孤独(ぼっち)を克服したかった!
基本的に本編は一人称、または三人称単視点で執筆予定です。
序章の一話なので、文字数は五千字程度になっています。次回以降は一話一万字前後とする予定です。
俺は都内の山間部にある、とある大学のとある研究所にて室長を務める二十七歳独身。名は烏鷺朱羽夜という。
なぜ田舎の三流大学出身の若造が室長などという大層な役職についているのか、実は未だに理解出来ていない。
全てはあるとき偶然知り合った一人の女性が元凶である。天真爛漫な性格をしている類稀なる天才。それが彼女に対して抱いた第一印象だった。
その女性の半ば強引な紹介により、彼女が所長として取り仕切る研究室の内の一室の長を薦められるがままに請け負うことになったのだ。
ちなみに俺の名字である『烏鷺』は”ウロ”と読むのが一般的だが、その昔武家として名を馳せていた頃に”カラサギ”に改名したらしい。
祖先曰く「語呂がなんかかっこいい!」という、何とも適当な理由だったとも言い伝えられている。
基本的には祖先譲りの適当――良く言えばおおらかな性格なのだが、ただ一つだけ少年期より思い悩まされている何事にも変え難い難問を一つ抱えている。
俺自身もそれを解決するのはあまりに荒唐無稽で、現実的ではないという自覚もある。
……だが、どうしても譲れないことだったのだ。
――ヒトはなぜ生き、なぜ死ぬのだろう……。今家族といるこの幸せなひと時は、どうしていつまでも続くものではないのだろうか……。
――僕とはなんだ? 今考えているこの意思は、一体どこから来ているんだ? もしこの意志こそが僕なのだとしたら、僕という存在がこの世からいなくなってしまったら、その後には何が残るのだろう……。
――何もない、何にもないじゃないかっ! 死んでしまったら何も残らない!! 僕がいなくなった世界なんて、僕には何の意味もないじゃないかっ!?
――怖い……助けて……誰か、助けてよ……。
――なぜ誰も答えてくれないの……? どうしたらこの問題を、解決出来るの……?
――ねぇ、答えてよ! ……僕じゃ無理だよ、耐えられないよ……。
小学校の高学年だった当時の俺の精神に突然、そんな”軋み”のような感情を生まれた。
きっかけは一体なんだったのだろう? 当時飼っていた愛犬が死んだことだったのか、それともただテレビで怖い話を聞いたからなのか。正直なところ、よく覚えていないというのが現状である。
ただその日の自我の芽生えは俺の中に深く刻まれ、少しずつ緩やかに精神を蝕んでいった。
大人となった今、その日理解した一つの「理不尽」を解決することが俺の人生において大きな目標の一つになっている。
そして常日頃から、その糸口になるであろう「孤独」について試行錯誤を繰り返している。
――ヒトは誰しも孤独を抱え、生きている。
あるヒトはその孤独と向き合い、今出来る最善を尽くし前に進んでいく――。
あるヒトはその孤独を嫌い連れ合いを求め、より大きく深い愛を求めていく――。
あるヒトはその孤独に絶望し、閉鎖した空間の中で自己に問いかけてその殻に閉じこもっていく――。
ヒトはなぜ孤独を感じるのか……それについては、未だ真相は明らかになってはいない。
度重なる失敗を経て俺は、そんな「孤独」を克服するある一つの手段に辿り付く。そしてその実行へと邁進し、それは程なくして実現出来るはずだった……。
「はっ! はぁ! ……はぁっ!」
息も絶え絶えになりながら、俺は薄暗い森の中をただ我武者羅に走っていた。
……こんなに走ったのは何時ぶりだろう。覚えている限りでは、中学校での部活の練習のとき以来かも知れない。
そんな無駄なことを考えながら、ふと後ろを振り返る。そして幸いにも、そこには何者の姿も無かった。
どうやら撒いたようだ。そう考えた俺は近くの樫と思しき樹木に背中を投げ出し、額から滲む汗を乱暴に拭った。
「……はぁ、はぁ……ぐっ! げほっ! ごほっ! ――あぁぁ、くそがっ! 一体何が、何だってんだ!」
酸欠が原因か、世界が俺を中心にグルグルと回っている気がする。
そしてその混濁した意識やプルプルと小刻みに揺れる自身の両足を奮い出たせるために、今しがた自分に起きた怪現象に対しての精一杯の毒を吐き出した。
あれから一体、どれほどの距離を走ったのだろう。
見慣れぬ景色、聞かぬ野鳥の鳴き声。朱く染まった木々の群れが涼やかな微風を受け、互いの葉を擦り合わせ音色を奏でている。
まるでこれから訪れる闇夜を迎える儀式でもしているように、黄昏の森はざわめいていた……。
《警告。足を止めては駄目ですマスター。このまま十キロ程先にある洞窟まで休まず走り抜けて下さい》
音声合成ソフトの女性版のような、機械的で無機質な声が脳内に響き渡る。
なぜ、このような声が聞こえるのか。その疑問を解決する余裕は、今の俺にはない。
「……ちっ! 無茶言いやがる!」
感情を感じさせないその声の主に少し憤りを感じるが、既に反論する気力はない。
そう。今はただその強制に近い指示に愚直に従い、疲労の蓄積により鈍くなった両の脚へと指令を送らねばならないのだ。
「オギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
――だがしかし、その命令を実行することは出来なかった。
先程までの辺りのざわめきを全て打ち消すような咆哮と呼ぶべき怒号が、俺の鼓膜を貫いたのである。
数キロ後方から大気を震わせ、その異形は紅き眼で見据えるようにギロリと睨んでいる。
体長およそ五十メートル――新幹線およそ二車両分――。全身は紅色を帯びた黒い硬質な鱗で覆われている。
見た目は巨大な蜥蜴のような体躯をしており、その背中にはそれまた巨大な蝙蝠の羽根のようなものが生えているのが目視出来る。
その異形は漫画や映画などでは少なくない登場をしており、しかしながら実際には存在し得ないはずの”ドラゴン”と呼ぶに相応しい姿をしていた。
「ははっ、まいったねこれは。どうやらご指名らしい。ったく、モテ期っつーの急に来るもんなんだなぁおい!」
恐怖で引き攣る内心とは裏腹に、敢えて口角を吊り上げてそう嘯きニヤリと笑う。
そしてラストスパートとばかりに残る全ての力を震える脚に込め、全力で逃避行動を開始した。
足場の悪い獣道を舞台にした、捕まったら即捕食の障害物競走の始まりである。
あの馬鹿でかいトカゲにとっては競走というより、晩飯前の腹ごなしにしかならないだろうけどな。
――ったく、食物連鎖の頂点は人間じゃなかったのかよ……。
緊急時だというのに、そんな無駄なことを考えられるほどには思考が麻痺してしまっていた。
そう。あまりにも現実感が無さ過ぎて、未だに夢を見ているような感覚に陥っているのである。
《――ッ!? ま、マスター! 即刻屈んで下さい!》
少し焦ったような合成音声が、無駄のない端的な指示を出す。
そして俺はその声を聴き、すぐさま頭から飛び込むようにして地面へと伏せた。
我ながらプロ顔負けのヘッドスライディングだっただろう。……言ってる場合ではないが。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
直後。背後から全てを灰燼に帰す熱波が迸る。
まるで俺をあざ笑うように目の前の障害物――森の木々や動物達――が、空から飛来する追跡者が吐き出した漆黒の炎によって焼失する。
一部黒炎が燻っている箇所を残し、辺り一面のほぼ全てが一瞬で炭化して崩れ落ちた。それほどまでに高温であるということだろう。
「――――っ!」
俺は目の前で起こった惨状に息を呑み、軽口を叩くことも出来ずにただただ茫然としてしまう。
おいおい、見た目に違わず空とか飛べるのかよ……。しかも何やらドス黒い炎とか吐いてるし。そもそも生物にそんなこと可能なのか? 全く、あの巨体はいったいどんな構造になっているのやら。
まぁなんにせよ、あんなのに触れたらミディアムどころじゃすまないな……。
――っていうか、障害物がなくなったらただの競走じゃねーか。あんなバケモンと、何をどうやって競えばいいんだよ……。
余りにも非現実的な光景に呑まれ、それどころではないというのにも限らず、心中にてぶつくさと呟いてしまう。
《……告。……ター、……マスター!》
先程のような、だが少し大きめの声量の合成音声が俺の脳に響き渡る。
不意を突かれた身体がビックゥと反応し、混濁した意識が現実へと連れ戻された。
《通告。マスター、クールタイム中の今しかありません。焼かれた地を突っ切りましょう! 早く!》
その声は今迄とは違い指示ではなく、命令するように呼び掛けてきた。
相変わらず抑揚のない声質なのだが、なぜか俺はその声に確かに存在する意思のようなものを感じた。
そんな彼女? の様子が少々腑には落ちないが、今は気にしている場合ではないだろう。
そしてその命令通りそのまま立ち上がろうとしたのだが、手足が……いや、身体が動かないのだ。
――ん? なんだこの魔方陣みたいなのは?
地に伏せながらも目だけは辛うじて動かせたので辺りを見渡すと、なにやら幾何学的な紋様が俺を中心に描かれているでないか。
《――驚愕っ! これは『独占制約。……どうやら、既に追いつかれていたみたいですね》
少し慌てた様子の合成音声がその正体を暴く。嘆息しているようなので、状況が好転した訳では無いのだろう。
しかしなんだ、そのボードゲームのみたいな名称は……。
なんとも緊張感のないことを俺が思っていると、合成音声が淡々とした説明を始めた。
――独占制約。
それはある特定の人物、またはその存在の行動を制限するために生み出された魔法だ。特に魔法の中でも特殊である、呪法の一つに分類される。
用途が限られてる上に最高位の魔導師にしか使えない極端な性能だが、指定した者を相手取ることで絶大な拘束力を発揮する。
まず対象とされたものはその場で脱力し、身動きが取れなくなる。そしてその上魔法や技能、特性なども制限される。
自力で解くのは困難を極め、その拘束力は対象の情報をどれだけ知っているかがそのまま強度となる。
しかし外部からの干渉には弱いため、呪法に精通している他者に解いて貰えば、比較的容易に解呪出来るとのことだ。
ちなみに特定人物以外には一切の効果が無いらしい。……また尖がった性能だこと。
――は? ちょっと待って? ……魔法に魔導士、それに技能だって? なにを訳の分からないを言っているのだね。
っていうか、そもそもなんで俺がその特定厨に狙われるんだよ!
次々と起こる異常事態に、どれに対してなにをどう解釈すれば良いのかもう良く分からなくなっていた。
ふむ。まずは理解出来ない事柄より、現在進行形で悪化し続けるこの現状をどうにか切り抜けなければなるまいな……。
不意に思案する俺の眼前で、ズシン! という大地を揺るがすような衝撃が発生した。
なにをするよりも先に――まるで考える時間すら与えないとばかりに――追跡者の巨大な紅黒の体躯が、今まさに降臨したのである。
その衝撃は凄まじく、着地した地面は大地を割くように波状の亀裂が走っているではないか。
同時に周囲に燻ぶっていた黒炎も、彼の竜の羽ばたきによりかき消されている。
そのせいか、眼前に聳え立つ巨躯の姿が否が応でも目に入る。
見ればその硬質そうな黒鱗は傷だらけで、まるで歴戦の武士が纏う甲冑のようである。
赤黒く見えたのは、傷ついた鱗の隙間に染み付いた血液が酸化したものなのだろう。
こいつ、風呂とか入らなそうだしな……なんて、言ってる場合かっ!
「――あぁぁ、くそがっ! なんで動かねぇっ! こちとらトカゲの餌になるなんざ、まっぴらごめんだっつーのによっ!!」
チェスで言えば完全にチェックメイトの状況。それなのに俺は毒づき、目の前の怪物を睨みつけていた。
なんなんだこの理不尽な存在は、と。
おそらくは気が動転していたのだろう。間違いなく恐怖を感じているはずなのに、気が付けばなぜか挑発するような罵声を発していた。
この状況で事態を悪化させるようなことは、愚策以外の何物でもないというのに、だ。
「……ほう。彼奴の魔術を受け、まさか声を発することが出来るとはな。それに絶体絶命たる状況で敵意を失わぬ意気や由、せめて一撃で葬ってくれようぞ!」
「――――んなっ!?」
言葉遣いまでまるで武士のような物言いで、目の前の赤黒き竜が流暢に言葉を発する。
――いや、お前こそしゃべるのかよっ!?
俺自身何度驚いたのかもう自分でも分からないが、それでも反応してしまう。
ただでさえ記憶が曖昧なのに、次々と起こる不可思議な現象にまるでついていけない。
……俺は、死ぬのか? こんな訳の分からない状況で、訳の分からない相手に殺されるのか?
まだ他にも仲間がいるような呟きの後、赤黒き竜は言葉の通りその隆々な右腕を大袈裟に振りかざした。
――嫌だっ! 死にたくない! 俺にはまだやんなきゃなんねーことが、沢山残ってんだよっ!
どうにか抜け出そうと身体に指令を出した直後。「ドシュッ!」っという鈍い音が聞こえ、焼けるようなほど熱いドロッとした液体のようななにかが身体に降り注いだ。
俺は、その不快な感触に身震いをした。どこかで嗅いだことのある錆びた鉄のような匂いもまたその感情を煽っている。
熱い。……そうか、俺はあの巨大爪に引っ掻かれたのか。……クソ、痛みすら感じねぇ。もう、駄目なのかも、な。
諦めかけたその瞬間。不意に、ある疑問が脳裏を過った。
ん、あれ? ……降り注ぐ?
直後。夜闇を切り裂くような慟哭が、焼け野原となったその大地に響き渡った。
いつの間にか閉じていた目をうっすらと開けると、そこには右腕を斬られ発狂している竜を背景に、月夜に照らされ白磁に光る膝丈のフレアスカートがひらめいていた。
怪訝に思い見上げると、白銀の鎧を部分的に着た端麗な女性が黒いリボンで束ねた白金色に輝く艶やかな髪を揺らし、その透き通るような碧眼でこちらを覗き込むようにしているではないか。
俺はその姿に吸い込まれるように見惚れ、そのまま視線をひらめく布地の絶対領域辺りまで下げたところで、頭にズキンと鈍痛が走った。
白……いや、どこかで見たことがある。というよりその女性の姿は、俺が長年夢にまで見た理想の嫁の姿に酷似していた……。
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