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アヴィスフィア リメイク前  作者: 無色。
二章 新たな時代
47/55

気が付いたら身体が勝手に動いていた!

ヒトは緊急時にとんでもない力を発揮することがあるそうですが、今のところ私はありません。無いに越したことはありませんが、その覚悟は常日頃から持ちたいですね。

 轟々と燃え盛る炎。立ち昇る黒煙。パチパチと弾ける延焼の余韻が、夜闇に隠れた街並みに響き渡る。


 それは望郷の宿から徒歩で十数分程離れた場所にある”妖精達の住処”も例外ではない。


「全く、久しぶりに生まれ故郷へ来たというのに。……随分と手()い歓迎をしてくれるじゃあないか」

「……確かに、熱い」


 憂うように溜息を吐くのはクジャクだ。鮮やかなピーコックブルーのチャイナドレスのスレットから覗くその艶めかしい太腿を椅子の上で組む姿は、例え同性であっても目が吸い寄せられてしまうほどの魅力を放っている。


 もう一人は言わずもがなツグミだ。此方はどうやら頼んだホットミルクが熱かったらしく、ふーふーとペストマスクの隙間から吹いている。


 色素の薄い肌とそれを際立たせる桃色の唇が、彼女が可憐な少女である事が伺える。


 とは言っても、口元以外はマスクに覆われているので直接目視することは出来ない。故に、想像の域を出ないのだが。


 彼女達はアイヴィス達が卵を買う間を利用して、物資の調達や情報収集に出張っていた。


 そしてそれが一通り終わり一息を付いたところで、今宵の動乱に巻き込まれたという訳である。


「――っ! 誰だい? 一体、私らに何の用さね」

「あら、流石はお姉様。よく(わたくし)に気が付きましたわね」

「……ちっ。誰かと思えば、嫌な顔だねぇ全く」

「あぁん。可愛い妹がせっかく会いに来たと言いますのに、お姉さまのいけずぅ」


 凍るような視線に過剰に反応するクジャク。どうやら給仕の中に一人異物が紛れ込んでいたらしい。


 認識の阻害をする魔法を使用していたのか、気づかれたことを理解した女性がその姿を現した。


 目元に特徴的な黄色のアイラインを引き、その背には濃い灰色の羽根を持つ。そう、彼女は有翼人だったのだ。


 不機嫌な様子を隠すことをしないクジャクの反応からも明白だが、何やら因縁めいたものがあるらしい。


 その証拠に女性の目は笑っていない。冷たく鋭く、ただそこに在るものをじぃっと見定めているのである。


「……静かな殺気。殺し、慣れてる」

「! ……ふーん。小さなお嬢さん貴女、分かるの? ふふ、貴女も苦労してるのねぇ」


 珍しく饒舌なツグミ。無口な彼女が口に出すほどには異様な圧を放っているらしい。


 それに、あの姉御肌で人が好いクジャクの様子がどうにもおかしい。


 軽口を叩く女性を睨み、離さない。有翼人女性の言葉一つ一つに過剰に反応示し、何なら今すぐにでもその首をへし折ってしまいそうな緊迫感すら醸し出している。


「……それで? 何の用さね。まさか談笑をしに来たわけでもないのだろう?」

「ふふ。妹が姉に会いに行くのに理由が必要ですか? そんなに邪険にされて私、とても悲しいです。えーん」


 苛立った様子を隠すことをしないクジャク。不機嫌そうに続きを促すが、有翼人の女性はのらりくらりとして話さない。


 そんな姿に堪忍袋の緒が切れたのだろう。座っていた椅子から倒れるように上体を起こし、その勢いのままに彼女の顔面に向けて掌底を放った。


 流れる様な一連の動きはまさに達人級。並みの者なら避けるどころか、気が付かぬままに意識を奪われていただろう。


「あぁん、激しいですわお姉様。……そんなに力強く手を握られたら私、昇天してしまいますわ」

「黙れこのクソビッチがっ! お前がしたこと、忘れたとは言わせないっっ!」


 軽く手をかざすようにして掌底を受け止め、もう片方の手を頬に当て恍惚の表情を浮かべる有翼人女性。言葉通り、今にも果ててしまいそうなほど艶のある声で嘯いている。


 クジャクは彼女のそんなふざけた態度を見て完全に頭に血が上ってしまったのだろう。


 普段の聡明な彼女は何処へやら、目の前の怨敵を睨む勢いそのままに、踏み込んだ足が地に減り込む程の膂力一辺倒で押し潰そうとしている。


「酷い、酷いですわお姉様。クルルはただお母様を殺し、お姉様を陥れたたけじゃないですか。……くふ、ふふふふっ」

「――お前っ! ……私を、私を姉と呼ぶなっ! 私だけでは飽き足らず、母をあのように辱め殺したお前にっっ! 家族のような愛称でなど呼ばれたくないっっっ!!」


 妖艶に笑うクルルと名乗る有翼人女性。濃灰色の翼をパタパタとはためかせるその様子からも、この攻防を戯れだと捉えている節すら感じさせる。


 反対にクジャクに余裕は全く無い。彼女らしからぬ激情で燃え上がり、単調な攻撃ばかりを繰り返してしまっているのに気が付いていない。


 この時点で既にクルルはまともに受け止めず、全てを柳の如くしなやかに力を逸らすことで消耗を狙っていたのだ。


「はぁ、アル姉様。翼を失った今も、昔と変わらずお美しいですぅ。その燃える様な瞳、艶のある綺麗な髪色に麗しいおみ足。良い、良いですわっ!」

「あぁぁぁ煩いっ! 煩い煩い煩いっ!! 私はお前の姉でもアルルでもない! ただの、ただの孔雀(クジャク)だっ!」


 挑発されるがままに足を振り上げる。そこにはいつもの速さも鋭さもない。只々真っ直ぐ強引に、クルルに向かって繰り広げるのみである。


 それでも彼女の実力は本物だ。魔力で強化された身体を用い放つ拳撃は岩を砕くし、芸術的な健脚から繰り広げられた回し蹴りは大木をも薙ぎ倒す。それほどまでに達人級とは圧倒的な力を有するのである。


 しかし、次第にその力すら陰りが見えてきた。……そう、疲労だ。力みが筋肉を強張らせて消耗を促し、その結果魔力も普段の数倍は酷使されてしまっていたのだ。


 肩で息をするクジャク。相反するように平然といた様子でその姿を眺めるクルル。


 誰に目から見ても明らかだが、このままではクジャクは負ける。実力差で言えば間違いなく彼女に軍配が上がるというのに、だ。


「――隙、あり」

「――ッ!? ちっ、やるわねお嬢さん」

「……残念、浅かった」


 意識外になっていたツグミが虚空から現れ、クルルの首筋へ短刀を一閃する。


 完全に虚を突くことに成功したにも関わらず、致命傷には届かなかった。


 嘆息するツグミ。しかし、出血が止まらない程度には重症ではあるので、この場では十分な戦果である。


「まだ、やる?」

「……いいえ。何だか血が抜けて冷めちゃったしー。ここらで私、帰ることにするわ」

「……そう」

「クールね貴女。私も、少しは見習いたいわ。……ふふっ」


 相手を見据え、誰何するツグミ。冷静そのものに見えるが、短剣が僅かに震えていることから察するに怒りを覚えているのだろう。


 当人は何に対して苛立っているのか自覚が無いようなのだが、間違いなくクジャクを弄んで嗤っていたクルルに対するものである。


 彼女からすれば不覚でしかないのだが、その感情からくる僅かなブレにより止めを刺せなかった形となる。


 故にいつもより冷酷に告げるのだ。これ以上続けるなら命はない、と。


 それによりヤる気が逸れたのか、砕けた返事を返すクルル。もしかしたら普段はこのような口調なのかもしれない。


「ふぅ。アル姉様私、この辺でお暇させて頂きますね?」

「待てクルルっ! ……はぁ、はぁ。ま、まだ話は終わってないっ! くっ」


 形勢が傾いたことを敏感に感じ取ったのだろう。クルルは気の抜けたような溜息を吐き、早々に撤退することにしたようだ。


 彼女の目的が何だったのか定かではないが、その潔さからも目的は遂げることが出来たのだろう。


「――お姉様が私を名前でっ!? あぁ、今日はなんて良い日なのでしょう。……くふっ、ふふふふ」

「――ひぁっ?」


 蕩けそうな瞳、艶やかな声色。そして血の付いた手で頬を擦り喜びを表現したせいか、かなり凶悪な顔面となっているクルル。


 突如急変した彼女の瞳に捕らえられ、思わず怯むクジャク。怒りや憤りより、恐怖の感情がその一瞬を支配する。


 そしてクルルはそれを逃さない。一瞬で間合いを詰め、クジャクの致死の間合い(デッドリーゾーン)へと侵入する。


「愛していますわ、お姉様」

「――――ぁっ!?!?」

「ふふ、ふふふふっ。あははははははっっ!」


 クジャクの頬に左手を当て、彼女の左耳に囁くクルル。


 愛撫にも似たその感触と声色に思わず背筋をピンと伸ばして固まるクジャクと、その反応を見て快活に笑うクルル。


 そして彼女はそのまま楽しそうに夜空に飛び上がり、笑いながら夜闇に溶けていった。


 呆然と空を眺めている様子からも、どうやらクジャクは余りの狂気に晒され自失してしまったようだ。


 そして、それはクジャクへの接近を許してしまったツグミも同様だ。


 警戒は解いていない。何なら視線も意識も完全に向けていた。それでも一瞬の隙を付かれてしまったのである。


 達人級、そして伝説級。ギルドの中の頂点に立つ彼女達の虚を付くクルル。


 彼女は一体どこの何者で、何を求めて接触してきたのか。謎は深まるばかりである。



「…………。……これは、ひどいな」


 望郷の宿が、燃えている。思わずそう呟いた直後、あの日本を象徴するような奥ゆかしい家屋の一角――俺が宿泊していたところ――が、最後の灯火を散らすかのようにバチバチと悲鳴を上げて崩れ落ちた。


 どうしてこんな酷いことを。火は人が自身の人生を豊かにすべく学んだ技術なのに、何故。……何故破壊活動に用いるんだ。


 少年と母親の治療を終えた後、俺達は直ぐに踵を返し卵屋まで戻った。当然、店主であるたまちゃんに宿までの案内を頼むためである。


 彼女は俺達が戻ってきたことに少々狼狽していたが、襲撃時の呆然自失状態からは立ち直っているようだった。


 少々俺への凝視するような瞳が気になりもしたが、協力を仰ぐと快く承諾してくれた。


 ……ふむ。今思えば、丸々着替えさせたのは流石にやり過ぎた感が否めなくもない。


 しかし拒絶されるより随分マシだと、視線についてはその場は割り切ることにした。


 そう、時間は有限だ。今は早急に宿に向かいたい。確かにたまちゃんにもそう伝えたのだが、彼女はどうやら急ぐのが苦手だったらしい。


 具体的には、何を思ったかお色直しを始めてしまったのだ。


 そのままでは一向に埒が明かないので「緊急事態だから」と問答無用に彼女を抱き上げ走り、今に至るといった具合である。


 中途半端なのが気になったのか終始恥ずかしそうに抱えられていたので、落ち着いたら詫びの一つでも入れに行かねばなるまい。


「ありがとうたまちゃんっ! また、後でね!!」

「は、はいぃ。……ずっと、待ってますから」


 ここまで案内してくれた彼女に忙しなく御礼を言い、出来るだけ早く、そして丁重に地面に下ろした。


 カレンちゃんが心配だ。今の彼女は明らかに様子がおかしい。終始泣きじゃくり叫んでいる上に、今にも炎の中に飛び込んで行ってしまいそうなのである。


 嫌な予感が頭を過る。燃える宿、取り乱す(カレン)。そして案の定見えないのだ。彼女の母である、ハルカさんの姿が。


「――カレンちゃんっ! カレンちゃん大丈夫!? 一体、何があったの!?!?」

「お母さんっ! お母さんがっ! 放して、放してよぉっっっ!!」


 名前を呼び声を掛けるが、一心不乱に炎に向かい進もうとしている。


 余程余裕が無いのだろう。俺の声は聞こえても、存在は認識出来ていないようだ。


 それを証明するように、同じ言葉を何度も何度も繰り返し、抑えつけているボルボの顔を肘で小突いている。


 俺は彼を見てギョッとした。目には青痣を浮かべ、鼻血がとめどなく溢れ、全身はずぶ濡れになっていたからだ。


「ボルボさん、あんたまさかずっと彼女を……?」

「……ぐぅ。――おい坊主っ! 俺のことは良い! 彼女、カレンちゃんを止めてやってくれっっ!」


 思わず俺はボルボに声を掛けていた。察するに、彼はずっとカレンちゃんが炎に飛び込むのを抑えていたらしい。


 正直酔っぱらって絡んで来たイメージが強すぎて別人かと錯覚するようだが、このしゃがれた濁声は間違いなくあの時のドワーフに間違いない。


 俺の存在に気が付いたボルボが声を荒げる。彼の筋肉隆々を以てしても、今のカレンちゃんを抑え込むのは難しいのである。


「あ、あぁ分かったっ! ――カレンちゃん落ち着いてっ! 一体、何があったの? 教えてっ!」

「――――っ! あ、アイヴィスさん?」


 余りの迫力に少し委縮してしまったが、確かに今はそれどころではない。


 俺はそう判断し、カレンちゃんを正面から見据えてその両肩に手を置いた。


 視界に入ったうえで肩に触れたこともあり、ようやくカレンちゃんは俺を認識したらしい。


 涙と鼻水で塗れた顔できょとんとする彼女は悲哀以外の何物でもなく、俺は芯から締め付けられる感覚を味わった。


「うん、そうだよ。……それで、一体全体どうしたの?」

「お母さんがまだ宿の中にいるのっ! きっと厨房にいるわ! ――お願いっ! お母さんを助けてっ!!」


 なるべく刺激しないように出来うるだけ平常心を心掛け、ゆっくり丁寧にカレンちゃんに質問をする。


 焦りは次の焦りを呼び、それが誤解となり取り返しがつかなくなる。


 年で言えば二十五になる俺だからこそ、今この瞬間くらいは大人にならなければならない。


 そう意識したことが功を奏したのか、元々聡明な彼女だからかは分からないが、今置かれている現状を把握することが出来た。


「――分かった、厨房だね。大丈夫。今すぐハルカさんを助けてくるから、ね?」


 故に俺はとびっきりの笑顔を浮かべ、自信満々でそう嘯いた。


 敢えてこの場で大言を吐くことで、少しでもカレンちゃんを安心させてあげたかったのだ。


 ……大丈夫。今の俺、いや俺達なら出来る。


「ルーア、空気の通り道を作ってくれ。ラヴィニスはいつも通り防御壁を頼む」

「我が主よ、了解した」

「はい。任せて下さいアイヴィス様」

「俺は発見し次第救命措置に入るから、他は任せるね?」


 そうと決まれば即行動だ。まずはルーアを召喚しよう。風の精霊である彼女なら、厨房まで空気の通り道を作ることは容易だろう。


 それに加えてラヴィニスが居れば火の勢いも怖くない。何せ彼女は熱によるエネルギーの一切を相殺出来るからだ。


 たとえ火の中水の中。正直この二人の力が合わされば、火事現場など障害にすらならないのである。


 そして何より時間が無い。きっと生きていると信じているが、刻一刻とタイムリミットが近づいているのは間違いないのだ。


「ボルボさん。カレンちゃんを頼みます。……その代わり、ハルカさんは任せて下さい」

「――っ! おう、バッチリ任されたぜ坊主っ! ほら、さっさと行きやがれっ!」


 糸が切れたようにぺたりと座り込むカレンちゃん。全面的に安心したわけではないのだろうが、緊張状態は解けたようだ。


 余程力を振り絞っていたのだろう。細かく震える手足を見るに、しばらくは動けそうにない。


 そのまま放置しておくのは忍びないが、まずはハルカさんだ。ここはこのボルボさんを信用して任せるしかあるまい。


「それじゃあま、ササっと救出しちゃいますかっ! カレンちゃん、良い子にして待ってるんだよ?」

「――んもう。子ども扱い、しないで下さい」


 ルーアが道を作ってくれている少しの間、俺はなるべくカレンちゃんを安心させようと軽口を叩いていた。


 その甲斐があってなのか、少しぶすくれるくらいまでは冷静になったらしい。


 良し。これで間違っても飛び込もうなどとはしないだろう。最悪、ボルボさんが止めてくれる。


 後顧の憂いは絶った。話すことで気が紛れ、俺も炎の中に飛び込む覚悟が決まった。


 正直に言えば今も怖いが、俺には心強いパートナーがいる。それも二人もだ。ここで逃げたら、男が廃るぜ。


 その粋でもって中に入ると、当然ながら火の海が広がっていた。


 ルーアのおかげで視界は良好で、息も苦しくない。ラヴィニスのシールドも順調に作用し、厨房まで一気に駆け抜けることが出来そうだ。


「居た! けど倒れてる!? ……ハルカさんっ! 大丈夫ですか、ハル――っっ!」


 二人のおかげもあり、それほど時間を掛けずにハルカさんを発見することが出来た。


 俯せに倒れているため状態が分からないが、遠目から見る限りでは外傷はなさそうだ。


 十中八九、一酸化炭素中毒により気を失ってしまっているのだろう。時間と濃度次第ではあるが、木造建築であることと燃焼状況からみるに、まだ間に合うと思われる。


 ……そう思った矢先の爆発だった。恐らくは、厨房にある可燃性の何かに火が触れて爆ぜたのだ。


「――不味い! ハルカさんが火に包まれてるっ!」


 何という運命の悪戯か、眼前まで迫っていたというのに間に合わず、ハルカさんが爆発の余波を受けて吹き飛ばされてしまった。


 直撃で無いのが幸いだが、飛ばされた先が轟々と火の燃え盛る中心地なので場所が非常に悪い。


 何よりそこは、ルーアの魔法で確保したルートから外れてしまっているので視界と空気が確保できず、このままでは救出するのが困難なのだ。


「――アイヴィス様っ!」

「――我が主っ!」


 気が付いたら身体が動いていた。そういった表現が一番しっくりと来るだろう。


 あれ程カレンちゃんに諭したというのに気が付けば、自身の安全が確保出来ていない状態で駆け出してしまっていたのである。


 無我夢中で彼女に纏わりつく炎を装備していたマントで叩いて消し、消化を確認できた後に呼吸があるかを確認する。


 ハルカさんの状態は非常に危険だ。ほぼ全身を火傷している上に、爆発の際に刺さったのであろう木片が腹部を貫いている。


 その上既に呼吸はなく、このままでは遅かれ早かれ確実に死を迎えてしまうだろう。


「アイヴィス様っ! 無事ですかっ!」

「主よ、無事で何より」


 一足遅れ、ラヴィニスとルーアが俺の下へと駆け付ける。咄嗟の出来事だというのに、彼女達は視界と空気、退路の確保までしてくれたらしい。


 何より勝手な行動をした俺を咎めるでもなく心配してくれている。何て出来た仲間なのだろうか。


「ラヴィニス! 彼女に刺さった木片の両端を落としてっ! ルーアは火傷している箇所がこれ以上爛れない様に薬草をっ!」


 そして俺は、そんな彼女達なら必ず着いて来てくれると確信していた。


 故に迅速に指示を出す。事態は一刻を争うのだ。反省も後悔も今はする暇も無いし、すべきではない。


「俺はハルカさんの心肺蘇生をする! 引き続き空気と安全の確保も宜しく頼むっ!」

「はい!」

「主よ、了解した」


 俺は口早にそう告げると、ハルカさんの唇に自身のものを押し付けた。人工呼吸など教習所でやったっきりではあるが、今は出来ることをやるしかない。


 首を地面と平行にすることで気道を確保し、鼻を抑えることで空気が漏れるのを防ぐ。


 その後、胸骨圧迫も行らなければならないことを思い出し、その為の準備として彼女の胸元をはだけさせることにした。


 驚いたことに着やせするタイプらしく、また和装故にさらしで胸部を矯正していたらしい。


 しかし今は緊急事態だ。心肺蘇生をする際に邪魔になってしまう布地は取り払わなければならない。


 すまんハルカさん。心の中でそう謝罪し、彼女のさらしを所持していた短剣で切り裂いた。


 そこには立派な双丘が隠されていた。幸い、その重装備のおかげで火傷の一つもない。


 圧迫することで焼けた皮膚が剥がれてしまうという最悪の事態は避けれそうで一安心である。


 俺が覚えている限り、胸骨圧迫と心肺蘇生は三十対二の割合で行うはずだ。呼吸が戻るまで、根気強くやらねばなるまい。


「――げほっ、ごほっ! ……はぁ、はぁ」

「ハルカさんっ! ……良かった、呼吸してる」


 懸命に救命した結果、ハルカさんは息を吹き返してくれた。ルーアのおかげで空気を確保できているおかげか、苦しそうではあるが呼吸を繰り返してる。


 とりあえず、これで最初の危機は脱した。しかし、まだ安心は出来ない。


 何故ならハルカさんは未だ重症で、木片の除去は今やってしまうと出血多量で死亡。また、火傷もイヴの見立てでは全身の四割を超えており、部位によっては皮下組織に達している可能性があるそうだ。


 現代日本での知識では、全身を占める火傷の割合に年齢をプラスした数値が百を超えると致死率が五割を上回ると聞いたことがある。


 彼女が仮に二十後半だとすると、生死の境目に隣接していると言えるほどには危険な状態である。


 人は肺と血液の他に、皮膚からも呼吸を行い酸素を取り入れている。故にその組織が破壊されてしまうことで窒息死してしまう可能性があるのだ。


「次は火傷の処置をするっ! ルーア、空気は後どれくらいの時間確保できる?」

「主よ、既に人間が活動する限界値に近づいている。……もって数分。いや、三分ほどだろう」


 こうして話している間にも、望郷の宿は燃焼し続けている。当然物が燃えるのには酸素が不可欠なので、その状態を維持している間は常に消費し続けているのだ。


 ルーアの提示した時間を聞き、この場でハルカさんを完全に治療するのは無理だと悟る。


 すぐさま方針を切り替え、重度だと思われる箇所と頭部周辺のみの治療を優先して行うことにした。


 初めての処置なのに驚くほどに冷静に現状を見極められている自覚はあるが、今はそれを好意的に受け止めよう。


 恐らくはイヴが何かしらの作用をもたらしてくれているのだろう。俺はただ愚直に、彼女を信じるのみである。


「ラヴィニス、限界だ。退路を確保してくれっ!」

「任せて下さい、アイヴィス様っ!」


 自身の呼吸が苦しくなってきていることに危惧し、すぐさまラヴィニスに指示を出す。


 彼女はそれを聞き、躊躇うことなく帯刀している刀剣を抜き、薙ぐようにして振り切った。


 走る白雷に爆ぜる木片。望郷の宿の厨房から一番近い壁を瞬時に焼き払い、粉砕した。


 流石はラヴィニスと言ったところか。眼前に合った障害の全てを焼却し、退路と空気、安全の三拍子を一瞬で確保してくれた。


「ルーア、頼む。ハルカさんの全身を以前見せてくれた蔓の服で覆い保護してくれ」

「主よ、お安い御用だ。ついでに安全な場所まで、我が運ぼう」


 アリスとシャルルと仲良くなったきっかけでも黒歴史でもあるあの事件のときのルーアの魔法は秀逸だった。


 素肌を一切傷つけず覆い、また美しい芸術でもあったのだ。


 今は別に見た目の美しさなど考慮しないのだが、妥協しない彼女はきちんと蔓で和装を表現している。


 随分と余裕だなと言いたいが、煤けているその姿を見てそうではないことに気が付いた。


 そうだよ。そもそもルーアの素体は珈琲の樹(加藤)。つまり木製じゃないか。……無理をさせちまったな、すまない。


 見ればラヴィニスも一部火傷を負っている。彼女が傷ついたことなど見たことが無いので、余程余裕が無かったのだろう。


 一先ずの危機を脱したことで、俺は周囲に目をやる余裕が出来た。


 ルーアも然り、ラヴィニスも然り。俺が咄嗟の行動をしたばかりに負わなくても良い傷を負わせてしまった。


 今回は運よく軽傷で済んだが、今後はそうとは限らない。……命の選択。もう一度、その覚悟をしなければなるまい。


「――お母さんっ! お母さぁんっっ!! ……うう、うわあぁぁぁん!!!!」

「待て小娘、今は触れてはいけない。傷が開いてしまうだろう?」


 俺達が火事場を抜けたことに気が付いたのだろう。脇目もふらず、カレンちゃんが走り寄ってきた。


 彼女はそのままハルカさんに飛びつこうとしたが、ルーアの手によりガッと頭を掴まれ阻まれた。


 いやあの、確かに今触れると容態が悪化し兼ねないし、片手から延びる蔓で彼女を固定しているのは分かるんだけど。頭を掴むのは止めたげて、ね? ほらカレンちゃん泣いちゃってるから、うん。


「カレンちゃん、大丈夫。ハルカさんはほら、この通り無事だよ? ね?」

「本当っ!? 生きてるの? 大丈夫……大丈夫なのね!?!?」


 ルーアに掴まれながらも喜色を浮かべるカレンちゃん。どうやらハルカさんの無事を理解して貰えたらしい。


 とは言ってもまだ処置は残っている。出来るならば安全で人目の付かないところできちんと治療を施したい。


 しかし困った。宿が全焼した以上その場所を確保するのが難しいし、今から宿を探していては間に合わなくなってしまう。


 かといってこの野次馬の前で彼女の裸体を晒すのは道理に反するし、何より衛生的に宜しくない。


「待ってたよ、いぶちゃん。……良ければ私の家、使って?」

「わわっ! びっくりした、たまちゃんか!」


 ぬっと後ろから現れた人影に、思わず飛び上がってしまったのは内緒だ。


 どうやら卵屋の主、通称たまちゃんが、その言葉通りずっと待っていてくれたようだ。


 しかしいぶちゃんか。イヴのことに気付いている訳では無く、恐らくはアイヴィスのイヴを取っただけなのだろうが、そう言った意味でも二重に驚いてしまった。


 彼女はこの場に案内しくれただけではなく、自身の住処を開放してくれるらしい。


 確かに救う形とはなったが、あまりの至れり尽くせりに少々警戒してしまうのは仕方ないだろう。


「良いの? ありがとうたまちゃん。恩に着るよ!」

「……ふひ。い、良いのよいぶちゃん。ふふふふっ」


 わわっ。どこぞの有名RPGの粘性生物を彷彿させる笑顔が目の前に現れたっ! ……人の表情筋って、存外豊かなんだなぁ。


 そんなどうでもいい感想はともかくとして、此処はその好意に甘えよう。


 そう、時間が無いのだ。多少背筋がぞぞっとした気もしないでもないが、大丈夫。大体のことは許容できるから。


「カレンちゃん。貴女も一緒に着いてきて。……宿のことは残念だけど、今はハルカさんの方が大事だから」

「分かりました! 私に出来ることがあるのなら、何でも言ってください! 何でもしますっっ!」


 今、何でもするって言ったね? なんて定型文は置いといて。彼女には献血をお願いしたい。


 この世界に薬屋や治癒士は存在しても、病院という概念はない。要するに輸血に必要な、血液の銀行が存在しないことになる。


 治癒魔法とはその名の通り自然治癒力を高める魔法であり、失ったものまでは補充出来ない。


 つまり腹部に刺さった木片を抜いた時に、溢れ出ることが予想される血液を補うことは不可能なのだ。


 故に血縁者であろう彼女の血が必要だ。それも、直接の母娘であるなら間違いないだろう。


《通告。近親者間の輸血は術後のGVHD――つまりは移植片対宿主病を起こす危険性が高いです》


 ――何? 血縁者間同士の輸血ってやってはいけないのか。……困ったな、他に当てがない。


 そもそも俺が今何型なのかも、この世界に何種類の血液型があるのかも分からない。


《通告。今のマスターの血液型はBです。因みにこの世界の人々も、基本的には現代日本と相違ありません》


 ――え? それは意外だね。……でも、言われてみれば、確かにそうか。


 どのように世界が成り立っているかは分からないけど、ここはそう言われても違和感がないくらいには現代日本、延いては世界と親和性がある気がする。


 正確には現代をベースに様々な要素を追加したイメージだ。


 大きなものでは魔素、またそれにより行使が可能な魔法。そして種族。ヒトを始めとした獣人達やエルフにドワーフなど多種多様で、魔物や魔族までもが存在する。


 文明レベルは地球の方が進んでいるけど、アヴィスフィアにはそれを補って余りある要素が多数存在している。


 それに重火器も一部ではあるが実在しているし、一概にどちらが上かなどは言い切れないだろう。


《疑心。でも心優しいイヴは、マスターが何を持って納得したのかは探らないであげます》


 ――ははっ。いや何、イヴと俺の相性はやはりバッチリだったなと、再確認しただけさ。


 いやぁ、本当に鋭いなイヴは。まぁ俺と一心同体ならぬ、()()同体な訳だから不思議ではないのだが、ね。


《通告。話は逸れましたが、今回の事例ではカレンに輸血を頼んでも問題はないでしょう》


 ――え、でも近親者は駄目なんじゃないの? カレンちゃんとハルカさんの間じゃ完全にアウトだと思うのだが。


《安全。個体名ハルカとその娘であるカレンに血縁関係は認められず、しかしながらその血液型は同一のものだと断言します》


 ――まさか。二人は実の、母娘じゃない!? それに、なんで二人の血液型を知ってるの?


《通告。本当です。私の純然たる検査の結果、そう判断しました。……因みに検査方法はコンプライアンスに触れるので秘密です》


 ――え、何超怖い。久しぶりにイヴの闇を見た気がする。ラヴちゃんにも言えるが、俺の周りの女性は特化型が過ぎるね……。


「――? どうかなさいましたか、アイヴィス様?」

「んーん、何でも無いよ。いつもありがとう。そう思っただけ」

「――っ! ……んもう、アイヴィス様ったら」


 俺の視線に気が付いたのか、ラヴィニスが此方を気に掛けている。


 別にやましいことは何もないけど説明するのも面倒なので、ニッコリ笑顔で日ごろの感謝でも述べておこう。


 ビクリと反応するラヴちゃん。照れるようにモジモジとする姿のなんと愛らしいことか。


「あの、母を助けて頂いている身で言うのもなんですが、この状況でいちゃつくのはどうかと思います……」

「「――ハッ!」」

「……はぁ。今も予断を許さないと分かっているのですが、何となく何とかなってしまいそうな気がしてきました」


 しまいにはカレンちゃんに呆れられてしまった。


 言われてみれば確かに、安静に、かつ迅速にハルカさんをたまちゃんハウスに移動している真っ只中にする会話ではない。


 この場はまあカレンちゃんを安心させることが出来たのだと解釈してやり過ごそう。


 頬が少し熱を持っている気もするが、きっと気のせいである。なんなら火傷の可能性すらある。


 今度念入りに治療しよう。そう思いつつも安息の場へと歩を進め、何事もなく数刻後に辿り着くことになるのであった。

昨日の八時には少し間に合いませんでしたが投稿します。思ったより二週間って短いんだなというのが最近の私の印象です。

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