契約と誓約、そして制約ときたらもう訳が分かりません!
周囲を鬱蒼とした森林に囲まれた広間。時期でいえば冬だというのに、その一角だけはまるで季節という言葉を知らないかのようにいつ何時も一定で、不変である。
気になることを上げるならば、”驚くほど静か”なことくらいだろうか。生き物の気配が一切感じられず、それどころか木々の騒めきすらも無い。まるで、この場だけ時が止まってしまったかのような、まさにそんな印象だ。
ここはアインズ魔法学園。そして、その一画にある魔法実技修練場の一つだ。名称は”静謐なる妖精の間”。その名の通り、眠れる妖精が管理していると生徒に噂されている。
何故”噂”なのか。その答えは単純で、”誰もその姿を見たことが無いから”である。そしてそんな噂が立ったのも謎。どうやら、学園の七不思議のひとつとされているようだ。
「相も変わらず変化が無い、か。それほど久しぶりではないというのに、何だか懐かしさを覚えますね」
「まぁ、今更戻りたいとは思いませんが」と付け加え、場に似つかわしくないタキシードを着込んだ緑髪の男性が、目を細めながら懐かしそうに独り言ちる。
どうやっているのか、木の枝の下部に逆さまの状態で立っている男性。
不思議なことに、その場にいることが自然過ぎて違和感が無い。この場には生き物の気配がないというのが”自然”なのに、である。
懐古を終えたのか、男性は重力を無視したようにくるりと反転する。そしてその左手には、いつの間に取り出されていた木製のステッキのような杖を携えていた。
その杖をおもむろに地面に突き立てる男性。すると次の瞬間、シダ状の無数の蔦が地面からワサワサと通常ではありえない速度で成長を始めたではないか。
蔦はまるで意思があるかの如く、その男性の周囲をうねうねと踊る様に蠢めいている。
「ふむ、全く違和感が無い。以前に比べ、動きやすさが段違いだ。この計算され尽くした無駄のない魔力伝達も、実に素晴らしい。何より遊び心満載のこの風貌の確たるや、私如きの陳腐な発想では遠く及ばないだろう」
男は「流石は我が主だ」と締めくくり、杖を地面からゆっくりと放した。気持ちが高揚してきたのか、少し芝居がかった気障な口調になっている。
途端に静まり返る植物。先程まで動いていたのが信じられないと感じてしまうほど、その生命活動を急停止させた。
気になる点を挙げるなら、動作停止した植物の全容が”とある木人形”の身体的特徴と酷似しているという所だろうか。色は緑一色ではあったが、完成度としては完璧に近いものとなっている。
「しかも、身体だけで無く”名”まで頂戴してしまった。……実に難儀だ。この恩義、如何にして返したら良いのか。皆目、見当もつかないな」
ステッキのような杖をクルクルと回しながら、物音を一切立てずに物思いに耽る男性。そしてその正体は、アイヴィスが用意した珈琲の木の人型に受肉した風の精霊、ルーアである。
本来、精霊に名は無い。一部大精霊の中には通称として世に浸透している者もいるが、基本的に名を持つという個体というものは存在しない。
と言うのも、まずそもそも精霊と呼ばれる精神生命体の過半数が下位であり、自我を持つことは無い。つまり、意思を持つ精霊自体も稀なのだ。
そして自我を持つとされる上位精霊は、地ならノーム、水ならウンディーネ、火ならイフリート、風ならシルフなどのように属性名にて大別されるのが基本なのである。
では、名を持つ条件とは何なのか。
一つは、アイヴィスとルーアの間にて行われた”誓約”が関係している。
人と精霊で結ばれる規約は、当人通しの信頼関係に基づき結ばれて成立する。そしてその関係性は平等である。
分かり易く言うならば、友人だろうか。親友のように仲良くなった間柄でも、まさか名前を付けるなんてことはしないだろう。
ちなみにここでいう名前とは、あだ名では無く本名だ。つまり現代日本でいうならば、その友達の名前の変更届を市役所に提出して受理させる必要があるのだ。普通に考えれば、不可能である。
そうでなくても名前の変更は、本人ですら難しい。家庭裁判などの複数の手順を踏み、長い月日とお金を掛けて漸くといった具合である。
これは、この世界でも変わらない。むしろ契約や誓約などを魔法を用いてステータスカードに刻むため、より困難を極めるだろう。
では、どうしたら名を付けられるのか。これについては先程と発想を逆転させ、名前を付けられるのは誰なのかを考える必要がある。
パッと浮かぶのは親だろう。そして、アイヴィスとルーアの誓約はこれに近い。
この世に生誕して以来名を持たぬ風の精霊が、主と認めたアイヴィスに誓約を立て、”ルーア”という名を授かったのである。
つまり、構図でいうならばアイヴィスとルーアというある種の上下関係が生まれる。
元々名を持たぬ故に、また下知された名を心から受け入れたため、比較的容易に誓約による契約を終えることが可能だったのだ。
名は体を表すという有名な故事がある様に、名前はその物や人の性質や実体をよく表すものである。そしてその言葉は、ことアヴィスフィアに至っては特に実利的な影響を及ぼすのだ。
この場では”名”とはそれ即ち、”魔力”である。名を付ける際に、魔素から派生した魔力を用いるのだ。
本来親とは自身の経験から学んだ知識を説き、長い年月や金銭などの投資を為し、何より等身大の愛情を注いで我が子を育て上げるものだ。
それを端的に言うならば、大人へと”成長”させることに帰結する。
”名付け”とは、自身に誓約を立てた相手に名を与え従属させ、代わりに自身の魔力を以てその者の能力を数段階向上させる呪法である。要するに、対象を成長させる”呪法”の事を指す。
そして、その呪法の名を”命名”という。
呪法と名が付く魔法はピーキーな性能を持つものが多く、この”命名”も例外ではない。
まず、魔素の絶対量に置いて相手より大幅に上回っている必要がある。これは絶対条件で、もし仮に下回った場合は行使する過ほどで魔素が渇望し、ミイラになってしまう。
魔素は万能元素のようなものだと以前語ったが、この場合一種の副作用としての効果が表れる。
つまり体内の不足した魔素を、他の元素が補おうと凝縮してしまうのである。魔素は他の元素に成れても、その逆は不可能。それでもなお実行してしまうため、最終的に干上がってしまうのである。
そして次は、拒絶された場合だ。
この場合も厄介極まりない。相手を成長させるにはそれ以上の魔力が必要となる。
必要な魔素を魔力に変換し一時的に体内に保管する。そして一定量を上回った時点で、相手に譲渡し受容した時点で初めて成立する。
もう大体分かったかも知れないが、拒絶されると逃げ場を失った魔力が暴走し爆発霧散するのである。……生成した魔力を抑え込めるほどの余力を残している場合は、その限りではないが。
つまり、”命名”とはその名の通り”自分の命を懸けて、相手の命に名前を付ける”のである。
ちなみにアイヴィスさんは意識した上で行ったわけでは無い。何て呼べば良いか迷った挙句の結果に過ぎず、その様な呪法を使用した自覚は全く以て無いのだ。
そう。彼の優秀なブレーンであるイヴが、あくまで主の命令を機械的に実行しただけなのである。
呪法は闇属性に属しているため、元々適性はあるのだ。そういう意味ではコツさえ掴めば、直ぐにでも魔法を使えるという意味でもある。……その”コツ”と言うのが難解なのだけれど。
「噂をすれば、とは言ったものですね。この魔力の気配は間違いなく我が主のもの、何かご用向きなのでしょうか」
先程までの浮いた口調は何処へやら、ルーアは自身の主の気配がする方向を眺める。
何かお役に立てることがあるやも。と呟き、フッと掻き消える様に姿を隠すのだった。
「さて、では再チャレンジといきますかー」
「来たれ、火の意思よ。光となりて、辺りを照らさん――『トーチ』」
年若く可愛らしい声が辺りに響く。流麗な詠唱によって紡がれた魔法は、その直後に聞こえた「ポンッ」という何とも間抜けな乾いた音によって相殺される。
「めあー! なんで出来ないんだー! 何が悪いの!? 頭? やっぱり頭が悪い子には出来ないのー!?」
「落ち着いて下さいアイヴィスさん。大丈夫です、コツさえ掴んでしまわれれば馬鹿でもアイヴィスさんでも出来ます!」
「ぐ……っ! 流石シャルロットさん、的確な『精神攻撃』だね……」
現代日本で言ったら差別意識を助長しかねないギリギリの言葉攻めをくらい、俺は思わずよろけてしまう。
当のシャルロットさんは「私、マインドなんて使ってませんわよ?」と、打ちひしがれる俺に気が付いた様子も無くキョトンとしている。……ぐぬぬ。その豊満な乳を揉みしだいたろうかちくしょうめ。
そして、その流れのままに「大事なのは想像力と無駄のない魔力生成。魔力の生成は何度も何度も繰り返すことで段々と練る時間も早くなり、効率も上昇するのです。そうですわね、筋力トレーニングに近しい感覚と思ってもらっていいですわ」などと、矢継ぎ早に捲し立ててくるではないか。
ふむ。想像力ねぇ。スキルにもあるぐらいだし、得意なはずなんだけどな。何で上手くいかなんだろう。
うーん、考えても解らないし実際に唱えて貰おうか。あ、でも適性とかあるから無理かなぁ。
「ご自身で考えることはとても良い事ですが、お一人ではどうしても限界もありましょう。ここは、私がお手本を見せて差し上げますわ」
「むむ。そこまで言うなら見せて貰おうか! 私の師匠に足るか否か、見定めなければならないからね!」
「ふふ、負けず嫌いなのですわね。良いでしょう、私としても望む所ですわ。有無も言わせず納得させて差し上げましょう」
こちらから何も言わずともお手本を見せてくれると豪語するシャルロットに、有り難いと思いつつも少しムッときた俺は、ビシッと指を突き立てて挑戦的な態度を取ってみる。
こっちの方が盛り上がりそうだし。という、ちょっとした思い付きでもあるのだが。
しかし、ノリがいいねこの娘は。指、付き返してきたよ。堅物で面倒くさそうとか思ってたけど、これはこれで中々楽しいな。
さてさて。では言うだけのことはあるのか、実際に魅せて貰うとしましょうかね。
「では、参りますわ」
「来たれ、火の意思よ。光となりて、辺りを照らさん――『トーチ』」
まるで文字通り火に意思があるが如く、振りかざした杖の先へと渦を巻くように集合していく。
そして、シャルロットが纏う白金色の魔力の奔流が、何とも現実離れした幻想的な雰囲気を醸し出している。
渦の中心でその立派な立巻きロールを靡かせ、真剣な表情で佇むその姿は正しく異世界を体現していると言っても過言では無いほどの存在感がある。
「――綺麗」
思わず口に出していた。それほどまでに感銘的な現象だったのだ。少し斜に立って望んだ指導だったことも忘れ、ただただ見惚れてしまったのである。
どのくらいの時間見つめていただろう。俺が気を取り直したのは、杖の先に灯った炎が掻き消えた瞬間に、ぶわっとした暖かな風を感じた時だった。
「ふふ。如何でしたでしょう? 教科書通りなので派手さは無いですが、これが松明。辺りを灯す、火属性の基礎魔法になりますわ」
最後の温風はわざとなのだろう。おそらく俺がぼうっとしているのに気が付いて魔力を拡散したのだ。その証拠に彼女の口元は、悪戯な笑みを浮かべている。
しかし今の俺に、その表情の意味を考える余裕はない。
「納得して頂けましたか? まぁ、その表情を伺えば分かりま――」
「――凄い! 凄いよシャルロットさん! 素敵! とても綺麗だった!」
思わず自身の手で彼女の手をギュッと包んでしまうほど、感動してしまっていたからである。
「ふぇっ!? ――は、はい。ありがとう、ございます。……そんなに直球で褒められると、何だか照れくさいですわね」
「シャルロットさんの魔力は白金色なんだね。煌びやかで、良く似合ってる!」
突然のスキンシップに驚きの声を上げるシャルロット。しかし褒められたのが嬉しいのか、顔を背けてモジモジとしている。
白金色とか豪華だな。……それにこの色、どこかで見たことがあるような――。
「――えぇっ!? ま、まさか……魔力の色が、お見えなるのですか!?」
「へっ? み、見えるけど……もしかして、何か不味かったりするの? びょ、病気じゃないよね?」
そんな何気ない一言に劇画チックな驚愕の表情と、それに相当する感情の籠った声色を上げるシャルロットさん。
ガーンという漫画の描写を幻視するようなその余りの迫力に圧倒された俺は、思わずビックゥと怯んでしまう。
え、何。ど、どうしたの? わわ、凄い白目。長いまつげが映えますね。って、何々その驚きようは! 怖い怖い。もしかして、頭だけじゃなくて目も悪いのか!? なになになにぃ~?
「病気だなんてとんでもありませんわ! 精霊眼と呼ばれる希少な特性です。私、お持ちしている方に初めてお会いしましたわ!!」
「エレメンタルアイズ……? 何それ、冷たくて不思議な味がしそう」
「たっ、食べ物ではございませんわ。――無知だとは思いましたが、ここまでだとは……」
「な、なんかごめんなさい」
「構いませんわ。それよりも、もう少し良く見せて下さいませ」
今度は逆に手を握り返され、ついでにこれでもかとばかりに顔を近づけてくるシャルロット。
相変わらずこの世界のヒトの距離感はどうなってるんだってば。ちょっ!? 近い近い! ほら、もう今なんか少しでも外部から刺激あれば唇が触れちまうからね?
「二人とも何してるの!? そんなに、近づいてー!」
「「――っ!」」
再びビックゥっと身体を震わせる俺。シャルロットも同様の反応をしている。
俺と彼女以外にはここに誰も来ないと聞いていたんだが、もしかして上手く伝達されていなかったのかな。
って、あれ? アリスじゃん。ははーん、なるほど。様子が気になって付いてきたのか。意外に可愛いところもあるんだなー。
「あ、あああ、アリスさん!? どっ、どどどっ、どうしてこのような場所に?」
「別にぃ、ちょっと気になっただけー。……それより、何をしてたのー? あんなに近づいてさぁ」
え、ちょっとシャルロットさん焦り過ぎじゃない? それに、何で肩押さえてるの? ……あの、動けないんだけど。
あ、アリスもちょっと言い寄らないであげて? この感じやばいの。何て言うか、不味い展開の予感がするんだって。
「な、ななな、何でもありませんわ。そ、そう。まつ毛にゴミが付いていらしたので取って差し上げようと――はわっ!?」
「ちょ! シャルロットさん。そんな暴れないで――あっ!!」
大袈裟なほど焦燥しているシャルロットが、アリスの詰問にワタワタと言い訳を身振り手振りで表現し始める。
何故か右肩を掴まれたままの俺はそんな彼女を何とか宥めようと、両手がその豊満な胸に触れないように、ちょこんと前に出してどうどうと制している。……今一効果は見られないのだけれども。
案の定そんなある種の均衡状態が、シャルロットがあげた頓狂声によって破られた。正確には俺の肩を抑え込み、また軸足を振り向き様に払ったのである。
来た来た来ましたよお約束。顔も近いし手も偶然胸のあたりにまで挙がってますが、不可抗力ですから。……うん、しょうがない。しょうがないのです。
襲い来る浮遊感。眼前に近づくシャルロット。俺は次に起こりうる現象に自分の意思はないとばかりに全身の力を抜き、意識だけは背中に来るであろう衝撃に備える。
これで偶発的な自然現象の準備はバッチリである。――よぉし、バッチこーい。
「――きゃああああっ!!」
「――っ!! ……ぐふぅ」
大方の予想通りバランスを崩したのであろう彼女は、半身になって俺の身体に覆いかぶさってきた。……そう。半身で、である。
詳しく状況を説明をするのならば、前方にあげた両手の隙間を半身にして掻い潜り、側頭部を俺の顔面に押し付けてそのまま覆いかぶさったのである。
確かに偶然にも右の親指の端がシャルロットの豊満な双丘の先端に触れ、また唇が柔らかな頬の感触を捕らえた。ここまでならちょっと物足りないが、確かに幸運だった。
しかしその勢いのまま彼女の右側頭部が俺の鼻っ柱にヘッドバットをかまし、ついでと言わんばかりに右肘を鳩尾に――所謂エルボードロップで以て追撃して来たのだ。誠見事なコンビネーションである。
ぐああああっ、痛ってええええっ! ……な、成程。これがフラグクラッシャーって奴か。フラグを回収した瞬間に折られたから、ちょっと違うかも知れないけど。
……あ、これ。やばいか、も。い、意識が――。……ぐふっ。
唯でさえ鳩尾の一撃で悶絶しているというのに、鼻血によって鼻が塞がれている。そしてそれが原因で、酸素が脳に行き渡らないのだ。
酸欠と痛みによって遠のく俺の意識は、頬と胸の辺りを抑え顔を真っ赤にし呆然とするシャルロットと、「うわぁ、やばー。あれ、絶対痛いヤツだぁ。かわいそー」というアリスの何とも気の抜けた呟きを最後に、深い深い闇の中へと沈んでいくのだった。
「良いか。遠慮はいらぬ。自身の身すら厭わずに殲滅するのだ。それこそが我らが皇帝の希望である。但し、女子は出来うるだけ捕らえよ。皇帝が直々に裁きを下されるそうだ」
「命令を受諾。直ちに遂行します。犬、猿。共に右翼に展開せよ。当方は雉と共に左翼に向かう。敵影を確認次第、合図を送る。即座に殲滅せよ」
「「「命令を受諾。直ちに遂行します」」」
夕暮れの森の一画にて、怪しげな集団が不穏な会話をしている。命ずる方も命じられた方も表情が抜け落ちたように無表情なのが、更にその物々しさを助長している。
その全員が武装しており、何より特徴的なのが動物が二足歩行している点だろうか。
獣人には、大別して二つの種が存在する。
一種は、シフォンのような人間の身体に動物の耳や尾などが生えている尾耳族。そしてもう一種は、彼らの様に動物的特徴が極めて強い獣頭族である。
前者は知性が、後者は身体機能が優れている。当然どちらが優れた人種なのかなど、一概に言うことなど出来ない。
しかし、奴隷としての需要は両極である。
そう。見た目が人間に近い前者が好まれ、後者は魔物に近く倦厭されがちという”差”が生まれたのだ。
そして、後者である彼らはその事実と能力が相成り、自然と”3K(きつい、汚い、危険の意)”と呼ばれる汚れ仕事を押し付けられることになっていったのである。
ともあれ。会話からも分かるように、彼ら全員が名持ちだ。
これが一般的な獣人族であれば、特に問題は無い。その名は当然親か、それに類する者に付けて貰ったものだろう。
しかし、彼らの身体には共通して一つの王家の紋章が”焼き印”という形で刻まれていた。これが意味するところ、つまりは”奴隷”であるという事だ。
一般的に奴隷は首に輪などを掛けられ拘束されている。それこそが他と違う証拠であり、自身が奴隷であると内外に周知させている証拠でもある。
以前も伝えたように、首輪には対象を拘束する魔法が仕込まれている。それはあくまで商人側が用意した安全保障である。商人が責任を負うのは受け渡しまでで、その後の管理をどうするのかは基本的に購入者次第なのだ。
首輪を付けていれば安心だが、より拘束力のある魔法があれば特に問題は無い。そう考えた一部の貴族や魔術師が、”刻印”という形で直接身体に印すのだ。お前は今より永遠に我が所有物である、と。
そもそも首輪は、奴隷商人達が自身の信頼のおける魔術師に依頼し奴隷に着用させているため、一般人には外すことでさえ難しい。
それをさらに上書きするのだ。つまりそれを解くにはそれ以上の能力を持つものが必要となる。そして仮に解けたとて、刻まれた”呪”は印として身体に残ってしまうのである。
「ふむ。これで舞台は整った。彼奴等を殲滅出来ればそれで良し、出来ぬなら致し方ない。あの種無しを贄とし、盟約通り儂が表舞台に立つ他あるまい」
「これ以上失望させてくれるな、エルよ」と、少し物悲しそうな表情で逡巡する壮年男性――ドルマスは小さく呟く。
そう。命令受諾後、即座に離脱して現場へと向かった獣頭族の彼らは皆、”グルーブリキャップス”のメンバーだったのである。
親ではない者が他者に名を与える方法は、前述した以外にももうひとつある。……と、言うよりは、むしろこちらが一般的であると言うべきだろう。
エルクドを思い出して欲しい。彼は、自身の侍女と近衛の隊長以下、複数の尾耳族の女性に名を与えている。
しかしエルクド自身は、彼女らの内包する魔素の絶対量に比べて大幅に劣っている。本来なら、”命名”を行使することなど出来ないはずなのだ。
そもそも彼の属性は、闇では無く光だ。相反するこの属性は、特に相性が悪いのである。
では何故名前を付けることが出来たのか、だが。その理由は、彼らの関係性より判明する。つまり、”主人と奴隷”という上下関係である。
これは現代日本で言わば、ペットへの名付けと同義となる。
彼女らは皆、奴隷になった際に名を”剥奪”されている。奴隷に人権は無い。人権が無いのに、ヒトの様に名を持つなんてことは許されないのである。
これは建前で、その本質は彼らの力の一端を封じるという理由がある。親から与えられた名であれ、命名によって得た名であれ、名はその者に力を与えるのだ。
一族であれば、受け継いだその能力を高める効果を持つ。また親であれば、その庇護を受けることが可能である。命名に関しては前述したため、ここでは割愛する。
要はそういった一族の特性などを奪い、奴隷が抵抗で出来ぬように力を削るのである。
それは、売買成立時に主従契約を少ない労力で成立させるための布石にも繋がる。早い話、精霊や悪魔などとの契約に比べて術者の負担が軽くなるのだ。
奴隷の名付けには、当人の内包する魔素を使用する。つまり主人のはおろか、術者の魔力も必要が無いのだ。但し、契約魔法に用いる魔力は除くのだが。
そんなことがなぜ可能なのか。それについて補足しよう。
獣人であれなんであれ、”魔素”はアヴィスフィア存在する全ての生物が保有している。それは身体を構成する一部であり、また何にでも変化する万能な元素だ。
ヒト族が”魔素”を用いて魔法を行使し、獣人族が”魔素”で身体強化を図るように。その使い方は千差万別。文字通り、何でも変化するのだ。
そして、その魔素から派生した能力は普段の生活において、常に全開状態では無い。日常生活に影響がないほど程度には、遊びがあるのだ。
ヒトが脳の一部しか使っていないという事実と、考え方としては酷似していると言える。
”名付”と呼ばれる契約の魔法はまさにそこを射貫き、その使っていない魔素を、そして名を奪われたことで行き場を失くした魔力を用いて実行するのである。
呪法の”命名”に比べ効果は低いが、圧倒的にリスクが少ない。買い手は金さえあれば手軽に優秀な手駒を加えることが出来、売り手は少ない対価で大きな利益を生むことが出来るのだ。
グルーブリキャップスもこの方法で名が付けられた。ちなみに名付けたのはドルマスである。
ここまでならごく一般的な奴隷契約なのだが、彼はそれに満足せずにとある術者に依頼したのだ。彼らを「王家専属の戦闘奴隷にして欲しい」、と。
そして、彼らは刻まれたのだ。両翼を広げ、心中に炎を灯す雄大な鷹の紋章を。
”焼印”と言う呪法を用いたため、彼らの特徴である体毛は一部焼畑の様に死滅している。奴隷の象徴たる首輪が消えても、所有物たるその”証”がその代わりを務めるのである。
その代償は、”個性”である。拘束力が強い故、本人の意思が紙が燃える様に焼却されてしまうのである。
奴隷にとって呪いでしかないその紋章は、望まずとも彼らに力を与える。術者の能力が高かったのだろう。刻まれたものは皆、固有技能を会得するに至っている。
個性を失ったものが固有のスキルを得る。何とも皮肉が効いている運命の業である。
ユニークスキルを持つものは数少ない。生まれ持った者も、努力によって得ることは出来た者も含め、その数は一万に満たないだろう。複数持つものなども稀に存在するが、極小数に限られるのである。
例外として、召喚者は必ず一つ以上ユニークスキルを持つと言われている。関係性は証明されていないのだが、恐らく召喚時に保有することになる魔素が当人の才能の一部を刺激し、ユニークスキルとして形を成したのではないかと言われている。……スキルなので、形は無いのだが。
ともあれ。その稀なスキルを彼らは全員会得しているのだ。その種は様々ではあるが、ことアヴィスフィアに於いて絶対的な力となる可能性を秘めているのはまず間違いない。
ドルマスが自信を持って殲滅を指示するだけの”過剰”と言っていいほどの戦力なのだ。
現代日本の文明を取り入れ、一種のパラダイムシフトを経たヴェニティア帝国。
名付けや焼印により、異常なほどまで強化された獣頭族の戦士。狂戦士と化した彼らを有するドルマスらアインズ皇国。
そして暗躍する夜烏の面々が如何にして此度の戦に臨むのか、果たしてその結果が如何なるものとなるのか。
少しの幸福と、たっぷりの不幸の合間で彷徨うアイヴィスさんは知る由も無いのであった。