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アヴィスフィア リメイク前  作者: 無色。
一章 皇女の軌跡
31/55

諸悪の根源っていい言葉だよね? ね!

諸悪の根源。厨二感漂うこの言葉。意味は兎も角、響きは好きです。

「アーイー、ちゃんっ!」

「――うぎゃぁっ!」


 昼下がりの午後。西日の眩しい教室に素っ頓狂な叫び声が響き渡る。どうやら背後から襲撃者に強襲され、思わず声を上げてしまったようだ。


 普段であればこの様な行為を彼の従者が許さないのだが、得も言われぬ事情ゆえ一時の間離れることを余儀なくされていた。


 もしこのような場面を従者(ラヴィニス)に見られようものなら、アイちゃんこと朱羽夜はその鋭き眼光に晒されることとなったであろう。……その視線もある意味彼にとってはご褒美なのだが。


「アリスぅ~? びっくりするから急に飛びついてくるの止めてっていってるでしょ!?」

「ぷぷっ。……うぎゃぁっ! って。もっと可愛い声を上げてよぅ。……クスクス」

「ぐぬぬ……」


 彼がこの学園に来て三週間。一ヶ月にも満たないその短い期間でも他より濃密な時を過ごしたせいなのか、アリスと呼ばれた少女が気軽にボディタッチをして来るほどには仲の良くなっている。……ちなみに最初の()()を除き、アイヴィスさんはされる側にはなっている。


 見た目こそ美少女(JC)だが、アイヴィスさん中身は齢二十八才の男性だ。対するアリスは十六才。アインズ皇国と帝国においては成人年齢が十四才だとはいえ、現代日本人の感覚からすれば相手はまごうことなき少女である。


 そんな相手に対し何か手出ししようものなら、明日の朝刊に載ることになっても不思議ではない。実際には国も違えば世界も違う。当然ルールも違うので、問題は当人通しに帰結する。しかしだからといって簡単に、身に付いた常識(当たり前)を翻すことは出来ないのだ。


「――で? アリスは何時までくっついてるつもりなのかな?」

「そんなこといってぇ、嬉しいくぅせにぃ~」

「ふわぁっ。こらもうっ! 首筋に頬っぺたをこすりつけるなって! ちょっと感じちゃうだろっっ!」

「――えっ!? あ、うぅん。……ごめぇん」


 据わった目でアリスに訴えかけるアイヴィスさん。しかし彼女は怯まない。ここぞとばかりに頬を彼に摺り寄せている。


 アイヴィスが本当は男性だと知らないということもあるが、それにしても過度なスキンシップにも思える。悪ふざけにしては距離が近いのだ。


 身体が変わって以来五感が今までと異なるのか、感覚が鋭敏になっているのだろう。思わず声をあげてしまったアイヴィスさん。それが少々恥ずかしかったらしい。その証拠に、いつもより強めの口調でアリスに訴えかけている。


 不意を突かれたのはアリスだ。素っ頓狂な声を上げると、飛び上がるようにして身体を彼から放した。頬が少し朱に染まっているのは気のせいではないだろう。恐らくアイヴィスが口にした最後の台詞に反応したのだ。


 対する彼は急に大人しくなったアリスを訝しんでいる。「恥ずかしがるなら最初からやらなければいいのに」とでも考えているのだろうか。首をコテンと横に倒し彼女を覗きこんでいる。その視線を受けたアリスはついに耳まで赤くなってしまってしまう。


「アリスさんばかりずるいです。わたくしとも会話をして下さいませ、アイちゃん様」

「う……ん。話すのは勿論おーけーなんだけど、その前に放してくれないかな? シャルル」


 そんな二人の間に物申す者が現れた。他を圧倒する戦闘力を持つシャルロットことシャルルだ。現代日本におけるグラビアアイドルに勝るとも劣らないその肢体は、然しながら今はブレザーによって阻まれている。


 学生だと知らなければ、思わず口説き文句の一つも掛けてしまいそうな大きな魅力を持つことを()()知ってしまったアイヴィスさん。今も必死に左腕を包む感触を何とか意識せまいと堪えているのか、シャルル(の胸)から視線を外している。


 アリスと比べて淑やかに身体を密着させて来るシャルル。天然なのか計算なのかその実は分からないが、少なくともアイヴィスには効果覿面らしい。その証拠に、言葉とは裏腹に身体の方は一切の抵抗を見せていない。


「「…………」」


 アイヴィスが転入してきたことにより日常茶飯事と化したこの光景。それを遠巻きに眺める二人の人物がいた。


 星の名を関する二人の少女。ステラとエステルである。


 アリスの従者の如く常に彼女の傍に控えていたのだが、最近は登下校時のみ一緒にいることが多くなっている。


 二人の心情を察するに、恐らくアイヴィスの事を快く思ってはいないだろう。別段睨みつけている訳では無いのだが、彼女たちの目線の先には彼が映っている。


 嫉妬、憐憫。その二つとも違う無機質な視線をただひたすらに向ける二人。表情からは読み取ることは出来ないが、何やら不穏な気配を纏っているようにも見える。


 そんな事とは露知らず、今日もまたいつも通り振り回されているアイヴィスさんに今、新たなトラブルの予兆が発現するのだった。




「貴女のせいよ! 貴女さえいなければ、こんなことにはならなかったのに!」

「……裏切者」


 ズキンと心に鈍い痛みが走る。涙を湛えた一人の女子が親の敵と言わんばかりの形相でこちらを睨み、ヒステリックな叫び声を上げている。


 自身を一点に捕らえ糾弾するその瞳は、ただそれだけでも根源的な恐怖を覚えるほど鮮烈だ。


 同調するようにもう一人もぼそりと呟いた。決して大きな声を上げているわけでもないのに、その言葉は刺さった棘をさらに奥まで押し込んでくる。


「そんなっ!? 私は、ただ……助けようとしただけで――」


 二つ視線に気圧されながらも、何とか反論を口にしようと試みる。しかし、思うように言葉にならない。ズキズキと鈍く痛む、棘のせいなのだろうか。


 それだけではない。狂ったように叫ぶ彼女の奇行に釣られた無数の瞳が自身を捕らえ、思考を妨害してくるのだ。


「――皆の言う様に、君が彼女を陥れたのか? 混乱していて上手く言葉に出来ない。だが例え事実はどうあったとしても、僕が……君を許せそうにないことだけは確かだ」


 自身を見つめる視線から逃げるようにして逸らすと、突如、場面が切り替わった。


 そこには端正な顔立ちの青年が映っている。冷静を()()()()()のか、表情が希薄だ。


 女子に人気があるという以外によく知らない男子なのに取り繕っているのが分かる。その事実からも彼は言葉通り、私に憤りを感じているのだろう。


 そう言えばこの男子は先程の女子達がよく話題に挙げていた相手だったと記憶している。


「私は、ただ……助けよう、と――」


 まるで自身に言い聞かせるように、ただただ同じ言葉を繰り返してしまう。


 何を口にしても後の祭り。全て言い訳にしかならないのではないか? そんな不安が押し寄せてくる。


(どうして助けようなんて思っちゃったんだろう。もし、私が余計なことをしなければこんなことにはならなかったのかな?)


 複数人に否定されることで、既に自信を失っていた。一種の強迫観念なのだろう。冷静に考えれば悪いのは自分では無い。少なくとも自分()()では無いと気付けたはずなのだ。


(なんで、こうなっちゃったの? 私はただ友達に「苛められているから助けて」と相談されたから、どうにかしようと思っただけなのに……)


 何故か名前が思い出せないその友達を救いたかった。最初はそう、それだけだったのだ。


「なになに? 何が起こってるの?」

「なんかー有村ありむらさんが学校に来なくなったのって、あの子のせいらしいよー?」

「え? 何そうだったの? うわぁ、なんか幻滅。私、密かに憧れてたのに……」

「ねー。もしかしたらお姉さんが凄すぎるから、実は心の中で闇を抱えてたんじゃない?」

「あー、あり得るあり得る。あの人は”孤高”って感じだったけど、あの子の方はいつも必ず二人は侍らせてたもんねー」


 野次馬根性丸出しの女子の会話が耳に入った。聞こえても構わないと思っているのか、同じクラス内であればだれでも聞こえるであろう声量で話し合っている。


(違う! ()()()は関係ない! 尊敬もしているし、憧れもしてる。でもそこに負の感情なんて、一切合切無いだから! ……馬鹿に、しないでよっ!)


 心の無い野次に心がざわつくのを感じた。そのせいだろう、何時の間にか意図せず彼女らを睨みつけていた。


 ビクッと身体を震わせる二人。先程まで俯いていたのも影響しているのか、表情筋が強張るのをヒシヒシと感じた。恐らく今の自分を鏡で見ようものなら、それは恐ろしい顔をしているのだろう。


「椿沙ちゃん。私には、貴女があんなことするなんて信じられないし、信じたくない。……でも、駄目、怖いの。私、貴女の事が……」

「……澄香(すみか)、ちゃん。私、あの……」

「――ごめんなさいっ! 悪いんだけど、気持ちが整理出来るまで……話し、掛けないで下さい」


 何とか落ち着こうと深く瞬きを行った所で、再度場面が切り替わる。先程の友人は思い出せなかったのに、何故か彼女のことははっきりと覚えていた。


 私よりさらに小柄で可愛らしい。しかし、物事をはっきりという力強さを兼ね備えた子だ。自分とは違い”嫌なことは嫌だ”と自己主張をきちんと行う快活な性格をしていて、何度か話したことある程度の関係ではあったが、記憶に残るほどには鮮烈な印象を覚えたと記憶している。


 そんな彼女が自身を怯えた表情で覗きこんでいる。聞いたことも無い弱弱しい声で、はっきりと拒絶の意思を主張しながら。


 その会話を最後に、彼女は二度と学校へ戻ることは無かった。何度も家にも赴いたが、ヒトの気配すら感じなかった。もしかしたら、転校してしまったのかも知れない。


(ごめんなさい! 澄香ちゃん、ごめんなさい! 私がもう少しよく考えていれば、こうはならなかったのに!)


 ――ちゃん? 


(でも、私だって出来ることをしたかっただけなの! 何かして、あげたかったの……)


 ――ラ、ちゃん? 泣、てる。どう、た、の?


(すず姉だったら。……いや、先輩だったら、上手く出来たのかな? どうして私、こんなに要領が悪いんだろう……)


 ついには我慢が出来なくなった。先程まで張り詰めていた心が決壊する。頬に水滴が流れるのを感じた。何を言われようと涙だけは見せまいと頑張っていたのだが、どうやら限界らしい。


 心は淀み、暗く深い閉鎖な空間が私を包み込もうとしている。


 抵抗する気力が無い。立ち上がるための力が入らない。思考も全くまとまらない。ただあるのは深い後悔と、チクリと刺さる(罪悪感)が一つのみ。


 ――椿()()ちゃん? 大丈夫、私が付いてるよ。


(――お姉ちゃん? 私、私――。…………お願い、助けて)


 突如、誰かに抱擁されている感覚を覚えた。


 ……懐かしくて、暖かい。それでいて、今まで味わったことの無いような不思議な安心感を私に与える。


 縋るように抱擁を返して恐る恐る瞼を開く。そこには幼き頃の姉の姿を彷彿される人物が、私に向かって柔和な笑顔を浮かべていた。


 悪夢は覚めたのだ。そう。閉鎖空間(自室)に捕らわれた私を救ってくれた、あの時のように……。



「アイヴィス様っ! ああ、アイヴィス様、アイヴィスさまぁ……」

「わわっ! ちょっ!? どうしたのラヴちゃん。……大丈夫?」


 普段通り隣で眠るラヴィニスが、普段と違いうなされていた。しまいには細かく震え、涙を流しているではないか。これは嫁であり、また嫁でもある俺が抱擁するしかあるまいよ?


 そう思って恐る恐る正面から軽くギュッとハグをしたのだが、まさか押し倒されるとは思わなんだ。


 バチッと目を開き、畳みかける様に覆いかぶさってくる彼女には驚いたが、何とかこの状況になった原因を聞き出さないとだな。


「……大丈夫です。私にはアイヴィス様が居ますので。あぁ、アイヴィスさまぁ」

「ふわっ!? ちょっ! ラヴちゃん何処触ってるの!? く、くすぐったいぃ」


 ラヴィニスの細い指が、俺の身体を這いずるように撫でまわす。恐らくは甘えているだけなのだろうが、右手は脇下のスペンス乳腺の付近を正確に捕らえ、もう一方は右尻の上にそっと置かれている。


 男性であったころには何も感じないと記憶しているのだが、どうやらこの身体は違うようだ。彼女が少しでも身じろいをしようものなら、その都度まるで擽られているような感覚を覚えるのだ。


 その上、下着一枚を隔てた先にラヴィニスの身体が密着している。自身の理想の嫁を体現したようなその麗しい肢体を前にして、涙の理由を尋ねる余裕などあるはずもない。


 結局暫くの間、身を任せることにした。今のラヴィニスは傍目から見ても冷静ではない。落ち着くのを待つのは間違ってはいないと思う。


 例え”心地よかったから”というのが理由のひとつになっても、だ。


 ……何だかんだこの状態が、小一時間続くことになったのはここだけの内緒である。



「皆さんもご存じの様に、この世界は世間一般的に”アヴィスフィア”と呼ばれております。かの高名なガリー・レオガルドが語ったように、我々の住むこの場所はアヴィスフィアのごくごく一部であるいう定説が主流になっています」


 いつも通りの丁寧な口調でマーリン女史が授業を行っている。この時間の科目は”歴史”。アヴィスフィアの成り立ちについて、何度目かの講義の真っ最中なのだ。


「ねぇねぇ。……いったい何が、どうなってるの?」

「俺に聞くなって。席に着いた時にはもうあの状態だったんだからよ」


 授業中だというのに、妙に周りがざわついている。堂々と会話をしているのは八重と九十九だろうか。それほど声量は大きくないのだが、少なくとも彼らの周囲数人には聞こえているだろう。


 初めに言っておくが、間違いなくその対象は()()のことである。そう自覚できるほど困った事態に直面しているのだ。


「……こほん。そしてレオガルドはこうも言っております。夜空に浮かぶ星のひとつひとつが我々の住む場所と酷似しており、生物が現存するかはともかくとして、その須らくが”球体”である、と。そう。私達がいま学習をしているこの場も、大きな目線で見れば”球体”であるということですね」


 マーリン女史が軽く咳払いをして授業を進める。どうやら黙認するつもりらしい。前回も感じたことだが、もしかしたらこの学園のルールよりも個人の権力の方が上になる場合の方が多いのかも知れない。実際に、俺はきっと″裏口入学″という奴だろうしね。


 といっても今回は夜烏の首魁であるイサギさんが原因ではない。最終的には彼女に帰結してしまうかもしれないという前置き付きで、だが。


「アイちゃん? これは一体どうなってるの?」

「アイちゃん様っ! これは明確なレギュレーション違反だと思います! ずるいですわ!」


 そう。騒動の発端は俺。正確には俺を抱え、俺の席に座り、誰よりも授業に集中している俺の嫁、ラヴィニスである。


 従者としての扱いで入学している以上、そもそもこの教室に顔を出す時点で判定はイエローだ。授業を受けるまで行くと流石にレッドを出さざる負えないであろう。


 そもそも席の無い人間が、勝手に授業を受けているだけでも問題ではあるのだが。


「はぁ。いい年をして落ち着きがありませんね、貴女達は。静かになさって下さい。今は授業中です。皆の迷惑になりますので、黙って勉学に取り組んではいかがですか?」

「「――――なっ!?」」


 すまん。ラヴちゃん。俺こそ良い年なのに、全く落ち着かん。マーリン女史の授業が全く頭に入ってきてないんだが。


《不問。彼女の講義は私が全て暗記しております。適切な時期を見てフィードバックを試みる所存です》


 天才。さすがイヴ、頼りになるな! でも、俺はそれでいいのか。ズルしているように思えるのだが……。


《不問。私はマスターの能力(モノ)です。それはつまりマスターが努力しているのと相違ありません。……それとも、ご迷惑でしたか?》


 まさか! 感謝こそすれ、迷惑なんてあり得ないよ! ありがとう。……正直、本当に助かっている。


 イヴから安堵の感情のようなものが伝わり、俺もまたホッと息をついた。なるようにしかならんし、俺もこの時間は授業に集中しないと、だな。


「……ぐすん。以上の点から、私達が住むこの場所は空に浮かぶ星々と同様であると同時に()()でもあると言えます。故に私達はこの場所をアヴィスフィアと呼び、周辺衛星である星々を含め”アヴィス系”と呼称しているのです」


 マーリン女史が涙目になりながらも一生懸命講義をしているのを見て、憐れみと少々の興奮を覚えたのはここだけの話だ。


 彼女の話をまとめると、どうやらアヴィスフィアとは現代日本でいう”太陽”に位置する惑星であるとのことだ。夜空に浮かぶ星々はアヴィスフィアを中心に周回していると考えられてるらしい。


 現代日本と違い宇宙船などある訳もなく、一体全体どうやってその結論に至ったのだかは分からない。


 然しながらこの世界の常識の一つとしてその考えが存在するということは、とても為になるいい情報であることは間違いないだろう。


 俺は皆が大人しくなった今も軽くしょんぼりしているマーリン女史に、こっそりと感謝するのであった。



「アイヴィスさん。……少々お時間を頂いても宜しいですの?」

「…………」


 一通りの講義が終わり、数刻後には皆帰宅するであろうその時に俺にだけ聞こえるような声量で声をかけてくる人物、ステラとエステルが現れた。


 最近の雰囲気からも何となく察してはいたが、なにやら面倒事の予感がする。正直お時間はあることにはあるのだが、出来るならお断りしたいというのが心情である。


 どうにかして角の立たないような言い訳を考えながら振り返ると、バチリと目が合ってしまった。普段のまるで少女漫画に出てくる取り巻きのような煩わしさも、今は成りを潜めている。


 どうやら避けるわけにはいかないようだな。……はぁ。苦手なんだよな、こういうの。


「うーん。別に良いけど、ラヴィニスも同行していても大丈夫かな?」


 いつになく真剣な表情の二人。言葉遣いも同様に、どこかいつもと違うようにも思える。


 流石に暴行を受けることは無いだろうが、警戒するに越したことはないのだ。


 ただでさえ最近はトラブルに巻き込まれやすい。魔法という自身にとって非常識的な法則も存在するこの世界では、今まで以上に何が起こるか分からないのである。


 ……何より蔑ろにして拗ねられると、後で色々と大変だしね。


「それは構いませんが……それどころでは、無さそうですわよ?」

「…………まさに、修羅場ですわね」


 エステルが指をさした方向に振り向くとその言葉通り、思わず目を瞑――いや耳を塞ぎたくなるような惨事――もとい賛辞が繰り広げられていた。


「アイヴィス様は私の嫁です! 貴女方にはあげませんっ! まるで天使が限界したような容姿ももちろんですが、私の全てを受け入れてくれるその懐の深さは地母神に負けずとも劣りません! 何より貴女方ではアイヴィス様を守れません! 役不足です。一昨日――いえ、前世からやり直してきてください!」

「――かっちーん。何でラヴィニスさんにそこまで言われないといけないのー? 貴女こそべったりしすぎてるせいでアイちゃんが困っているのが分からないのー? そもそも従者の身分で堂々としているなんて、自惚れが過ぎるんじゃない? 自重してよっ!」

「アリスさん。少々言いすぎですわ。ラヴィニスさんも、そんなに私達を邪険にしないでくださいまし。……アイちゃん様の事を、その、す、”好き”なのは皆一緒でしょう? 守るなら三人の方が確実でしょうし、アリスさんも私も、魔法にはそれなりの自負がありますのよ?」


 三者三葉に俺をネタにして口論を繰り返している。会話の端々に誇張も甚だしい誉め言葉を口に紡ぐラヴィニスと、彼女に煽られお冠のアリス。止めながらもしっかりと自己主張は忘れないシャルル。真っ赤になりながらも好意を隠すことなく言い切っている。


 ラヴィニスの褒めちぎり過ぎてもはや原型を留めていないアイヴィス像には、思わず頭痛を覚えるほどである。……天使が限界したような容姿というのには、まったくもって賛成の一言なんだけど、ね。


 守られる前提で話が進んでいるところからも、俺自身の戦闘能力は一切合切認められてはいないようだ。魔法を練習し始めてから今の今まで、大した成果は収められていない。そういう意味で確かに仕方ないのかもしれないとは思う。


 だがしかし、俺も心はまだ男のつもりだ。どうしても腑に落ちない。出来うることなら守られるだけではなく守りたいし、頼りにもされたい。


 ここにきて自身の不器用さが恨めしい。この身体の持ち主である鈴音さんならあるいは、ここにいる誰よりも強く有れたかも知れないのに。


 考えていても仕方がない。出来ることから少しずつ、着実に熟していくしかあるまいよ。ポテンシャルは高い。やってやれないことはないはずなのだ。


 ともあれ、さすがに居心地が悪い。視界の端で八重と九十九が気の毒そうに眺めているのも相まって、早々にこの場から立ち去りたい衝動に駆られている自覚がある。


「……確かにあれだけ熱くなっていると、駄目そうだね。――分かった。余り時間は取れないかもだけど、君達に付いていくよ」

「――っ! はい、よろしくお願いしますわ」

「…………感謝、致します」


 俺がそう答えると、二人はホッと息をつき破顔した。どうやら緊張していたようだ。出会った当初の口ぶりから比べ、随分と印象が異なる。


 何か心境の変化でもあったのか? それとも取り巻きとしての顔はあくまでも表面上のものなのか? 正直俺には分からない。


 ただどうにも俺が考えていた”精神的な私闘(リンチ)”ではないような気がする。少なくとも、そう思えるほどには素直な反応だったのだ。


 完全に気を抜くわけにはいかないだろうが、その所作に違和感はない。


 結局俺は今の時点では問題はないだろうと判断し、彼女達に付いていくことを決めた。この選択が吉と出るか凶と出るか、投げられた賽の行方に心馳せようではないか。



「これで全員か?」

「……先日の戦闘にて死した者を除けば、その通りにございます」

「ふむ。あいわかった。……下がれ」


 鷹揚に返答を返し、報告に上がった部下を控えさせる一人の男性がいる。


 口元には天を穿つような立派な髭を携えており、鋭角に反り返ったその象徴はこれから先の未来を案じているようにも思える。


 その者の名はドルマス。先日の戦闘にて、イサギに下り九死に一生を得た壮年男性である。


 一見すると以前の彼と変わらないようにも思えるが、そこには確かな変化が起こっていた。


「エル。イサギ様へこの旨をご報告してきなさい」

「はい、叔父上」


 返答するエルことエルクド。しかし、何やら様子がおかしい。会話内容だけでは判別出来ないが、声のトーンがまるで機械音声の様に一定なのだ。


 異常を示すものはそれだけではない。服装こそ以前の彼が着用していたものと同種なのだが、その隙間から除く皮膚には無数の痣が浮かび、目は虚ろで表情筋が一切動いていないのだ。……そう、まるで壊れた玩具のように。


 そしてそれは、エルクドだけに当てはまるものではない。


「さて、フルマン殿。貴殿も帝国に戻り、開国式の準備に当たって欲しい。イサギ様が掲げる新しき体制をこの地に住まう者すべての者に伝えなければならない」

「あい分かった。早馬にて向かおう。二日も有れば辿り着く。戻り次第全霊をもってその命を果たそうぞ」


 神妙な面持ちで下された決定の帳尻を合わせる二人。畏怖が表情に張り付いて消えず、微かに震える声色からもその深刻さが伺えるほどである。


 当然、原因を作ったのはイサギである。


 大の大人、それも歴戦の雄と名高いフルマンまでもが怯えるほどの教育(調教)を施したのだ。


 方法はいたってシンプルで、光も音も何もない、いわゆる五感が働かない空間にたった一人にして閉じ込めるというものだった。


 イサギの能力の一つには、烏丸を作成した空間魔法が存在する。空気環境や生活するために必須な設備はおろか、重力の可否や時間の感覚さえも自由自在な万能空間。消費魔力さえ賄えればどこまでも拡張できる、まさに夢のエンドコンテンツのような理想郷である。


 しかしそれはあくまで、彼女が出来うるあらゆる手段を用い手間暇かけて生成したものだ。ただ維持するだけでも膨大な魔力を要するため、そう易々と創造することは出来ない。例えるなら、大富豪が財力を持って維持する贅を凝らした別荘、いやテーマパークのようなものなのだ。


 実際に使用された教育方法。それは、何もない”無”の空間に生命を維持できる最低限の状態で孤立させ、気が狂うその直前まで対象を閉じ込めるといった空間魔法だった。


 ギルド内のアイテムボックスと同様に、その中は時間の流れが変化する。早い話、おかしくなるまで何日何ヶ月はたまた何年も、何も無い虚無の空間にて永遠を過ごさなければならない。


 当人は創造した後は放置するだけで良いので、前者ほどコストパフォーマンスも掛からず維持できる上、手間もかからないという何とも画期的な手段なのである。


 イサギが有用だと判断したため、フルマンとドルマスは寸前で開放されている。しかし、生き残ったもの全てがそういうわけではない。正確に言うならば、彼ら二人以外の両国の主要人物は皆その教育課程で気が触れてしまったということになる。


 精神が崩壊したあとはルナの出番だ。壊れた心の器に偽りの夢想を与え傀儡と化し、帝国を内側から侵略するという中々にえげつない”戦略戦争”を実行し、見事成功させたというわけだ。つまり彼女らは皇国はおろか、帝国も瞬く間に調略してしまったのだ。


 本来の支配方法――『幻影夢想』に比べ強引なので簡略的な命令しか遂行出来ないが、得てして上に立つ大概の人物というものは、口さえ回れば何とでもなってしまうものなのだ。


 ちなみにエルクドをあのような状態にしたのはイサギではなくルナだ。正確には、本当の姿を露わにしただけに過ぎない。


 依然セインによる襲撃で彼が負った重症は完治したわけではなくルナの能力によって作り出された幻影であり、彼女はその偽りの姿を解いたというわけだ。夢から覚めれば痛みも当然効力を表す。三年間熟成されていた痛みが一瞬で全身を駆け巡り、精神(こころ)のヒューズが飛んだのだ。


 さらに他の即席の傀儡と違い三年という年月を重ねたおかげで、細やかな命令まで遂行できる実に有用なコマへと生まれ変わったというわけである。


 精神的な死を迎えたといえるエルクド。死してからの方が有用であるとはなんとも皮肉な話である。そんな彼を尾耳族の女性の一人が、甲斐甲斐しく面倒を見ている。ワタワタと世話しなく付き従う姿が何とも微笑ましく、また唯一の救いともいえるだろう。


 ルナのユニークスキルである幻影夢想は、今回のエルクドやドルマス達のように外的要因によって結果が変わってしまう場を除き、支配というより思考誘導という側面が強い。


 対象をルナの思惑通りに動かせるという点ではさほど変わりはない。問題はその行動に当人の自由意志があるかないかに集約される。


 心と体は密接に関係している。どちらかのバランスが傾けば、もう一方にも大きな負担がかかってしまう。けがや病気になれば心も病むし、心が病み鬱になってしまったならば身体も思うよう動いてはくれないだろう。


 要は対象の自由意志を操作また管理することにより当人はストレスなく、むしろ自ら船頭に立って役に立ってくれるのが幻影夢想の本来の形なのだ。


 ただ支配するよりも術の効果は上昇し、その者の心と体を保護することにもつながる。つまりトータル的に”長持ち”させることができるというわけである。


 難点なのは個の能力に依存するところだろうか。例えるならば、ドルマスとエルクドだ。


 ドルマスならばルナ本来のスキルの効果が乗れば、期待値以上のものを生み出せるかもしれないが、エルクドの場合はむしろ逆に作用する可能性も考えられる。


 安定と即効性を図るなら支配の方が有用で、向上と恒久性を求めるのならばルナの個性といったところであろう。


「これだけの実力とカリスマ性のある王など、後にも先にも我らがイサギ様以外には現れまいよ」


 部下への指示を終え、また自身に与えられた課題を手早に熟しながら、ドルマスは深い、それは深い嘆息を漏らした。


 畏怖や悔恨、胸中はさぞ複雑な感情の渦が巻いているのだろう。しかしどこか、ホッと一息をついたような質の声色にも聞こえなくはない。


 列強に囲まれた祖国を憂い、皇族の未来に不安を覚え、手のかかる甥の世話までも焼いてきた永遠の二番手であるドルマス。


 そして彼の者の言う通り、後に他の列強国から”The Root of All Evil(諸悪の根源)”と呼ばれ恐れられる真の皇帝が生誕するのであった。

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