ウチの娘達が出店を出してるらしい!
闘技大会が開催されている闘技場には、併設されている飲食店や武器に防具に装飾品が雑多に並ぶ武具店がある。
国を挙げての大会でなければそれだけでも十分なのだが、今回は同盟始まって初の大事な外交的な催しだ。その上、新興国であるという理由だけでは説明の付かないくらい大勢の外国人が挙ってこの機会に訪れている。
早い話、需要と供給が間に合わないのだ。故に顔役であるドルマスは闘技場周辺の同盟が所有する土地を一般開放し、自国の民達に臨時的に様々な購買施設を運営するように命令を下したのである。
ちなみにエルクドことアルマスは隷属国家アインズにて国王アリス・フォン・アインズの、また鬼軍曹ことフルマンは都知事であるシャルロットの代理人として外交戦略に励むようイサギことクロウより厳命されている。
アリスとシャルルには象徴であり続けることを徹底的に演じさせている。
エルクドやフルマン、そしてドルマスなどが裏で同盟を仕切っているのだと各国に誤認させることで、彼女達に価値は無いと思わせるためだ。
当然アリスとシャルルを護るためというのが一番大切な理由だが、次点は外交上の生存戦略だ。
要するに彼らは、各国の反応を伺う当て馬という重要なポジションを担っているのだ。
盟主であるクロウは君臨するが統治せず。国王と都知事は象徴としてただ存在するだけ。ともすれば実質的なトップはエルクド以下三名となるだろう。そう内外に錯覚させるのである。
当然、本質は異なる。エルクドたちは常にクロウからの命令で動き、アリスとシャルルはその監視役だ。
奴隷とはいえ、ヒト族は獣人ほど従順ではない。それこそ監視の目が無ければ、誓約の隙を付き抗おうとするだろう。
当然全てがそうではないが、やろうと思えば出来なくは無い。故にお目付け役が存在するのである。
同盟内はドレイレブンにより常に厳重な監視体制が敷かれているが、上層部である彼らにはそれ以上に厳しく見張られているのだ。
ちなみにアリスとシャルルには、奴隷に対する命令権が与えられている。それこそその場で死を命じることすら可能なのだ。
そしてもし彼女達の身に危険が迫ったら、奴隷達は肉壁となってでも守護することを義務付けられている。
同盟にとって盟主の命令は絶対であり、逆らうことは許されない。そもそも逆らうという意思すら既に残されていないのだが。
何よりそういった様々な条件に同意したものしか同盟内には存在しない。つまりは、それを補って余りあると判断したという訳だ。……選択肢が無いものも、無論中には紛れてはいたが。
それでも選択したのは当人である。当然その責任は当人、未成年者ならその親に帰結する。
国、そして同盟。その秩序や法を護るには、綺麗事だけじゃ片付けることは出来ない。崩壊してからでは遅いのだ。
アリスやシャルルに象徴としての役割を徹底させているのはこのような事情もある。常に危機意識を高く保つことで、起こりうる最悪の事態を遠ざけているのである。
ともあれ、今は闘技大会だ。
展開されている臨時店舗には、当然ウチの”ている♡いやーず”出張部隊が参戦している。
そして俺はその実質的なオーナーとしての役割も担っている。ここは一度くらい顔を出すべきだろう。
要するに、決勝までの合間に彼女達の仕事っぷりを拝見しようという訳だ。決して小腹が空いたから集りに行くわけでは無い。
「いよーう二人とも、頑張ってるかい?」
「あ、オーナーだニャ! もちろん、バッチリ稼ぎまくっているニャ」
「オーナー! まさか、様子を見て来て下さるなんて。私、感激しています」
迎えてくれたのは二人の尾耳族。マンチカンのタルトちゃんと、ゴールデンレトリバーのトルテちゃんだ。
二人ともに垂れた耳をしているのがチャームポイントで、ている♡いやーず創設当初からいる最古参である。
初代看板娘として店内ではある種の神扱いとされており、彼女達が二人だったことから看板娘の枠が二枠になったという。
看板娘の期間はワンシーズンで、選ばれた場合は給料の他に特別手当が付く。店内のイベントでは交代、時に二人でセンターという重要なポジションを担い、お客様に感動を与える一番星として煌めいて貰うのだ。
ちなみにマンチカンとは猫の種類であり、その毛並みは三毛猫だ。小柄で手足は短く、成人しているはずなのに小学生高学年の子供にしか見えない。また、シュアと違い胸も尻も平均以下という幼女体系だ。
本人は最初その見た目のちんちくりんさを気にして居たみたいだが、最近はそうでもないらしい。
おそらくは、それこそが自身最大の魅力であるという事実に気が付いたのだろう。
会うたびに褒めた甲斐があったというものだ。ま、俺の言葉というよりは常連さん達の反応のおかげだと思うけどね。
トルテちゃんは逆に、色んなところが大きい。高身長でボンキュッボン。その割には性格が静かでおとなしく、恥ずかしがり屋だ。
彼女にも語尾に自分の種族の特徴である”ワン”を付けるように教育したのだが、流石にプライベートでは使用していないようだ。
羞恥からか、語尾を付けるときツンデレのような態度になってしまうらしい。それが逆にお客様に受けて、本人の意思外で人気者となったという異色の経歴を持っている。
曰く、嫌々とまでは言わないが、ぎこちなく笑ったり踊ったりする姿がとても可愛らしいそうだ。そしてそれを揶揄われて真っ赤になってしまう純朴さもまた、彼女の魅力のひとつなのだろう。
当人としては不満だろうが、そのように色んな表情を豊かに見せてくれるのもその人気の一端を担っているのである。
言うまでも無いが、初代看板娘である彼女達はクジャクさんやシフォン同様ドレイレブン出身だ。
……早い話、彼女達の未来もまた俺の双肩にかかっているということになる。業を背負うと覚悟は決めた以上、最後まで面倒をみるのが飼い主としての義務。花が咲くように笑う彼女達の持ち主として、末永く見守っていく所存である。
「良し良し。二人が頑張ってくれるおかげで、お店はいつも満員御礼だ。お客様も大満足してくれているみたいだし、オーナーとしてこれ以上嬉しいことは無いよ。ありがとね」
「はニャぁ。オーナーに撫でられるの、すっごく気持ち良いニャぁ。頑張った甲斐があったニャぁぁ」
「えへへっ。撫で心地はどうですか? 同僚達にはふわふわで最高だって、良く褒めて頂いているのですよ」
撫でた手に擦り寄ってくる二人。な、何だこの可愛い生物は。触り心地も極上だし、このまま持って帰って抱き枕にしてお昼寝したいっ!
流石に仕事中に連れて帰ることは出来ないけど、ふむ。今度お願いしてみようかしら。眠りの探偵よろしく、尾耳女性の真相を暴けるかも知れないしな! ……いや、冗談だけども。
あー。離し難いぃ。一生撫でまわしたいけど、考えてみたらここ往来のど真ん中なんだよね。残念だけど、このくらいにしておこうか。
「そういえばクジャクさんは? シフォンも見かけないけど、どこか出てるの?」
「料理長は場内の調理場で指揮を取ってるニャ。姉御は夜烏でお留守番してるニャ」
「夜烏を完全に空ける訳には行きませんからね。その点お姉様なら安心なのですよ」
ほほう。つまり場内のご飯は最高だと確定したわけですな。あれこれと指示を飛ばすクジャクさんが目に浮かぶねぇ。
シフォンは確かに優秀だからな。まず問題は無いだろう。……でも寂しがってそうだし、後で何か作ってあげようかな。
ていうかシフォンって、皆のお姉さん的存在だったのね。直ぐヘロヘロになってるイメージしかなかったから意外過ぎる。や。そうなってるの、だいたい俺のせいなんだけどね。
そういえばイサギさんの側近のお二人も見かけないな。あまり喋ったことは無いんだけど、確かあの二人もドレイレブンだったはず。
んー、俺も全容を把握してないからなぁ。知っていることと言えば皆が皆俺の愛玩動物であることと、一人の例外なく若く優秀で容姿端麗な上に処女であるという何とも嬉恥ずかしな事実かな。
何故こんなにも高品質な物件が俺なんかの為だけに用意されているのかは未だ分からないけど、貰えるものは有り難く貰っておくのが俺の流儀なので悪しからず。
日本に居た頃に比べてだいぶ恵まれてるな、本当に。いや、これ以上欲をいうのも難なのだけど、男としての機能さえあればそれこそ酒池肉林を体現出来たのかも知れないのにな。そこだけは残念無念だね。
ま。俺にそんな気概があるかは分からんし、何より破滅フラグにしか見えないような気もするから何とも言えないけども。
「あら。今日は私服なんですか。こうしてみると変態娘も、只の少女にしか見えませんね」
「およ? あ、ルークさん大好きお姉さんだ。こんにちは」
「はぁ。相も変わらず気安いですわね。私はタバサ、そしてこの娘はルキアよ」
「よ、よよよ、よろしくお願いしみゃ――っ!?」
「みゃ? ……だ、大丈夫? 血が出てるよ、治癒」
「あ、あわわわわ。す、すすす、すいませんんんんっ!!」
しまった。つい心の中で呼んでる愛称で呼んでしまった。ま、いっか。別に嫌われてもさして問題も無いし。
乳首の子、ルキアっていうのか。前見たときも思ったが、ワタワタしてて小動物みたいで庇護欲が沸くな。
口を切ったくらいで治癒魔法は要らないかも知れないけど、つい面倒を見てしまったよ。
ちなみにタルトとトルテは軽く会釈をし、仕事へと戻っていった。可愛いだけじゃなく、こういったさり気ない配慮も出来るのもまた、彼女達の魅力のひとつである。
「うん。もう大丈夫。……ん? 何、どうしたの?」
「い、いえ。相変わらず無駄が無いなぁって」
「そ、そうかな? 私、他の治癒士を知らないからその辺分からないんだよね」
「え、え? ど、独学なのですか!? ……そんな、ありえない」
あ、これ返答ミスったかも。独学では無く、完璧な指示を送る指導者のお陰なんだけど、ふむ。説明するわけにもいかないしな。
かといって嘘をいうのもなんだし、言い訳にしても他を知らないからな。ま、しょうがないね。
乳首ちゃ――もといルキアちゃんには盛大に買い被って貰おうか。別に勘違いされても問題無いし。
「それで? お二人はどうしてこちらに? 試合自体はもう終わっちゃってたでしょ?」
「ええ、もう済んだわ。これで上も文句は無いでしょう」
「上?」
「ああ、教国の指示なのよ。貴女の国が、どうしても気になるみたいだわ」
「え、そんな大事なこと私に言っちゃって良いの? 喋っちゃうかもよ?」
「問題ないわ。どうせ公然の事実だし、私も嫌々だったからね」
何が嬉しくて人前で戦わなければいけないのか、手の内もバレるし目立つしでメリットが無い。そんな話をタバサはしていた。
言われてみれば確かにその通りでもあるので、特に俺からも反論は無い。皆が盛り上がれるからなどの感情論は、この冷血女にとってはどうでも良いことだろうしね。
だったら既に帰ってしまっても良い気がするのだが、それも何かしらの事情があるのだろう。俺としては特に興味も無い事柄なので聞くことなんてしないけども。
別にタバサが苦手な訳じゃないから。ただただ興味が無いだけ。だから、これは逃げじゃないよ。はい、論破。
「ふーん。ま、良いか。それじゃあね、またの機会にでも」
「――っ!? ま、待って下さいアイヴィスさん!」
「え? 何、どうしたの? そんなに改まって」
「あの、その。あ、ありがとうございました! 先日と今日、二度も治癒して頂いて感謝しかありません」
「へ? あぁ、うん。どういたしまして。……ふふっ、律儀なんだね。私が勝手にやったことだし、別に気にしなくて良いよ?」
く。何だこの癒し生物は。タバサのせいで荒んだ心が解れ、溶かされていくようだ。連れて帰ってペットとして飼いたい。
何というか、ドレイレブンの皆って凄く情欲的で内なる性欲を刺激してくるまさに性奴隷って印象なんだけど、この子はまんま愛玩動物だね。ずっと眺めていたくなる感じって言うのかな。
頑張れ、頑張れって思わず応援したくなるんだよね。俺に残された少しばかりの純粋な心を刺激されるのよ。
「この娘、貴女にお礼を言うために着いてきたのよ。危険度すら分からない未知の国だって言うのに全く」
「え、何それ可愛すぎ。ルキアちゃん、私の愛玩動物――もとい奴隷にならない? 衣食住は保障するし、好きなものも買ったげるからさ」
「へ? あの、その。こ、困りますぅ。私、聖女としての使命があってですね? なので、うぅ。す、すいません」
「ちょっと! 訳の分からない勧誘するのはやめてくれない? 奴隷になんてなる訳が無いじゃないのっ!」
「冗談だってば。でも心情的にはなって欲しいので、本当に考えといてくれても良いんだよ? よ! あ、タバサさんは要らないんで聞いてないです」
「な、何それどういう意味っ!? 私は客観的に見てとても優秀よ! 容姿とスタイルは整ってるし、戦闘力も高い。それこそ奴隷市場類稀にみる高価格が付くはずだわっっ!!」
「た、タバサ姉さま。その、怒るところが間違っている気がするのですがそれは……」
ふむ、残念。どうやら勧誘に失敗したみたいだな。それにしてもタバサは自己評価が高過ぎない? や、確かに言ってる通りなんだけど、性格でだいぶ価値が下がる気がしてならないのだが。
ま、俺は売買の方の知識は疎いから本当のところの価値っていうのは分からないんだけどね。
そうか。業を背負うって決めたのならそういった知識と覚悟も決めないといけないんだよな。何時までも日本のルールに縛られていてもしょうがない。未練が無いわけでも無いが、ここで生き抜くことがまず最優先だからね。
成り行きに身を任せることで得た環境ではあるが、ラヴちゃんもイヴも居てイサギさんも居る。その上でアリス達にドレイレブンの皆まで居る現状は、今生で最高と言っても過言ではないからね。
皆の為、何より自分自身の為。今出来る全てを利用してでも現状を維持し、徐々に向上させる。それこそが俺にとっての幸せに繋がると信じ、邁進するしかない。ま、両親には少し申し訳ないから、出来れば無事だという便りくらいは送りたいけども。
それに奴隷国家という言葉は確かに不健全なのかも知れないが、人口動態統計や毎月労働統計が現代日本に勝るとも劣らないこの同盟は決して”悪”では無いと考えている。
要するに同盟は、アヴィスフィアに存在するどの国家よりも国内の情勢が安定しているのだ。この一点だけでも同盟の有用さが証明出来るだろう。
ま、俺にとっても都合が良いという側面からくる独善も無きにしも非ずだけどね。
以前も言ったが、優先順位は大事だ。俺にとって何が大切なのか、そしてその優先度はどうなのか。
ヒト一人に出来ることなんてたかが知れているのだから、常日頃から意識して添削すること。断捨離の精神である。
「残念。今なら私謹製の新作スイーツが付いてくるんだけどなぁ、なんて」
「――っ!?」
「ん? あれ、タバサさんもしかして甘いもの好き?」
「――――っ!! わ、悪いかしら?」
「ふふっ。いや、ただ意外だなぁってね」
「…………」
あれま。顔を赤くしてらっしゃる。いや、怒って真っ赤になったのは見たことあるんだけどね。
ふむ。ツンが九割デレが一割と言ったところか。とはいえ、現実になるとこれほど面倒な女子は居ないぜ。
笑ったせいでだんまりさんになっちゃったし、これ以上会話をするのは難しいかも知れないな。
ていうかこの反応。もしかして、ている♡いやーずのスイーツ考案者が俺だって知ってるのか? 話した記憶は無いのだが。
ま、良いか。別に秘密ってわけでも無いし、むしろ知って貰っていた方が色々融通聞くこともあるかもだしね。主に材料面で。
「興味がおありなら、是非ている♡いやーずまでお越し下さいませ。新作のモニターとして、幾つか感想を聞かせて下さい」
「え、え? 宜しいのですか? 予約がいっぱいで、お店に入ることすら出来なかったのにっ!」
「勿論だよ。話は通しておくから裏口から入って? お代は取らないから、忌憚の無い意見を宜しくね」
「や、やったぁ! タバサお姉さま、早速参りましょう? 私、待ちきれません!」
ぴょんぴょん跳ねていらっしゃる。いや、可愛すぎかよなんだこの小動物。頭を撫でながら餌付けがしたいぃ。
出張店舗では効率と回転率を最大限生かすため、ウチの看板メニューであるシフォンケーキ生クリーム添えの一品しか売り出していないからね。色々食べたいのなら、本店か系列店に行くしかないのだ。
そして、そんな店舗は有り難いことに毎日満員御礼だ。混雑を避けるために予約制にしたのだがたちまち埋まり、今では最低三ヶ月待ちという入店困難っぷりである。
例外はオーナーである俺の紹介であること。つまりは俺のお陰なのだ。ふふっ、存分に感謝してくれても良いのだぞ。
って、あっと言う間に行っちゃったな。あまりに早すぎて、手を引かれたタバサが宙に舞っているかのように幻視してしまったよ。
当のタバサも無表情ながらに嬉しそうだったし、まぁ良いか。スイーツ好きな人の意見を聞くのが一番勉強になるからね。
忘れないうちに連絡しておこう。同盟内限定だけど、使えるスマホをイサギさんから頂いたからね。
でもこれ、何で電話出来るんだろう? 基地局でも作ったのかしら? ていうか何処で製造してるの? ……まだまだ俺の伺い知れぬ秘密が、同盟内には沢山あるようだね。
それに、イサギさんに特に近い一部の団員しか持っていないとはいえ、このアヴィスフィアではオーパーツに分類される気がするのだが……。
うーん。ま、彼女の事だし何とかしたんでしょう。気にするだけ無駄無駄。あるんだから有難く使わせて頂きましょうか。
ともあれ。そろそろ良い時間だし、出店で軽食でも買って戻ろうか。はー、決勝かぁ。白虎戦士と女騎士様のどっちが勝つのか――というよりは二人が戦っている姿を見るの、楽しみだなぁ。わくわく。
三年前。私はアインズブルグの兵士を十数名殺害した罪で奴隷へと身を堕とした。得も言われぬ事情があるとはいえ罪は罪。それも本来ならその場で処刑されても不思議ではない重罪だ。
イサギ様のご温情によってその最悪は免れたが、代わりに闘技場で死なずに百勝するという無理難題を課せられてしまった。
彼のお方の指導が無ければ、私は数戦と持たずに屍になっていただろう。
「今日で、漸く開放される」
ここまで長かった。故郷は滅ぼされ、父は戦死。母と共に生き永らえたのは良いが、それもこのアインズブルグまでだった。
あの日の出来事は、三年経った今でも鮮明に覚えている。
炎に包まれる母国。パチパチと火柱が踊り狂い、怨嗟と断末魔が響き渡る城内。煙による中毒症状で視界は霞み、ヒトの焼ける匂いで正常な嗅覚は失われた。
嘗ての誓いを果たすため、疲労困憊でふらつく身体を引き摺る父の背中。古傷か生傷か分からなくなるほどに負傷してなお猛く気勢を上げ、烈火の如く敵を殲滅するその雄姿。
それを背に涙を堪え、必死に私の手を引く母の表情。……本当ならば、愛する夫と最後まで共に寄り添い戦いたかったのだと思う。でもそれをせず、子である私を逃がしてくれたのだ。
共に逃げていた夜月とルリアラは、別動隊から私を守るためにおとりとなった。彼女達も弱くは無いが、あの数の追っ手はどうにもならなかっただろう。
数多くの犠牲の元で逃げ延びた先の僅かばかりの平穏も、突如襲い掛かってきた兵士の手によって無残にも砕け散った。そして母はその凶刃から私を護るために覆い被さり、私の腕の中で微笑みながら死んでいった。
その後のことは良く覚えていない。ただ内なる怒りにその身を任せて暴れ回り、気が付けばイサギ様によって保護されていたのだ。
ただ一つ言えること。それは尊敬する両親や掛け替えのない友人達、そして父を慕って付いてきた一族の皆。その全ての犠牲の元に、私の命は存在するという事実だ。
彼らは皆単に、族長である父が負った使命を果たさんがために戦った。
族長の決定は絶対遵守。強者である族長こそが正義であり、一族共通の指標だ。それが獣人、延いては我らの国唯一の法であり誇りなのだ。
何より血縁である私は、それ以上にその願いを叶えてあげたかった。
そして、それこそが主の実妹であるリンネ様の保護であり、その帰還の補助だったのである。
犠牲こそ出たが、我らはやり遂げた。失ったものも大きいが、一族の悲願は叶ったのだ。
主の命を果たす。それこそが唯一の本懐。その為だけに生き、そして死ぬ。それを美徳とし、誇りを持つのが獣人だ。
それは流石に言いすぎかも知れないが、少なくとも我が一族の国”烏鷺”ではその考えが主流だった。
私自身その生き様に憧れ、誇りを持っている。故に戒めとして思い出すことはあれど、そこに後悔などはない。
だが問題はこれからだ。私はこういう生き方しか出来ないし、変わるつもりも毛頭無い。
ただそうなると、忠誠を誓う相手が必須条件となる。……正直に言えば当てはある。だが、受け入れて貰えるか恐いのだ。
心では大丈夫だと思っている。だが身体が怯え、どうしようもなく恐れている。
嘗ての父がどれほど求めても叶わなかった忠義。その無念を知っているが故に、拒否されたときの不安が拭えないのである。
おそらく父はただ、褒めて貰いたかったのだろう。良くやった、ありがとうと自身の主に認められたかったのだ。
そしてこれは、私とおそらく母しか知らない事実だ。他の人に言っても、まず信じて貰えないと思う。
それほどまでに苛烈に使命に没頭し、文字通り粉骨砕身の精神でその生き様を貫いたのである。
私にはそれが眩しく、美しく、そして切なかった。これほどまでに頑張っている父が報われないなど、この世に神など居たものではない。今でも本気でそう思っているくらいだ。
そう。父の願いはまだ道半ば。私がアイヴィス様に認められて、漸くそのスタート地点に立てるのだ。
故に負けられない。必ず百勝し、彼のお方に我が忠誠を受け入れてくれるよう嘆願しなければならない。
そして今度こそ、父の成し遂げられなかった”ただ共に生きること”を完遂する。
それこそが残された私が出来る唯一無二の供養であり、何よりも私個人の願いなのである。
「絶対に、負けない。たとえ、誰が相手でも」
気力は充実しているし、身体の状態も悪くない。後はただ、勝つだけだ。それも、出来うる限り鮮烈に。あい――アイヴィス様に、少しでも印象深く記憶に刻んで頂くために。
行こう。今この瞬間、ここから始まるのだ。私の、そしてアイヴィス様の新しい日常と、永遠なる未来の安寧が。
新たな一歩、小さな一歩。踏み出した以上は戻れない――いや、戻らない。ただ駆け出して、我武者羅に掴み取るだけである。
歓声が聞こえる。いよいよ試合が、始まるのだ。相手は闘技場の覇者。狂犬王の娘、シュア・カラサギである。
正直に言って、勝てる気がしない。それほどまでに先程の戦いは鮮烈で、常識外れだった。
騎士を採用するための闘技大会だと聞き及んでいたのに、始まってみればステゴロ喧嘩にルール無用の魔力砲。
どうやら”気力”と呼ばれる魔力に似て非なるものとのことだが、灰色であることには間違いないだろう。
何より、怖ろしく強い。正直私の力量では、どう転んでもあのライオネルという獣人に及ばない。それを下したシュアに至っては、底が一辺たりとも垣間見えていないのだ。
その証拠に今、彼女は剣を握っている。風の噂に寄れば、闘技場の主はその場を盛り上げるがためだけに獲物を相手の戦闘スタイルに合わせる事を強いられているらしい。
早い話。相手の土俵に立ち、その上で圧倒して勝利するのだという。言うなれば無形。当日はおろか、戦いの最中で吸収して跳ね返すのである。
何という常識外れで理不尽な存在なのか。可愛らしい見た目とのギャップも相成り、同じ人類だとは到底思えない。
だが、私としても引く訳には行かない。トモエの件もあるし、何より我が国のためにもこの国の情報が欲しい。
負けるわけにはいかないのだ。この機会を逃せば、この国の内情は二度と分からない。その覚悟を以て望むのだ。
「大丈夫、大丈夫。いつも通りにすれば良いの。剣は毎日の積み重ね。多くても百回程度しか振ってこなかった相手には負けるはずが無いわ」
そう。あの流れる様な徒手空拳。そして獣人という種族的な特徴。それらを鑑みるに素手、またそれに近い軽装備こそが彼女の本来のスタイルなのだと予想出来る。
ライオネルを例に挙げるなら、正直それまでの試合は雑魚――とは言わずとも”並み”だった。
見た目だけでなく、実年齢も私より子供に見えるシュアがそれ以上の剣技を持つこと自体がまず難しいだろう。
チャンスはある。そして、闘技大会にはルールもある。ハンデキャップを貰っている気がしてならないが、条件はこちらに有利に働いている。
「勝負は真剣にしてこそだ。条件の違いはあれど、私はその全てを以て勝ちに行く」
私は騎士だ。騎士は護るためにある。そして、護る為にはまず敵対勢力に勝たねばならない。
ハンデだ卑怯だなどは所詮弱者の遠吠えに過ぎず、勝てばその全ては戦略に昇華されるのだ。故に負けられない。負けるわけにはいかないのだ。
決戦場へと一歩踏み出したこの足が震えているのは武者震いか、あるいは恐怖なのか。どちらにせよ、私は勝つ。勝ち抜いてみせるだけである。
闘技場の中心にて、二人の女性が無言で見つめあう。剣が鞘に仕舞われていることから試合がまだ始まっていないことが分かるが、目線だけは相手を見据えて水面下で攻防しているのかも知れない。
気持ちというのは存外大事で、飲まれてしまえば一瞬で雌雄を決する結果となりえる。
両者ともに油断も慢心も無く、ただ目の前の相手を見据えて静かに佇む。
準決勝とは打って変わった試合の様子に、観客も皆固唾を飲んで見守っている。
どちらともなく頭を下げる。どうやら試合が始まるようだ。互いに剣を鞘から抜くと、かがみ合わせのように正眼で向かい合った。
永遠とも思える対峙。その均衡を破るのは一体どちらなのか、剣士の勝負は一瞬。瞬きの間に決着が付くことすらありえる。
さあお立合い。剣の神髄を御覧じろ。雌雄決するその時に、同盟の最強が決定する。いざ尋常に、勝負っ!