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アヴィスフィア リメイク前  作者: 無色。
二章 新たな時代
53/55

金色の獅子が暴れまわっているのだが!

「さぁ始まりました。準決勝第二戦。挑戦者ライオネル・ルカ・ハーネスVS闘技場の主シュア・カラサギの登場です!」

「いやぁ、相変わらず美しい毛並みですね~。何度見ても彼女が何人もの猛者を屠って来たとは思えません!」

「確かにその通りです。しかし一度戦闘が始まってしまえば、その認識は容易く崩れ去ることでしょう! 見た目にそぐわぬその戦闘スタイルはまさに狂戦士。相手が物言わぬ肉塊になるまで攻勢を緩めることはありませんっ!」

「可愛らしい容姿なだけに、逆に恐ろしいですね~。そう言えば昔、彼女と同じような獣人の王が居たと聞きましたが」

「腕を奮えば十を超える者が引き裂かれ、駆ければその風圧で木々が薙ぎ倒されるという伝説が残る故人。その名を”狂乱の犬公方”コタロウ・カラサギ。そして、その一人娘こそがこのシュアなのですっ!」

「なるほど~。彼女の苛烈なまでの攻勢は、その血筋にあるということですね」

「はい。かつての彼女の髪は美しい白髪だったと聞いております。そして、その白髪が薄紅になった。これはあくまでも噂ですが、どうやら返り血を浴びすぎて染色されてしまったとも言われているのです」

「……ゴクリ。つまりは彼女はかつての父の字名”狂乱”の正統な後継者というわけなのですね~」


 白熱する実況者と間延びした相槌を打つ実況者が、言葉通り準決勝の第二戦の前情報を語っている。


 気持ちの良いくらいに挑戦者に触れていないことを見ると、彼らもまたライオネルと呼ばれた地味な青年の特徴を掴み切れていないのだろう。


 ――そして、そんなことなどどうでも良かった。



 ……烏鷺小太郎(こたろう)。それはかつて、俺の実家で飼っていた愛犬の名である。


 飼っていたということはつまり死んでしまった訳なのだが、その理由はハッキリと覚えていない。


 とても可愛がっていて、死んだときは訳も分からずに悲しんだはずなのだが、どうにも当時の記憶が曖昧でならないのだ。


 しかしながら今、その光景が飛び込むように鮮明に蘇ってきた。原因はそう、闘技場の主であるシュアである。


 苗字が同一のものであるのが偶然だとしても、彼女のあのつぶらな瞳はかつての小太郎のものと同一に思える。ちらりと此方を伺ったときに目が合っただけなのだが、俺が見間違えるはずが無い。


 主人である俺の命令をじっと待つ忠犬。信頼と尊敬、その全てを注がれていると感じていた。当然言葉が通じる訳も無く、俺の想像に過ぎない部分が多々あるのだが、かつての小太郎はそんな眼差しで見つめてきたのだ。


 そして、その瞳は一つだけでは無かった。


 何故、どうして今まで思い出せなかったのだろう。……俺には、そう。俺には五年程年の離れた、可愛い妹が居たのである。


 名は烏鷺凛音(りおん)。凛と響く音色の如く強く美しい声を持つ、俺の愛する妹だ。


 彼女はいわゆる天才だった。半年もしないうちに歩いたと思えば一才で流暢に言葉を話し、三才になるころには読み書き算盤まで器用にこなした。


 幼いながらも俺の言い付けを全て守り、年の近い姉弟のように育った小太郎の考えを俺以上に正確に読み取っていた。


 小学生に上がるころには英語はおろか、隣国である中国語までもを習得していた。どうやら将来は外交官となり各国とパイプを作り、ジェンダフリーの国へと移住する夢を掲げていたらしい。


 正直当時の俺はその意味も目的も全く分からなかったし、何なら今も良く分かっていないのだが、要するに彼女は人よりも数倍優れた能力を有していたのだ。


 そんな彼女もまた小太郎と同様に、俺に全幅の信頼を預けるような瞳を向けてきた。当時の俺はそれを当然として受け止め、その信頼に足るように彼女達の前では頼れる存在であろうと陰ながら努力もしてみた。


 今思えば、天才である凛音から見て児戯にしか映らなかったのかも知れないが、それでも俺は兄たろうと必死だったのだ。


 ともあれ。俺にとって凛音は当然妹だが、小太郎も実の弟のように感じていた。()()して俺の後を付いて回り、泣き笑い、時に俺を取り合って喧嘩などもしながら、それでも仲良く日々を過ごしていたのである。


 研究所で起きた謎の転移事件と同様に、転機は突然訪れた。


 今思えば召還か何かの儀式だったのだろう。時間を忘れ、いつもより遅くなってしまった夕暮れ時の公園に一つの幾何学的な魔方陣のような物が展開された。


 あの時直ぐに逃げていれば、とは思う。だが俺達は突然の出来事に驚き、帰宅せんと踏み出した逸り足を止めてその幻想的な光景に魅入ってしまったのだ。


 現れたのは女神だった。美しい白い羽に純白の羽衣。張り付いたような笑みを浮かべるその姿は、凡そこの世のものとは思えない威圧感、神々しさのような物を纏っていた。


 早い話、見惚れてしまったのだ。そして、その呆然としている合間に小太郎が殺された。


 警戒して低い声で唸る彼は、俺を庇うように間に立っていた。危険な存在だと分かっていたのだろう。近寄ろうしたその女神に向かって噛みつこうと試みたのだ。


 軽く前に手を翳す人外。その掌が小太郎に触れた瞬間、彼は崩れるように音も無く横たわってしまったのだ。


 何が起こったのか分からなかった。……分かりたくもなかった。


 今思えば、小太郎は命の蠟燭を吹き消されてしまったのかも知れない。そう思うほどに呆気なく死んでしまったのだ。


 全身に押し寄せる悪寒。流れているのは血か汗か、その違いすらも認識出来ない。思考は纏まらず、ただ震えることしか出来なかった。


 張り付いた笑顔を崩さず、女神の視線が動く。どうやら作り物では無かったらしい。そして、その瞳は俺の後方で震える妹を捉えていた。


「――逃げろっ! 逃げてくれ凛音っっ!」


 気が付けば叫んでいた。不思議なことに、叫んだことで身体が少し軽くなったと錯覚した。


 俺は震える両の手を水平に上げ、意味が無いと悟っていながらも人外と妹との視線の間に割り込んだ。


 情けないことにそれ以上はどうにもならない。弟の如く思っていた小太郎も守れなかった。だが、それでも俺は兄貴なのだ。


 妹だけでも守る。自分が動けなくても。……例え、この場で殺されることになったのだしても。


 それが矜持だと信じて疑わなかった。死ぬのは怖いし、出来うるなら直ぐにでも逃げたいけど、妹だけは守らなければならないのだ。


「――退(しりぞ)きなさい」


 不意に、人外が言葉を発した。頭の上から尻の先まで突き抜ける様な透き通る声。丁寧な割には強制力のある言葉。そして、まるで心など籠っていない冷たい瞳。


 俺のことなど微塵も興味が無いのだろう。小太郎は歯向かった故に処され、攻撃の意志が無い俺は言葉ばかりの慈愛を向けられたのだ。


 その証拠に二言が無い。このまま背に妹を隠すようならば、躊躇なく俺も命を刈り取られるだろう。だが、それでも譲れないものは譲れないのである。


「――嫌だっ! 凛音は、絶対に渡さない!」

「――っ! ……朱羽夜、兄さん」


 俺は何故か、この人外が妹を攫いに来たのだと確信していた。兄貴の勘、というか。そもそもこの化け物の興味が凛音にしか向いてなかったからだ。


 怖い、恐い。死ぬ、俺はここで死んでしまう。……嫌だ。でも、凛音が連れ去られるのはもっと嫌だっ!


 涙を流し、鼻水を垂らし、足は震えて、腰は引けている。そんな自覚もあるのに、目線だけは人外に向けて置いている。


「……仕方、ありませんね」


 その言葉で、俺は死ぬのだと悟った。本能なのだろう。いつの間にか、ギュッと目を瞑っていた。


 時間が長い。もしかしたらもう、死んでしまったのだろうか。それにしては痛くも、そして痒くも無い。


 むしろ柔らかい。いや、何故か唇が心地良い。女神はヒトの魂を奪うとき、口から吸いだすのだろうか。そう思うほどに気持ちが良かった。


「……んぅ」

「――ッ!?」


 えっ!? この声は、凛音? な、ななな、何を!? 一体何をしてるんだっ!?


 ちょっ! えぇっ!? な、何回するの? あ、あわわわわ。く、口の中で暴れまわってるっっ!?


 これって、ちゅー? だ、駄目だよ凛音っ! 兄弟はそういうことしちゃ駄目って、お母さんが言ってたよっっっ!!


「り、凛音?」

「ふふっ。酷い顔ですよ、兄さん」


 凛音にそう声を掛けると、彼女は何とも寂しげな表情を浮かべた。まるで今生の別れのような、そんな表情だ。


 不安に思い彼女の頬に手を掛けると、何とも愛おしそうに何度も頬を摺り寄せ来た。それでも最後は優しく手を下ろし、名残惜しそうにそっと放した。


「りお――」

「――兄さん、ごめんなさい。どうやら、迎えが来てしまったようです」


 距離を取る凛音。それは家路の方向では無く、微笑み続ける女神の元だ。


 突然の口づけに、これまた突然の突き放すような言葉。


 俺は、女神が現れた時以上に狼狽してしまい、彼女の話す言葉の意味が分からなかった。


「な、何を――」


 まるで本物の女神のように微笑む凛音。しかしその笑顔は何処までも悲しそうで、また泣きそうにも見える。


「――せめて今生が、優しく温かいものになりますように……」


 優しく包み込むような凛音の声色。それが一番好きな、彼女のチャームポイントだ。


 不思議なことに、先程までの緊張と恐怖が薄らいでゆく。……起きたら冷める、夢のように。



 そして、今日(こんにち)。愛猫と同じ名を持つ闘技場の主の瞳を見るまで、何よりも大切なはずの凛音()の存在を完全に失念していたのだ。


「……思い、出しました」

「む? アイ、どうしたんだい? そんな思いつめたような表情をして」

「小太郎は、こっちでももう、死んでしまって居たんですね」

「…………」


 気が付けば口に出していた。確かめるように、そして二度と忘れることの無いように……。


 イサギさんはそんな俺の様子を少し不振がったが、黙って話を聞いてくれるらしい。


 ホント。当たり前だけど、こういうとこは鈴音さんだった頃からも変わらないな。いや、今も心は鈴音さんなのだけれども。


「……イサギさん。俺、この世界でやることが出来ました」

「ふむ。それが何か、聞いても良いかい?」

「もちろんです。……その。妹を、探そうと思います」


 そうだ。今日までの俺は、俺自身がこの世界を生きるため、楽しむために頑張ってきた。


 当然そこにはラヴちゃんやギルメン、友人達を思っての行動もある。でも大局的にみれば、俺が俺の為に努力した結果に過ぎないのだ。


 故に、成長は人並みで良かった。最低限生活出来て、それなりに充実した毎日を過ごせればそれで良かったのである。


 だが、今後は行動を一新せねばなるまい。早い話、ヒトより強く。いや、女神よりも強くならなければならない。


 才能はある。そして、成長出来る場所も用意されている。後は俺のやる気如何で、もっとずっと強くなることが出来るはずなのだ。


「――――ッ!!!? い、妹?」

「はい。……って、イサギさんどうしました? その、目に見えて狼狽してるように見えるんですが」


 ……だというのに旦那様ったら、一体どうしたって言うのだろう?


 俺としては強い=イサギさんなのだから、そんなに慌てる姿を見せて欲しくは無いのだが。


 ビシバシと指導して貰わないと困るよ! 今度あの女神に会うときは、ギャフンと言わせてやらんといけないんだからな。


「い、いいい、いや? そ、そんなことは無いよ? 兄さ――シュ、シュウ君が思い出してくれたことが嬉しくて驚いてしまっただけだよ?」

「えっ? 嬉しい? 何で?」

「え、あ、いや。――ほ、ほらっ! 昔居酒屋で管巻いてたでしょ? その時から話題に出してなかったから、気になっていたんだよ」

「……本当かなぁ? ま、でもそういうことなら大丈夫だよ。ありがとう、ばっちりと思い出したよっ!」


 そういえば確か、鈴音さんに酔っぱらって絡んだときにそんなことを言ってたよって言われてたな。


 調子に乗って飲み過ぎたせいで全然記憶には無いんだが、実際に管を巻かれた人がいるのだから本当なのだろう。


 ふむ、反省しよう。憧れてた先輩との差し飲みで緊張してた上に張り切って空回りして飲み過ぎる。挙句の果てにはそんな相手に介抱されて家路につくとか、うん。穴があったら入りたいとはまさにこの事だな。


 忘れてはいけないし忘れられないけど、心情的にはどこかにその記憶を放り出してしまいたい。


「うーん。もしかして私、忘れっぽいのかなぁ?」

「え、急にどうしたんだい?」

「妹のこともなのだけど。いや、むしろ彼女を思い出したことで記憶が曖昧になってる部分が割と多いなって気づいたというか……」

「……ふ、ふむ」

「高校性に上がってからが特に酷くてね。……まるで身近な人が一人、()()()()()になってるような? うん、多分そう。そんな感じ」

「――――ギクッ!」

「うーん、うーん。思い出せないなぁ。……ってあれ? またですかイサギさん、一体どうしたというのですか?」


 これは、怪しいぞ? 冷汗を掻いているし、目もキョロキョロと落ち着きが無い。何なら短い前髪をくるっくると弄り倒してやがりますよ?


 これは何かを隠してますね? でも何だろう。流石のイサギさんと言えど俺の記憶を弄るなんて出来るわけが無いし、ふむ。


 あ、もしかして俺差し飲みのときにやらかした? ええ、何だろう? 彼女が狼狽するほどの人物を忘れる……?


 あわわ。何だか怖くなってきた。もしかして俺、過去にとんでもないことやらかしちゃったりしてたりします? うああっ。


 良し。思い出せないし、思い出すことを先送りにしよう。今の俺は妹が居たという事実を受け止めるだけでも精一杯だからね。


「うん。思い出せないことをいつまでも考えていてもしょうがないねっ! やることも決まったし、今はそれだけを考えようか」

「…………ふぅ。アイは、本当に前向きだね。うじうじと悩み過ぎないところ、尊敬しているよ」

「……もしかして私のこと、馬鹿な子だと思ってませんか? ちゃんと悩むし、考えてるけど分からないの! イサギさんほど優秀じゃないから分からないことはいつまでたっても分からないし、それならせめて今出来ることに焦点を合わせようとしているだけだからねっ!」

「まさか。尊敬しているというのは本当さ。私などよりアイ、キミの方がよっぽど優れた人格をしているよ」


 ふむ。表情から察するに嘘はついて無さそうだ。……尊敬、ねぇ。正直イサギさんより優れている部分なんて俺にあるとは思えないけどなぁ。


 まぁ良いか。色々思い出したしすることも出来たけど、今やるべきは試合の観戦だからな。


 気持ちは逸るが、焦ったところで何を出来るわけでも無い。強くなるために日々の意識改善から始めて、徐々に効率化を図っていこう。


 せっかく闘技大会という強者達が集まる催しを最高の場所で観戦できるのだ。残り二戦、見逃さないようにばっちりと目に収めないと損だよね。


「ここまで、本当に長かった。――シュアっ! ここでテメエを潰して、オレは最強へと返り咲く!!」


 ちょ、ええええっ!? きゅ、急展開過ぎません? 何か地味だったはずの青年が、黄金の毛並みのライオンに変化したんだが!


 ん? あ、あれ? 何かあの人、見たことあるような……? おかしいな。アヴィスフィアに来てからの記憶は割と鮮明に覚えているはずなのに、思い出せない。


 あんなカッコいい姿見たら絶対に忘れないと思うんだけど、うーん。何処で会ったんだっけなぁ。


「…………? 誰?」

「くそがああああっ! どいつもこいつもオレのことを忘れやがって! ふざけんじゃねええええんだよおおおおっ!!!!」


 お。どうやら皆忘れているらしい。……良かった、俺だけじゃ無かったんだね。いや、むしろ俺は忘れてることに気が付いたから他よりも優れていると言えるだろう。ふふっ、アイさんを舐めるでないわ。


 でもだとするとおかしいね。あんなに目立つのに、何で皆忘れちゃうんだろう?


「ふむ、彼か。懐かしいな。在野に下って久しいが、実力は以前よりも高くなっているようだ」

「イサギさん、彼のこと知っているの? 夜烏の関係者だったりする?」

「知っている。それに関係者と言えば、そうかもしれないな。……主に、邪魔者として」


 邪魔者。つまりは夜烏に逆らった相手ということになる。今でこそ我らがギルドの一人勝ちになっているが、以前は方々から熱烈なアプローチがあったらしい。


 あ、そうか。ライオネルさんって、昼のアインズブルグの顔役だった人だ。そうだそうだ、クジャクさんと一緒に買い物に出かけたときにやたら絡んで来た人だ!


 あの時は金色じゃなかったけど、顔は同じだ。まず本人で間違いないだろう。双子とかでは無ければ、だが。


 アインズ皇国がアヴィスフィア同盟の属国となったとき、支配領域内におけるギルドの全権限を夜烏が受け持つことになった。


 組織の単一化を図ることによりギルドの意思決定を統一するというのが同盟の謳い文句だったが、要するに夜烏が好き勝手やらせて貰うよということである。


 当然反発したものは国外追放となる。中には受け入れて奴隷となり、夜烏に席を移すものもいた。だが、各ギルドの長ともなれば容易く靡くことなど許せなかったのだろう。


 そしてライオネルさんは、夜烏と並ぶ国内二大ギルドの一つ『昼牙雄ひるがお』のギルドマスターだった人物だ。


 闘技場や繁華街の顔役としてアインズブルグの昼を支配していた猛者中の猛者である。


 現在の闘技場の主に敗れるまでは無敗を誇っており、生ける伝説だった。


 しかしその一度の敗北をきっかけに彼の、そして彼らのギルドの衰退が始まったのだ。


 要因は多数あるが、まず一つが新しい闘技場の主の素性である。何を隠そうシュア・カラサギは好敵手(ライバル)である夜烏の子飼い――要するに”奴隷”だったのである。


 最強を誇っていたギルドマスターがライバルギルドの奴隷に負けた。……この事実は、まるで山火事のように辺りに広がり、一瞬にして彼が培ってきた支配力に無数の穴を開けた。


 空いた穴は縮まるどころか広がっていき、徐々に彼らの勢力は小さくなっていった。


 止めとなったのは”ている♡いや~ず”による、夜烏の昼への進出だ。僅かに残っていた支持層を彼女達が根こそぎ吸い取り、瞬く間に彼らの領域を占領してしまったのだ。


 これに関しては俺の責任でもある。当時はそんなこと考えていなかったし、今もなお反省すらしていないが、この案件については俺が深く関わっているのは間違いない事実である。


 そんな事実も相俟って、何度か嫌がらせに近い絡まれ方もしていたのだが、ある時を境にパッと無くなったのだ。


「何度か絡まれたりしたから覚えてても良さそうなんだけど、うーん。全然印象に残ってない」

「ああ、それは仕方あるまい。何故なら彼は『無名(ネームレス)』という呪いを受けているからね」

「ネームレス? 呪い? ……ああ。独占(モノボライズ)と同じ、呪法って奴か」


 呪い、か。もはや懐かしいまであるな。あの時は訳も分からず地べたを這いずっていたなぁ。いや、最近も手合わせとかで割と地面と添い寝してるけども。


 あれ? そう言えば俺に掛かったあの呪いって、もう全部解けてるのかな? 正直あれ以来特に問題も無かったから、すっかり忘れてたよ。


 それにネームレス、ねぇ。直訳すると、名無しの権兵衛さんってことだよな? ということはつまり、誰も名前を知らないってことで。


 名を知らぬということはその人となりも知らぬこととなり、つまりは何だ。存在しないと同義になるのか? 何それ、怖っ。


「ふむ。私や夜烏のメンバーだけなら許容したのだけど、アイにまで手を掛けようとしたからね」

「え? ということは、イサギさんが彼を呪ったの?」

「そうだよ。アイも知っての通り、私は元々火と闇の属性を得意としていたからあの程度、朝飯前なのだよ」


 そ、そうなんだ。何か久しぶりにイサギさんを怖いと思ったわ。怒らせないようにしないといけないね。


 実際そのおかげで絡まれることも無くなったし、俺にとっては悪いことじゃない。


 あの目立ちたがり屋なライオネルさんには辛いかも知れないけど、また同じように怒鳴られるの嫌だしなぁ。


「ぐああああああっ! (とく)と喰らいやがれっ! 『爪牙裂翔(そうがれっしょう)』っ!!」


 うおおおっ! 何だあれ。飛ぶ、斬撃っ!? カッコいい! カッコいいよライオネルさん!


 右下から切り上げるように左上に腕を振るうライオネル。剣は既に投げ捨てられ、己の身体のみで技を放っている。


 石で出来た闘技盤に、五本の爪痕が奔る。ガリガリという不協和音を奏でながら、その目的地であるシュアの元に迫ってゆく。


「荒い技。私には、通用しない」


 き、消えたっ? あ、いや寸でのところで左に避けたのか。瞬きすらしていないのに見失ったということは、俺の動体視力よりも速いということになる。……彼女は本当に、人類なのか?


 ズガシャーン。ガラガラガラ。


 ひ、ひえぇ。あの攻撃、壁に衝突した瞬間弾けたぞ? あ、あんなのくらったらミンチになっちゃうよ……。


「次は私。――『瞬華』」


 は、速っ!? あれ、でも見える。もしかしてこの身体、既にこの速さに適応し始めてる? ゆ、有能すぎるだろ。


 不規則に飛びながら相手の懐に駆ける技なのだろうか。振りかぶった右手が、バネのように弾かれて相手の喉元に迫る。


 って、不味くない? あの勢いで首なんか狙ったら、ライオネルさん死んじゃうんじゃ……。


「しゃらくせぇっ! 確かに速いが、テメエにはパワーが足らねえぜ! おらぁっ!」


 赤い線上の傷がライオネルの首筋に走る。出血量から見るに大したことは無さそうだが、一歩間違えれば致命的だったはずだ。


 しかし、ふんと唸って身体を硬化させるとかパワータイプにも程があるな。それとも空手でいう三戦(さんちん)のような守りの型の一つなのだろうか。


 ていうか技名言わなくても爪牙出てますやん。……いや? ちょっと威力が弱いか? もしかして技名を言うのって威力の向上に繋がったりしてるの? ……そんな馬鹿な。


「ちぃぃっ! ちょこまかと鬱陶しいわ! 『獅子王牙砲(ライオネル・ロア)』っ!!!!」


 うおおおっ!? な、何か()が出た! 口から何か波が出たよ、凄いぃっっ!!


 金色の光が口先十センチ辺りで収縮し、光線(ビーム)として横に薙ぐようにして放出された。


 かの光線が通った後の闘技盤は、まるで溶断されたかのようにドロリと斬り落とされている。


 もしこれが人体に触れてしまったら、そう考えると実に怖ろしい攻撃である。


 ていうか死んじゃうよ! シュアちゃんもそうだけど、ライオネルさんも無茶し過ぎ! 闘技大会ってこと忘れてないっ!?


 まぁ当のシュアちゃんは羽根が生えているかと錯覚するかのように軽やかに避けているし、観客席との間にはラヴィニス謹製の魔障壁もあるから大事には至って無いけども。


「悪いお口。――『華月(かげつ)


 ふぁぁっ。綺麗に決まったなムーンサルト。もしかしてライオネルさん、首取れちゃったんじゃないの?


 まるで、満月を間近で鑑賞しているのだと錯覚するほどに完璧な真円(しんえん)だった。


 彼女が闘技場の主と呼ばれているのは強さだけじゃなく、こういった技のひとつひとつが魅力的なのもあるのかも知れないな。


 良し。ラヴちゃん月見団子持ってきてちょうだいな。出来れば日本酒もつけてくれると嬉しいな。


「まだまだ。――『胡蝶乱舞(こちょうらんぶ)』」


 うぇぇっ。中空に浮いたライオネルさんを間断無く落ちる前に蹴り上げてる。カポエイラにもブレイクダンスにも見えるが、そのどちらでもないようにも思える。


 しかしながらその回転と動作の速さや手数、正確さなどは、まさに絢爛豪華な胡蝶蘭のようである。


 そもそも大の大人が空中に蹴りだされるって、一体どんな脚力してるんですかねシュアちゃんってば。


「チェックメイト。――『脚地颪(きゃくちおろし)


 あ、首に足が掛かって――うわぁっ! 回転する勢いのままにライオネルさんが石の闘技盤に突き刺さっちゃったよ!


 ぴ、ピクリとも動かない。こ、これは……死んで、しまったのでは?


 ていうかコレ、騎士を決める大会なんだよね? 天下一を決める舞踏会とは違うんだよねっ!?


「決まったぁぁっ! 観る者を惹きつけて止まない闘技場の主シュア・カラサギが、挑戦者であり元王者でもあるライオネル・ルカ・ハーネスを文字通り地に沈めたぁぁぁっ!!!!」

「いやぁ、流れる様な素晴らしい連携でしたね~。まさに技の『花鳥風月』と言ったところでしょうか。美しい攻撃でした」

「流石は解説歴十年のベテラン解説者っ! 言葉の選び方が実に美しい。おっしゃる通り、闘技盤には血の華が綺麗に咲いておりますが、ライオネル選手の安否が気になるところです」

「はっはっは。というかキミは、解説歴の長さしか褒めることが出来んのかな~。煽っているならいつでも買うぞこらぁ」


 実況者と解説者の漫才のようなやり取りを横目に、医療班と思われるスタッフ達が闘技盤へと慌てて向かっている。


 大事が無いと良いが、あの様子では重症は免れないだろう。遠目から見た限りだが意識を取り戻しているようなので、最悪の事態は避けられたように見える。


 観客は既にライオネルには興味無いのか、誰もが闘技場の主であるシュアの素晴らしい連携技に対して熱く語っている。


 彼がそんな大衆を見て、寂しそうに俯いたのが何故か印象に残る。呪いの影響か、印象以上の感情は抱かなかったけれども。


 戦闘素人から見てもライオネルは強いし、華もある。……勿体ない。このまま腐らせておくには惜しい存在だ。


 ふむ。呪いをかけたのがイサギさんなら、それを解くことも出来るだろう。今すぐという訳では無いが、折を見て夜烏に勧誘してみようかな。


 石の闘技盤の損傷が激しいため、決勝が始まるまでの間に小一時間ほどの休憩が設けられた。


 騎士の鑑のような女性オリヴィアと闘技場の主であるシュア。今大会屈指の好カードであり、最後の戦いだ。


 俺は高鳴る胸が抑えきれず、少し落ち着こうと闘技場内にある購買エリアにそっと向かうのだった。

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