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アヴィスフィア リメイク前  作者: 無色。
一章 皇女の軌跡
16/55

とてつもない変態が居るらしい!

 この国の往く末を嘆いているのか、今にも泣き出しそうな朝焼けの真っ赤な日差しが窓から差し込む。


 時刻は朝の五時。日本時間にして五時半頃だろうか。


 囀る小鳥も葉の音も、どこかいつもより少ないように思える。


「ぎゃああああっ! やっやめろぉ、余は何も――っ! …………?」


 静謐な世界を打ち破る悲鳴のような慟哭が突如、部屋の中に響き渡る。


 結構な声量だというのに()()を除き、気が付いた様子が無い。どんな造りになっているのか、外からの音は聞こえるが、外には漏れないようになっているらしい。


 上半身を飛ぶようにして起こしたその人――エルクドは、荒い息遣いで自身の周囲をキョロキョロと見回している。


「はぁ、はぁ。ゆ、夢か? ……? 思い出せぬ、な」


 彼は自身の目元に手を当て、先程まで見ていた()()のような出来事を思い出そうと試みた。


 しかし、記憶がはっきりしないらしい。大概にして、夢というものはそういうものである。


 目元に当ててた手を重力に任せて下に降ろしたエルクドは、「んっ」という可愛らしい反応をした声により、漸く自身の脇でスヤスヤと眠る白兎の存在を認めた。


 自身が得も知れない恐怖に襲われ、情けない叫び声までもあげたというのに、自身の横で幸せそうに眠る白兎。沸々と湧き上がる怒りと悪戯心が、彼の行動を支配する。


 端的に言えば、むにゃむにゃと口をもごつかせる彼女の掛け布団を乱暴に剥ぎ取り、その身体に覆いかぶさったのだ。


「ん、んんぅ。……はぅ! え、エルクド様?」 


 剥がれた白兎は、自身の状況を理解しているのかいないのかキョトンとしている。寝ぼけていているというのも原因の一つではあるだろうが。


「ほほぉ? 主より起きるのが遅いとは、大した度胸だ」

「――っ! も、ももも、申し訳ございませんっ!!」

「謝罪はいらぬ。もう既に罰すると決めておるからな」

「――っ!? お、お許し下さいぃ、エルクド様ぁ」


 自身の腕の中でフルフル震え、涙目で訴える白兎の女性。嗜虐心を刺激されたエルクドは、実に楽しそうに嗤っている。


 そのままスッと前触れもなく手を伸ばすエルクドと、ビクリと身体を震わせて目を瞑る白兎。


 微振動する彼女の頬に、彼は優しく手を添えた。その感触に訝しんだ白兎は恐る恐る目を開き、眼前に浮かぶ歪んだ表情を見てビシリと固まった。


 白兎を撫でていた掌を平手をする形で固定したエルクドは、その手を自身の肩口の後ろ辺りまで振りかぶった。


 その様子を見て驚いた表情を浮かべた白兎は、訪れるだろう激痛に耐えるためキュッと目を閉じて歯を食いしばる。


 ――しかし、その瞬間は訪れることは無かった。


「――――()っ!」

「え、エルクド様? ど、どどど、どうかなさったのですか?」


 そう。エルクドが、頭を押さえて呻き始めたのである。


 先程まで自身に暴力を振るおうとした相手を気遣う白兎。種族柄争いは好まない方だが、この女性は特に気遣いのできるタイプらしい。


 下手に触れて怒られるのを恐れ、宙ぶらりんになった手をワタワタとバタつかせているのがまた愛らしい。


「……そうか。余は昨夜、お主を甚振り尽くした後に湯浴みに向かわせ、その合間に逆賊に襲われたのだったな」

「――はい? ハッ。す、すいません私失礼な――」


 突然訳の分からないことを言い出したエルクドに、思わず素で聞き返してしまう白兎。


 ハッとしてその失礼な態度を謝罪をしようと口を開いたが、エルクドに手で制されてしまう。


「――良い。ハハハッ。まさか、お主に助けられる日が来るとは、な。……普段、余があれほど痛みつけているというのに、本当に変わった奴よな」

「助ける? ま、まさか、そんな恐れ多い……」


 エルクドは「お主が体当たりで余の上に跨り止めを刺そうとした逆賊を引き剥がしてくれなければ、余は十分に力を発する前に殺られていたやも知れぬ」と、白兎の頬を軽くペシペシと叩きながらそう語る。


 白兎としても「むしろ痛みつけられているのはエルクド様の方だったような? それに私が助けたってどういうことだろう?」と思ったが、よくよく考えると自分も記憶がはっきりしないという事実に気が付いたようだ。


 さらにエルクドは「まぁ、その後の余の芸術的な必殺魔法で一発で仕留めてやったがな」と、その時の様子をボディランゲージで表現している。


 白兎は白兎で「確かに芸術的だった気がするけど、あれ? やっぱり仕留められてたのはエルクド様だったような……?」などと、首をコテンと横に倒しながら思い出そうと首を傾げている。


「なに、謙遜するでない。お主は皇国で一番尊い命を救ったのだぞ、この豊満な胸を高々に張るが良い」

「ふぁっ!? ……うぅ、気にしているのにぃ」


 スイーと豊かな双丘を左手の指でなぞるエルクド。先程までの嗜虐にあふれた表情は何処へやら、実に柔らかな表情をしている。


 意図しない突然のセクハラ発言と行動に、素っ頓狂な声を上げつつ胸元を抑えて頬を染める白兎。最後のつぶやきはそっぽを向きながら己の口の中でもごつかせたため、エルクドには届いていないようだ。


 それからしばらくの間、白兎の身体を指や舌で撫でまわすように愛撫していたエルクドだったが、不意に起き上がると、何かを決断したようにされるがままになっている女性に声を掛けた。


「よし。今日からお主、余の側女となれ。余が望む何時如何なる時に備え、万全を期しておくのだ。言うまでもないが、今のお主は奴隷。当然、拒否権は無い」

「――ッ!? ……は、はい。不束な身の上ですが、末永くご寵愛頂けるよう努力致します」

「うむ。……ところでお主、名は何という?」

「奴隷となった際に失いました。そのため、今は自身を表す名は御座いません」

「ふむ。では、”ココ”と名乗れ。余が呼ぶときに不便なのでな」

「……その名、ありがたく頂戴致します。エルクド様」


 エルクドは「ふむ。では早速、と行きたいところだが……」と言いながら、衣服を正してキングベットの端に設置されている呼び鈴に酷似したものを鳴らした。


 実際には音は出ていないので、鳴らすというよりは”揺らす”と言った方が正確かも知れないが。


「お呼びでございますか? エルクド様」


 コンコンというノックと共に、透き通るような清涼な声が部屋へと届く。


 途端に集まるのは、彼専属の近衛隊である獣人部隊『聖爪騎士団(セイントクロウ)』の隊員達だ。


 そして声の主は、その隊のリーダーである灰狼の獣人女性で、名を”チコ”という。……ちなみに、命名したのはエルクドである。


 エルクドが「入れ」と一言告げると、無音で扉が解放された。そして、「失礼致します」と恭しい最敬礼を行った後、チコを先頭にした獣人女性達が次々と入室してくる。


 彼の近衛隊はここに現れた隊員以外も全て、獣人の女性奴隷で構成されている。そして、その全員が”絶対服従”という奴隷契約を結ばされており、当然その主人はエルクドに設定されている。


 以前に語った通り、獣人は魔法や誓約などの呪法に基本的に抵抗することが出来ない。その代わりに身体的な能力が高く、ヒトの比ではない基礎能力(ステータス)を持つという特徴を持っているのだ。


 絶対に裏切らず、ヒトの成人男性程度なら簡単に蹴散らすことが出来、何より頑強だ。


 要するに、エルクドにとって彼女らは自身を護る近衛という以上に、中々壊れない玩具のような物なのである。


「……チコ。貴様一体今の今まで何をしていたのだ!?」

「――はっ! 四時に起床し、その後お呼びがかかるまで、自室で鍛錬しておりましたっ!」

「そういうことを言っているのではないっ! 昨晩余が逆賊に襲撃されていたというのに、何をしていたのだと言っておるのだっ! 貴様は余の近衛で・あ・ろ・うっ!?」


 エルクドの怒声を帯びた詰問に、淡々と答えるチコ。しかし彼女は、その詰問に微妙にずれた答えを返している。煽っている訳では無く、これが彼女の素なのである。


 当然エルクドは激怒し、さらに強い剣幕で捲し立てた。ズコズコと近づいていき、チコのおでこに指を突き立てて何度か小突くというジャスチャー付きで、だ。


「はっ! エルクド様より『余はこれから夜戦に突入する。夜が明けるまで()()()()()()()近寄るでないぞ!』とご命令賜りましたので、各自自由行動後、就寝致しました!」

「なぁぜぇ寝ぇたぁ!? 貴様、近衛の自覚が足らんのではないか!?」

「滅相もございません! しかし近づけなければ近衛にあらず、”せめて有事の際は”と思い、力を蓄えておりました」

「有事だったであろう!? 余が襲撃されておったのだぞ!」

「はっ! 流石はエルクド様です! 誠見事に討ち果たされたと拝聴しました。夜戦の勝利、おめでとうございますっ!」

「あ、あぁ、ありがとう。って、違うわ! この駄狼(だろう)がぁっ!!」


 チコを小突いていた手を拳の形に整えたエルクドは、そのまま思い切り彼女の脳天へと振り下ろした。


 ゴチンと鈍い音が部屋に響き渡る。その衝撃に、思わず涙目になり蹲る()()()()


 殴打された本人はキョトンしており「あれ? 私何か間違えちゃったかなー? でも命令には逆らってないはずなんだけどなー。まぁ、逆らえないんだけどー」などと考えていそうな、あっけからんとした表情を浮かべている。


 後ろに控える隊員の女性達は、その様子を我関せずと静かに佇んでいる。割と日常茶飯事なのだろう。


 「ぐぅ」と拳を抑え、チコを睨みつけたエルクドは、未だ呆ける彼女に癇癪の様な怒声を放つ。


「――もうよいっ!! 貴様はさっさと叔父上へ取り次げ! そして、余を狙うということの愚かさを思い知らせてやるのだ!」

「はっ! 了解致しましたエルクド様! よし、では行くぞお前達っ!」

「……あぁ、待てチコ。此奴と其奴を置いていけ。またいつ襲撃が来るかわからぬからな」

「はっ! しかし僭越ながら、私が残った方が確実にお守りできると自負しているのですが……」

「どの口が言うのだっ! それに、貴様の様な脳筋馬鹿を相手になどしたら、余の方が持たんわ!」

「? エルクド様が相手? ……あぁっ! 人肌をお求めでしたか! 任せてくださいっ! 其方は少々不得手ですが、全力で励みます!!」

「良いと言っておろうがっ! ――っ! ち、近寄るでないっ! や、止めんかこの、馬鹿者がぁっ!!」


 再び繰り出されたエルクドの拳。先程の攻防で学んだのか、その拳はチコの下腹部辺りに突き刺さっている。


 チコは「くふぅ、は、激しいですエルクド様ぁ」と、先程とは違った反応を見せている。


 流石に腹部への殴打は利いているのか、彼女は膝をついてエルクドを見上げている。


 そして、当のエルクドだが。自身を見上げるように眺める彼女の表情をみて、()()()顔を引き攣らせている。


 普段であれば、というより、相手がココや他の獣人女性であるならば、嗜虐心を満たされたような厭らしい嗤いを浮かべているはずなのに、である。


 その原因は当然と言うべきか、チコにある。


 鳩尾の下あたり、特に女性の場合は重要な器官が存在するであろうその部位に、成人男性の全力の殴打を受けたはずなのだ。


 普通であれば女性として、悶絶する以上にダメージを受けかねない最低の仕打ちをされている。


 そのはずなのに、何故か彼女はとろんと蕩け潤ませた瞳をエルクドに向けて身震いしていた。


 恍惚の表情とでも言うべきその様子に、彼は潜在的な恐怖を覚えたのである。


 エルクドは、眼前に迫り未だ自身の隙を突こうとにじり寄るその存在に、恐怖と畏怖が綯交ぜになったような表情を浮かべている。


 その表情をみたチコが、今にも襲い掛かりそうだった自身の身体をビクリと強張らせた。


「うぅ。こんなにも尽くしていると言うのに、何故私だけご寵愛下さらないのですかエルクド様ぁ!」

「はぁ、チコ。以前も言ったかもしれぬが、貴様を抱く気はない。余の趣味では無いのだ、と」

「そんな――っ! ……初めての夜は、あんなに激しくして下さったのに」


 嘆くように、また叫ぶように訴えるチコ。心の底から嫌そうな溜息をつくエルクド。ズバリと言われた彼女は先程とは違った意味で呆け、呟いている。


 しょんぼりとした様子のチコ。そしてエルクドは、その姿を見てさらにヒクヒクとその表情筋をピクつかせている。


 ちなみにチコはココと同様に、イサギの伝手を利用し買い取った奴隷だ。つまり叔父であるドルマスからの贈り物ということになる。


 そのために無下にも出来ず、また部隊の中で戦闘能力が飛び抜けて高いということもあり、近衛の隊長として従属させているのだ。


 容姿スタイル共に抜群で、見た目だけならココに並ぶとも劣らないと今でもエルクドは思っている。


 しかし、その全てを無にしてしまうほど性格に、いや性癖に難があったのである。


 その日。エルクドはいつものように力で相手を屈服させようと、いつも以上に古今東西ありとあらゆる()()を揃え、夜戦に備えていた。


 叔父の情報によると、相手は闘技場の覇者らしい。幾千という闘いに身を投じ、須らく勝利してきた英傑である、と。


 当然エルクドは燃えた。最強の女傑を、自身の手で屈服させることが出来るのだ。


 しかし彼の中にはもう一つ。むしろ、こちらがメインではないかと思えるほど重要なことがあった。


 彼は幼少の頃、父であるアルマスに連れられて一度だけ闘技場に顔を出したことがある。


 今よりはまだ父に対して不満や反感を抱いておらず、むしろ、いつも厳しい父が遊びに連れて行ってくれた、数少ない幸せな思い出の一つだった。


 彼自身、今となってはどうでも良い事だと思っていた出来事でもある。しかしながら、忘れたことは一度もなかった。


 そしてそれが何を意味するのか、彼には理解することが出来ない。……しようとしていないという側面も多分にあると考えられるが。


 そう。その時の父から子へ向けられた純粋な愛情が今日この日、逆説的に働いたのである。


 あの日の父が、まるで少年の様なキラキラとした目で自分に身振り手振りで語った決闘の素晴らしさ。歓喜したり激怒したり、感嘆したり嘆いたりしていた父の姿。そして全てが終わった後、すっきりした表情で自身に笑いかけた彼の表情。そして、自分に向けられた期待の眼差しなど。


 あの頃は大切だったはずのそんな記憶は、今のエルクドとって邪魔以外の何物でもなかった。


 要するに、汚してやりたくなったのだ。真っ白で落書きも何もないその思い出(一ページ)を。


 ()が憧れる英雄(ヒーロー)像を己が手で汚し、貶める。これ以上に愉快で背徳的なことがあるものか。と。


 初夜。彼は選択したのだ。此度の夜戦に挑むべく用意した道具の中で、一番凶悪な名状し難い何か(unknowm)を。


 そしてそれは、ある意味では正解だった。もし彼がこの選択を誤り、チコの本性を見抜けぬままに一度でも手を出していたのなら、今頃皇帝の尊厳など全て喪失していただろう。


 何故ならば、その名状し難い何かを片手に下卑た嗤いを浮かべて寝室で待ち構えていたエルクドを見て、チコはあろうことか瞳をキラキラと輝かせたのだ。


 そう。あの日の父を幻視するような……いや。にへらと笑い、頬を染めてイヤンイヤンしていたので多分に異なるが。……要するに彼女は、誠御し難い変態性(超ド級のマゾヒズム)を秘めていたのである。


 少なくとも、エルクドが思わずその何かでその緩んだ頬を()()してしまうほどには不愉快で、また、気持ちが悪かった。


 そして、その殴打も逆効果だった。チコは「くふぅ、挨拶もまだなのにぃ」などと嘯き、ハァハァと息を切らせ始めたのだ。


 興奮しているのか、瞳孔が収縮されている。落ち着こうと肩を上下に動かし、深呼吸をしているのをエルクドの瞳が捉えた。


 その様子を見た彼は、いつものにやけた口元の端を引き攣らせている。あれ? ちょっとこれはあかんやつなのでは? と。


 しかしそこで怯まないのが、皇帝の中の皇帝エルクドである。今宵の気合いを舐めてもらっては困るのだ。


 不穏な現状を打破しようと次に投入したのが、今宵のためにわざわざ東方より仕入れた、馬に酷似した設置型の道具(木製の首無し馬)である。


 ご丁寧に競馬の騎手が使用するような鞭や、四肢を束縛し鎖のようなものまで用意されている。


 そして、それが決定打となった。


 先程とは違い、俯き大人しくなったチコをみたエルクドはしたり顔で準備をし始めた。


 具体的にはチコの両の手足を鎖で拘束し四つん這いにさせ、木製の馬の上に固定したのである。


 今のチコの恰好は女性の象徴がギリギリ見えない、それでいてその豊満な身体のラインがしっかりと浮かぶ、黒色のセクシーなネグリジェようなものを着込んでいる。


 その妖艶な姿は、数多くの女性を手籠めにしてきたエルクドさえ、思わず生唾を飲み込んでしまうほどだった。


 そしてその女性の頬がうっすらと朱を差し、身悶えしているのである。乱れた髪で表情を伺えないのもまた、男性の男の部分を刺激する。


 辛抱堪らなくなったエルクドは手に携えた鞭を思い切り振りかぶり、風を切りながら振り抜いた。


 直後部屋に響き渡る「くっ、ふぅぅぅ!」という悲鳴――いや、嬌声。


 エルクドは少し違和感を感じながらも、躍動する尻の誘惑に負け、何度も何度もしばき倒す。


 バシーン! くふぅぅぅっ! ミシッ ズバーン! ふぁぁぁんっ! ビキィ ズバビシーン! くふぅぁぁんっ! バキボキィ 


 不意に「あれ、おかしいぞ? もしかしてこいつ、喜んでる?」と、エルクドの脳裏に嫌な予感がよぎる。


 そんなはずはない。全く以て、有り得ない。


 初夜でこれほどまでに一方的な暴力を振るっているのだ。今までのどの女性よりも酷い仕打ちをしている自負がある。まさか間違っているはずがないのである。


 頭に沸いた疑念を振り払うが如く頭を振ったエルクドは、これでとどめだとばかりに自身が握る鞭に、淡い飴色の魔力光を纏わせる。


 一際大きな衝撃と慟哭(のような嬌声)が密室に訪れた。


 ズシャァと崩れ落ちるチコ。そしてそれを見て、これでもかとばかりに血走った眼を見開くエルクド。


 一見すれば優位に立っているのはエルクドなのだが、何故かうわごとを呟いて小刻みに震えている。よく見れば、半分白目になっているようにも見える。


 それもそのはずである。


 そもそもチコは固定されている。故に崩れる、つまり体勢を変えることなど出来るはずがないのだ。


 では何故チコがペシャリと女の子座りをして、「見せられないよ!」の人が介入するほどに()()()()()で意味で破顔しているかというと……。


 エルクドの最大出力で殴打された際に、チコが固定された台座である木馬をメリミシドガグシャバキィと握り――抱え潰したのである。


 さらに、皇帝の全力を受けたはずの彼女は尻の一部をほんのり朱くしているだけで、目立った外傷などはなく綺麗なものだった。


 そしてさらに言うならば、チコさんは誰の目から見ても明らかなほどに歓喜していたのだ。


 エルクドは今迄に味わったことの無い、心底からの恐怖を覚えることとなった。皇帝である彼には一生縁がないと思われた精神的苦痛。所謂、トラウマである。


 それもしょうがないであろう。もし彼が各方々からかの道具をかき集めていなければ、チコの足元に散在する無残な残骸は彼自身だったかもしれないのである。


 そしてそれは、現在進行形で進んでいる。


 そう。チコさんが瞳孔の開ききった血走った双眼で、エルクドをロックオンしたのである。


「ひ、ひぃあぁぁぁっ!?」


 その日一番甲高い嬌声(のような叫び声)が響き渡る。……それを発したのは当然、チコではない。


 本日の部屋は自室ではなく、地下にある彼専用の拷問部屋を使用している。


 ここは彼の私室とは違い、重厚な造りにはなっているが敢えて魔法的な防音はしていない。理由は一つ。逆らうことの恐怖を、城内の皆に知らしめるためだ。


 それは同時に、誰がどんなに叫びを挙げても黙認されるということになる。要するに、助けが来ることはまず無いのである。


 今までエルクドが女性にしてきた仕打ちに比べれば何とも生易しい恐怖なのだが、その脅威に晒されている彼にとっては一大事だ。


 腰が抜けたのか尻もちをついている彼は、自身のその無様な姿を厭うことなく床を這いずるようにして後退し、自身の理解が及ばないチコ(unknown)からの逃亡を敢行する。


 しかし、既に補足済みだ。彼女の視線から逃れることが出来ない。


 エルクドは焦っていた。考えなど全く纏まらない。故に逃げるしかない。


 じりじりとにじり寄るチコ。速度は同じ。まるで獲物との距離を敢えて保っているかのような、狩るものと、狩られるもののその間合い。


 ――そして、終わりが始まった。


 一定の間隔を保ってきた二人の距離が、徐々に縮まってきたのである。


 エルクドは理解できない。先程からどれだけ逃げても、自身の背にひんやりとした感覚があるだけで距離が開かないのだ。


 それもそのはずで、先程から彼は地下室の石壁に背中をこすりつけているだけで、一切移動できていないのである。


 それでも彼はどうにか下がろうと自身の指に指令を送り、石畳で出来た床に爪を立てている。


 ……よく見ると、普段手入れさせているであろう彼のその整った爪が、一部欠け落ちて剥がれてしまっているのが分かる。


 先程も言ったが彼は焦っている。故に気が付かない。そしてそれは当然の如く、致命的な隙へと繋がってしまう。


 そして狩人はその隙を逃さない。身じろぎすれば触れてしまうほどの距離までにじり寄ったチコは、血走った双眼でエルクドを凝視している。


 見つめられた。と表現するには生々しい凝視に、彼は借りてきた猫のように大人しくなってしまっている。


 突如。ドガッという音が地下空間を支配した。


 チコが、自身の右の()()()に突き立てたのである。……どの位の握力があればこうなるのか、五本とも減り込んでしまっている。


 ビックゥと身体を震わす皇帝の中の皇帝エルクドさん。


 その衝撃で先程の思考停止から、急速に意識がはっきりしてきたのだろう。冷汗が瀑布のように流れ落ちている。


 逃がすまいと舌なめずりをしながら、顔を寄せてくるチコ。


 もう一刻の猶予もない。眼前に迫りくる化け物は、今この瞬間にも彼に襲い掛かろうとしている。


(ど、どどど、どうすれば良いのだっ!? こっ、このままではこの狂犬に狩られてしまう! 何故だかは分からぬが、このままでは余のおのことしての矜持プライドが修復不可能になってしまう気がしてならぬ!)


(何か、ないか!? この窮地を一瞬で打開する、そんな会心の術は――! ……ぅあ、あああ、あ――)


 かつてないほど思考をフル回転させたエルクドは、半ば叫ぶように()()した。


「く、くくく、来るなっ! い、今すぐ離れよ! 余に近寄るでないっ!」

「――――っ!?」


 彼が叫んだと同時に、雷光の如き速さで距離を取るチコ。着地した衝撃で石畳が一部歪んでしまっている。


 意識した訳ではないが、結果としてそれは最大の戦果をエルクドに与えることとなった。


 獣人奴隷は、主人の”命令”には逆らえない。そしてそれは、チコも例外では無いのである。


「こ、此度の試練。良くぞ乗り越えた! あれほどの激痛、侮辱を与えられながらも、一切の弱音も吐かず耐え抜いたのだ! 流石の余も賞賛しよう。貴様こそ、余の近衛に相応しい素晴らしき将だ!」


 一体何が起こったのか、彼は直ぐには理解できなかった。


 しかし、チャンスである。今を逃せばこの状況から()()することは出来ないかもしれない。


 そうエルクドは確信したのか、一気に捲し立てる。


 それもしょうがない事だろう。


 何せくだんの狂犬が、瞳孔の開いた血走った瞳で喉を鳴らしながら今もなお、エルクドを見つめている(睨んでいる)のだから。


「め、滅相もございません。私など、ご主人様(エルクド様)寵愛(お仕置き)で満足に果てることも出来ない未熟者。どうかっ! どうか私めに、更なる罰を与えて下さいませっ!!」


 必死に食い下がるチコ。まるで彼氏に見限られそうになった彼女が、別れないでくれと泣きながら嘆願し縋りつくような、そんな雰囲気である。


 足をペタンと女子座りし、瞳を潤ませエルクドを見つめるのその姿は、紛れもなく一途な乙女のソレである。……瞳孔が開いてなければ、だが。


(ひっ、ひぃぃ。何だ、何なのだ此奴はっ! 頭が、おかしい。くっ、狂っているっ! 何故自らさらに罰を求める!? 話が通じていないのか!?)


 当然、エルクドは狼狽する。彼にとってこの状況は、あまりにも異常な光景なのだ。


 女性の嘆願など、彼にとっては日常茶飯事。


 嘆き叫ぶ者、涙を湛えてこちらを睨みつける者、全てを諦めてただ自身に身を任す者。そして最後にはその須らくが許しを乞うてくる。


 むしろ、敢えてそれを言わせるために、そしてそれを打ち砕くために様々な工夫を凝らしてきた。


 しかし、今回はそのどれにも当てはまらない。


 自身がどんなに痛みつけようが、意にも返さない。いや、むしろ喜んでいる節すら見受けられる。


 はっきり言って、”手に余る”のだ。この様な危険な物件に手を出さずとも、皇帝であるエルクドはそれこそ選り取り見取り。そう。何も、チコに固執することなど無いのである。


「――チコ。どうやら貴様は奴隷の自覚が足りないようだな」

「――――ッ!?」

「罰とは、余が一方的に与えるものである。そしてそれは、須らく余の意思で行う。そう。決して! 決して求められ、行使するものでは無いのだっ!」

「そ、それは――」


 努めて冷静にチコに語りかけるエルクド。緊張しているのか掌を握り、キュッと結んでいる。


 おそらく彼は、この未曽有の危機を乗り越えるための脳内緊急会議の真っ最中なのだ。


「しかし先程も言ったが、貴様は試練を乗り越えたのだ。故に罰ではなく褒美を授けようではないか」

「……褒美、でございますか?」

「うむ。今迄は誰も突破できたことは無い事だ、誇ってよろしい。そして、喜ぶが良い。余は、()()()()貴様に手は出さん。近衛の任にのみ、集中するが良い」

「そんな――ッ! ひ、酷すぎますぅ。エルクド様ぁ」


 今度こそ本当の意味で嘆願する儚げな女性となったチコ。


 一瞬その魅力にふらっとなりかけたエルクドだったが、先程までの地獄絵図が瞬時に脳裏に過り、その発言を撤回することをしなかった。


 そう。この事件より先、チコがとある人物と出会うまで、二人の距離が縮まることは無かった。

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