卵屋のたまちゃんが現れた!
砂町の夜店。カラカラに乾いたのどを潤す酒場には、綺麗な踊り子が付き物です。素敵な踊りと良い酔いどれを期待してしまいますね。少々過激な表現がありますのでご留意ください。
とっぷりと日が暮れ、肌寒ささえ感じる砂漠の町。昼の賑やかさとはまた違う艶めしい喧騒がそこらかしこで耳につく。
酒場とステージが併設されている一画では、一見すると下着にも見えなくもない際どい衣装を纏い猛る踊り子が、目が眩むほど芳醇な香りを振りまいている。
今宵のダンサーは有翼人の女性だ。豊満な身体つきはもちろん、背中に生える純白の翼が皆を一様に虜にしている。
軽やかに舞う天使と見紛うその麗しい姿に見惚れ、興奮冷めやらぬ冒険者が次々とお酒を注文しているのが見受けられる。
注文を受ける年若いウェイターたちが、踊り子顔負けにワタワタと世話しなく動き回っているのも印象的だ。
踊り子に近い衣装を纏っていることからも、彼女達は見習いなのだろう。ステージ上で軽やかに舞う先輩ダンサーも皆、最初は泥臭い下済み時代を過ごしてきたのだ。
そう考えていざ眺めると、中々に感慨深いものがある。
「首尾はどうだい? ま、君に任せているから間違いなど無いとは思うけど、ね?」
「はっ。少々時間的猶予を与えてしまいましたが、このままなら来月末には立ち退いて頂く運びとなるでしょう」
ステージ上から一番遠い角の席にて、この場に相応しくない不穏な会話が繰り広げられている。
しかし、不思議と違和感がない。というよりは、誰もそんなことを気にしている人がいないといった方が正しいだろう。
人を隠すなら人の中とは言ったもので、お忍びで誰かと会うには最適なのだ。騒がしいという一点さえ我慢すれば、だが。
「おや、そうなのかい? 君なら今月中にでも上がりを付けると思っていたのだけど」
「それは買いかぶり過ぎというものです旦那様。私にも失敗は御座います。こと今回の件では想定外の珍入者がおりまして、その者が不足分を工面したと思われます」
「へぇ、面白い。国の意向に沿わないあのぼろ宿に情けをかけるなんて。まさか、あの小汚いドワーフかい?」
「ははっ。あの者にそんな度胸も金もありますまい。……門番の情報から外国、それも例の国から来た冒険者だということが判明しております」
「――――っ! なるほど、それは確かに面倒だね」
楽しそうに、また揶揄うように笑う旦那様と呼ばれた青年に、如何にもな執事の格好をした男性が近況を報告している。
その様子からも彼らの間には明確な主従関係があることが明らかで、当然その目的も一致する。
彼らの目的。それ即ち”カレンダールの掌握”だ。イリシアの玄関口――つまりは国の顔と呼べるこの街の長としての地位を確立することで、他に比べ金銭的に有利に立つことは出来ると考えたのだ。
カレンダールには現在領主がおらず、その弟が仮に領主代行として治めている。
前任者は人徳があり、民に好かれていた。内乱などは一度も起こった試しがなく、統治者として国からの信頼も厚かった。商才こそ無かったが、その穴は弟である今の領主代行が補っていたのだ。
逆に弟である彼は金勘定に長けていたが、認知度も人気も兄には及ばない。故にまずは自身の得意分野にて、この街を治めようとしているのである。
執事の男性から予想外の情報を聞いた領主代行を務める青年は、雰囲気を改めて神妙な顔で思案し始めた。
どうにも例の国――アヴィスフィア同盟が背後にいるのが厄介のようだ。
確かに彼の国ほど情報の入手が難しい国はない。設立してから間もないというのにこの事実は、既に大陸全ての国の共通認識となっている。
送った諜報員は一人として戻らず、故に情報という一番重要な判断材料が存在しない”パンドラの箱”。それこそがアヴィスフィア同盟なのである。
「確かに目の上のたん瘤ではありますが、彼らは冒険者なので数日後にはここを離れるでしょう」
「分かった。では、その後にしようか。待つのはそれほど嫌いではないしね」
方針が決まった所で酒の席を楽しむことにしたのか、二人の瞳はステージ上で歌い踊る有翼人女性を捉えた。
踊りもさながら、透き通るような歌声が胸を打つ。悲恋を綴った歌詞のせいなのか少し物悲しく、それでいて情熱的な愛の歌。
三角関係の片思い。それでも諦めきれず、でも相手を、また友達を傷つけたくない。そんな複雑な感情がステージ上で爆発している。
「惜しむらくはあの冒険者の連れ合いか。あれ程の上玉は他には居まいよ」
「……ふふっ。漸く義姉さんが僕の家族になるのか。娘ちゃんも含め、どう可愛がってあげよう。今から楽しみだなぁ」
当てられたのか、ボヤくように呟く執事服の男性。領主代行に至ってはお酒が回ったのか、夢見る乙女のように浮ついている。
辺りを見ると男女問わず皆一様に目が虚ろとなり、一種の酩酊状態になっているように思える。
先程までの喧噪も何処へやら、微睡むように静まる酒場内。……一体、何が起こっているのだろうか。
「ふふふっ。踊り、猛り、狂いましょう? 情熱盛る熱波の砂漠には、狂気の宴が良く生えますわ」
その中心では美女が妖艶な微笑を浮かべている。十中八九、彼らのこの状態は彼女の仕業だろう。
結果からの推測でしかないが、誘惑の効果がある踊りだったのではなかろうか。
「さぁさぁ皆さん。我慢は身体に毒ですわ! 思うが儘、欲望の儘に生きましょう?」
情欲渦巻く夜の街。砂漠の粒子が熱に浮かされ、踊るように蠢いている。
正確に言うならば、半ば暴徒と化した集団が夜の街に解き放たれ、各地で砂ぼこりを立て始めたのだ。
どうやらこの喧騒はこの一画だけではなく、同時多発的なものらしい。
「あぁ。とても情熱的で素敵ですわ。やはり、ヒトはこうでなくてはなりません」
突如起きた惨状にうっとりとする有翼人の女性。満足そうに笑みを浮かべるその表情は、およそヒトのものとは思えないほど悍ましさを内包している。
誘うように、また誘われるように揺らめく炎も消えることなく、煌々と辺りを照らすのであった。
時は少し遡り夕刻。日が差し掛かったことにより出来た湖面の夕焼けが、とても幻想的な風景を映していた。
「よっし! では、早速作っていきますかー!」
当初の予定とは異なるが、クエストの経過は順調だ。達成に必要なチョコルの実は既に納品を終え、残るは新たなスイーツの販売に必要な数を集めるだけである。
商品開発にどれほどの時間を要するかは不明だが、十二分に間に合うほどの量は確保している。
ちなみに構想は既に練ってあり、場所の確保も完了している。後は作るだけ、一番肝心な最終段階に来たと言える。
「私達もお手伝いします。どのように作るのか、気になりますので」
「任せて下さい。私は役に立ちますよ!」
調理場を提供してくれた二人が横に立つ。控えるように佇むハルカさんと自信満々のカレンちゃんだ。
確かに二人の料理は筆舌尽くしがたいほどに美味だったので、俺としてもその提案はとても有難いものである。
逆にクジャクさんは少し様子を見るらしい。どうにも俺の作業風景が気になるらしいのだが、美人に注目されながら調理を行うのは少々緊張してしまう。
「と言っても試作段階なので、基本的には手探りなんだよね。数はそれなりに充実してるから、色々試してみようか」
まずは時間的効率を考え、果肉そのものを利用したスイーツを作っていこう。
チョコルの実の触感はシャキシャキとしていて、現代日本における林檎に酷似している。
味こそチョコなので酸味よりも甘みが強いが、この特徴を生かしアップルパイならぬ”チョコルパイ”なんてどうだろうか。
「では早速カレンちゃん、この生地を練ってもらっても良いかな。ハルカさんは薄くスライスしたチョコルの実を焦げないように弱火で煮て下さい」
「分かりました!」
「はい」
この宿には石窯もある。小麦粉とバターを井戸の冷水で捏ねれば生地も賄えるし、チョコル自体の甘みが強いから高価な砂糖も必要ない。
コンポートを作る上で本来なら檸檬に似た柑橘類を数滴垂らすのだが、現状心当たりが無いのでミルクで代用しよう。
チョコとミルク。相性的にも間違いはない。口当たりがマイルドになるし、風味もより際立たせられるはずだ。
それにしても見た目が林檎なのにチョコの香りがするなんて、正直違和感しかない。組み合わせ的には鉄板だとは思うけど、本当に大丈夫なのかな?
不安がっていてもしょうがない。二人が調理している間に、もう一品試してみようか。
「さて、では私は”焙煎”の準備をしようかな。――ルーア、おいで」
「――ハッ! 及びでしょうか、我が主よ」
「うん。ちょっと手伝って欲しいんだ。この実の種から水分だけ抜き取りたいんだけど……出来る?」
本来チョコレートの材料であるカカオの実を焙煎する場合、木の桶の中に果肉と共にその種を詰め熟成された後に各種の発酵を経て、香りを高めてから乾燥させたものを使用する。
しかしチョコルの実の場合は雌の気を引くためなのか、何もせずとも種そのものが強烈な甘い匂いを発している。
つまりは面倒だが重要な前工程を省き、乾燥を行うことで同様な状態を作り出せるのではないかと考えたのだ。
「容易い御用で御座います。お任せ下さい」
こちらも自信満々のご様子。ちらりとカレンちゃんの方を横目で見たことからも、ちょっとした対抗心を燃やしたのかも知れない。……全く、可愛い奴め。
当のカレンちゃんはそんなことより、何処からともなく出現したルーアという存在への驚愕の方に比重がいっているんだけど、ね。
そんなことを思う間にも、ルーアの袖の隙間から這い出た無数の根がチョコルの種に絡まり、種内の水分を次々と吸い取っていく。
一見水分を含んで無さそうに思える種子も、しおしおとしぼんでいく過程を見ることでそうではないのだと分かる。
水分が全体の質量の内の五パーセント程になったら止めてくれと頼んであるのだが、それを計測する専用の機械など当然ないので完全にお任せだ。
風の精霊という本来の特徴も生かして一粒一粒にそよ風を当てている所からも、彼女なりの方法で懸命に正確な数値に近づけてくれているのだろう。
作業が終わると彼女は一礼し、御用向きの際はまたお呼び下さいと一言添えると、ふわっと舞うように姿を消した。
相も変わらず実に勤勉で、とても助かっている。主従関係とはいえ、お礼の一つも用意しないようでは罰が当たるというものだ。
ふむ。その姿に似合わず精巧な人形に興味があるようなので、今度召還魔法の練習ついでに製作しておこうか。
「アイヴィスさん、生地が練りあがりました。型にはめていきますね」
「あらあら、カレンちゃんったら張り切っちゃってもう。うふふ、私の方も準備を終えましたわ」
そうこうしているうちに母娘二人の作業が終わったようだ。
カレンちゃんは言うだけあって手際が良く、ハルカさんに限っては言わずもがな、完璧である。
ちなみに様付けでないのは俺がお願いしたからだ。……堅苦しいのは苦手なんだよね。
「ありがとう。ハルカさんは出来上がったチョコルのコンポートを、カレンちゃんが練った生地に並べて貰えますか?」
「はい。……これでよろしいですか?」
「流石。完璧です! あとはカレンちゃんが作った生地の余りを編み込んで、っと。うん、良い感じ」
「わぁ、綺麗。アイヴィスさんもとてもお上手なのですね」
俺が褒めるとそのお返しとばかりに満面の笑みで褒めちぎるハルカさん。
……なるほど、これは適わない。あのドワーフもあの執事も、道理で彼女に固執するわけだ。
「私も頑張ったんだけどなぁ」と呟くカレンちゃんもとても可愛らしかったので、「ありがとう、助かるよ」と伝えておくのは忘れない。
彼女は少し不満そうに頬を膨らませていたが、照れるその姿から察するに満足のいく解答だったのだろう。
「お母さん大変! 卵、きらしてたんだった!」
「あらあら、それは困ったわね。仕上げに溶き卵を塗らないといけないのよねぇ」
羞恥からか、パタパタと調理場の奥へと駆け込んだカレンちゃんが、慌てて戻ってくる。
どうやら使おうとしていた材料の一つが見つからなかったらしい。
――しまった。材料が足らないなんていう初歩的なミスをしてしまった!
基本的にチョコルの実以外の材料は俺のウエストポーチ内あるものを使い、足らないものは宿のものを借りていた。
当然卵などの基本食材はあるものだと、勝手に思い込んでしまっていたのだ。
事実、卵は手軽な上に高たんぱくなので使い勝手がよく、普段から常に所持していた。しかし今回の旅の目的は料理ではなくクエストなので、在庫の確認をしていなかったのである。
そもそも試作品の調理は思いついたものを作るという曖昧かつ大胆な計画だったので、仕方ないと言えばそれまでなのだ。
「少し買い物に出てくるね。迷惑でなければ他に不足しているものを揃えてくるけど……どうします?」
「お客様にそこまでして頂く訳には……」
「なら私も付いていく! アイヴィスさん、どこで買い物をしたら良いか分からないでしょ?」
言われてみればこの街の市場の事情は覚えがない。場所こそ聞いて知ってはいるが、どこで何が売っているのかも分からない。
品質面から見ても、信頼できるカレンちゃんに目利きして貰うのが吉だろう。既に日も暮れていて迷いやすいし、ここは素直に甘えておこうか。
「へいらっしゃい! 生きの良い新鮮な砂魚が入ってるよ! 煮ても良し焼いても良しの逸品だ。さぁ、買った買ったー!」
「なんのウチの店の野菜を見てくれ! ほら、立派な桃尻大根だ。瑞々しくて上手いぞ~?」
「馬鹿だね。そんな卑猥な品を誰が買うというんだい! お嬢さん、このチョコルの実はどうだい! 採れたてだよ!」
宿からおよそ十五分程歩いた場所にある市場は、それはそれは盛況であった。
午後六時という時間帯もあり、主婦を始めとした買い物客でごった返しているのである。
中でも同じ石の建物内に三件が横並びとなった店舗は競争が激しい。それぞれが鮮魚、野菜、果物と違う商品を扱っているというのに、何かと張り合っている。
カレンちゃんに聞くところによるとこの三店舗は皆同時期に商売を始めたらしく、何があるたびにライバルとしての意識に火が付くのだという。
あそこに行けば安くて品質の良い商品を見つけられると、今では市場の名物的な存在と昇華されているそうだ。
特に目玉商品はお買い得なんですよ。とにっこりと微笑むカレンちゃん。
どうやら彼女の宿も、この良い意味で騒がしいお店のお得意様のようだ。……個人的には砂魚というのがとても気になる。
「今気が付いたんだけど、この街は石で出来た建物ばかりなんだね。カレンちゃんの宿以外で木造の建築を見たことないよ」
「あー、やっぱり気づいちゃいます? ……実はウチにお客さんが入らないの、そのせいなんですよね」
「むむ? つまり、どういうこと?」
薄々勘づいてはいたのだが、どうやら木造は人気が無いらしい。……俺からすれば正直、一番心が落ち着くんだけどなぁ。
カレンちゃんによると、正確には最近になって皆一様に石の建物に変わったのだという。
砂漠の中のオアシスという街のイメージをより再現するためにと、現在の領主代行が領民に住居の変更を要求したのだそうだ。
元々石の建物に住むものや早期に改築したものには補助金を設け、その後の生活保障と題して一部の税率を下げたのだ。
逆にいつまでも従わないものは掲示板などで周知され、その土地は課税対象と指定されてしまうのである。
ちなみにカレンちゃんの宿の場合、月々金貨二枚の税金を課せられていた。
お客さんが十分に入っているならば、高額ではあるが払えない金額では無い。
しかし最近はめっきり閑古鳥が鳴いていた。噂ではどうにも領主が方々に圧力をかけているのではないかとのことらしい。
「……ん? あれ待って。それなら俺達が貸し切りで五連泊しなくても借金、払いきったんじゃ……」
「あ、しまったっ! ……てへへ。でも私、嘘はついていないですよ?」
カレンちゃん曰く、六人分の五日間の宿泊料金――つまり銀貨にして九十枚で足りると言ったのだという。
――やられた。でも確かに言われてみれば、”貸し切りで”とは一言も言っていない。
道理で厨房を貸してくれという無茶なお願いが通るわけだ。……正直、貸して貰えるとは思ってなかったんだよね。
これで来月の目途が立ちました。と、満面の笑顔を浮かべる彼女が見れたのだ。まぁ、安い買い物だろう。
「しかし何というか、そこまでして木造に拘らなくても良いんじゃないの? 景観は兎も角としてお客さんが入らないんじゃ、いずれにせよ先が無い気がするんだが……」
「…………」
「あ、ごめん。余計なこと、言っちゃったね」
「…………大丈夫ですよ。私も、本音ではそう思ってるんです」
思ったことを口にしてしまう自身の悪い癖が発動し、カレンちゃんの図星をついてしまったようだ。
あっちゃー、完全にお節介なことを言っちゃったよ。……そうだよな。何か理由が無ければ素直に従うだろうし、きっと譲れない思いやしがらみがあるのだろう。
聞けば、亡くなった両親の形見らしい。どうにも数年前に出先で事故に会い、そのまま帰らぬ人となったのだという。
以来彼らの遺産でもあるこの宿を、ハルカさんと一緒に守り続けてきたのだ。
――あれ? でもおかしくないか?
「ん? 両親って?」
「――あっ、いえ! ち、父です。どうにも落石に巻き込まれたみたいで、でも。……遺体は見つかっていないんですよ」
なるほど。もしかしたらまだ生きてるかも知れないから、父親の帰る場所を守りたいということか。
彼女の苦しそうな表情からも、それが現実的ではないことは分かっているのだろう。
それでも諦められず葛藤を繰り返し、領主の意向に反してでも自分たちの意思を貫いているのだ。……最後を迎える、その日まで。
何ともまあ母娘揃って、誠健気なものである。仮に俺が彼女達の立場だとしたら、そこまで耐え忍ぶことが出来るだろうか。
「さて、どうにもならないことを考えても仕方ありません! 今はそう、チョコルパイの完成です!」
「うん、そうだね。とびきり新鮮な卵を仕入れないと、ね?」
「私に任せて下さい! バッチリとエスコートしてみせましょう!」
ぱちんと胸の前で手を鳴らし、話題を転換するカレンちゃん。出来ることからやっていく、全くもって彼女の言う通りである。
そんな彼女の明るさに触れ、思わず笑みがこぼれてしまう。前向きなその姿はまさに看板娘に相応しい。きっと天職とはこの事を言うに違いないだろう。
エイエイオーと腕を上げ先導する彼女に続くと、なにやら不可思議な店舗に辿り着いた。
大小様々な卵だけを取り揃えていて、カラーのバリエーションも豊富。イースター的なお祭りなどの飾りつけに向けたものなのだろうか。
――まさか。そんな限定的な商売では生計など立てられまい。……もしかしてこれ全部、食えるのか?
そう思ってカレンちゃんに向き直ると、コクコクと可愛らしく首肯している。
なるほど。これらは皆全て食用なのか。……卵専門店。日本では全く想像できない光景だな、これは。
「……いらっしゃい。決まったら……言って」
! またこれは、不思議な女性が出てきたものだ。アラビアン風と言えばいいのか顔の上半分が隠れるフードを被り、一見すると占い師にも見えなくないロングスカートを着用している。
所々に露出する肌と、自然と目が吸い込まれる豊満な胸元。そして気怠そうな雰囲気が、また何とも言えない色気を放っている。
……ふむ。これはこれで、悪くない。今度、ウチの娘達にも着せてみよう。きっと売り上げがぐぐんと伸びるに違いない。
さて、それにしてもたくさんあるな。正直に言ってどれが良いかなんて分からないぞ。うーん……。
「すいません。パイに塗りたいのですが、どの卵がおすすめですか?」
「……ぱい? ……ぬる」
「はい。出来れば黄身は、より光沢があるものが良いです」
「……光沢。……ぱいに、光沢……」
何とも掴みどころの無い人だ。口数も少ないし、何やら誤解されている気もする。……本当に、大丈夫なのかこの人。
少々不安は残るが、何とかイメージが伝わったようだ。店内の一角にある卵の中から見繕ってくれるらしい。
しかしあの真ん中の巨大な卵は何だろう? サイズといい色といい、ドラゴンでも生まれて来そうな雰囲気を醸し出している。
「これ黄身……とても綺麗」
「おお、結構大きいですね。色は焦げ茶、まるでチョコルの実みたいだ」
「――! ……よく、分かったね。……そう。チョコルドンの卵、綺麗」
気怠そうな店主が持ってきてくれたのは、ダチョウの卵ほどある焦げ茶色の卵だった。
話によればチョコルドンの卵らしく、楕円形をしていなければその実と見分けるのは難しい。楽園に住む以前の彼らは、そうやって落ちた実に擬態することで生存競争を勝ち抜いてきたのだ。
因みに卵なので香りも無い。これは推測だが、おそらくチョコルドンのメスはそれを基準に実か卵かを判断しているのだろう。
「期限……二週間。……孵化する前に、使って……?」
「二週間か、日本とそんなに変わらないな。……え、孵化?」
どうやら二週間後には細胞分裂が始まり、一ヶ月後には孵化する可能性があるらしい。
卵ってそういうものなのか? 正直基準が分からん。そもそも日本とここじゃ環境が違うし、冷蔵庫も無い。
何にせよ直ぐ使うのだから問題ないだろう。早速購入して、帰ったら割って中身を確認してみようか。
「まいどあり……。…………君」
「? 何でしょう?」
「……ぱい、ぬる。…………かぶれないか、心配」
「? 大丈夫ですよ。ちゃんと、焼きますから」
「――! 焼いたの、ぬるの? …………変態」
「? 変態? まぁ、間違ってはいないけどさ」
何だ何だ? 何故か急に変態扱いされているんだが。色々と我慢しすぎて、ピンクなオーラでも漏れ出てしまっていたか?
まぁ、良いか。変わった人だし、おそらく何か勘違いでもしているのだろう。
しかし孵化か。ふぅむ。食材としてしか見ていなかったが、生まれてくるのも見たい気がしないでもないな。
いくつか買って、時間の空いた時にでもチャレンジしてみようか。
ともあれ、これで材料は揃った。カレンちゃんが顔を赤くしているのが少し気にはなるが、良い買い物が出来たと思う。
彼女曰く、ここの店主は舌足らずな上にちょっとむっつりだが、卵の目利きに関してはこの国随一らしい。
噂では動物や魔物の交尾に強い関心があり育成を始め、それが転じて卵専門店を開いたのだという。
真偽は定かではない。だが仮にそれが本当ならば、彼女はレアジョブの魔物使いである可能性が高い。
そうでなくても魔物は基本的に気性が荒く、言語も当然喋れないので繁殖は現実的ではない。
それが出来るという事実だけでも、彼女の存在は稀有なものとなる。
人には出来ないことが出来てしまう。それも、人を襲う魔物と仲良くなるという特殊な能力だ。
ふむ。彼女が変わっているのも致し方ないのかも知れないな。万人受けする力ではない故に、ね。
「さて、では帰りましょうか。……お母さんも待ってますし、ね」
「そうだね。別行動中のクジャクさんやちよさん達も今頃は宿に着いているだろうし、帰ろうか」
少し店内を見て回りたい気もするが、目的は達成したので撤退しよう。……何か、むっつり店主にじーっとみられているしね。
気が付けばとっぷりと日が暮れている。ハルカさんもカレンちゃんのこと心配だろうし、俺の料理にインスピレーションを受けたらしいクジャクさんも材料を買い終え戻っている頃合いだ。
ちよさんとセバスチャンは何やら流行りの店に行っているようだが、日暮れには戻ると言っていたし既に待っているはずだ。
ちなみにラヴィニスはここに居る。というか俺と離れることは基本的に無いので、俺が赴くところ全てに存在すると言っても過言ではないのだ。
二人の時はよく会話するのだが、第三者が居る時はあまりしない。気を使っているのもあるが、彼女は以前同様に人見知りが激しいのである。……そんなところも可愛いと感じてしまうのはもう末期なのかもしれない。
――ガシャーン! ……ドスン。
帰ろうと思い店の入り口に近づくと、突如爆発したように扉が店内に向かって吹き飛んできた。
――うおぉっ!? あ、危ねぇ! な、ななな、何だ何だ? 今度は一体何だっていうんだ!
何事かと思い注視すると、複数人の男性が幽鬼のような虚ろな表情でダイナミック入店してきたのだと知った。
「うへ、うへへへへ。来たよぉ。ふひ、今日もえちえちだねぇ? たぁまちゃぁん!」
「……ひぃ。嫌ぁ……気持ち、悪い……」
表情と行動が合っていない男達の一人が卵屋の店長に向かって走り出す。涎をまき散らしながら走るその姿は人ではなく獣に近い。
突如崩壊した日常に怯み反応出来ず、彼女は一瞬で壁際に追い込まれてしまった。
そしてそれは俺達も同様で、気が付けば彼の仲間と思われる男達に周りを囲まれてしまっているではないか。
「おほー! 素敵なお嬢さん! どうだい? おいちゃんと良いことしようよぉ~?」
「ひぁぁ。流石女騎士様、鋭い目だこと。そんなおっかない顔したら美人が台無しだぞ~?」
「君はカレンちゃんだんべ。……くひ、くひひひ。おら、こんくれえの娘っ子が大好きでの~?」
ひぃぃ、ナニコレ気持ち悪いぃ。グロとかホラーとかは結構耐性あると自負していたけどこれは無理。鳥肌が、ぞわぞわするぅ……ん? 何かバチバチと、音がするんだが?
「…………」
――あ、ラヴちゃんが何も言わずにビリビリしてる。
どうやら俺以外の人物が触れようとすると自動的に発動して自己防衛する”纏雷”が、あまりの嫌悪感で過剰に反応しているらしい。
可視化できるほどに威力を上げたものを見るのは、最初に会った時以来である。……それほどに、気持ちが悪かったのだろう。
「「「あぎゃぁぁぁっっ!?」」」
ともあれ、これで俺達は大丈夫だ。何せ触れようと近づいた瞬間に、彼女の白雷が彼らをまとめて貫いたからな。
たちまちに意識が吹き飛び、白目を向きながらビクンビクンとのたうち回っているその姿はトラウマになりかねないけど、ね。
「たまちゃぁんっ! ……はぁはぁ。あぁ、良いよぉ。とても良い。素敵な姿になったねぇ、たぁまちゃぁぁんっ!」
「きゃあぁぁぁっ! 嫌、嫌々やめてぇっ! ぬるぬる、嫌ぁ。……気持ち悪いぃぃぃっっ!」
「あぁこら、暴れるんじゃない! く、くそ入らねぇっ! 一体何なんだこのヌルヌルはよぉっ!?」
後はそう。あそこで馬乗りになって腰を振る変態を処さねばならない。
あらぬ姿になりながらも、どうにか最後の一線だけは超えられないように抵抗している店長さんを救ってあげないとだね。
「出でよ我が僕。母たる我の名のもとに、悪鬼羅刹を駆逐せしめよ!」
因みにこの詠唱は、緊急時なので適当だ。
一度召還したことがあるものは、俺との関係性が示されれば比較的簡単に来てくれるのである。
「うぷっ! むごごっ……、んぐうぅぅぅ」
突如苦しみだす男。下半身を丸出しにしながらゴロゴロとのた打ち回り、しばらく後に動かなくなった。
どうやら俺のイメージ通り、見事彼の頭上に召喚出来たようだ。
因みに呼んだのは朱色のスライム君だ。この子はとても有能で、特に誰かを拘束する際は最適解となる。
肺呼吸の生命体ならその頭上を覆い窒息させ、それ以外は手足に纏わりつき逃さないのである。
デメリットを挙げるならば、相手を無効化するための装備破壊の能力が男を全裸にしてしまったことだろうか。
ふむ。取り敢えず目の毒になり兼ねないのでカレンちゃんは下がらせるとして、店長さんは大丈夫かな。
「あぁん……ぬるぬる、とれない……。気持ち、悪いよぉ……」
――なっ! こ、これは…………エロいっ!? 割れた卵が破けた服の隙間から零れ落ち、露わになった珠のような素肌をヌルテカに染めている、だと……!
なるほど、これがこのむっつり店主が言っていた”タマヌル”なのか! ふむ、ふむふむ。……これは、良いものだね。
《……嘆息。マスター。暴漢の被害にあった女性をそのように凝視するのは、正直どうかと思いますが……》
――はっ! し、ししし、しまった見惚れてた! いや、済まない。と、とりあえず何か拭くもの探さないとだなっ!
つい見入ってしまっていたが、確かに不謹慎が過ぎる。流石に反省しないといけないな。
「て、店長さん大丈夫? ほら、これタオル。……未使用だから、安心して? ね?」
全身を覆うようにタオルを肩から掛けて上げたのだが、店長さんはビクンと身体を震わし微動だにしない。どうやら先程の男の行為のせいが心に傷を負わせてしまったらしい。
性に貪欲だった割にはと言っては失礼だが、これではまるで男を知らぬおぼこのようだ。
確かにあんな異常な性欲を向けられたのだから仕方がないと言えるだろうが、正直いって意外である。
「店長さん。そのままだと風邪ひいちゃうよ? 代わりの服はあるの? ほら、つかまって。ね?」
放心状態な彼女をこのままにしておくのも非情と思い、店の奥にある部屋まで連れていくことにした。
思った通り、そこには普段彼女が来ているだろう素朴な衣服が畳んであった。
ふむ。奇抜だと思ったこの衣装は、いわゆる卵屋のユニフォームみたいなものだったらしい。
されるがままなのが少し心配ではあるが、いつまでもここに居る訳にも行かない。
もしこれが突発的なものではなく街全体での異変ならば、今すぐ仲間と合流し対策を練らなければならないからね。
店長さんには悪いが、ササっと拭いて着替えさせて貰おうか。
……しかしまぁ、まさかアリスがたまに頼んでくる着付けの技術が生きる日が来るとは思わなんだよ。何が役に立つかなんて、分からないものだな。
そんなことを考えながらも淡々と作業を熟し、ものの数分で彼女を着替えさせてしまう俺は一体どこに向かっているのだろう。
「よし、完了。……さてカレンちゃん。宿が心配だから戻ろうか。男どもは外の看板にでも縛り付けて放置しとこう」
「は、はい。……あの、大丈夫でしょうか?」
「んー。一応カギをかけておいたから大丈夫じゃない? そのカギもドアの隙間から放り込んだし、ま。何とかなるでしょ」
しかし本当に優しい子だねカレンちゃんは。出来ることはやったし、これ以上心配してもしょうがないのだよ。
まさかあの状態の彼女を連れ回すわけにもいかないし、正直そこまでの義理はない。
冷たいと感じるかもしれないが以前も言った通り、俺にとって大事なのは身近な人だ。
ラヴィニスは一緒に居るから問題ないとして、つぐみんとクジャクさん、ちよさんとセバスちゃんが心配だ。
まぁ皆俺より実力者なので不覚は取らないとは思うけど、万が一という可能性もあるからね。早く顔を見て安心したい。
……それとハルカさんも、ね。彼女にはお世話になってるし、なによりカレンちゃんのお母さんだからな。
「さて、これでこいつらは動けないでしょ。何やら街も騒がしいし、ササっと宿に帰りましょうぜ~?」
方針が決まった俺達は、無残にも破壊されてしまったお店の入り口から喧々と騒がしい夜の街へと踏み出していくのだった。
帰省していたため書置きが尽き、一日遅れてしまいました。資格取得のための勉強もしなければならないので、次回更新も間に合わないかも知れません。ご了承下さいませ。