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アヴィスフィア リメイク前  作者: 無色。
序章 異世界転性!?
6/55

シリアスが離席しました!

各話の行間を修正しました。

「さて。では話して貰いましょうか」

「ホッホ。話すも何も、貴女がいきなり襲い掛かってきただけではないです――ぐっ!」


 右手を右手で抑え込まれ、首筋には未だ白刃を突き付けられたままのフクロウは、しかしながらその詰問を飄々と受け流そうしていた。


 当然そのような舐めた真似をラヴィニスが許すわけもなく、掴まれている右手を捻り上げられ、案の定痛みでその言葉を最後まで言わせては貰えなかった。


 あれ? そういえば今気づいたけど、ラヴィニスって椿沙ちゃんと同じ左利きなのか。珍しいな。


「素直に話すか、このまま腕を折られるかを選びなさい。なんならその立派な髭ごと、首を掻っ斬っても良いのですよ?」

「――分かりました、質問に答えましょう」


 髭という単語を聞き、フクロウの片方の眉がピクリと動く。すると途端に神妙な面持ちに変わり、態度を軟化させた。


 もしかして、腕を折られるより首を斬られるより、あのもさったい髭の方が大事なのか?


 俺にそう思わせるほどには判断が早かった。つまりは、そういうことなのだろう。


「ホホ。しかし、お嬢さん。一体私は何から話せばよろしいのかな?」


 命の危険に晒されているというのに努めて冷静なその様子に、ラヴィニスは訝しんで眉を顰めている。


 だが確かにフクロウの言う通り、彼女はまだ話す内容について明言していない。


「まず一つ。なぜ、私達を監視していた?」

「”私達を”という表現には、誤解がありますね。私とヨタカさんは”襲撃現場の調査”という名目でこの場に来ています」

「調査、だと?」

「ホッホッホ。ええ、そうですそうです。そこで状態の良い物品や値が付きそうな生存者などを見つけたら、我らがギルドの拠点へとお持ち帰りしようというわけですな」

「持ち帰って、どうするつもりだ?」

「ホッホ。聞かなくてもお分かりでしょう? 私たちは商人だ。売るのですよ、高利でね」


 早い話、俺とラヴィニスは品定めされていたということになる。


 なんといえば良いのか正直、俺は困ってしまった。ここまではっきり火事場泥棒ですと言われると、逆に呆れてしまって苛立ちもしない。


 彼らにとってはヒトも物品も、価値があるなら等しく”商品”なのだ。


 俺は日本以外の国事情について詳しくは知らないが、常識というのはその土地土地によって違うのだろう。共感は出来ないが、そう納得するしかあるまい。


「しかし、状況が分かっているのか貴様は。なぜそのように阿保面を晒し、笑っていられる? 気でも触れたのか?」

「ホッホ。いやはやこれは手厳しい。しかし先程の鬼神のような闘いからはまるで想像できませんが、どうやらお嬢さんはとてもお優しいみたいですからね」

「なにを――っ」

「照れることはありますまい。ヨタカさんが生きているのがその証拠。――貴女、私達を殺す気がないのでしょう?」

「――――っ!」

「ホッホッホ。私も色々な修羅場を潜り抜けてこの年まで生きて来ていますからねぇ。殺意の有無を見抜くなど、造作もないことなのですよ」


 そうだったのか。と俺は知り、同時に理解した。昨日の竜との戦いのときに敢えて何度も肩口を狙ったのは、その尊き命を奪わないようにするためだったのか、と。


 最初の斬撃だけならば、鷹揚に腕を振り被った隙だらけの腕を狙い切り落とした可能性もあるだろう。


 だが、二撃目に関しては違う。ただ命を奪うだけならば、腕ではなく首や心臓を狙う事で確実に仕留められたはずなのだ。


 なんだかフクロウ(あのおっさん)の方がラヴィニスのこと分かっているようで、正直腹が立つ。


「誤解して貰っては困る。私はアイヴィス様がご覧になられてる前で、無用な殺生をしたくないだけだ。貴様らの命など心底どうでもよいが、アイヴィス様の優しき心に傷を残すような真似など出来ないっ!」


 俺のために、殺さないでくれたのか……。確かに人死になんてとても見たいものではない。何かと聡いラヴィニスのことだ。俺のそんな甘さを見抜いていたのだろう。


 しかし、それが原因でフクロウ(あのおっさん)に彼女が言い負かされているのは見ていられない。


 なにか、なにかないか? あいつをぎゃふんと黙らせる、そんな切り札のようなものは。


「ホッホ。さてさて、他にも質問はあるでしょうか? お嬢さん方」


 ちらりと俺の方を向き、まるで教師が生徒に語るように話しかけてくる。


 すっかりペースを握られている気はするが、確かに分からないことが方が多い。ここは苛立ちを飲み込み、聞けることを聞いておいた方が良いだろう。


 幸い向こうは産業機械よろしく、”ティーチングモード”になっているみたいだしな。


「先程ギルドと言っていましたが、貴方達は一体何処の国の出身なのですか?」


 今更丁寧な言葉を使うのも可笑しい気がするが、見た目は愛くるしい美少女だしな。こっちのしゃべり方の方が違和感が少ないだろう。


 これ以上厄介なことにならないように、なるべく目立たないようにせねば。と俺なりに考えた上での発言である。


「ホホ。出身国、ですか……」


 何を思ったのか、妙に神妙な顔をしながらフクロウはそう呟いた。


 慎重に言葉を選んだつもりだったのだが、どうやらこの質問は彼にとって答えるのが憚れるものだったらしい。


 なにやら得も言われぬ事情があるのだろう。俺としては、明らかに日本人に見えないこのおっさんが何人なのか気になっただけなのだ。


「ホホ。そうですな。今は、ここから数里先のアインズ皇国を中心に活動してますねぇ。陸続きなので、頑張れば歩いてでも行ける距離ではありますよ」


 アインズ皇国? そんな国、あったっけ? しかしアインズ――つまりは(いち)、か。完全に風評被害何だろうけど、なんとなく独裁国家なんじゃないかと疑ってしまう名前だな。


 しかしこのおっさん、結構重要そうなことペラペラとしゃべるな。……大丈夫か? もしかして、黒幕とかに暗殺されるんじゃないの?


 フクロウのその後を深読みしつつ、俺は彼の話した内容を吟味する。 


 ――ん? ちょっと待て……陸続き、だと!?


「ちょっと待って! 陸続き? 日本は島国のはず――」

「――ふむ。記憶は、問題ないようだね」


 俺の疑問に被せるようにして、どこかで聞いたことあるようで、しかしそのどれでもない男性の声が真後ろから耳に届いた。


「――なっ!? い、いつの間に後ろ――うむぅ!?」


 驚きを口にしつつ後ろを振り向こうとした俺の口元を、大きな左の掌が包み込んだ。


 振りほどこうともがいたが両手首を右手で摑まれてしまい、身動きが取れなくなってしまった。


 また、背中側で拘束されているせいで力も入らない。……これは不味い、絶体絶命である。


「――アイヴィス様!? 貴様! 何者だっ!」


 ラヴィニスが新たに現れた男性に詰問をする。


 不意をつかれたせいで慌て、力が入ってしまったのだろう。拘束されているフクロウの首筋から漏れ出る赤い液体が白刃を伝い、切っ先からポタポタと落ちて地面へと吸い込まれていく。


「む。まずはうちの団員を放してやってはくれないかね?」


 その様子を見て人質の解放を要求する男性。どうやらラヴィニスの質問に答えるのはその後にするつもりらしい。


 まるで駄々っ子を宥めるかような落ち着いた声色に聞こえるのは、俺の気のせいなのだろうか。


 駄目だラヴィニス! そいつを開放したら、為す術が無くなってしまう! 


 俺はジタバタと出来得る限りの抵抗をし、その腕から離れようともがいてみた。


 だが、まるで鋼鉄の錠で押さえ付けられてるかのように全く以てビクともしない。


「――――っ!」


 それを見たラヴィニスが、即座にフクロウから剣先を放し拘束から解放した。


 俺はその様子から、自身の行動が裏目に出てしまったのだと悟った。


「ふむ。すまないね」


 俺の口元を抑えていた掌を放し、ラヴィニスに向かい軽く一礼をする男性。


 その物腰の低さ故に前二人のような不快感は感じないが、両手を抑える右手は未だ握られたままである。


 どうやらこのまま解放してくれる気はなさそうだ。そんな俺の思考は、次の瞬間に聞こえた乾いた発砲音により中断した。


「――隙あり」


 いつの間にか俺とその男の背後に回り込んだ加藤が、拘束している男の肩口を狙い発砲したのだ。


 完全に隙をついた形だったのだが、結果としてその銃弾は男に届くことは無かった。


「油断」


 そう。男性の影から音もなく現れた小柄な人物により行使された、謎の”黒い空間”によって阻止されたのだ。


 彼、もしくは彼女は、からすの頭部のように見える”ペストマスク”のようなものを着用していた。


 フルフェイスのマスクのためか声が籠っていて、一見しただけでは性別が分からない。


 網目状の鈍色の全身タイツの上に飾りが少なく丈の短い漆黒の着物を着用し、さらに濡羽色のマントを羽織っている。


 同じ暗色でも微妙な色彩の違いはあるが、ヨタカやフクロウに比べると地味な装いとなっている。


 俺にはそんな中でもただ一つ、どうしても気になる点があった。


 発砲音で撃ち抜かれて穴の開いた思考の中に、埋めるようにしてその事実が割り込んでいく。


「おお。ツグミか、ありがとう」

「うん」

「しかし自立型の人形ドールか、興味深いな」

「めずらし、い」


 会話をしながらもツグミと呼ばれた人物は、加藤に向けて苦無のようなものを投げた。


 加藤はそれを身を振ることで避け、新たに現れたツグミに銃口を突き付け放とうと試みた。


 しかし次の瞬間、何故か背後から出現した苦無を膝裏に受けてその場に倒れてしまった。


 おそらくは、加藤の後方に浮かぶ黒い空間から飛んできたのであろう。


 加藤はすぐに起き上がろうとしたが、たたらを踏んでしまい上手くいかないようだ。


 足が痺れたときの様子に酷似しているので、おそらくは痺れ薬のようなものを塗ってあったのだろう。


 ……なぜ無機物に作用してるのかは知らないが。


「しぶとい」

「ああ、待てツグミ。その人形は壊すな」

「分かった」


 追撃をしようとしていたツグミは、先程の男にそう命じられるとすぐに攻撃を中止する。


 信頼なのか服従なのか他所からは判断できないが、男性の傍で大人しく控えている。


 目線で追っていた彼女が目で追える場所に留まったところで、軽い自失状態にあった俺が覚醒する。


 そう。そこに在ってはならないモノが視界に飛び込んできたのである。


「待て! なぜ、君が”ソレ”を身に着けている!?」


 これ以上状況を悪化させるのは避けなければならないというのに、俺ははどうしても聞かずにはいられなかった。


 ――白いシュシュ。あれは俺が椿沙に買ってあげたものだ、間違いないっ!


「ボクの物、ここで拾った」


 ブレスレットのように腕につける物だと思ったのだろう。自身の右腕に着用しているシュシュを見て、ツグミはそう答えた。


「――っ! その近くに、女の子はいなかったか? 黒髪ロングで白衣を着た、可愛らしい女子高生だ!」


 俺は感情の奔流を抑えることができずに、前のめりになりながら捲し立てた。


 あの日あの時、椿沙は確かにシュシュを持っていた。爆発の際には外していたが、確かに所持していたはずなのだ。


「いない、ボクだけ」


 そんな俺の淡い希望を撃ち砕くように、淡々とした口調でツグミはそう答えた。


「――頼む。どんなことでも良いんだ、教えてくれないか?」

「…………」


 ……沈黙、心当たりが無いのか。ようやっと、有力な手掛かりが見つかったと思ったのに……。


 俺は感情のまま肩をガクッと落とし、愕然としてしまう。


「ホッホッホ。いやはや、驚きましたよ。彼女がイサギ様以外の人と会話するのを見たのは初めてですねぇ。しかしながら、その娘に人物の事を聞いても無駄ですよ、お嬢さん」


 ラヴィニスから解放され、俺の方へと近づいて来ていたフクロウがそんなことを言ってきた。


 ありがとうございます、イサギ様。と先程の男性に頭を下げ、改めてこちらに向き直る。


 ラヴィニスはというと、俺が拘束されているせいか、その場を一歩も動いていない。


 口元から垂れる深紅から察するに、その内なる激情を必死に押さえ込んでいるのだろう。


「ホホ。彼女は物品担当でしてな。人には興味がないのですよ。彼女にとって、人は言わば人形のようなもの。物品の付属品でしかないのです」

「それに残念ですが、誰かをお探しならもうこの場所には居ないでしょう。逃げたか連れ去られたか、あるいはもう既に事切れているか。そのいずれかになりますねぇ」


 どうやらこのおっさんことフクロウはその名の通り、聴覚に絶対の自信があるらしい。相も変わらず鷹揚な仕草で説明をするその姿は、少々癇に障る。


 そういえば確かに彼は、ヨタカが生きていると確信していた。距離が離れていたこともあり、心音などを聞く以外に生存を確認することは不可能に思える。


 聞くところによると、日常生活に不便なので普段は制御しているが、本気を出せば数里先のネズミの鳴き声まで聞こえるらしい。


 俺達を最初に発見した際も、その心音で判断したらしい。曰く、その音で老若男女が分かるのだとか。


 ……どこまでが本当なのか、正直疑わしいけども。


 ラヴィニスの質問に大人しく答えていたのも、援軍が来るのが分かっていたからなのだろう。


 しかしかなり状況が悪い。拘束されて打つ手がなく、椿沙の存命も絶望的……か。


 さらには俺の我儘で、ラヴィニスまで危険に晒してしまった。


 命の恩人に、仇で返すことになってしまうとはね……。まさか、イヴの言った薄幸属性とやらが本当についているんじゃないだろうな?


 ……いや。これは自分の迂闊さが招いてしまった結果なのだろう。


 せめて、せめてラヴィニスだけでもこの場から逃がすことは出来ないだろうか。


 ――イヴ。先程の魔法で、加藤が倒したゴーレムを利用出来ないか? 核以外はほぼ無傷だし、加藤の種もあの人形の中にある。もう一度、媒体として使ってかく乱することは可能なのか?


《解答。可能です。もう一度”精霊召還”を用いれば、ラヴィニスを逃がすことは出来るでしょう。しかし――》


「――アイヴィス様を置いて、私だけ逃げるなんて出来ません!」

「――っ!」


 ラヴィニスが何かを察し、即座に反論をする。


 イヴとは心中で会話をしていたので、彼女に聞こえているはずが無い。


 おそらくは表情にでも出ていたのだろう。


 俺は、以前椿沙が「先輩は顔に出過ぎです」って言っていたのを思い出していた。


《結論。ラヴィニスに逃げる意思がない以上、マスターのおっしゃった作戦は実行不可能でしょう》


 ぐ。……イヴ、無理だとは思う。その上で敢えて聞くが、全員……加藤も含めて、皆で逃げることは出来ないのか?


《不可能。……残念ながら、そう答えるしかありません》


 ――っくそ! 一体どうしたらいいんだ!


 どうにもならない八方塞がりな状況に、俺は思わず心中で悪態を付いていた。


 どうすれば良い! どうすれば、この危機を逃れられる!? このままでは、俺もラヴィニスも……せっかく生き残った加藤もいるってのに……。――どちくしょうがっ!


 間違いなく絶体絶命だ。それでもどうにか抵抗しようと思案したのだが、全く以て良い打開策が思いつかない。


《提案。逃げることは叶いませんが、危機を逃れることなら出来る……と思います》


 そんな様子を静かに見守っていたイヴが、ボソッと呟いた。


 いつものように確定でものを言うわけではなく、推論という曖昧な形で、だ。


 嘆いている俺を慮ったのだろうか? ……彼女の真意は分からない。


 分かった、それで行こう。俺に出来ることなら、何でもする!


 普段と違うイヴの様子に気付いたが、その提案に縋るしかない俺としてはそんな些細なことは気にしていられない。


 そう。なによりこの状況を打開することが、今この場で一番重要な事なのだ。


《結論。大人しく、捕縛されましょう》


 な、なんだって!? まさか、諦めろとでも言うつもりか! ふざけるなっ!


 くっ……無謀でも不可能でも、あのゴーレムを使って特攻するしか――。


 俺の周りに、朱き魔力の奔流が渦を巻く。感情の昂ぶりが作用しているのか、いつもより荒く大きくなっているのは見間違いではないだろう。


 そんな様子をイサギは興味深そうに目を細め観察ながら、「ふむ。まさかこんな短時間の間に魔力を練れるようになっているとは、ね」と、近くにいる俺にギリギリ聞こえるくらいの声量で呟いた。


《否定! そんな訳ないでしょう! 私がマスターを見捨てるなど、有り得ませんっ!》


 先程のラヴィニスと同様のことを、さらに強烈な否定の言葉で発するイヴに気圧され、俺の無謀な特攻は霧散する。


 ラヴィニスといいイヴといい、俺を見捨てるなんてことはまず大前提として有り得ないらしい。


 ……何故だ? 何故ここまで俺のことを気に掛ける? それに――。


 おそらくこの男性は奴隷商の一人だ。捕まったらどうなるか、二人だって分かっているはずなのだ。


「さて。ではお嬢さん方、一緒に着いて来ては貰えないだろうか? なに、悪いようにはしない」

「……それを、信じろというのか? あんたらは”人攫い”なんだろう?」

「ふむ、間違ってはいない。しかしこの状況だ、君にはどうすることも出来ないだろう? どうやらあちらのお嬢さんに君を見捨てる意思は無いようだから、ね」

「ぐ……ぅ」


 胡散臭いことこの上ない。無理矢理力で押さえつけておいて、”悪いようにはしない”など。


 俺としては、打開策を考えるための時間が欲しい。そうでもなければ、このような不毛な会話はする意味すらないのだ。


 イサギが言ってる内容は、提案という体の脅迫以外の何物でもない。そもそも拒否権など、端から用意されていないのだから。


「それに、私は君を探していたんだ。手荒なことはするつもりはない」

「この状況で、今更何をいっている!」

「傷つけてはいないだろう?」

「――っ!? ……屁理屈をっ!」


 先程から、まるで子供をあやすような説得を繰り返すイサギ。


 俺は完全に見下されている、馬鹿にされていると感じていた。その沸騰しそうな怒りが、声色と表情に浮かんでしまうほどにはむかっ腹が立っていた。


 自分が必死に打開策を考えているのを「何やっても無駄だから、大人しくしていなさい」と、言外に悟れと頭を押さえられているように感じたのだ。


「……ふむ。確かにこの状況で、信じろなんて言葉は、意味を為さないか」

「…………」

「仕方がない。この場でこの方法は、あまり取りたくはなかったのだが、ね」


 何かを妥協したイサギは、俺を自分の正面に向き直した。


 まるで貴族の社交ダンスのような自然で柔らかな動きに、俺は抵抗なく眼前に立たされてしまう。


 彼は高級そうな漆黒のスーツを優雅に身に着け、ツグミと同色同様のフードマントを羽織っていた。


 特徴的なのは、(からす)をモチーフにした仮面であろう。よく見ると上半分が仮面で、口元はマントと同色のマスクで覆っているようだ。


 何やら思うところがあったんだろう。イサギは前触れもなく、その仮面マスクで覆われた顔面を俺に向かってヌッと近づけてきた。


「な、なにをするつもりだ?」

「…………」


 触れそうなほど近くまで来たその顔……仮面マスクと体格差に圧倒され、俺は少し口ごもってしまう。


 情けない話だが、思わず後ずさりをしてしまった。正面に立たれると、背が高いだけでも怖いものなのだ。


 拳一つがギリギリ入るほどの位置まで近づけた顔をスッと遠ざけたイサギが、その仮面とマスクにゆっくりと手を掛ける。


 そんなイサギの様子を伺っていたフクロウが「イサギ様が、その素顔を御見せになるなんて……」と、何故か目を見開いて驚いている。


 彼の驚きは耳に入っては来ている。だが、俺はそれ以上の衝撃を受けて唖然としてしまったのだ。


 対面したあまりに不可解な出来事が、思考の全てを更地に変えてしまったのである。


「……ここに宣誓しよう。私イサギの名に置いて《アイヴィスとラヴィニスの日常と身の安全をここに保障する》と。私はもちろん我が眷属や奴隷達も、()()()()()()()何もしないし、させないよ」

「…………」


 イサギがその制約の言葉を紡ぎ始めた瞬間、漆黒の魔力の奔流が渦を巻き周囲を包み込む。


 夜より深く、闇より暗い。覗きこめば、世の果てまで堕ちていくのではないかと勘違いしてしまいそうな、純然なる深淵アビスである。


 俺はその様子をただただぼんやりと眺めていた。或いは既にその深淵に吸い込まれ、心の全てが飲まれてしまったような感覚すらある。


「――なっ!? い、イサギ様! 姿を御見せになっただけではなく、そのような誓約までなさるなんて! ……その者達は、一体貴方様の何だというのですか?」


 明らかに狼狽した様子のフクロウがイサギにそう問いかけても、当人はある一点を凝視したまま動かない。


 そしてまた、その視線の先にある俺も魅了されたかのように一歩も動くことが出来ない。


 見つめあう二人の若い男女……。


 まるでこの世界には”自分達二人しかいない”のだと言わんばかりの雰囲気である。


 ……甘さは、欠片ほども無いのだけれど。


 静寂が辺りを支配し、いつの間にか目を覚ましていたヨタカのゴクリと生唾を飲む音が聞こえる。


 その身体は未だダメージが残っているのか、片膝立ちのままである。


 相方の曲剣は置物の様に静かに刺さっている。一時(ひととき)前までの姦しさが嘘のようだ。


「……どうなってやがる」


 そんな静寂に、俺の微かな呟きが響き渡る。


 声量はほとんど出ていなかったのだが、その呟きはここにいる皆の耳に届いたであろう。


「――何故だ! なんでお前は……俺の姿をしているっ!」


 理解のできない事柄に対しての不安や不満。そしてそれが今この瞬間に頂点に達し、怒りとなって溢れ出てしまったのだ。


 自分の知りえぬことで、自分にとって重要な事柄が大した説明もなく理不尽に押し寄せてくる。


 俺はそんなやり場のない怒りの矛先を、涼しい顔で見つめ返す同じ顔――イヴと同化する前――を持つイサギにぶつけたのだ。


 その胸倉を掴み引き寄せてイサギを睨む俺の顔は、それはそれは恐ろしい悪鬼のよう形相をしているだろう。


 それでもイサギはじっと俺を見つめたままである。そして何故かその瞳には、慈愛に満ちているようにも見えなくもない。


《……告………通告! 落ち着いて下さい、マスター!》


「――――っ!?」


 イヴの叫びとも取れるような呼びかけに、俺の身体がビクッと反応を示す。


 お陰で自身の状況を思い出した俺は、少しバツの悪さを感じながらもイサギを掴んでいた腕をバッと離した。


 しかし視線はイサギに固定したままに、「どういうことだ、説明しろ。あぁん?」と訴えてみる。


 イサギはそんな俺の様子に首を振り、軽くため息をついた。「まったく、しょうがないな君は」と言わんばかりの雰囲気だ。


 それを間近で見た俺は、自身の眉と口元がピクピクと動くのを感じた。


 俺自身、自分の状況は理解している。だがしかし、イサギのそのおちょくった様な態度に、いちいち身体が反応してしまうのだ。


 何故そんなに過剰に反応してしまうかは分からないが、それがまた俺を一層イラつかせていた。


 その答えは不意にイサギから告げられ――


「ふむ。やはり君は鈍感だな。本当に、困ったものだね」

「何を言っている? ってか俺の姿でその気持ち悪いしゃべり方をするなっ!」

「きっ、気持ち……悪い」

「その大袈裟なリアクションも、いい加減鬱陶しいんだよっ!」

「……ぐぅ」


 ――る前に、俺からの酷評で機先を砕かれてしまったらしい。


 イサギの欧米の人を思わせるようなオーバーアクションは、日本人顔がするとどうしても鼻につく。


 そう。俺のこの態度は仕方がないものなのだ。


 なにせ自身と同じ顔の人間が「しょうがないなぁ」と言わんばかりアクション付きの説明から始まり、ガクッと後ろに下がりながら胸を抑えたりしているのだ。


 目の前でそんな黒歴史を量産された俺が感情的になるのを、一体誰が止められようか。


 例え、今までの自分の行動に自覚があっても……自覚があってもだ!


《理解。客観的に視認すると、自身の痛々しい言動の恥ずかしさをより認識できるということですね》


 うるさいよ! 今大事なとこなんだから、ちょっと黙ってなさい!


《……了解(笑)》


 あれ? なぁイヴ。なんか今、最後に余計なものつけなかったか?


《通告。気のせいです》


 そうか、気のせいか。……本当に?


 まるで自分達の現状を忘れたかのように、懐かしく温かい日常的? な会話をする俺とイヴ。


 ……? なんだろうこの感じ。確か、以前も何処かで……。


「……ふむ。その様子だと、イヴとのコミュニケーションにも問題はなさそうだね」


 自失状態から抜け出したイサギが思案中の俺に、再び爆弾を投入する。


 「なぜイヴの事を知っているっ!?」と驚き、ビクついてしまったのもしょうがないだろう。


 そんな俺を見て余裕を取り戻したのか、悪戯が成功した子供のような無邪気な表情をするイサギ。


「……もしかして、貴方は」


 途端にニヤニヤとした表情に変わるイサギ。俺が現状を理解したことが、そんなに嬉しいのだろうか。


 「うんうん、そうそう。言っちゃって、さあほら言っちゃって!」っというワクワクした視線を向けるイサギを見て、自身の推測が間違っていないと確信した。


 その勢いのまま、俺は自身と同じ顔のその人物に人差し指をビシッと突き付ける。……謎は。全て解けたのだ!


「――椿沙ちゃんだな!」

「違うよ!?」

「まったく。心配したんだぞ? いきなり気を失ったかと思えば、周りはこんな状況になってるし」

「え、え? だから違うよ? 私だよすず――」

「それに、なんだその恰好は? 嫌がらせにも程があるだろう? そんなに俺が嫌いだったのか……。流石に、ちょっとショックだよ」

「あれ? なんで? 聞こえてないの? 私の声? ……おーい」


 今までの絶望的(シリアス)な展開を、全てぶち壊してくれよう。そう言わんばかりの圧倒的な日常が始まった。


 少し離れた場所に行けば未だ物言わぬ躯が散在しているというのに、まるで空気を読まないほんわかな雰囲気が支配しているのだ。


《唖然。これがシリアスブレイクというやつですか》


 その原因である俺とイサギに対し、イヴが呑気にそんなことを宣った。


 間違ってはいないが、それに君も加担してるのを忘れないように、ね?


 俺としては、流石に釘を刺さずにはいられない。案の定、言われたイヴはキョトンとしている。


「鈴音……所長なんですか? 一体、何故?」

「……ふむ。私としても言いたいことは多々あるのだが、その質問は肯定だ」


 あ、口調が戻った。などと言ってはいけない。今はとても真剣な時間なのだ。


 疑問を口にしたものの、このような空気になれるというだけで、”自分と同じ姿をしたこの人物は鈴音である”と確信してはいる。


 それでも、聞かなければならないことは色々とあるのである。


「君の疑問の全てに答えてあげたいのだが、まずは一緒に着いてきては貰えないだろうか?」

「所長がそうおっしゃるのなら、俺は大人しく指示に従います。ですが――」

「椿沙の事か? 彼女は無事だ」

「――そうですかっ! ……分かりました。所長……いえ、イサギさんの提案を受け入れます」

「そうか。では、私の後に続いてくれ。今日はこのまま私達のギルドまで案内しようではないか。――フクロウ、ヨタカを連れて来なさい」


 俺とイサギのやり取りを見て呆然としていたフクロウは、まるで電気が走ったかのように身体をビクつかせ、しかしながら迅速に指示に従って動き出した。


 そのイサギ……もとい鈴音らしからぬ冷たい声色に若干の違和感を覚えたが、その場に相応しくないので黙殺した。


 椿沙が生きているのだ。良かったよ、本当に。……もう二度と会えないのかと思った。


 見上げたその空は熟れた林檎の様に朱に染まり、夜の帳を下ろそうとしていた。


 それを本能的に察しているのだろう。黄昏の森も来たる闇に向け、忙しなく葉を揺らすのだった。

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