帝国には泣く子も黙る三馬鹿が居るらしい!
実在の人物とは、一切の関係もありません。
「フルマン軍曹はまだ戻らんのか! このままでは帝都にまで侵略され兼ねんぞ!」
「彼の皇国付近まで進軍していると思われ、我が方の伝達部隊と未だ接触出来ていない模様であります!」
前線でフルマンがドルマスを対面していたとき、ヴェニティア帝国は何者かの襲撃を受けていた。
顔をペストマスクで覆うその集団の戦闘力は異常の一言で、各戦略拠点が瞬く間に制圧されていった。
前線で戦える兵隊のうち、既に二~三割程が地に伏している。殺すことよりも制圧を優先しているのか、絶命したものより未だ地に転がり呻いている者の方が多い。だがそれも時間の問題だろう。
「なっ!? もうそんなに進軍しておるのかね? ……優勢が、逆に仇となるとはな。だが我らには他に”無線機”とやらがあったであろう!」
帝国某所の戦略会議室内で一人の男性が声を荒げ、報告に上がった兵を怒鳴りつけている。長年帝国に従軍する保守派の台頭である大将の一人だ。元々貴族の名門出である彼は、その財力と人脈を以って今の地位を十数年も守り抜いている。
自身も魔法使いとして優秀な才を持っているが、戦闘経験はほとんど無い。自身の手を汚すことを嫌うという側面もあるが、そもそも彼が戦うという場面が今の今迄一度も訪れていないというのが一番の理由だろう。
何せ戦闘経験の多い傭兵や騎士を雇った方が話が早いのだ。今迄に何度か決闘を申し込まれてきたがその全てを有り余る財力を用い、数の暴力にて圧殺してきたのである。
しかし、今回ばかりはそうもいかなかった。フルマン一人に手柄を立てさせまいと前線に有力な兵を送っていたのもある。だがしかし、それ以上に想定外だったのだ。よもやあの鋼鉄の豪雨と呼ぶべき弾幕を超え、帝国の喉元まで迫る勢力があるなどという事実が、である。
「それなのですが、何者かの妨害を受けて正常に機能しません。現在もその影響を受けない地点に簡易的な基地局を設け、先行した部隊の報告を待っている次第であります!」
「妨害? よもやその様な事が可能なのか?」
「恐らくは、としか答えられません。ある一定のラインを超えると同時に起こりうる現象であるため、その様に判断したのであります!」
無線機。アサルトライフルと同様に、このアヴィスフィアには存在し得無い機材だ。少し前の日本陸軍が使用していた”85式野外無線機”と呼ばれる、鞄のように背負うタイプに酷似している。
兵士曰く、皇国周辺の約十キロ圏内まで接近すると途端に砂嵐の様な音が鳴り響き、それ以外の音声がかき消されてしまうとのことである。
「成程、そういうことであったか。……ともあれ、肝心な時に役に立たぬなら意味が無い。無陀口中将。貴殿の持ち込んだ”英知”とやらも、流石に万能とはいかぬようであるな」
少し嫌味を込めた言葉で対面に座る白衣の男性に話しかける大将。彼としてはここ数年で台頭してきた無陀口が気に入らないのだろう。内外に伝わるほど露骨な牽制を行うことが、今迄にも多々あることからもそう予想できる。
ヴェニティアの帝国軍の最高司令官は大元帥たる皇帝ただ一人であり、その下には直隷として三名配置している。それぞれ国軍大臣(大臣)、戦略総長(総長)、教導総監(総監)と区分され、”帝国軍三長官”と呼称されている。
大将一名と中将二名で構成された帝国軍の最高位であり、皇帝の次に影響力を持つものが着任している。
一人が大将である珍冨である。役職は大臣。軍事国家でもある帝国の内外政を主に執り行っている。皇帝が不在であるこの情勢下では、彼の決定がそのまま国の意向となるほどの権力と発言力を持つことになる。
一番の古参であることもあり、帝国の事情に詳しい。有力貴族の弱みもばっちりと握りこんでいるため、例え反対があろうともそのほぼ全てを抑え込めるほどの地力を持っている。
ちなみに、皇帝が崩御してから今現在まで大元帥は不在となっている。今現在は、暫定的に彼がその役目を担っているのである。
「陳腐も陳腐。相変わらずの短慮で、寧ろ此方の方が心配になってしまいますよ珍殿。私の英知の一つである無線機が妨害された、この事実こそが問題なのです」
「青二才がほざくではないか。そもそも銃や無線機の知識も貴殿の祖国から持ち込んだだけで、自身が開発した訳ではなかろうに」
「浅はかな。知識というものは紡がれるものなのです。人が知らない有益な情報を知る、唯のそれだけで高い位置で踏ん反り返るだけの凡才に手が届くのですよ。お分かりかな、珍殿?」
そんな珍冨に対し、無陀口も無陀口で言葉に遠慮の一つもない。元々の性格という側面も多分に含まれるだろうが、どうやらこの二人はまごうことなき犬猿の仲のようだ。
彼の知識は幅広く豊かで、このアヴィスフィアには存在しないものも多い。帝国ではその多様性を生かした戦略や兵器開発に勤しみ、現在では戦略総長という地位にまで登り詰めている。
皇帝の懐刀が現れるまでは、帝国随一の出世頭だった彼。性格はともかくその情報力は誰もが一目を置くほど有用なもので、銃を始めとした先進技術を普及させたその功績は大きい。
三長官の間に格差は無いとはいえ、地位的に上位に立つ珍冨に対してもこのような態度を取ることが出来るのもそういった実績があってこそなのである。
ちなみに教導総監はフルマンではない。現場での教育においてその全権を預けられてはいるがあくまでも彼は軍曹で、最終的な決定権は総監に委ねられる。
「いい加減にしないか。今はそんなことで争っている場合ではなかろう。あぁ、我らが母なる女神ナビスよ。この者等の愚かさを、どうか許したまえ……」
「「…………」」
子供じみた二人の醜い争いに一言物を申したのは三長官の一人、テーン・プルーン中将だ。教導総監として帝国軍に従軍している。
帝国内でも特に敬虔なナビス教の信者であり、またその教祖も務めている。戦時でなければ、常に教会にて神の教えを説いているのだ。
女神ナビスとは帝国の祖となった国のとある村落の土地神で、”導きの神”として称されて崇め奉られてきた。かの女神を信仰することを主とした教えが広がり、今では帝国の国教となるまでに拡大したのである。
皆を教えで導く……つまりは”教導”。彼が総監に選出された一番の理由はそこにある。
平民や貴族問わず、実際にその教えに従うものは数多い。発言力もそれに総じて大きくなるというものである。
争いを好まない彼は、最後までこの戦争を否定してきた。しかし他二人の賛成を得られず否決され、不承不承フルマンに出撃命令を出したのである。
「流石は教導官。女神ナビスの名を出されては、此方も引かざる負えまいよ。かの神には世話になっている、主に衆人広告塔としてだがな」
「珍殿。その言い方は誤解を生みますよ。表向きには、”象徴”と呼称するのがよろしいかと」
「教祖である私を前にして、よくその様な暴言が吐けるのものですな。あぁ、我らが導きの女神ナビスよ。私の教導の稚拙さを許したまえ……」
三人となっても以前として話が前に進まない。各方面に多大な影響を及ぼす彼らも、足並みが揃わぬならばまるで意味がない。
敵の毒牙が喉元まで迫ろうというのに、時間だけをただ無駄に浪費している。
彼らの決定を待つ左官達はその様子に内心苛立っているのだろう。口には出さぬものの、忙しなく手足を動かす者やキョロキョロと落ち着きのない者が散見できる。
件の三長官は、その様子にまるで気が付いていない。結局話は平行線のまま、情勢に変化が訪れる。
「あら、三長官様。此方にいらしたのですか。……帝国内は酷い有様です。皆様が御無事で何よりですわ」
満開の花びらのような笑顔を咲かせ、彼らが会議を開いていた豪奢な部屋へと可憐な女性が来客したのだ。
「おお、ルナ殿ではないか。相変わらずお美しいな其方は。……どうだ、我が妻となる話。考えては頂けただろうか?」
「珍殿! 抜け駆けは関心しません。ルナ様は私に匹敵するほどの才覚をお持ちの方、僕と共に歩み研鑽することで帝国はより豊かになるのですよ」
「あぁ、早速の天啓が舞い降りた。神の使い……天使ルナよ。分を弁えぬこの愚か者達を退け、今こそ私と契りを交わそうぞ」
三者三様にルナに迫る三長官。まるで花弁に群がる羽虫の如く彼女に迫り、各々が各々の言葉を持って求愛を申し込んでいる。苛立ちを募らせていた左官達も毒気を抜かれたのか、皆一様に彼女に見惚れている。
この事からも分かるように、彼らには危機感が足りていない。戦闘が繰り広げられている地点から少し距離があるのも理由の一つだが、そもそも実感が湧かないのだろう。
帝都には今迄温存していた戦車も存在し、既に配備済みだ。いくら戦闘力が高くても、銃ですら非にならぬその火力を持ってすれば人である以上敵う通りもない。
その上、都を守護する兵は他に比べ優秀な人材が配備されている。中には有力な貴族や商人などの御子息や御令嬢も含まれるが、総じて基礎能力が高い。唯一気になるところは戦闘訓練はともかく、実戦の経験がほぼゼロに近いと言ったところだろうか。
「ふふ、相変わらず三長官様はご冗談がお好きですね。……でも駄目ですよ? その胆力は尊敬致しますが、今は戦時中です。めっ! ですわ」
「……良い」
「…………良いですね」
「………………素晴らしい」
普段は決して揃うことの無い足並みが満場一致となった瞬間である。フルマンと違い、三長官は既にルナの手により悩殺されているらしい。
三年という期間が空いていたというのにその魅力は健在のようだ。いや、むしろ経験と年齢を重ねたことでより色気が増したのだろう。そうでなければこの様な情勢下にも関わらず三者共に求婚するとは考えにくい。
女の色気に現を抜かす上官に、本来ならば忠言の一つもせねばならない立場である左官達も皆一様に見惚れている。
「ふむ。御三方の言う通り確かに素晴らしい。私が知る以前と比べても、より魅力的に成長している。藤色。この三年間、よく頑張ったね」
「――イサギ様っ! あ、ありがとう、ございますぅ……。――じゃなくてっ! あ、あああ、あのっ! 今は、そ、その。作戦中ですので、う……嬉しいのですが、頭をな、撫でないで頂けると…………ふわぁ」
故に見落としたのだ。全く隠れる気もなく堂々と正面から入室した、烏頭の侵入者を。
先程まで妖艶で情欲的な雰囲気を醸し出していた美女が、まるで恋する乙女の様な反応をしている。誰の目にも明らかなくらい狼狽していて、透き通るようなその白い肌は今や茹蛸の様に真っ赤に染まっている。
ワタワタと手をバタつかせ、離れようとイサギの胸に軽く手を当て上目遣いにて抗議試みる。しかしその過程でバチリと目が合ってしまい、慌てて逸らすようにして俯いてしまった。以降はなすがまま、されるがままに小さく可愛らしい頭を撫でられているのである。
心地が良いのか、時々吐息が漏れてしまっている。その様子を伺っていた者が皆、自然と前屈みになってしまうのは仕方のない事だろう。
ちなみに視界の端では「誰だ貴様は――」と珍冨が誰何しているが、二人の耳には届いていないようだ。
「大丈夫さ。私がここに来た時点で、君の役目は既に終わっている」
「で、ですが――」
「ふむ。それはともかくとして、そろそろ本来の君の姿に戻ってはくれないか? 今の姿もとても可愛らしいと思うが、やはり君には尾耳が似合う」
「……うぅ。それは反則ですイサギ様ぁ」
突然のことで、皆理解が追い付かないのだろう。まるでここには二人しかいないと言わんばかりの空間が形成されている。
ルナはルナで自身に与えられた仕事を全うしようとしているのだろう。何とか抵抗しようと目線だけでもイサギに向けている。……直接目を合わせられないのか、彼女の目線は仮面よりやや下部付近で宙ぶらりんとなっている。
可愛いと褒められ、今や真っ赤じゃないところを探す方が難しいほど紅潮しているルナ。主人に求められることが嬉しいのだろう。三年を掛け漸く最終段階まで至った作戦を、彼女は今この瞬間に放棄した。
直後。藤色に光る魔力の帯が彼女の身体を覆い尽くし、目が眩むほどの光量が辺りを包み込む。
時間にして十数秒間ほど光を放ち、徐々にその光は集約していく。
現れたのは藤色の兎人。容姿、スタイル共に類を見ない程整っている。絶世。その一言に尽きるだろうその女性。白兎でもなければ、ヒト族でもない。この姿こそ、彼女本来の姿なのである。
「――獣人」
誰かぼそりと呟いた。それを皮切りに辺りは騒然とし始める。
「ルナ殿――いや、ルナよ。貴様獣人だったのか。獣の分際で我らを誑かそうとは、中々に良い度胸をしているではないか!」
「――誰だお前は! ルナ様から離れなさい! 寒いんですよその仮面っ!! まさかカッコいいとでも思っているのですか!?」
「何と獣人となっ! 教祖である私を騙すとは許すまじ! 騙すのは我らの専売特許。簡単に真似されては商売あがったりではないか!」
三者三様。珍冨はルナの正体に静かに怒りを表し、無陀口は尾耳もありなのだろう。彼女を惑わすイサギを風貌を罵倒することで口撃している。プルーンに至っては、己が本性を思わず暴露してしまうほど混乱している。
今迄口を開かなかった左官達も各人が口々に思うことを述べている。その大半はルナが獣人だったという事実についての憤りである。
帝国は”力こそ全て”。その事実に間違いはない。例え彼女が獣人だとしても、実力があってこそこの地位に立っている。本来であれば何も問題が無いはずなのだ。
だがしかし、そこは人情というものだろう。獣人=弱者、これは帝国においても同じ。何より先の戦争にて獣人国を滅ぼしている。その大半は死亡し、残ったものも奴隷として捕らわれた弱き種族なのだ。
珍冨が気に入らないのはこの為だろう。弱きものに翻弄されるなど、帝国民として恥そのものなのだ。相手がヒトでなく獣人ならば、口説くのではなく屈服させなければならない。それこそが流儀、強者の義務である。
「さ、寒い……」
「い、イサギ様! お気を確かに! 私はとてもカッコいいと思います! 本当ですよ!!」
「…………ふむ。やはり君は分かっている。この仮面はそう、素晴らしいのだよ! はっはっは!!」
無陀口の言葉が地味に利いているのだろう。普段の気取った態度が崩れかけている。気にするならやらなければいいのに、とかは言わないのが礼儀だろう。きっと。
散々な言葉を投げかけられているのにルナの方は全く怯んだ様子が無い。むしろイサギを気に掛けるほどの余裕すら見受けられる。
彼女に励まされて調子を取り戻したのか、怯んだのは一瞬だけですぐに調子を取り戻したようだ。
露骨にホッとするルナ。それに気づかず高笑いするイサギ。その場の空気を読む気が無いのは、相も変わらずと言ったところだろうか。
「成程。余程死にたいと思える。貴様が何者だか解らぬが問題ない。ひっ捕らえてルナ共々拷問に掛けるとしようではないか」
「珍殿! ルナ様に手出しはさせませんよ! どうしても拷問が必要というならばその役目、僕が責任を持って引き受けることにしましょう」
「あぁ、これもまた運命なのだ。汚らわしい獣の姿へと堕ちてしまった天使を裁くのもまた私の役目。心苦しいがヤるしかあるまいて。でゅふ、でゅふふ……」
イサギによる煽りとも呼べる言動で、左官を含む皆が雰囲気を変える。
懐から取り出した短杖で珍冨が呪文の詠唱を開始する。それに重ねる様にプルーンも何やら唱え始める。彼らの足元には何乗にも折り重なった魔法陣が形成され始める。
対人では隙が多すぎるであろうその呪文を用いる自体が、彼らの戦闘経験の少なさを物語っている。
それを仕方ないとばかりに援護するのが無陀口だ。懐に忍ばせていたホルスターからリボルバー式のマグナムのような拳銃を取り出し牽制している。M500に酷似したそれが火を噴けば、ヒトなど一溜りもないだろう。
しかしどこからどう見ても線の細い青年にしか見えない彼に扱えるような代物には見えない。その証拠に、未だ一度も発砲していない。
明らかな戦闘態勢だというのに、イサギは未だ高笑いを止めていない。ルナが胸を揺さぶり警戒を促すも、彼は全く意に返さない。
「気でも触れたか狂人めっ! その身を持って思い知るが良い! 『鉄網牢』!」
「あぁ神よ! この罪深き者に神罰を与えたまえ! 『雷槍』!」
珍冨とプルーンの詠唱が終わり、その猛威がイサギとルナに迫る。両者共に難度の高い中魔法を個人で発動したことからも、彼らのステータスの高さが窺い知れる。
魔法の段階は大まかに大中小に分かれている。その分類は詠唱の際必要となるであろう魔法使いの人数と比例している。小は一人、中は数人~十数人、大はそれ以上という具合である。
中魔法や大魔法は軍隊では軍団魔法と呼ばれ、魔法使いで構成された部隊が使用する高威力の範囲魔法が一般的である。
ちなみに彼らが唱えた中魔法は対個人を対象したものなので、正確には上記とは一致しない。
帝国では単体で中魔法を使用できる者を戦略級と呼称し、ただそれだけでも准士官以上の階級を与えられる特別な存在なのである。
「――っ! 危険ですイサギさ、ま?」
「……こらこら、君こそ危ないぞ? 背中に手を回しなさい。決して離れることのないように、ね?」
ルナは迫りくる強大な魔法からイサギを庇おうと、その身を盾にして前に躍り出ようと試みる。が、上手くいかなかった。どうやら何時の間にか彼の手によってふわりと抱きかかえていたのである。
目を丸くする彼女。まるで最初から両腕に納まることが決められていたかのように優しく包みこまれている。
イサギに覗き込まれ小動物の様にコクコクと首を上下に動かすルナ。言われるがままに、だがしかし遠慮がちに彼の身体へキュッと抱き付いた。
直後。二人は鈍色の鉄格子に閉じ込められる。いや、正確には蜘蛛の糸の如く鉄柵が身体に絡み付いたのだ。諸共に固定された二人はまるで彫像のようになっている。
そこに追い打ちの如く落雷のような電撃が通過する。魔力を元に生成しているため熱は放出していないが、その代わりに出力が上がっている。本来の雷とは比較にならないが、それでも護身用のスタンガンは軽く上回るだろう。
その上鉄柵で通電させることにより威力の向上に努めている。生身のヒトが感電しようものなら、即死はまず間違いないだろう。
「ふむ、素晴らしい攻撃だ。……しかし、殺傷目的でないのなら少々威力が高すぎる。これでは拷問する前に死んでしまう。私のようなヒト族はもちろん、尾耳族である彼女すら耐えられないだろう。そういう意味では、全くなっていない魔法だね」
「「「な――っ!?」」」
「それに、君たちのせいで藤色が怯えている。女性の扱いを含め、もう一度前世からやり直すが良い」
まるで”考える人”のようなポーズを取り、考察で得た感想を述べるイサギ。
全身で覆う様に抱えられたルナの垂れうさ耳がフルフルと震えているのがみえる。怯えているのかと思いきや、実際は異なる。三年ぶりの主人の抱擁に感極まっているのだろう。嬉しそうに相好を崩しているその表情をみれば誰の目にも明らかなのだ。
表情の見えないイサギが勘違いしたのは仕方がないだろう。彼は鋼鉄の網で拘束されているにも関わらず、右手を大きく上にあげ振り下ろした。
その瞬間、鉄の紐が彼らに絡みつき帯電を始める。そう、先程彼らが要した魔法とよく似た魔法を行使したのだ。亀甲縛りになっているのと威力を調整してあることを除けば、だが。
三者一様に地に転がりうめき声を上げている。意識までは飛んでいないのだろう。「あばばばばっ」とまるでコントの様に蠢いている。
魔力を維持できなくなったのだろう。イサギ達を拘束していた鋼鉄の網が音もなく崩れ去った。
「ほう、これは良い。奴隷の調教に使えそうじゃないか。予期せぬ奴隷も入荷したことだ、早速今日にでも試してみようか」
顎を擦り納得顔を見せるイサギ。ニヤリと悪い笑みを浮かべるその姿は、仮面も相まり完全に不審者そのものとなっている。
そのつぶやきを聞き、絶賛ハグ中の兎がピクリと反応を示す。抱えられながらも遠い目をしているのは気のせいではないはずだ。何かを思い出したのかブルッと身震いをする彼女。……少し嬉しそうに見えるのは気のせいに違いない。そう、きっと。
「――過剰。見るに堪えない」
「――ッ! ツグミ!」
「……ウサギ。無事で何より」
「――えっ!? う、うん。……ありがとう」
にゅっとイサギの影から顔を出したのはツグミだ。腕の中で軽いトランス状態にあったルナがビクリと反応をする。
一方は短い、だがしかし心からの言葉を口にし、もう一方はまた言葉少なながらも心配してくれる仲間に感謝を述べている。
三年間。長くて短いそんな不思議な感覚を覚えるその時を、互いを通じ任に当たっていたのだ。
ツグミは元々饒舌ではなく、未だに口を交わさぬ幹部もいるほどだ。口を聞く数少ない仲間、それがルナなのだ。
アイヴィスとラヴィニスが彼女と出会う前までは、イサギとフクロウ、そしてこのルナとしか会話をしていない。
ツグミに労いの言葉を掛けられ慌てるルナ。彼女は寡黙で感情を表に出さない。それなのに自分を案じるような台詞をホッとしたような声色で言葉にしたことに驚きを隠せないのだろう。
ちなみにルナを帝国まで送り届けたのはツグミだ。言わずもがな、そのタイミングでチコと接触したのである。
チコの事は以前にルナから何度か聞いて知っていた。潜入先であるエルクドの住まう城内にて、どんな態度をや扱いを受けてもへこたれない面白い子がいる。少々風変わりで非常識な面も目立つが、忠義心と元気で溢れているんだ、と。
「おやツグミ。アイは大丈夫かい? 此方はもう少しで片が付く。事後処理が少々手間だが何とでもなろう。何せ藤色がいるのだからな」
「イサギ様っ! はい! お任せくださいっっ!!」
「……授業中。新しい友達も出来たみたい」
「――何っ!? それは男性かい? それとも――」
「女の子。胸の大きな子と、可愛いお尻の子だって」
「やっぱり女! しかも二人っ!? ……ぐぬぬ。私が用意した娘だけでは飽き足らず、何処の馬の骨とも分からない娘と仲良くするなんて……」
いつの間にか対策されて、最近シュウ君の状況が伝わってこないんだよね。とか、私がこうしている間にも椿沙に先を越されてしまう。などとブツブツ呟くイサギこと鈴音。
キャラが完全にぶれてしまっているがそれどころではないらしい。「本当にもう、まったくもうだよ。たらしゅうやの馬鹿。椿沙や私の奴隷達ならともかく、それ以外の女となんて絶対に許さないんだからね」と、愚痴が留まるところを知らないらしい。
「あの……い、イサギ、さま?」
「――ハッ! あ、いや済まない。大したことではないのだよ」
「じー……」
「うぐ。ふむ、また時間があるときにでも話そう。……今は目の前の些事を片付けなければ、な」
「じー…………」
突然様子がおかしくなった自身の主人に、恐る恐る話しかけるルナ。以前から時々ああなるが、それにしても変だったのだろう。
指摘され、取り繕うイサギ。そんな彼に今度はばっちりと視線を合わせたルナが目で語る。何を隠しているのですか、と。
その視線に気圧され、また別の機会にと話を終わらせるイサギ。浮気がばれた亭主のような不自然さで、だが。
しかし確かに今はそれどころではない。目の前には今にも失神……いや、失禁しかけている男が三人もいるのだから。
「コホン。――では、終わらせようか。ツグミ、藤色を頼んだよ」
「わかった。ウサギ、行くよ」
「――え? ひゃわぁ!?」
咳払いで無理矢理切り替え、ルナをツグミに引き渡すイサギ。
お姫様抱っこのままふわりと移動したルナはストンと陰に沈むこととなる。突如浮遊感におそわれたのだ。素っ頓狂な悲鳴を上げてしまったのも仕方ないことだろう。
確かに自身の影の中に彼女らが消えたことを見届け、未だ痺れる珍冨らに向け腕を前に突き出した。
「収縮せよ。『深淵核』」
詠唱を行っているようには見えないが、直ぐにイサギの周りには彼らとは比較にならない程密度の濃い魔力の渦が巻き始める。
正に漆黒と言わんばかりの闇が彼の掌に収縮する。よく見ると集約の中心となっている掌の表面から数ミリ先に、極小の魔法陣が展開されているのが見える。
凝縮された魔力。パチンコ玉ほどの大きさまで縮んでいる。深淵核と呼ばれたその球体からは、その小さい見た目とは相反する圧力が放たれている。時折表面を火花のようにバチリと走る魔力光がそう感じさせるのだろうか。
この間時間にして凡そ一秒。見ている者がいたならば、手を突き出した瞬間に漆黒の玉が出現したように思えただろう。
「ふむ。やはり媒体が無いと遅すぎる。これも実践では使い物にならない、か。……要検討だね」
そう呟く間と同時に出現した玉を展開していた掌の中で握りつぶした。納得がいかないのか、未だ口の中でなにやら独り言ちている。
しかしそれに気づくものはいないだろう。……何せ目の前にはもう、誰もいないのだから。
「藤色がしっかり下準備をしてくれたおかげで彼らの思考支配に時間はそうかからない。手早く終わらせて、シュウ君にとっておきと面白い娘を紹介しないとね」
「私の愛の包囲網からは決して逃がさないからね」と、今や誰もいなくなったそのただっぴろい豪奢な戦略会議室で、ニヤリと笑みを浮かべるイサギもとい鈴音さん。馬鹿と天才は紙一重というが、彼女も例外では無いようだ。
アイヴィスさんの知らぬ間に刻一刻と事態は進んでいく。一人、また一人と人生を掛けて尽くす者が増えていくのだ。複数名の人生を背負う重圧。その重みたるや如何様なものだろう。そしてそれを彼が知り得たときどんな反応をするのやら、大変興味深いものである。