ギリギリの戦いが繰り広げられてるらしい!
戦闘シーンを言葉にするのって、想像していたよりも難しいものなのですね。
「戦況はどうなっている?」
「上々です。初日の奇襲では後れを取りましたが、兵士個々の能力では我らの方が勝っているようです」
「ふん。当然だ。拳銃相手ならいざ知れず、そこらの雑兵にまで負けていたら帝国兵士の名折れというものだ」
中年男性が不機嫌そうに鼻を鳴らしながら部下の報告受ける。腕を組み、憎々しそうに羊皮紙に掛かれた地図を眺めながら自慢のカイゼル髭を指でなぞる彼こそそう、フルマンである。
彼は普段から皮肉屋ではあるが、一戦場においてその苛立ちままに感情を表すのは珍しい。
翔雲が聞けば「ありえないだろ、常に怒ってんじゃん」と感じるかも知れないが、あくまでもそれはフルマンの教育方針であるだけで、戦場においての彼はそれは努めて冷静なのである。
こと戦争において、一時の感情は邪魔にしかならない。士気を上昇させる以外の目的で心を動かすことなど”無駄”の一言に尽きる。
そしてフルマンは無駄を嫌う、戦場であればなおさらに。苛立ちなどという無駄な感情を表に出すことは、彼の美学に反する。故に、珍しいのだ。
「はっ。まさにおっしゃる通りだと存じます。ただ、襲撃時に目撃されたという獣頭族が戦場に見当たらないのが気になります。無謀にも直進してきていたはずの皇帝エルクドも見受けられません。ともすれば――」
「ふむ、そうだな。あの徹底的な殲滅戦から見るに、我らにはあくまでもその存在を隠したいのだろう。ルナ殿はうつけと称したが、かの皇帝は存外自国の兵士をおとりにしてこの本陣へ奇襲を企てている傑物なのやも知れん」
先程までの苛立ちを沈め、静かに分析を行うフルマン。部下が報告する戦闘情報を吟味し、敵方の狙いを奇襲だと予想する。予想とはいったが、どうやら彼はドルマスが攻めてくると確信しているらしい。
そうでなければエルクドが突貫したことに意味が無い。合理的が故に、無能の無策に理由を求めてしまうのだ。
ともあれ、奇襲に必要な条件だが。相手に気づかれない隠密性や進軍速度、相手の知らない手段や道具などの未知性、就寝しているだろう夜間や夜明けなどの時間と様々なものがある。
その中でも特に有効打となりうるのが”漁夫の利”だ。意味は言わずもがな、二つの勢力が争い合って疲弊したところを第三者が利益だけをかすめ取ることをいう。
エルクドが率いていたとされる部隊はあくまで先兵で、彼の本命である奇襲部隊は実際に戦闘が始まった後に頃合いを見て横槍をいれるつもりなのだ。そうフルマンは判断したのである。
「如何いたしますか?」
「何もしない。既に彰が動いている。亜奴に任せておけば問題あるまい」
本人のいる前では口にしないが、フルマンは翔雲を認めている。普段の態度はともかく、こと戦闘において彼らほど頼りになるものはいないからだ。
厳しく接しているのは期待の裏返しなのだ。翔雲にとってはそれこそ勘弁願いたいことだろうが。
「皇帝エルクドは如何いたしましょう?」
「捨て置け。分からぬものを考えても仕方あるまい。エルクドの世話はルナ殿に任せよう。三年も乳繰り合った仲なのだ、よもや心配などあるまいよ」
「はっ。了解しました」
フルマンは後にエルクドがルナの元へと送られることになることを予期した訳では無い。ただ思考の断捨離を行い、優先順位を下げたのだ。
だが実際にその通りになってしまうのは運命か、はたまた神の悪戯か。
少なくともエルクドにとって望まぬ結果となることは明白である。或いは今迄の悪行の清算を払うときが来たといえるだろう。
「フ、フルマン軍曹! た、たたた、大変です!」
「なんだ慌ただしい。報告があるなら簡潔に述べるが良い」
「て、敵軍がわが軍の前線を侵し、進軍を始めました!」
「何? 当方が押しているのではなかったのか? それに彰達もいるであろう?」
突然、言葉通り慌てふためく兵士がフルマンの陣取る天幕に飛び込んできた。よほど急いできたのか、滝のような汗を流している。
務めて冷静に誰何するフルマン。報告に来た部下はその落ち着いた様子をみて我に返り、最敬礼をしながら簡潔に述べる。
先程の報告と一致しない報告。目まぐるしく動く戦場において、状況は常に変化する。故に必要な情報だけを抜粋して部下に問い詰める。
部下は最敬礼のまま沈黙する。どうやら言葉を選んでいるようだ。
「ハッ! 我が方が恙なく前進している道中で、翔雲殿が獣頭族の部隊が我らを挟撃しようと移動するのを発見しました。かの鉄の杖を持って、その部隊に逆に奇襲を掛けたのであります」
「ふむ。それで?」
「迎撃は成功しました。しかし攻撃を受け絶命したはずの部隊の一人が起き上がり、遁走したのであります。恐らくは仲間を呼びにいったのでしょう。それを阻止するために、翔雲殿の部隊は先行したのであります」
「なるほど。銃撃に耐えるとなるとユニークスキル持ちの可能性も考えられる」
「はい。不甲斐ない事に我らでは対抗できないので、お任せした次第であります」
「その判断は正解だ。ユニークスキルに勝つにはそれ以上のものか、相性がものを言うからな」
部下の話をまとめるとこうなる。
まず、何故か突貫してきたエルクド率いると思しき部隊は翔雲らによって瞬く間に潰走した。
私兵で構成されたと思われるその部隊は脆く、一角が崩れるだけで我先にと逃げ出してしまったのである。
初日の奇襲では後れを取ったが、実際に正面からの戦闘は大したことが無い。纏まりも無ければ、命令系統すらはっきりしない。各々が好き勝手な行動を取り、孤立したところを次々に各個撃破されていった。
軍隊というにはお粗末すぎる部隊相手に苦戦などありえない。そのままアインズ皇国軍の本陣に向け進軍していたとのことである。
道中にて奇襲部隊を逆に奇襲することで作戦を阻止し、話の通り翔雲らが追っている。
ここまで聞く限り何も問題のないように思える。一体何が部下をそこまで焦られているのだろう。フルマンの率直な感想である。
「問題はその直後に起こりました。潰走した残党を追い始末していたところ、後詰と思われる部隊が現れたのであります」
「もしや獣頭族の本隊か? だとするならば分が悪い。鉄砲隊が陣取る場所まで撤退させた方が良いだろうな」
まるで何者かの意思によって戦場が動いているかの如く、戦力が減少した直後に追撃を受けることになったのだ。
フルマンは予測する。わざと翔雲らに発見され深追い誘い、残った部隊を一気に殲滅させる腹積もりなのではないか、と。
実際にタイミングが良すぎるのだ。彼がそう予想するのは当然だろう。
「い、いえ。そうではないのであります」
「何? では何が問題だというのだ?」
「そ、そのですね、あの――」
「はっきりと言わんか! 何のための報告だ!」
「Sir! yes! sir! 彼の軍が”肉盾”を用いたのであります!」
「――何ッ!? ……そこまで堕ちたか、ドルマスよ」
実際の状況は彼の予想と違っていた。――いや、ある意味で予想よりも最悪だった。
”肉盾”とは文字通り肉の盾、つまりはヒトを盾として用いることに他ならない。そしてそのヒトは、大概にして女性を意味する。それも性的な暴行を受けた後、磔にされている場合が大半を占める。
男性が少ない理由は、単純に利用価値が無いからだ。
何より方法が問題だった。この肉盾、元はゴブリンやオークなどの魔物が人里を襲うときに用いるものなのだ。
つまりは外道。ヒトがその方法を用いるなどもってのほかで、他の何より倦厭される方法なのである。
選択する自体が異常。なりふり構っていないという証明にもなる。今回の反逆に対するドルマスの覚悟の重さの現れでもある。なにせ、ヒトであることをやめているのだから。
「それだけではありません。盾として用いられた女性達は遠目から見ても悲惨の一言に尽き、その中心には……マ、マリアージュ殿と思しき女性が括り付けられているものと思われるのであります!」
「なっ!? なぜマリアが――」
「恐らくは、であります。顔も身体も損傷が激しく、見た目だけだと判別不能。しかし斥候の一人が”遠見”で確認したところ、フルマン軍曹と同様の家紋が刻まれた短剣が首元に掛けられていたのであります!」
「――ッ! ――あんの、馬鹿娘がっっ!!」
マリアージュ・アーメイ。フルマン軍曹の実の娘の名である。今年十六才となったばかりの女性である。成人して二年が立つとは言え、未だ幼さを残していた。
父の背に憧れて軍属を目指し、先日見事衛生兵の一人として従軍することを国に認められたばかりである。
当人は衛生兵ではなく、父と同じ戦闘部隊の一員として名を連ねたいと望んでいた。しかし経験が浅く非力な女性兵では、並み居る屈強な男性兵の中で芳しい成績を残せなかったのだ。
今回の戦争もフルマンが父の名に置いて、彼女を侵攻作戦から外すよう所属部隊に打診をしていた。万が一に備えて自宅待機を命じていたのである。
しかし、彼女はそれを拒絶した。何時までも子供扱いしないでよ、と。
フルマンはそんな娘の抗議を認めず、ついには喧嘩となり、そのまま家を飛び出してしまったのだ。恐らく戦場には鬼軍曹の娘という立場を利用し、内密に同行していたのだろう。
あの時の親子喧嘩がまさかこの様な結果に繋がるなどと、両者ともにその時は想像だにしていなかったのだ。
「――報告でありますっ!」
「こ、今度は何だっ!」
「――ッ!? ハッ! 我が方の部隊の一部が命令を待たずに突撃を開始しました!」
「なんだとっ!? 一体どこの阿呆共だそれはっっ!!」
「ハッ! 先日報告に上がった前線の生き残りを含む将兵数十名であります! 恐らくは敵方の”肉盾”を見て、理性が吹き飛んでしまったと愚考する次第でありますっ!! 気持ちは分からなくはありませんが――」
「――どいつもこいつも、馬鹿者めが……っ」
新しく報告にきた部下が驚いているところを見ると、フルマンが戦場にて苛立ちをこのようにはっきりと表に出すのが珍しい事なのだということが分かる。彼が声を張り上げる時は常に、気勢を上げる時だけなのだ。
情勢はいよいよ頭を抱える段階となってしまった。フルマンとしても憤りを感じているのだろう。何せ大事な一人娘が敵兵に暴行された上に、その痴態を晒されているのだから。その上で、ついでとばかりに部下が命令違反で突貫してしまう。……泣きっ面に蜂とは言ったものである。
事態は彼に思考する時間を与えぬとばかりに次々と変化していく。先日の奇襲といい今回の奇策といい、常に後手後手である。ドルマスの狡猾さは忌々しく、またある意味で関心してしまうほど見事な手際だったのだ。
「あいわかった。それでは、命令を下す」
全てを踏まえ、フルマンは一つの決断をする。
「鉄杖部隊に告ぐ。……肉盾を殺せ。命令に違反した兵も諸共に、敵兵全てを蹂躙せよ!」
「「「「「…………」」」」」
「返事はどうしたこのウジ虫共がぁ!」
「「「「「Sir! yes! sir!」」」」」
「いつまでも糞共に勝手をさせるな! 蹂躙するのは我らであって奴らではない!」
「「「「「Sir! yes! sir!」」」」」
「声が小さい! 貴様らは糞に集るウジ虫なのか!?」
「「「「「Sir!! no!! sir!!」」」」」
「ウジ虫でないなら見せ付けよ! 敵は殺せ! 捕虜も裏切者も全て殺せ! 弱者など踏みにじるのだ! それが帝国の糧となる!」
「「「「「Sir!! yes!! sir!!」」」」」
「分かったのならさっさと行け! 必ず勝利を奪いとるのだ!!」
「「「「「yeahhhhhhhh!!!!」」」」」
先程も言ったがフルマンは無駄を嫌う。故に思考の波からの脱却も早く、直ぐに結論を導き出す。
それは娘を見捨てるという選択だ。薄情と言えばそれまでだろう。だが、口元から滲んだ鮮血から苦渋の選択だったことが伺える。
彼は戦場を知っている。女子供が戦場で捕虜となるならば、その扱いも身に沁みるほど知っている。
恥辱や屈辱に塗れ、あまつさえそれを同胞に晒されたのだ。彼女の心中たるは壮絶の一言に限るだろう。仮に生き残ったとして、幸せになれるとも思えない。
壊れたヒトはこれまでに何度も何度も目にしている。時に自身が壊し、また仲間が壊す。逆に仲間が壊れ、彼らを自身が殺すこともこれまでに多々あったのだ。
現実を知っているからこそ、彼は躊躇わない。娘はもう死んでいるのだ、と。幽鬼の様な人生を歩ませるくらいなら、この時この場で殺すことこそ慈悲であると判断したのである。
命令違反者については言うまでもない。違反イコール反逆であり、裏切り者なのである。
そしてこの命令により、戦場はこの世の地獄と錯覚するほどに苛烈を極めることとなる。既に屍となったもの。もう間もなく屍となるもの。それを横目に奮戦するもの逃げるもの。
生きるも地獄。死も地獄。魔女が住まうその森に、無数の屍が重なっていく。鮮血は木々に滲みわたり、死肉は肥しとなるだろう。諸行無常の理をここに見たりと、烏の従者はそっと目を瞑るのだった。
「もう逃げないのでござるか? 諦めたのならば少々拍子抜けでござるな」
「オーノー、早過ぎデス。オネーサン全然物足らないネー」
「馬鹿野郎! 周り囲まれてんぞ! お前ら二人はいつも突貫し過ぎなんだよ!」
「なんとっ!? 拙者たちに気配を読ませぬとは。やりおるでござるな!」
「ワーオ! さっきの言葉は撤回ネー。It's so cool! オネーサン、ワクワクが止まらないヨー!」
森の一画で、追うものと追われる者の鬼ごっこが終わりを告げる。
追われていた者は岩陰の裏に潜み、追うものは木陰に半身になりながら挑発するように言葉を発している。
慌てて支持を送るのは、後方より狙撃支援体勢にある翔雲だ。悪びれも無く答える二人は、当然サーニャとクラシャンである。
三人の距離はそれぞれ離れている。だが、通信機付きのイヤープロテクターをそれぞれ装備しているためか、会話することが出来るようだ。
「侵入者。なぜこの場が分かった?」
「不審。スキルによるものと推察する」
「接敵。戦闘態勢に移行する。各々の追随を乞う」
「「了解。戦闘を開始する」」
姿を見せず言葉を発するものが三名。片言な言葉で状況を語る。感情が一切込められていないと感じるのは会話に抑揚が無いからだろうか。
互いの意見を素早く統一した彼らは、侵入してきた四人の不審な人物を囲むように位置を調整する。
岩の影に隠れた追われていた者に、犬の頭を持つ獣頭族が食らいつく。常人では目で追うことは困難であろうその速度で、間を置かずに一気に距離を詰めたのだ。
喉を喰い破られた侵入者は短い悲鳴を上げ、瞬く間に絶命する。その正体は彼らの仲間であるはずの猿の獣頭族。敵軍の裏取りに向かった部隊の隊長であった。
「……クライン。何故?」
「バイツっ! 危険!」
彼らにとって上からの命令は絶対遵守。任務放棄など、そもそも思考にすら浮かぶことは無い。前提条件として、奴隷契約にてそう強制させられているのだ。
たとえ彼らを死の恐怖が蝕み、愛憎が溢れ出たとしてもそれは変わらない。個々の感情で命令を拒絶することは、まず出来ないのである。
つまり、行動に出た以上は死なない限り命令を実行するという訳だ。故に、この場にクラインと呼ばれた猿の獣頭族が逃げてきている事実そのものがそもそも成立し得ないのである。
あり得ないことが起こるその瞬間。ヒトであるなら大概のものは疑問を持ち、言動も一瞬滞るだろう。そしてそれは獣頭族であっても変わらない。
そして同時に、彼らに残された数少ないの感情の一つでもある。
「――遅いでござる。油断大敵」
ズドンと重い銃声が森に響き渡る。木の上で囀っていた鳥の群れが、銃声に驚き一斉に飛び立っていく。
しんと静まり返った深緑にボトリと首が自由落下する。降り注ぐ雨の如き鮮血はクラシャンに降りかかり、彼の掛けるビン底眼鏡に付着した。隙間から望む鋭い眼光も合わさり、なんとも猟奇的な雰囲気を漂わせている。
予期せぬ出来事で生まれた一瞬の狼狽による隙を見逃さず、バイツと呼ばれた獣頭族の鎖骨の隙間を自身の愛銃で撃ち抜いたのだ。彼の口調はまるで冗談のようだが、行動に躊躇いなどは一切無い。
点々と転がる犬の頭部。泣き別れた胴体は、受けた衝撃そのままに後方へと倒れ込み、その動作を停止した。
「バイツ……」
「ハイハーイ。貴女も余所見は禁物ネー。オネーサン、スキは見逃さないヨー」
「――――ッ!?」
「フフフ……。食らいやがりなサーイ! 鳥サンにはサブマシンガンネー!!」
ミリタリービキニを上下に揺らし、声の主へと跳躍するサーニャ。人間には到底不可能であろう高さまで飛んでいる。声の主が宿り木にしていた木の高さは凡そ五メートルであることを鑑みるに、平家くらいなら悠々に飛び越えてしまうだろう。
突如背後から声を掛けられ、慌てて振り向く雉の鳥人族の女性。獣頭族の特徴である鳥の頭をくるりと向けた先には、UMP9を二丁構えとてもいい顔で笑う美女がいた。身体が逆さになっているため、艶のある長いブロンドは地面に向かい垂れている。
慌てて飛び立とうと広げた翼に無数の風穴が穿たれる。ピギィとまるで野鳥の様な悲鳴をあげ、彼女もまた深緑に自由落下していった。この高さから落ちれば助からないだろう。その前に完全なる致命傷を負っているのだが。
それはサーニャも例外ではない。ヒトである彼女がこの高さから落ちれば怪我は免れないだろう。
しかし、それは要らぬ心配だ。
彼女のユニークスキルの名は『跳躍身弾』。自身の体を跳弾する弾丸の様に射出することが出来る。慣性が一定以下になるまで、彼女の身体は所持する銃に装填されているものと同様の硬度となるのである。故に落下程度では傷一つ付かない。ちなみに初速も銃本体に依存する。
まさに銃身一体。そんな言葉は実際には存在しないのだが、彼女を表すためにはとても分かり易いのでそう呼称することにしよう。
「残るは一人、いや一匹でござる。今出てくるならば、せめて楽に逝かせてやるで候」
「オットットー。ちょっと飛びすぎちゃったネー。オネーサン、反省」
ショットガンを肩に掛け、血で汚れたビン底眼鏡を煌めかせるクラシャン。決まったぜと言わんばかりのドヤ顔である。
対するサーニャは着地するのに失敗したのか言葉の通りバランス崩し、鳥人族の女性の死体の先で”けんけんぱ”をしている。
周りに凄惨な死体が転がっていなければ、一見ものすごく平和的な日常風景に見えなくも無い。
「馬鹿野郎っ! クラシャン! 脇から来てるぞ、気を付けろ! サーニャ! クラシャンを援護しろ! 此処からじゃ射線が通らねえ!」
ぬっと音もなく巨体が出現する。翔雲の言う通りクラシャンの近くにあった木々の陰から現れたようだ。三メートル近い身体を持つというのに、驚くほど気配がしない。
翔雲の持つ特性の「夜目」と「熱源感知」が無ければ、その巨体を拝むことすら出来なかったであろう。
「バークゥの死亡確認。クラインも同様、バイツも間もない。……本作戦の続行は、不可能」
「「「――ッ!!!!」」」
先程まで確かにクラシャンの脇の木陰にいたはずの巨体が、いつの間にかサーニャの近くで横たわる鳥人族の女性――バークゥの遺体の傍にて身を屈めている。
屈んでなお二メートル程あるため、一度視認さえしてしまえばまず見失うことはあり得ない。しかし、多彩な観察眼を持つ翔雲ですらその移動する姿を捉えることが出来なかったようだ。
途端に彼らの表情から感情が抜け落ちる。戦闘指数が未知の敵に相対し、一転して真剣そのものとなったのだ。
「一時撤退。逃走経路を確保し、戦線を離脱する」
その鋭い視線を感じているだろう巨体は、然し全く動じない。機械的に言葉を発してしまうのか、孤立無援だというのに片言な言葉で自身の行動を呟いている。
「何だか分からないケド、良い的ネー。食らいやがりなサーイ!」
言葉と同時に一切の容赦無く弾薬をばら撒くサーニャ。彼女の言う通り、その巨体は逆に外すのが難しいくらいである。ほぼ全ての弾丸が余す事無く彼? の背中に炸裂している。
あれ程に見事に気配を隠し、気取らせずに移動したにしては何とも呆気ない。まるで最初から避ける気が無いかのようである。
絶命したのだろうか。全く以て微動だにしない。今もなお弾丸が自身の背を貫いているのに、だ。
変化があるとすれば、その彼の足元にパラパラと落ちる鉛の塊ぐらいだろう。数はどんどん増えていき、ちょっとした小山になるくらいには積み重なっている。
「オーマイガー……。大きいカレ、硬すぎてオネーサンの弾薬がササリマセーン」
弾薬が尽きたのか、リロードをしながら唖然とするサーニャ。銃弾が利かず困って呟いているのだが、台詞だけ聞くと何とも卑猥なジョークに聞こえてしまう。本人は至って大真面目なのだろうが。
何の痛痒も感じさせない様子で、のっそりと起き上がる巨体。その背に残っていた潰れた弾丸が、名残惜しそうに地面へと落下する。
驚いたことに、風穴どころか痣すら見受けられない。余程の強度を誇っているのだろう。少なくとも弾速の遅い9mm弾が通用しない程度には硬い。
「サーニャ、下がれ! 俺がやる!!」
「大丈夫デース。オネーサンにはまだ必殺技が残ってマース、『身弾突撃!』」
「――ちょっ! まっ! ばっ!」
状況を瞬時に判断する翔雲。普段から基本的に徹底して援護に回っている彼が任せろというのは珍しい。先程の攻防で自分以外ではまず倒せないと判断したのである。
しかし、サーニャは聞く耳を持たない。久々の大規模な戦闘で熱くなってしまっているのだ。それこそ彼女が使用している銃の銃口くらいには。
焦る翔雲。「ちょっと待て馬鹿」と言いたいのだろうが間に合わない。
なぜそこまで慌てているのか。理由は単純明快だ。……こうなった時の彼女は、大概手ひどく失敗するのである。
「オネーサンの情熱を、食らいやがりなサ――ぅぐぅ!!」
「――対象確保。下位の作戦、達成」
何を思ったのか、まるでスーパーマンの様な飛翔方法で巨体に突貫したサーニャ。冗談の様な攻撃だが、その火力は異常。ヒトの大きさ程の弾丸が、発砲と同等の速度に乗って飛来するのだ。
質量も然り、速度も然り。もはや銃というよりは、一種の大砲に近い。普通の生物であれば、その圧倒的な火力の前に轟沈するだろう。下手をすれば、影も形も残らないほどに。
しかし、今回は相手が悪かった。
サーニャの跳躍身弾は、自身の所持する銃に依存する。巨体の身体は銃弾が潰れるほどに硬い。要するに、硬度が足らなかったのである。
そして彼女は突貫したその勢いで、蠅でも払うかの如く差し出した腕にものの見事に激突したのだ。
腹部に当たり、くの字に折れ曲がるサーニャの身体。そして、慣性を失った彼女はそのまま腕にぐにゃりともたれ掛かってしまう。
当然といえば当然だが、衝撃で気を失ったのか意識が無いのだろう。巨体にされるがまま肩に担がれている。
「サーニャ殿っ! 今お助けしま――ぐあっ!!」
ショットガンで狙いをつけるクラシャン。引き金に指を掛け、今まさに発砲しようとしたその直後。自身の右足に鋭い痛みを覚えた。
何と首だけになったバイツが、その鋭利な牙で彼の太腿に噛み付いているのだ。瞳が充血し真っ赤となったその頭部は、最後の力を振り絞るが如く力強い。
ズガンと大きな銃声が響く。クラシャンがバイツの頭部を撃ち抜いたのだ。判断が一瞬でも遅れていたら、彼の足は胴体と泣き別れとなっていただろう。そう思えるほどに深く歯形が刻まれている。
ガシャコンと銃が中程から折れ、薬莢が二つ程宙に舞う。カランコロンと音を響かせる短い間に、クラシャンはリロードを終えた。人間離れしたそのスピードは彼のスキルの一つ『高速装填』の恩恵だろう。
そうして彼は再び銃口を巨体に向ける。しかし、既に敵影が見当たらない。ものの数秒も経っていないというのに、だ。
「クラシャン! 後ろだ、背後を取られているっ!」
「――なんですとっ! お主やりおる――ぐふぅぅっ!」
クラシャンはその巨体に三度銃口を向けることはできなかった。巨体へと振り向く途中で殴打されたからである。
ビン底眼鏡の上から握り拳を受けたため、ガラス片が宙に舞う。残念なセリフを言うまま、衝撃で後方に弾き飛ばされている。
飛ばされた先の木の幹に後頭部から直撃し、真っ赤な染みを描く。そのまま幹に沿う様に滑り、ぐったりとして動かなくなる。出血量、外傷ともに致命的で、例え生きていたとしてももう長くはないだろう。
「グギャァァァァッ!!」
圧倒的に押していた巨体が、突如咆哮を上げる。片目を押え、地に膝をついている。目を抑えている手の隙間から緑色の液体が流れている。その事からも、恐らくは目に傷を負ったのだろうということが分かる。
白い煙が銃口から上る。長い重心を持つスナイパーライフル、M24である。クラシャンに殴りかかった時に出来た一瞬の隙を捕らえたのだ。針の穴を通すほどの狭い射線をものの見事に撃ち抜いたのである。
「チッ、化け物め。これでも死なねえのかよ……」
ボソッと呟く翔雲。仲間がやられたこともあるのだろう。普段の声量は一切出ていない。冷静を装っているが、内心気が気ではないはずだ。
彼の言う通り、目を撃ち抜いたというのに致命傷ではないらしい。未だ痛みによりもがいているが、死ぬ気配は微塵もない。
「サーニャ! クラシャン! 応答しろ!」
「「…………」」
「――クソったれがああああっ!!」
仲間の反応が無い。状況も悪く、勝ち目も薄い。そんな危機的状況において彼は慟哭し、自身の切り札の一つを切った。
『気脈開眼』。翔雲の持つユニークスキルである。
自身の魔力を目元に凝縮することで視界の限界を超え、生物の血液や魔素の流れ、果てには筋組織の電気信号まで明らかになるスキルだ。
血液は赤(生物によっては緑)。魔素は紫。電気信号は黄色。各色に色分けされた情報で対象を丸裸にするのである。
血液であればその循環の中心や動脈を、魔素であるなら魔力回路の一部を破壊する。筋組織で相手の動きを先読みし、前述した箇所を狙い撃ち抜くのである。
同時に彼には希少特性の『超感覚』を持つ。集中力を高め、一時的に相手の動きがスローモーションに見えるという狙撃向けのスキルだ。
上記の二種はとても相性が良い。発動後の翔雲は射程内の的であるならどの距離でも、百発百中といっても過言では無い程の命中精度を誇る。
しかし、持続時間は短い。時間にして三分程度。魔力消費が激しく、使用後には一時的に大幅に視力が低下する。そのため、ここぞというときにしか使用できない諸刃の剣なのだ。
そして状況はその剣を使わざる負えないほど追い込まれている。相対する巨体は、前者三人(バイツ、クライン、バークゥ)とは明らかに格が違うのである。
「な、なんだ、と……」
唖然とする翔雲。先程まで確かに膝をついていた巨体が、突如として消えたのだ。三色の光は確かに存在していたはずなのに。
「どうなっていやがるっ!?」
再び現れる反応。出現位置がおかしい。明らかに初期位置から距離が遠く、移動の痕跡すら見受けられない。
三色の光が帯状となり移動する。移動先を予測して引き金を引くが、弾丸が届く前にその光が消失する。恐らくではあるが、音で判断しているのだろう。銃声が響くと反応が失われるのである。
また異なる場所に出現し、同様の方法で移動する光。確かなのは、少しずつだが翔雲に向けて近づいてきているということだ。
「――舐めてんじゃねえぞこの野郎がぁぁぁぁっ!」
「――――ッ!」
出現した瞬間を狙い銃を放つ翔雲。左目に弾丸を受けたせいで死角となっている左肩の先を撃ち抜いた。可能性の一つとして、姿を現してから一定時間は姿を消すことが出来ないのかも知れない。
相も変わらず傷一つつかないが、着弾の衝撃で肩に担がれていたサーニャが地面へと落下した。幸いにも腐葉土に覆われている柔らかい土だったため、一部を除き彼女に目立った外傷はないようだ。腹部に浮かぶ痣は、突撃した際に負ったものだろう。
巨体は初手とは違い膝は付いていないが、反動により怯んでいる。この一瞬こそが最大のチャンスだと感じた翔雲は、用意していた次の奥の手を使用する。
「喰らいやがれ化け物おぉぉぉぉっ!」
『炎熱粒子砲』。銃口周辺に魔力を集中させ、その内部で特殊な弾薬を爆発させる。発生した衝撃は銃口を覆う魔力にて収縮され、引き金を引くことで前方へ圧力を逃がすのだ。
そうすることにより凝縮されたエネルギーが射出され、光線の様な軌道で相手に突き刺さるのである。威力が高く、速度も速い。触れた相手を燃焼させるという効果も持つ強力な攻撃だ。
代償は銃口の破損。帝国に現存する技術力では、彼の必殺技に耐えることは出来ない。つまり自身の一部と言っても良い愛用武器を失うことになる。使いどころを誤ると即敗北に繋がってしまうのだ。諸刃どころか、一種の自傷行為である。
「グオォォォォッ! ガァッ! グギャァァァァ!!」
先程撃ち抜いた場所に寸分の狂いもなく突き刺さる光線。見事に巨体の外郭を撃ち抜き、内部からその身体を焼いているのだ。全身に炎が燃え広がり、悶え苦しむ巨体。その耐久力が逆に彼を苦しめているのだろう。
地を転がり、慟哭を上げ、しまいには蹲り動かなくなってしまった。
翔雲は開眼した眼で眺め、巨体の体内の流動が完全に消失したのを確認する。魔力の集中で浮き上がった血管が、何とも生々しい。
「ちっ。やっとくたばりやがったか。全く、割に合わねぇ仕事だったぜ……」
天を仰ぎそうぼやく。両目は視力をほとんどを失っているのか、ハイライトが消えている。所持する銃も銃口が捲れ上がってしまっている。どっからどう見ても、これ以上の戦闘は不可能だろう。
ギリギリの戦いを終えた彼は自身の愛銃を眺め溜息を吐き、仲間が倒れるその場までゆっくりと歩き出すのだった。