。


 しかし、その場に存在する乾燥した木材と空気中の酸素や水素、そして魔力を効率的に物理現象に変換する魔具などを用いれば、キャンプファイヤー程の火力まで底上げすることも可能だそうだ。


 当然、内包する魔力やその場所の状況、用いた魔具の質などによっても効果は変動するらしい。


 そんな説明を、俺は半ば放心状態で聞いていた。


 ほとんど頭に入ってきていないであろうことは、それこそ火を見るよりも明らかに分かるはずだ。


 なにせイサギさんが、”悪戯が成功した子供のような雰囲気”を醸し出しているのだ。


 その得意気な様子を見て、ちょっとイラッと来たのは内緒である。


「正直なところ、にわかには信じられません。しかし現在進行形でこの身に降りかかっている不可解な現象を思えば、一応の理解は出来た気がしますよ」

「ふむ。突然このような不可思議なことを言われて、一応でも理解出来るのだから何というか……キミらしいな」

「……揶揄わないで下さい」

「む。そんなつもりはないのだが?」

「…………」


 イサギの真摯な態度と説明に、若干の戸惑いを覚えた。なにせ以前の鈴音から受けた印象と、寸分違わず変わらないのである。


 俺は崇拝と呼べるほどには彼女を尊敬し、敬愛している。その俺の本能が、鈴音の存在を認識しているのだ。


 俺が理解できない事柄を説明するときの所長は、普段のおちゃらけた雰囲気は何処へやら、全て分からないまでも納得するまで真剣に向き合ってくれたのである。


 ……そんな優しい彼女が、何故?


 どうしても鈴音が倫理に反することをして――あるいは、黙認していることが納得できない。


 ――いや、正確にはしたくないのだ。


 ”理想の押しつけ”と言えばそれまでなのだろうが、それでも許せないのである。


「ふむ。どうしても気になるようだね、奴隷達のことが」

「――っ!」

「ふふ、キミは本当に分かり易いな。良いだろう。それを聞いてどう感じるかは、結局キミ次第だがね」

「…………」

「それにキミが思うほど、私は善人ではないのだよ……」

「…………鈴音、さん」


 イサギ……鈴音さんの説明は、次の内容だった。


 一つ、奴隷達の一部はあの事件に巻き込まれた日本の住人であり、奴隷という名目で保護していること。


 突然の出来事だった上に異世界なので身分証の提示などが出来る訳もなく、身の安全も保障されていなかったがための緊急的な措置であるとのことだ。


 一つ、この世界には亜人と呼ばれる獣人達がおり、アインズ皇国を含めた各諸国では扱いが酷く差別されていること。場所によってはこの国のように、奴隷の方が待遇が良いことさえあるらしい。


 そんな獣人たちを奴隷として、比較的良い環境へ送り出す。有体にいえば売買するのである。


 一つ、このギルドには奴隷上がりで団員になった者もおり、そういう者たちが先陣を切って保護に繰り出していること。


 俺が出会ったあの二人――ヨタカとフクロウ――も口こそ悪いが、傷つけるつもりは毛頭にも無かったそうだ。


 ……正直、これに関してはあまり信じてはいないけどね。


「……以上だよ」

「…………」


 彼女の話を最後まで聞き、思案する。何処までが信じていいのか、少々悩んでいるのだ。


 鈴音さんはそんな俺を眺めながら、自身の短い前髪を左手でクルクルといじっている。


 自身の前髪に触れる。その癖は、以前の彼女が何か隠し事をしている――つまりは、”全てを語らない”ときに、意識せずに行っていた行為だ。


 そして、特に都合が悪いときは髪を触るだけに留まらず、指先が忙しなく動いていたのである。


「……鈴音さん。何かまだ、俺に伝えていないことがあるのではないですか?」

「……キミは、本当によく気が付くねぇ」

「俺がどれだけ貴女のことを考え、どれほど貴女を慕っていると思っているんですかっ!」

「――っ!? すぐそうやって人を惑わすセリフを……。まったく、立ちが悪いよ」


 このときの俺は既に冷静さを失い、感情的になってしまっていた。


 そう。自分の言っている言葉の意味は分かっていても、それを相手がどう受け取るかまでは考えられていないのである。


 俺の熱烈な愛の告白のような台詞で熟れた林檎のように顔を紅潮させる鈴音の姿も、そしてそんな彼女の狼狽具合も見えてこそいるものの理解が出来ないのだ。


「前にも明言したかも知れませんが、俺は鈴音さんが好きです! もはや、”崇拝している”と言っても過言ではありません!」

「――っ! …………崇拝、か」


 故に鈴音さんを硬直させてしまう。喜色を浮かべていた彼女が、一瞬で物悲しそうな遠い目になってしまったのだ。


 ……あれ? 何か俺、不味いことを言っちゃいました?


 俺のそんな雰囲気を敏感に感じ取ったのだろう。鈴音さんは軽く溜息を吐き、言わずに黙しておこうと思った内容を説明してくれるらしい。


「誤解しないで欲しいのだが、隠すつもりはなかったのだよ。ただ、少々刺激が強くてね。折を見てから話そうと思っていたのだよ」

「刺激……?」

「ふむ。先程の内容には続きがあってね? 奴隷の中には自国の犯罪者や敵国の敗残兵、戦争孤児などもいるのだよ」

「…………」

「私はね、朱羽夜。放っておけばただ死を待つばかりの彼らを使って、魔法や魔道具の治験……有体に言えば、人体実験をしているのだよ」

「――じ、人体実験っ!?」

「誤解しないで欲しいのだが、これは合憲なのだよ。この世界では、ね」

「そんなことに驚いている訳じゃ――」

「分かっているよ。……だが私の目的を果たすためには、どうしても必要なことだったのだよ」

「…………」

「…………」


 鈴音の語った事実の衝撃は俺にとって、先日の爆発の件より、また紅黒竜に襲われるよりも大きなものだった。


 自身の崇拝する神のごとき彼女が、まさか人体実験(神の真似事)をしているなどと怖気の走るような事実を悪びれもなく語り、さらには必要だというのだから。


「……その理由を、聞かせて頂けますか?」


 数分にも感じるほどに長い沈黙の後、俺は絞り出すようにして出した声でその暴挙の真相を聞いた。


 俺を正面に捕らえた鈴音さんが、思わず息を飲んでしまうくらいには厳しい顔をしていたという自覚がある。


 彼女は少しの間逡巡していたが、諦めがついたのだろう。まるで油を指していなブリキのようなぎこちなさで口を開いた。


「君と……”永遠とわをともに生きる”ために、絶対に必要なことなんだ」

「……は?」

 

 消え入るような声量で紡がれた鈴音さんの言葉の意味が分からずに、思わずポカンとしてしまう。


 彼女はというと真剣そのもので、まっすぐ此方を見つめて離さない。


 何を言っているのか分からないが、どうやらとても重要な案件らしい。


 理解の追い付いていない俺を置き去りにして鈴音さんは静かに目を瞑り、即座にカッと見開いた。


「私は……私はね? 朱羽夜。……君の、一番(正妻)になりたいんだよ!」

「……はい?」

「そのために、私は何でもするつもりだっ! たとえ倫理に反し、神に抗おうともっ! ……たとえ椿沙がキミの事を想っていても! たとえキミ自身を巻き込む形になってしまってもだ!!」

「……あの、話が見えないんですが」


 なんだか良く分からない方向に白熱し始めた鈴音に、俺は若干後ずさり――と言ってもソファーに座っているので重心と頭を後ろに下げただけだが――混乱する。


 うおぁっ!? 俺って暴走すると、こんな感じだったのか。……正直、ちょっと怖いな。


 自身の姿で荒ぶる鈴音を眺め我がふりを見直すことになるとは、一体誰が想像出来たであろう。


「待って下さい! アイヴィス様は、私の嫁です! 絶対にあげませんからっ!」

「ふぇっ?」


 そんな思考の隙間を突かれ、間抜けな声を上げてしまった。


 突如、話の邪魔はするまいと静かに後ろに控えていたラヴィニスが、「黙ってなんて、いられない!」とばかりに俺を後ろから抱きしめたのだ。


 俺に視界の端で、目の前にいる鈴音さんにキッとした表情で睨みつけている。


 突然柔らかな感触に包まれる頭部。俺はこんな状況だというのにそのふわふわに全神経を集中させた。……我ながらどうしようもないとは思うが、本能なのでしょうがないのである。


「む? つば――ラヴィニスか。……もしかして、記憶が安定したのかな?」

「何を言っているのですか? 話を、逸らさないで下さいっ!」 

「ふむ。その様子だとまだみたいだね。……それでも想いは消えていない、か。実に、興味深い現象だね」

「――聞いているのですかっ!?」

「ん? あぁ、済まない。心配しなくても、別に取ったりしないから安心して欲しい」


 おっぱいという魔力に負けた俺は、ついには鈴音とラヴィニスの会話内容を聞き逃してしまった。


 実際に耳には入っているが、完全に右から左へ状態だったのである。


 ……しかし、それは仕方のないことだろう。


 何と言っても理想の嫁に、後ろから思い切り”バックハグ”をされてるのだ。そう。色々な意味で、どうしようもないのである。


「まったく、デレデレじゃないか君は」


 はぁ。とため息をつきながら、それでも愛おしそうに俺を見つめる鈴音さん。


 自分の姿をした相手に生暖かい視線を向けられ、軽くゾッとしてしまう。


 そして、それが俺を現実へと連れ戻すトリガーとなったのだ。


「はっ! ……そ、そんなことより所長! なぜ俺がこんな可憐な美少女になっているのですか!?」


《可憐……。そんなに直球で褒められると、照れてしまいます》


 ふむ。性格はともかく、容姿は最高だよイヴ。


《撤回。前言を取り消します、マスター》


 そんな俺とイヴの脳内コント? を見て増々笑みを深める鈴音さん。とても悪い顔になっている。


 ゾゾゾッと先程とは比較にならないほどの悪寒が、俺の背筋を沿うように撫で回した。


 なんだろう。もしかして、何か取り返しの付かない事態が進行しているのでは……?


「ふむ、これは良い兆候だね。一時はどうなることかと思っていたが、案外これが最適解なのかも知れないね」

「……所長?」

「あぁ、済まない。その容姿の事だったね」

「それと何で所長が俺の身体になってるのかも、説明して頂きたいのですが」

「うん。そうだね、分かったよ」


 俺と話すとき、時々口調がイサギ調から鈴音さん自身の素のものになっているのだが、当人はまるで気づいた様子がない。


 そしてどうやらラヴィニスは、それに気が付いたのだろう。先程から俺達の、ある意味で仲睦まじい様子を見せられて終始ソワソワしっぱなしのようだ。


 ……未だ抱き着いたままなので、揺れる柔らかな双丘が彼女の感情を俺に伝えてくるのである。


「まずキミのその姿だが、それは私の本来の身体だ」

「は?」

「そして今の私のこの姿、つまりキミの身体だが――」

「え、あの? さらりととんでもないことを言ったのは、スル―なんですね。……まぁ言っても無駄なんでしょうけど」

「――実はキミ、死にかけていてね。どうやら打ちどころが良くなかったみたいなのだよ。それに加えて、高付加のかかる純度の高い魔素の奔流にも充てられていたからね。あっはっは! いやー、むしろあれはもう死んでいたね」

「えっ、うえぇ!? ……俺、死んでたの? ていうか笑いながら言うことじゃないだろっ!」


 爆弾発言にニトロを追加する鈴音さん、俺はそのとんでもない内容に翻弄されっぱなしになっている。


 出会ったときからそうなのだが、こういうときの鈴音さんは途端に難聴になるらしく、俺が途中で何を言っても最後まで止まらないのだ。


「ふふ。まぁ何にせよ、キミの身体はボロボロだったんだよ。……椿沙も、結構重傷だったしね」

「! そういえば椿沙ちゃんは!? 無事だって言ってましたよね?」

「うむ。身体を張って受け止めてくれたキミのおかげで、それについては問題ないよ」


 そういって軽くラヴィニスを見やる鈴音さん。その顔は慈愛に満ちていて、思わず見惚れてしまうほどである。


 俺の姿をしている彼女に目を奪られるとか、なんてナルシストなのかとは言わないで欲しい。


 俺にはその姿が記憶の中の鈴音と重なり、まるで折り重なるように幻視して見えていたのだ。


 柔らかい表情に、優しい笑顔。本当に、椿沙ちゃんのことが大事なんだな……。


 それに見惚れてしまったせいで、語られた重要な情報を取り零してしまった。


 いや、これはあえて鈴音がそう考えるように、意識を誘導していた可能性すらあり得る。


「無事ならそれで良いんです。……本当に、良かった」

「……君は、椿沙が好きなのか?」

「へ? もちろん好きですが……なんでです?」

「……あのねぇ。本来ならここで『えぇぇっ!? ちっ、違いますよ! 誤解ですっ!』とか、『なっ、何を言っているんですか! ロリコン認定されそうな、そんな危ない橋は渡りませんっ!』とか、真っ赤な顔して言う場面でしょー?」

「独特なセリフを俺の裏声で聞かせてくれてありがとう。そして、最初のはともかく二回目のセリフが意味がよく分からないのと、なぜ両方とも否定を前面に押し出してるのか――」

「――ソシテワタシヲロリトオッシャッタイミニツイテ、ジックリトオキキシタイデスネ」


 背筋が泡立つ感覚を覚え、思わず「ひぃっ」と声に出してしまった。


 それでも、見ないわけにはいくまい。怖いもの見たさからかそう考えた俺は、冷たくフラットでカタコトな声が聞こえた方向へと、恐る恐るだが振り返ることにした。


 その先には、目からハイライトの一切が消えたラヴィニスさんが居た。その顔を見て、さらに「ひぅっ」という奇怪な声をあげてしまった俺を、一体誰が笑えるだろう。


「おぉっ! これが、いわゆる”ショック療法”という治療法か。……なるほど、これは面白いね」

「あの、所長? 何故か俺の嫁のプリティフェイスが般若みたいになってます。よく分かりませんが、あまり刺激しないで頂きたいのですが……」


 表情が消えたラヴィニスの冷たい圧力を受けながらも、その様子を面白がる鈴音さん。


 さらに場を混沌に導くような鈴音の言葉に、俺は軽く額を汗を湿らせつつ物申した。


「あ。というか今は、俺が嫁なんだったな?」

「ん? どういうことだね?」

「アイヴィス様は()と『()誓約(マイラヴァース)』をしてくださったのです! あの日の熱い夜を思い出すと、今でも心臓こころが沸騰してしまいそうです」


 俺を力強くギュッと抱きしめながら、耳元でほぅっと息をつくラヴィニス。


 何気なく付け足した一言が気になったらしい鈴音さんに答えようと思ったのだが、食い気味に被せてきた彼女が変わりに伝えてくれた。


 しかし、人前で耳元に熱っぽい吐息をかけるのは勘弁して欲しい。


 もし仮に俺が以前の身体だったのなら、下腹部の猛りを抑えることはまず不可能だっただろうからね。


「むむ? 『()()誓約(マイラヴァース)』だって? おかしいな、同性の場合は出来ないはずなのだけど……」

「――あぁ! もしかして、シュウ君が追加してくれって言ってきた”アレ”が影響しているのかな?」


 独り言ちる鈴音。どうやら彼女の脳内では、俺=シュウ君という愛称に変換されているらしい。


 そのまま少し考えた様子の彼女はふんふんと頷きながらも、会話の中に時限爆弾を設置し始めた。


「ふむ。つまりラヴィニス君は”先に誓約こくはくしたのは私なんだから、手を出さないでよね!”ってことで良いのかな?」

「なぜか変な含みが聞こえたのは、俺の気のせいなの――」

「その通りです! 正確には誓約プロポーズに受諾して頂いたのです。もはや貴方の入り込む余地などありません!」

「あっあれ? なんかラヴィニスも変な解釈してる――」

「ふっ」

「なっ、なんですか?」

「……あの、デジャヴを感じるんだが?」


 当事者である俺を完全に置き去りにして、二人で盛り上がる鈴音とラヴィニス。


 会話の内容と人こそ違えど、まるで”鈴音と椿沙の会話が白熱して俺の存在を忘却する”研究室での日常の一ページのようである。


 そして、設置された爆弾は……ドクンッと脈動する。


誓約けっこんなら、私ともうしているよ」

「――っ!?」

「――うぐっ!?」


 もう既に機能していない副音声(ルビ)を添えて、爆弾は盛大に爆発した。


 その爆発に巻き込まれた俺は、その脅威から何とか逃れようと試みた。


 正確には後ろから俺をバックハグしていたラヴィニスが鈴音の発言に狼狽し、両の腕に力を込めたせいで俺の首が締め上げられたため、必死になってその手を振り解こうとしたのである。


 遂には二人の喧々とした言い争いを片隅に意識を手放してしまう。


 そう。ラヴィニスが鈴音にその事を指摘されるまで、当たる柔らかな幸せと息ができない苦しみの境目を彷徨うこととなったのだ。



「イサギ様に、折り入ってお話ししたい案件があるのですが……」


 そんな喧噪包まれたギルド長室の前で、周辺の警戒と監視を行っていたフクロウに声が掛かる。

 

「イサギ様は今、御客人の対応をされている。用があるなら、時間を改めてまた来なさい」

「お客様ですか? あぁ、また貴族の豚どもですか。いつもの無理難題をイサギ様に押し付けようとしに来やがったって訳ですね」

「ホッホッホ。ジャン。どこに耳があるかわからない。あまり、滅多なことを言うものではないよ」

「すいません。先生に言われると、説得力がありますね。聞こえないものなど無いでしょうし」


 ジャンと呼ばれた若者は、少しバツが悪そうに誤った。その上で尊敬しているフクロウの警告を真摯に受け止めそう答えた。


「ホッホ。それは少し違う。私の耳でも聞こえないものはある。……例えば、このギルド長室とかは無理だね」

「! 珍しいですね。まさか先生がイサギ様の会談に意識を向けるなんて……」

「ホホ。私としてもそのような不敬な行為は恥ずべきなのだけど、今回の相手は少々変わっていてね」

「……先日の騒動の生存者、ですか」

「ホホ。やはり君は情報が速い。まぁ、昨日のギルド内はちょっとした騒ぎになりかけたからね。伝わっていても不思議ではないな」


 先日の襲撃時の彼の口調よりも砕け、幾分か柔らかいのはやはり”先生”だからなのだろうか。


 ジャンと呼ばれた少年の様子からも、彼らの間ではこれが一般的なのだ。


 自身の言葉通り、フクロウを持ってもこのギルド長室からの会話や物音は拾うことは出来ない。


 何故ならば、廊下とギルドマスター室を囲うように”空白”が存在するからである。


 ”空白”とは、現代日本でいうならば真空のようなものだ。


 音とは空気の振動によって伝えられるものである。つまり外界と断絶するのならば、その振動を遮断してしまえば良い訳なのだ。


 実際に今現在のこの部屋は、真空状態の空間に囲まれていると定義されている。それでいて、室内は空気が循環しているのである。


 原理はともかく、そういう『魔法』なのだ。ちなみにこれを構築したのはイサギである。


 自分ではおおよそ及ばない。フクロウにとってそんなイサギは、神に思しき存在なのだろう。


 だからこそ、その神に優遇されるアイヴィス達が無意識レベルで気になったのだ。


「おお、フクロウか。済まない急用だ。少し席を外すから、その後の対応を頼む」

「! ……ホホ。了解致しました」

「……。――ッ!?」


 そしてその神ことイサギが突如バタンと扉を開け、少し焦った様子でそう伝えてきた。


 その珍しい様子に少し驚いたものの、すぐさま立ち直りその命令を受諾する。


 ジャンと呼ばれた若者はそんなイサギの慌てた様子を珍しいものを見た、と言わんばかりに眺めていた。


 しかし抱きかかえられていた少女見て目を剥き、その見開かれた両目は一点に捕らわれたまま離れることは無い。


 抱きかかえられた少女こと朱羽夜は()()()意識を失っている。


 当然自身が何故注視されるのかなどは分かるはずもなく、そのまま加藤の待つ客室へと運び込まれるのだった。

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