僕の恋。 ~2年前の夏~
僕は、その夏。
柔道の合宿で沼津に来ていた。
セミがやけにうるさく鳴く。
日差しは殺人的で。
異常にまぶしい光で。
すべてのものを。
白く、焼きつかせていた。
道場の温度計。
50℃。
・・見ないほうがよかった。
強豪が、その合宿に集まって。
殺人的ともいえる修練。
苦しさに、あえぐ声。
身体がぶつかりあう、危険な音。
ここは、溶鉱炉。
熱くて。
熱くて。
のどは焼けついて。
それでも、合宿メニューは続く。
休憩は、絶望的になかった。
時の進むのが遅い。
意識が遠のく。
脱水症状。
以前、風邪をひいて、高熱がでたときよりも。
渇ききっていた。
その時は、点滴をうって、なおったけど。
今は、それよりひどくても。
水も飲めない。
渇いて。渇いて。
道場は50℃。
僕は、本能で動いていた。
戦っていた。
無意識に。
人間としての、心を失い。
ただ、目の前のヤツを倒すコトのみ。
他のことなんて。
考えるチカラもない。
道場で吐くヤツ。
僕も2日目に、吐いた。
蹴られながら、床を掃除して。
もう、そんなのヤだから。
僕は、食事の量も減って。
身体はますます限界になっていた。
今日も空調設備のない道場は。
50℃。
熱くて。
熱い。
渇いて。
渇ききって。
僕は、道着の袖の汗を。
口に含んで。
それでも、まだ最低限の水分に満たなかった。
苦しみは。
このまま。
永遠に続くのか。
遅い時の流れの中で。
確かに。
声がした。
「こんにちは~☆」
声。
女の子の、声。
そういえば、久しぶりに聞いたような。
考えるチカラもない僕は。
しばらく・・そのまま戦っていた。
渇きに。
他のみんなも、もちろんそうだと思う。
でも、雰囲気が変わった。
「アクエリアス」
ケースで。2箱。
なんと、その青い文字の、涼しげなことだろう・・!!
アクエリアス・・!!
道場全体が。
鬼どもの。顧問たちも。
それを凝視していた。
鬼の棟梁と。
女の子。
話してる。妙な取り合わせ。
「おーい、差し入れだぞぉ!」
差し入れ・・!!
ありえない。
ありえない。
毎日、水すら飲まさない地獄の番人が。
今日に限って。
差し入れのアクエリアスを。
許可するなど。
気づくまでに。
かなりの時間が・・・かかったような気がする。
その女の子が。
僕の彼女だったということに。
信じられなかった。
埼玉から静岡の沼津まで。
一人で、来ていた。
アクエリアスの箱に群がる。
みんな。
僕も。渇いていたけど。
信じられない、彼女の存在に。
しばらく動けなかった。
彼女は。
僕を見ると。
笑顔で。
手を3回、ふって。
そそくさと。
道場から出ていった。
「時間を!!!!! 自分にください!!!!!」
もてる限りの、渾身の、チカラを込めて。
顧問に言った。
女の子が、一人で差し入れにきたのが。
鬼の心をとろかしたのか。
20分の休憩をもらえた。
僕だけに。
アクエリアスを2本、とって。
僕は、長い、外の廊下を。
くつをはくのも忘れて。
動かない身体。
だるくて。
いまにも、寝たい。
身体に。
むちうって。
後ろ姿に、その子の名前を呼んだ。
僕は、その子のこと。
それほどでも、なかった。
でも、この時。
僕は。見た。
彼女は僕を、間近で見て。
その衰弱ぶりに。
ハッ! となって。
「だっ・・大丈夫・・?」
その、声に。
心配してくれる声に。
身体のチカラが抜けていく。
僕の目から。涙が。
滂沱のように。
渇いていても。
止まらない。
彼女に、もたれかかってしまった。
この時。
僕は。
女神を見た。
忘れない。
強い日差しの、渡り廊下。
彼女の顔を。
今でも・・ハッキリと思い出せる。
僕は、やっとアクエリアスを飲んだ。
沁みていく。
沁みていく。
なんとも言えない、清涼感。
「あげる・・ね」
彼女のために持ってきていた、もう一本も。
その、のみかけのアクエリアスも。
僕は、美味そうに飲んだ。
彼女も泣いていた。
なにもしゃべらない、時間だけど。
セミと強い日差し。
僕は・・声にした。
「ありがとう・・・」
「いいよ・・」
僕は、もっといっぱい、いっぱい。
言いたいことがあった。
・・こんな遠くまで、一人でよくきたね。
・・お小遣い、大丈夫?
・・気持ちが嬉しいよ。
遠いから、彼女はスグに帰らなくちゃいけない。
僕も、あの練習に戻らなきゃいけない。
僕は。
言葉がでなかったけど。
ゆっくりと、抱きしめて。
汗くさいかもしれないけど。
抱きしめて。
やっと。もう一回。
言葉にした。
抱きとめられた、まま。
「ありがと・・・」
つぶやく。
「えっ・・?」
彼女は、聞こえなかった。
耳を僕の口に近づけた。
僕は、左手をゆっくりと、頬に添えて。
キスした。
アクエリアスの味がいっぱいの。
キス。
渡り廊下は夏休みの静けさ。
誰かが見てるかもしれないとか。
気にならなかった。
もう、終わってしまった恋だけど。
僕は、今でも。
アクエリアスを飲むと、思い出す。
あの・・殺人的に辛かった・・・夏。
そして、このキスを。
アクエリアス、いっぱいの。
思い出。