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アヴィスフィア リメイク前  作者: 無色。
序章 異世界転性!?
3/55

年下の先輩が可愛くて天才なんだが!

一人称と三人称単視点の書き分けにトライしています。

 神苑学園大学。敷地面積は約一〇〇ha程で、中には複数の施設が混在している。ここではこの大学特有である神科学を始めとし、法医学、理工学などの教育が中心的に行われている。


 神科学。その目的は多岐に渡るが、神意や神秘、超常現象を科学的に研究や解読などを行う学問を主に取り組んでいる。


 併設された関連施設が幾何学的な紋様の様に立ち並んでいるため、その見た目と名前から『神の箱庭』と称されている。


 同じ圏内に神苑学園大学付属と呼ばれる初等部から高等部までの小中高一貫の教育機関もある。そこでは中等部まで男女別の教室で学習する形式を取っており、その後は選考によって変化する。


 ほかの多くの教育機関と同様に、クラブ活動なども盛んに行われている。


 中でも運動部の剣道部と弓道部は全国屈指の強豪校だ。文化部も書道部と茶道部が、数あるコンクールで優秀な成績を収めていたりもする。


 そんな部芸達者な学園内には、大学付属の研究機関も複数併設されている。


 俺が務めているのはその中のひとつの研究所で、正式名称は『神苑天体研究所』という。そしてその所内の一室を任されていた。


 ……あの崩壊の日から遡ること約半年。青々とした桜の木々の隙間から、キラキラと日差しが差し込む良く晴れた日の午後の一幕である。


 その日の俺はいつまでたっても先の見えない課題から目を逸らし、半ば現実逃避気味に曇りなき空を半目で睨むように仰いでいたところであった。


「おっはよー! 今日も今日とていつも通り、しけた間抜け面を晒してるねー!」

「いってぇなぁ。所長こそ、朝から元気過ぎんだろ……」


 バシッと背中に衝撃を受けた俺がぼうけた頭で振り向くと、そこには長い髪を後ろで束ねた長身の女性の姿があった。


 ジト目を向け背中を軽くさすりながら、朝からハイテンションなその人物に声をかける。


「やー、ごめんごめん。でも、そんな死んだ魚みたいな背中してるのが悪いんだからね?」


 件の彼女は、そんな訳の分からない言い分で自分の正当性を示してきた。


「どんな背中だそれは……」

「あっはっはー! ツッコミは冴えてるねー、このこの~!」


 俺が肩をすくめて飽きれたように言うと、これまた嬉しそうに大袈裟に笑いながら、自身の肘で俺の二の腕辺りを軽く小突いて来るではないか。


 この朗らかな女性の名は天条(てんじょう)鈴音(すずね)。神苑天体研究所の所長を務めており、また俺の五才程年下の先輩でもある。


 年下の先輩とはなんとも分かりづらい状況ではあるが、事実なのでしょうがない。


 才色兼備と表現するのがしっくりくる容姿を持ち、背も高く細身な体型なのだが、出るとこはしっかり出ている。


 髪はロングのポニーテール。ピンクブラウンに染め上げているのに、傷んだ様子もない。


 一見するととてもそうは見えないのだが運動神経もよく、剣道の全国大会で準優勝したほどだ。


 海外の某有名大学で最年少で博士号を取得したうえで教授にならないかと声をかけられたが、やりたいことがあるからと断ったこともあるらしい。


 同様の理由で彼氏も作る気はないようだ。自他ともに認める生粋の研究バカである。


 これさえなければ男が放っておくことはないだろうに……。と心で思ってはいるが、流石に口にするのは憚れる。


「む? なんか失礼なこと考えてるね、キミぃ?」


 鈴音が下から覗き込むように、怪訝な表情で俺をじっと見ながら言ってきた。


 おっと、顔には出ていたようだ。


「え? あ、いやー今日も今日とて平和だ。日本に生まれて良かった! と日常の有難みを噛みしめてただけっスよ、やだなー」

「じー……」

「そっ、それで? 所長はなんで朝からそんな元気なんスか? ……便秘が治ったとか?」


 俺は不意をつかれ若干動揺したが、誤魔化すように軽口挟みながら、話の流れを変えようと試みる。……デリカシーをかなぐり捨てて。


「ぐ……なぜキミはそう人が言われると嫌なことを、正確に当てるのかな?」

「便秘だったのか……。なんか、すいません」

「ち、ちちち、違うよ!? ほっ、ほらっ! 最近私達のチームが開発研究してる”アレ”!! 知ってるでしょ?」


 ジト目を向ける鈴音と、素直に謝罪する俺。


 図星を突かれた彼女はワタワタと誤魔化すように両手を振り、その勢いのまま「アレがついに最終段階まで来たんだよー!」と、得意げに人差し指を俺に向けて突き出した。


「あー! ”アレ”スか”アレ”! あの狸型のロボ――」

「――違うよ!? 人の精神をネットワーク上にアップデートするって話だよ!」

 

 と鈴音は俺が最後まで言い切る前――まるで「言わせないよ?」とでも言わんばかり――に上から被せるようにして話題の方向を転換する。


 全くもう、冗談が通じない人だなぁ。俺を見習いなさい。


「あー! そっちっスか!? すいません、そろそろ出来ても良い時代なのでついにきたのかと!」

「もー。大体何なの、そのしゃべり方ぁ。……はぁ、キミは本当に話の腰を折るのが好きだよね。それに、そもそもそれを作るためにはだね――」


 俺はペチンと額に手を当て、さも本気で間違えたような仕草をしてみる。我ながらとても腹が立つ態度だと思う。


 しかしながら鈴音は、突き出した指をチッチッチと言わんばかりに振り、どうやったら猫が狸になるのかを語り始めようとしてしまう。


「ま、まぁまぁ所長。それは置いといて……。上手くいきそうなんです? もし仮に成功したのだとしたら、それは世紀の大発明ってやつになるんじゃないですか!?」

「ふっふっふ。誰にものを言っておるのだね? 私が指揮をとる以上、そこに失敗はないのだよ……」


 少々強引に誤魔化しつつ鈴音に問いかけるうちに、その前代未聞の試みへの期待が大きくなっていたのだろう。気が付けば、語尾が早口になってしまっていた。


 この芝居がかった口調で言われると何かしらの反論をしたくなってしまうが、そこは彼女の言った通りなのだ。


 鈴音は出来るといったものは、今までその手ですべて実現している。周囲の反対にはまるで目もくれず、ただやりたいことをやり、そしてその結果を残してきたのだ。


 この人は天才だ……それも、努力を惜しまない。


 釈迦すような態度をとってはいるが、俺にとって鈴音はとても魅力的な存在なのだ。


 恋愛感情というものではなく、どこか遠い。言うなれば”神への信仰”に近いと言えば良いだろうか。


 まぁ俺は、無神論者なんだけども。


 その努力に裏付けられた才能を持つ鈴音は、嫉妬するどころか崇拝と呼んでも差し支えのないほどの感情を抱く存在なのである。



 朱羽夜と鈴音知り合ったのは、今からおよそ五年程前のことだ。といっても当時の彼は、オンラインゲームに明け暮れる所謂〝ネトゲ廃人″と呼ばれる人種だった。


 大学受験に失敗した朱羽夜は滑り止めで受けていた地元の三流私大に入学するが、思い描いた理想()現実(実力)の差に嫌気がさして日々惰性で怠惰な生活を送っていた。


 ある時はオンラインゲームに明け暮れ、またある時は近くのケーキ屋でアルバイトなどもしていた。


 卒業も控え、俺は一体何をやっているのだろう? このままじゃだめだ。そう思いながらも、彼は自堕落な毎日を過ごしていたのだ。


 そして今日も今日とてパソコンの電源を入れ、気になる記事でも発見したのか声に出して朗読している。


「えーなになに? ブラックホール発生実験成功っ!?」


 記事には小規模だったが、時空間の歪みをスパコンが算出したと書かれている。


 その時間凡そニ.五九秒。歪な球体の形をしており、中心線は最大一.六八nmナノメートルで――。


(……って、正直何のことかよく分からん。でも確かテレビで専門家が安全性面で致命的な問題があるとかなんとか言っていたような……? まぁ成功したんだし、問題ないんだろう)


 一通りのネットサーフィンを終えた彼はお気に入りの異世界ファンタジー系MMOへログインし、時限クエストの募集を掲示板に貼って参加者を待っていた。


 しかし高難度なうえ平日の真昼間ということもあって、中々参加者が集まらず時間だけが過ぎてしまう。


「あー。やっぱ人こないよなー」

「ただでさえ最近、このオンゲも人減ってるしなー」


 アプリなどの手軽で面白いゲームが増加するのに反比例して、最近はどのオンラインゲームもプレイ人数が減少傾向になっていた。


 彼自身そんな事情を知ってはいるのだが、ちょっとした不満から独り言ちる。


「しゃーない。時間かかるけどソロで行くかー」


 彼がため息をつき仕方なく出発しようとした丁度そのタイミングで、「チャリーン」と誰かが参加したときにする効果音が鳴った。


〈すいません、参加よろしいですか?〉

〈もちろんOKですよ! 人が来な過ぎて、もういっそソロで行こうかと思ってたので〉


 クエスト参加者が、朱羽夜に丁寧な口調でチャットで話しかけてくる。


 人が来てくれたのが嬉しくなったのか、少しテンション高めに彼も同じくチャットで返事を書く。


 心なしか、キーボードを打つ音も弾んでいるようにも聞こえる。


〈しょうがないですよw 平日のこんな時間ですしねwww〉

〈確かにwww あ、自分アイヴィスって言います。どうぞよろしく〉


 さりげなく自分を売り出す朱羽夜。


 このアイヴィスというのは、彼のオンラインでの名前である。大学入学時に思い付きで語った名だが愛着が沸き、今では実名よりしっくりくる気すらする程である。


 ――それはさすがに両親に申し訳ないか……。と、彼はぼそりと独り言ちる。


 ちなみにキャラの性別は女性で、この見た目にするまでになんと三日もの労力を掛けてキャラメイキングをしている。


 完成したときの魂の叫びに膝の上で丸まっていた飼猫が「フシャァァ」と声をあげて驚き、部屋から脱兎のごとく逃げたのは言うまでもない。ウサギではなくネコだが。


〈あ、私リンネって言います。チャットはあまり得意ではないのですが、よろしくお願いします〉


(え、なに可愛い惚れた。……いや、騙されないぞ。きっとおっさんだっ! しかも真昼間からオンゲしてるニートの!)


 自分のことを棚の上どころか天井に隠し、そんなことを考える朱羽夜。


 いや、俺はこれでも一応は働いてるし!? ……バイトだけど。などと、しなくても良い見苦しい言い訳をするアイヴィスさん。


〈さてさて。これ以上待っても人こなそうですし、早速行きますか!〉

〈そうしましょう! 私、ずっとこのクエストしたかったんですよ!〉


 なかなか時間合わなくてと語るリンネさん。チャットからも「ふんすっ!」とばかりの気合いが伝わってくる気がした(アイヴィス補正)。


〈お、もしかして初見ですか? こいつはめっちゃ強いですよw〉

〈えぇっ、ちょっと脅かさないで下さいよ。もう〉


 少し脅しをかけてみると、いじわるですねとむくれるリンネさん。


 なにこれ可愛い。やばいやばい、相手はデブの禿げたおっさんだから……! 危うく騙されるところだったけど、そう簡単にはいきませんぞ! などと、謎のテンションになりつつあるアイヴィスさん。


 掃除をしに部屋の前まで来た母親が、「ふぉぉっ」と謎の叫びをあげる息子を心配して扉の隙間から覗き、「うわぁ」とドン引きしているのに気が付かない。


〈まぁ任せて下さい。俺、こいつとは結構相性が良いんですよ!〉


 では出発! 良いとこ見せちゃうぞー、と内心張り切ってしまう彼――キャラ的には彼女だが――を責められる人はいないと思う。


 浮つきまくって精細を欠いたアイヴィス一行の行方は当然、惨敗だった。


 アイヴィスさんは浮かれてたせいでいつもより強引に攻め過ぎて返り討ちに合い、リンネさんはリンネさんで初見殺しの罠にしっかりと嵌っていた。


〈ぬぁぁぁっ! こんなはずでは無かったのにー!〉

〈あぁぁぁっ! すいません! あんなとこに罠があるなんて……〉


 心からの絶叫と地団太を踏むアイヴィスさんと、不覚ですと膝から崩れるのは悔しそうなリンネさん。


 強制的に拠点に送り返され、その場でアクションコマンドを使用しているようだ。アイヴィスはともかく、リンネも意外に芸が細かい。


〈いえいえ、敢えて罠を伝えなかったのは俺なので。それも有りきでいけると思ってたけど、突っ込み過ぎたー!〉

〈私が初見だと聞いて、ネタバレしないようにしてくれたんですよね?〉

〈えっ? ……あ、うん。そうです〉

〈お優しいんですね! 今回は残念でしたけど、また今度一緒に挑戦しましょう!〉


 悔しさのあまり丁寧語が崩壊しつつあるアイヴィスさんは、「むむ? 確かにそうだけど、それを尻目に敵を倒すのも一興かなと思ってたんだよね」などと、少し邪な考えを浮かべていた。


 しかしリンネさんが「私のために、ありがとう」とやたらと感謝してくれるので「やばい、俺はなんてことを考えてたんだろう反省しなさい」と何度目か分からない、しかし顧みる気のない反省を心で呟いている。


 ギリギリのタイミングの時限クエストだったため一度しか行くことが出来なかったが、アイヴィスさんはそれを理由にしっかりとフレンド登録を済まして、また今度一緒にプレイする約束をしたようだ。


 それから幾度となく、様々なクエストを一緒に回ったのは彼にとって懐かしい記憶の一つである。



「でも所長、ゲームの腕だけは残念でしたよねー」


 俺はニヤニヤしながら、いつの間にか今回の研究内容を得意げに語る鈴音に声を掛けてみる。ちょっとした意趣返しみたいなものなのだが、我ながら何とも子供っぽいやり口だ。


「なっ!? なんで今この時にそんな話題を……!」


 鈴音は俺のそんな様子に気づかずに、それにあれは私ではなく妹が――。などと、口をゴニョゴニョもごつかせている。


 それを見て俺は、さらに追い打ちを掛けてみることにした。


「それに“リンネ”って捻りなさすぎじゃないですか?」

「ぐぬぬ……」


 調子に乗った俺は、これで止めだとばかりに攻め立てる。


 そんな鈴音をニヤニヤ眺めていたが、自分といる時にだけ見せてくれる表情とその黙り込んでしまった姿に見惚れて、つい「所長のそういうとこ好きですよ」と思ったままに言葉を零してしまった。


「ばっ、ばばば、馬っ鹿じゃないのかキミはぁっ!? そんな恥ずかしい言葉を、臆面もなく……」


 不意打ちを受けた鈴音さんがその白い肌を真っ赤に染め、視線を左右にキョロキョロと動かしている。


 こういうところはホント可愛いと思うのに、もったいないよな。


「おねーちゃーん? すず姉ー!」


 俺がそんな失礼なことを考えていると、何処から彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。


 その声にハッとした鈴音さんが振り向いた先を見ると、制服を着た黒髪ロングの女子高生がこの研究室のドアから顔を出している。


 彼女が自分に気づいたのを認めると、少女は可愛らしくトコトコと駆け寄っていった。


 間違いなく俺の存在に気が付いているはずなのに、こちらをちらりとも見ようとしない。


「すず姉っ! これからあの実験するんでしょ? 私にも体験させてよー!」


 目をキラキラさせながら、鈴音さんを下から覗きこむようにしてお願いをする女子高生(JK)


 ふむ。相も変わらずあざとい甘え方だな。


「だめよ椿紗(つばさ)。今回の実験体は、もうそこの助手君に決定してるの!」


 先程までの動揺を感じさせない態度で、鈴音さんがそんなことを言いだした。


 ……え? 助手? 俺、何も聞いてないんだけども……。


「えー! 良いじゃん! ケチー! ……あ、ていうか居たんですか先輩。存在感が薄すぎて、全く見えませんでしたよ」

「相変わらず可愛くないな、お前は……。てか髪をじっと見るのやめろ!」

「気のせいですよ。意識しすぎなんじゃないですか? 禿げますよ?」

「……喧嘩を売ってるのなら、買おうじゃないか」

「? なんのことだか分からないです」


 椿沙がわざとらしく俺の頭……いや、髪をジロジロ見ながら言ってくる。


 うっ、薄くないし……ちょっと猫っ毛で細いだけ! 若禿じゃないから!


 俺はそう心の中で弁明するものの、椿沙の視線は固定されたまま動かない。


 どうやらこの様子だと、少し前からこの部屋の様子を伺っていたのだろう。


 大方鈴音をからかっていた――ように椿沙には見えた――俺に対する、ちょっとした意趣返しのようなものらしい。


 全く、気が付いていたのならさっさと声を掛ければよいものを。


 鈴音さんから見ると性格的に俺と椿沙はよく似ているらしいのだが、それは断じて認める気はない。


 何せ俺は、こんなに意地悪な性格はしていない。――ただ、お茶目なだけなのだ。


 鈴音さんと仲良く会話しだした生意気な女子高生。名は天条(てんじょう)椿紗(つばさ)という。鈴音所長の五才程年の離れた妹である。


 俺と出会った当時から、会うたびに何かと毒づいてくる可愛いけど少し憎たらしいやつだ。


 きっと俺が仲良さそうに所長と話しているのが気に食わないのだろう。本当に良く彼女によく懐いてるからなぁ。


 ていうか所長が独り身なのって、こいつのせいでもあるんじゃなかろうか……。


 最近は部屋に居候してるらしいし、せっかくのプライベートも()()()()じゃあ上手くいくものもいかないのかも知れない。


 勝手だが、俺はそう結論付けた。若干……いや、多分に推測も混じってはいるが。


 鈴音さん曰く数年までは何かと家にこもりがちだったそうだが、今では友達と外で遊ぶことも多くなったらしい。


 ずっと全然外に出ないから心配してたんだけど、外で遊ぶようになったらそれはそれで心配なんだよねぇ。と、彼女が言ってたのを俺は思い出していた。


 存外過保護な面もあるみたいだ。まぁ外でも人を茶化すような態度をとってるのではないかと思えば、少し心配にもなるか。


 一度そう考えて、鈴音さんにそれとなく聞いたこともあるのだ。だが、どうやらこんな態度をとるのは俺に対してだけらしい。


 ……はぁ。全く、嫌われたもんだよ。


「あ、そういえば先輩。あの階層は突破出来たんですか?」


 椿沙はおもむろに、今までの会話とは全く関係なさそうな話題を俺にふってきた。


 どうやら俺が思考の沼に嵌っている間に一段落ついたらしい。


 なにやらワイワイと盛り上がっていたので長くなるものだとばかり思っていたのだが。


「階層? あー、あのゲームの新ダンジョンか! 最近忙しくて、まだあまり進んでないんだよね」


 急になんの話だと思ったが、そういえば椿沙も同じゲームをやってるって言っていたな。


「はー、全くそんなんだから女の子にモテないんですよ先輩はー」


 無難な返事をしたというのに呆れられてしまった。溜息を吐いた上に傷を抉るのはやり過ぎだと思う。


 それにモテないわけじゃないよ! 中学の時だけど告白されたこともあるし! ……ビビッて逃げだしたけど。


 情けないとは言わないで。五人の女の先輩に呼び出しくらって囲まれたら、ボコられると勘違いしてもおかしくないでしょ!


 ズキンと来た胸を押さえながらも、心中で精一杯の反論を試みる。


「ぐっ。それは今、関係ないだろっ!」

「ありますー! 仕事と趣味両立出来る余裕がある大人な男の人って、めちゃくちゃかっこいいじゃないですかー」


 図星を突かれ声を荒げる俺など全く意に返さず、椿沙は真っ向から意見を述べる。


「それに今回の実験のプラットホームになる仮想空間って、先輩が手掛けたんでしょー?」


 だったら好きなゲームの新ダンジョンくらい抑えとかないとダメだよ。趣味と実益を兼ねてるんだよ。などともっともらしいことを言われ、言葉に詰まってしまった。


 事実そうなのである。今回のその実験の舞台となる仮想空間は、俺とその相棒であるイヴが約二年程掛けて手掛けたものなのだ。


 空間の名は”底知れぬ宇宙のように深く限りない”という意味を込め、深淵天体(アヴィスフィア)と名付けた。


 そしてその原型である一つの自作ゲームが俺と鈴音が直接会うきっかけとなり、その日の出来事で人生の転機を迎えることになったのだ。


 あくまで推測にしか過ぎないが、俺の妄想の産物はこの瞬間、一人の天才を魅了したのである。



 鈴音さんと知り合って丁度一年ほど経つある日、俺は自宅のパソコンと向かい合っていた。その頃にはある程度、互いの事情も明るみになっていた。


 彼女がとある研究所の所長をやることになったという話を聞いて驚き、当時はその事実から最初は年上なのかと思っていたのだ。


 まさか年下だったとは……。と、才能の差にさらに愕然したのは言うまでもない。


 それでも持ち前の順応能力――適当ともいう――にものを謂わせ、何も無かったように今もなお鈴音とは友好的な友人関係を続けている。


 この日は手の空いた時間にRPGの舞台を作るソフトを使い、少しずつ制作していたその世界を眺めながら物思いに耽っていた。例によって、ネットサーフィンを同時にすることも忘れてはいない。


「なになに? 〈何が起こったかわからない。鳥居を潜ったら彼がいなくなっていたんです……〉? 〈どうなってる? 昨日までここは神社があったはずなのに、なぜか湖になっていた……。私は夢でも見てるのだろうか?〉?」


「なんだろうこの記事。一番上にあるってことは皆が注目してるってことだし……投稿件数も多いな、うーん。分からん」

「そういえば、最近この手の話題が多くなったような気がするな。……ま、良いか。そんなことより見直しとかないとな」


 顎を左の掌で支え、肘をつき考えてみる。しばらく考えていたのだが特にそれ以上は思いつかなかったので、今日一大事な用事に向けて準備をすることにした。


 俺は昔から異世界ファンタジーが好きで、特に中世ヨーロッパ風の舞台に憧憬を抱いている。しかし自身は日本人なので、日本の武器、職業……皆まで言うならば侍や忍者なども捨てきれずにいた。


 そこで俺が設定した舞台は、中世ヨーロッパ風の国々を中心においてその周りに様々な国の文化の象徴を配置していくというものだった。


 大雑把に分けるなら北西に精霊が住む国、南西は獣人国、北東が昔の日本風の国、南東が魚人が支配する海域諸国だ。


 中心には大陸一支配域が広い”帝国”と呼ばれる国が堂々と存在している。ただでさえ堆い城壁に囲まれている上に、その北には竜が住まうといわれている高い山脈が聳え立っているため、侵攻は不可能に近い要塞と化している。


 眼下には城下町が広がり、そこには二足歩行の様々な種族が忙しなく行き来している。


 その中には冒険ギルドや教会、武具屋に道具屋などがあり、仲間と楽しく会話するものもいれば、商売をするもの、磨いた芸を聴衆に披露してるもの、果ては道端で乱闘してるものまで様々だ。


 城下町を中心に北西では魔科学研究所や博物館、教育機関などを中心とした学術研究街。


 元は森林で自然を最大限残しつつそこを少しづつ開拓していったので、周囲は木々に囲まれた避暑地のようになっている。


 南西は闘技場や道場が建ち、その先では農業などが盛んに行われている。


 北部から流れる川や森の恵みを受け、平らで豊かな開けた大地が広がっているためである。


 北東は温泉や宿泊施設。カジノや若い女の子がお酒を注いでくれる店などの娯楽街となっている。


 竜の住まう山々から湧き出す天然の温泉は疲れを癒すだけでなく、飲むと力が湧き出てくるらしい。


 南東は貿易港や漁業などが盛んに行われている。ここにはもう少し手を加えてもいいかな。とか俺は考えてはいるのだが……。


 おっといけない。今日はこのゲームをリンネに紹介するんだったな。これを考え出すと時間があっという間に過ぎるんだよなぁ、危ない危ない。


 俺は迷宮入りしそうな思考を打ち切り、来訪者を待ち構える態勢となる。


 端的に言えば、ジャガイモを薄くスライスして油で揚げたお菓子とゼロカロリーの炭酸飲料をパソコンの前に用意しただけなのだが。


 ピロローン、ピロロロローン。


 チャットや会話のできるアプリから通話の受信音が鳴り響く。


「お、噂をすればなんとやらだな」


 よいしょっと。そう独り言ちりながら俺は、表示されたリンネという人物とのビデオ通話を開いた。


「おっまたせー! いやー、ごめんごめん。遅くなっちゃったよー」


 そこには、最初に会った時よりずいぶん砕けた口調で話をする器量の良い女性が映っている。


 それにしても砕け過ぎている気もしないでもないが、可愛いから許す! と内心ニヤニヤしているのだが問題ない。自慢の張り付いた無表情ポーカーフェイスの出番である。


「ホントおっそいっ! 危うく思考の迷宮ラビリンスに嵌るとこだったよ」


 内心を悟られないように、俺は両手を挙げて大げさにそう嘯いた。それこそ、米国のコメディアンのボディランゲージ並みのクオリティがあると自負している。


 ちなみにこの頃の俺は、鈴音さんに対して敬語を使ってはいない。


「ごめんって。ていうか何? その頭痛が痛いみたいな表現……」


 飽きれたようにその女性、リンネさんが画面越しにじっと見つめてきた。


 急に近づいてきた美人さんの顔に俺は少しドキッっとしてしまったが、気取られないように体勢を固定したまま、肩を竦める仕草だけで返答した。


 何だろう、日本人がやるとイラッとくるね。とでもいいたそうな、ジト目の美人もそこにはいるのだがおいておこう。


 そう。この女性こそ、リンネさんの正体である鈴音さんだ。


 てっきり太めで逃避が薄い系のおじさんだと思ってたよ。まぁ、ちょっと期待してたけど……。ちょっとだけね? などと頭の隅で考えながら、俺は鈴音さんと雑談交じりに会話を進めた。


 ちなみに今日は自宅に一人なので、そんな俺の様子を伺うヒトまた動物はいない。


 どうやら両親と飼猫は山へキャンプに出掛けたらしい。なんとも仲の良いことだ。


 え、朱羽夜? 何それ、おいしいの? と言わんばかりの熱々ぶりだ。俺自身も夫婦水入らずを邪魔するほど朴念仁でもない。


「最近忙しくてさー? なんかこの前の私の母校での実験が、色々波紋を呼んでるみたいでねー?」


 私のとこでもちょっとトラブルがあってね。などと、「ぶーぶー」と擬音が聞こえそうな表情で鈴音が不満を述べる。


「あー、例のブラックホール発生実験の話か! 最近また騒いでるらしいね」


 そういえばリンネさん、あの名門の出だったな……。普段の様子からは全く想像が出来ないから、すっかり忘れていたよ。


「そうそう! 正確には『D2P2-different_dimension_pioneer_project-(異次元開拓計画)』っていうんだけどね。あの実験は技術面もそうなんだけど、特に安全面で致命的とも呼べる問題があったから一時凍結扱いにしたはずなんだ。でもどうやら私に了承も得ず、勝手にその研究の後を継いだ人が居たみたいでねー?」


 まぁ、途中まで手掛けた私にも責任があるんだけどねぇ。それに最悪の場合は……。などと、鈴音さんは机に肘をついて両手で顎を支えた。


 むにゅうとなっても、美人さんは美人さんのままだったことを此処に記そうではないか。


「え? そんな重要そうなことを俺に言っちゃっても良いの?」


 内心では「なんだそのロマン溢れるプロジェクトは! 是非聞きたいし、何なら参加したいっ!!」と思っていたのだが、流石にそれこそ俺とは次元の違う話である。


 なによりそんな重大な機密情報みたいな計画を、俺なんかに教えてしまっても良いものなのだろうか?


「大丈夫、大丈夫。それにー、こういうの好きでしょ?」

「まぁ好きか嫌いかで言われたら好き、かな?」

「あっはっはー! キミってホント分かりやすいよねー」


 見抜いたことを得意げに語り、画面越しに俺を見つめる鈴音。たまらず少しずつ右側に目線を逸らしまったが、その内心だけは彼女に伝えることが出来た。


 そんな俺の様子を見て、嬉しそうに快活な笑い声をあげる鈴音さん。


「キミの研究内容(自作ゲーム)を見て私が満足したなら、教えてあげても良いよー?」


 何を言うかと思えば、相も変わらず突拍子もないことをいう女性である。


 そもそも国家の機密レベルになりそうな研究と俺の自作ゲームを天秤にかけるとか、本当に大丈夫なのかこの人は……。と、内心驚愕していたが、まぁこれは鈴音さんなりの気遣いなのかもしれないな。と思い直して苦笑する。


「ほほぉ、その言葉忘れるなよ? 俺の過大妄想と痛痒い理想で溢れた世界をとくとご覧あれ!」


 売り言葉に買い言葉。鈴音の煽りに全力で答えることにした俺は、既にどこか吹っ切れていたのかも知れない。


 その結果、彼女は俺の描いた世界を絶賛した。俺とイヴの会話に頬を染め、しかし満足そうな表情をしながら見つめてきた。何故そのような反応を示したのか、その意味を知るのはもう少し先の話である。

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