死を誘う本『タママ』
光明大学にてめでたくオカルト研究会に入部した僕だったが、予想に反して楽しい毎日を送っていた。
オカルト研のメンバーは思っていたほど変人ばかりではなく、普通に皆親切でおおらかな人が多かった。変人ばかりではないといったものの、ほとんどの人がオカルト話になると目の色を輝かせ、熱に浮かされたように話し出したりはするが。だが、何よりも御神楽さんと多くの時間を共有できることが、僕に限りない幸福を与えていてくれた。
元からオカルト研に入ろうと思った理由は、不純な動機かもしれないが、彼女のことが気になったからというものだ。僕が入部を決め、オカルト研に入ると告げたとき、彼女は穏やかな笑顔で歓迎してくれた。その笑顔を見れただけで僕の心は潤っていき、この部活に入ってよかったと実感できた。
御神楽さんを中心として他の部員たちとも仲良くなっていき、今では授業を除いたほとんどすべての時間を部室で過ごすようになっている。
しかし、今この瞬間において、部室は僕にとって心安らぐ場所ではなく、ひどく腹立たしい言い争いの場となっていた。
原因は目の前にいるこの男。全身を灰色の服で包み込んだネズミ男。
もはや僕とこいつの言い争いはこの部において日常的なこととして受け入れられているが、僕からしてみればたまったものではない。彼はまた、ひどく一方的に霊に関する話を切り捨ててきたのだ。
「なんで君はそういうものの考え方しかできないんだ!」
怒鳴りあげる僕を前に、レイは皮肉るような表情を向けてきた。
「お前こそ相変わらずねじが外れてるな。読んだだけで人を呪い殺す本なんて存在するわけないだろ。しかもそれを読んで死んだ人間がその本に憑りついて、自分と同じような人間にその本を読むように薦めてくるだって? 全くこんな戯言を信じるなんて、頭がいかれちまってんじゃねぇのか」
「現にその本を読んだと友人や家族に話していた人が、何の前触れもなく突然事故に遭ったり自殺を図るなどして死んでるんだ。それらがすべて偶然だっていうのか」
「ああ偶然に決まってんだろ。たまたまその本の話をしてたやつがたまたま何かトラブルを抱えていて自殺したり、たまたま注意力散漫になっていて事故に遭った。それ以外に解なんてねぇよ。ああそうか、そういった精神的に少し病んでるやつが勝手に作り上げたのがその呪いの本なんだな。自分の辛さをありもしない本のせいにしようとしたんだ」
「くっ……」
反論はしたい。しかし、その本を読んだ人がすべて死んでいる以上、反論のしようもない。
僕が腕を振るわせて黙り込むと、見計らっていたかのようにオカルト研部長である、小泉隼一朗が声を上げた。
「よし、では我々オカルト研がそのオカルト、事実か嘘か証明しに行こうじゃないか!」
意気揚々とそう宣言する小泉部長。女子が羨むくらいのサラサラな髪をかき上げ、部室に集まっている部員たちに命令を下す。
「これからかの噂の温床となっている図書館に突撃取材を行う。図書館に勤めている人ならこの話も詳しく知っているかもしれないし、しらみつぶしに本棚を探していけば見つけられるかもしれない。さあ、活動開始だ」
部長の掛け声に応じて、僕とレイを除く部員全員から雄叫びが上がる。僕としては危険なことに首を突っ込んで欲しくはないが、このまま放置しておくのも気が引ける。それにオカルト研の人達は本気で霊に対して取り組んでいるため、あまり無茶なことはしないだろう。そう考え、少し顔を曇らせながらも、僕は彼らについていった。
「予想していたことではあったが、やはり不発か。例の本を見つけることは愚か、誰一人その本についての噂すら聞いたことがないとは」
ガックリと肩を落として部長が言う。
先程の会話から既に三時間。意気揚々と図書館に突撃したまではよかったのだが、なんの情報もつかめないまま時間だけが過ぎてしまった。
僕の目でなら、死を呼ぶ本を一目で見分けられるのではないかと思いもしたが、結果は惨敗。霊の取り憑いている本なら数冊見つけたが、どれもこの件とは関係ないものだった。
そもそも図書館に来るのはこれが初めてではないのだ。もし本当にそんな危険な本があったのなら、以前来たときに気づいているはずなのだ。
御神楽さんが意味ありげな視線を向けてくる。彼女だけは(あとレイもだが)僕が霊を視えることを知っている。だから、僕に何か視えたか聞いているのだろう。
首を振って視えなかったことを知らせようとすると、
「こいつ、その本知ってるってよ」
レイが証言者を連れて戻ってきた。
死を呼ぶ本について知っているという人物の登場に、オカルト研のメンバーがざわつく。もちろん僕もだ。まあ僕の場合は証言者がいたことよりも、レイが連れてきたということに驚いているのだが。レイもオカルト研の一員ではあるが、他の部員とは違い全く霊の存在を信じていない。そんな彼だから、こうした活動にはほとんど不参加だと思っていたのに。
「おい、何をぼけーっとしてんだよ。お前が望んでた証言者を連れてきてやったんだから、さっさと聞きたいことを聞けよ」
肩を叩いて証言者を僕の前に突き出す。
レイに連れてこられたその人は、眼鏡をかけた小柄な男性だ。何かに怯えているのか、不自然なくらい頻繁に目を動かしている。
彼の態度に違和感を覚えるも、特に霊が取り憑いている様子はない。普段からこういった人なのだろうと考え、質問を開始した。
「まず確認したいのですが、読むと死ぬ呪われた本を見たことがあるのですか?」
おどおどと視線をさ迷わせたまま、彼は答える。
「はい。読んだことはありませんが、表紙を見るだけなら……」
「表紙を見たのですか! では、その本のタイトルや見た目もわかると」
「本の大きさは一般に流通している文庫本よりも一回り小さいくらいのものです。タイトル――なのかは分かりませんが、真っ白な無地の表紙に『タママ』と書かれていました。他には何も書かれていなかったので、それがその本のタイトルだと思います」
「たまま? それは平仮名ですか? それとも漢字、カタカナですか?」
「ああ、カタカナで『タママ』です。そこまではっきりとは覚えていませんが、鉛筆で書かれたような文字で、細くて少しうねったような字面でした」
白無地の表紙で、大きさは文庫本よりも少し小さいサイズ。本のタイトルはカタカナで『タママ』と書かれ、鉛筆で記入されたかのようだった、か。
脳内で死を呼ぶ本についてまとめていると、小泉部長が口を開いた。
「今の話を聞く限り、その本はどこかで出版されたものではなさそうだね。誰かが自作で作った本。もしかしたら元はただのメモ帳だった可能性もあるね」
「そうなると、探すのは難しそうだな。もう一度本の大きさを元に探し回ってみてもいいが、そもそもこの図書館内にあるかどうか」
部員の一人が呟く。
僕は考えるのをやめ、証言者に向き直った。
「それで、その本を見たというのはいつ頃のことなんですか? 見た場所や、読んでいた人の顔とかを覚えているのなら教えてほしいのですけど」
「見たのは一週間くらい前です。読んでいた人の顔は覚えていません。その本を見た、といってもたまたますれ違った人が持っていたのをチラ見しただけなので、今どこにあるのかは分かりません」
「そう、ですか……。いろいろと質問に答えてくださって有り難うございました。もし次にまたその本を見たら連絡してください。ただし、くれぐれも中を読んだりはしないでくださいね」
僕たちは彼と連絡先を交換すると、その場で一度解散ということになった。
これ以上は有益な情報が出てくると思えなかったし、日もどっぷりと暮れていたからだ。
各自ばらばらと解散していく中、僕は部室に向かって歩き出した。特に何か用事があったわけではない。ただ、このまま家に帰る気分にはなれなかったのだ。結局死を呼ぶ本について、『タママ』という名前やその見た目が分かっただけで根本的な解決には至っていない。現状図書館にはないように視えたが、今図書館にないということは誰かがその本を持ち、今この瞬間にも死に導かれようとしているかもしれないということ。じっとなんてしていられないが、できることなんて何もない。
これからは暇があれば図書館を訪れ、タママが置かれていないか確認しようと決意する。もし未然に防げる死があるのなら――しかもそれが霊に関わる死であるのなら、霊の視える僕が何とかしないといけない。
そんなことを考えていると、いつの間にか部室へとたどり着いていた。
時間が時間だけに、僕以外の部員は全員部室に寄ることなく帰ったようだ。明かりをつけ、誰もいない部屋の中でぼんやりと座り込む。と、今しがた自動的に閉まったはずの扉が再び開き、御神楽さんが入ってきた。
彼女は僕の姿を認めると、ホッと小さく息を吐いた。
「隣、座ってもいいかな?」
「もちろん構いませんよ」
快く頷くと、御神楽は僕の隣に座り込んだ。
しばらくお互いに黙っていた後、不意に御神楽が口を開いた。
「読むだけで人を死に導く本。さっきの彼の話が本当なら、あるってことになるのかな」
「それは……分かりません。僕には霊が視えますから、その過程で呪いというものが実在することも知っています。霊の強い思いが発露して、周りの人に害をなすことも、多々あります。ただ、その本を読んだというだけで死に追いやるなんて……。一体どれだけの怨念を持った霊なのか想像もつきません」
「死んでもなお、独りぼっちだったのかもしれないね。強い怨念というよりも、一人でいることへの寂しさから仲間を求めて……」
「何にせよこのまま放っておくことはできません。どんな思いを持って死んだとしても、今この世界で生きている人を不幸にする権利はありません。不幸の連鎖は僕が止めて――」
「おう。お前らも残ってたのか」
不意に、無粋な声が割り込んできた。
部室の扉を開けて、全身灰色の服で身を包んだ男が入ってくる。
今回の一件では彼が証言者を連れてきてくれたため、いつもより少し敵意を弱めた視線を投げかける。いつもの癖で口調はきついものになってしまうが。
「君こそまだ学校にいたんですね。てっきりもう家に帰って寝てるのかと思ってましたよ。あんな下らない話を聞いた後では、どうせ何をする気も起きなかったでしょうから」
「なんだ、お前もさっきの話が下らない与太話だってことには気づいてたのか。まああんだけ適当なことを言われりゃ、馬鹿にだって嘘ついてんのは分かるか」
「嘘って……一体何の話だよ」
レイの言葉に、むっとなって口調を荒げる。またしても彼は変なこと言う。さっきの話のどこに嘘が紛れていたというのか。もし仮にあの証言者が嘘をついていたとしても、レイにそれを判別する手段なんてないはずなのに。
すると、レイは呆れた様子で肩をすくめてみせた。
「やっぱりさっきの話を真に受けてやがったのか。あんなもん一から十まで違和感だらけだったろうに」
「どこがだよ。別に彼の話に不審な点なんて――」
「ひとーつ、本のことを具体的に覚えすぎ。たまたますれ違った人が持っていた本をどうして大きさからタイトルまで記憶していたのか。
ふたーつ、本以外の証言が少なすぎ。本についてはそのタイトルがどんな風に書かれているのか、何で書かれていたのかまで証言したくせに、持ち主については記憶に残っていないとしか答えなかった」
「別に、そういうことだってあるだろ。彼の話を聞く限り『タママ』という本は一般の本とはかなり違った見た目だったみたいだ。ついつい本にばかり目が向いてしまって、持ち主にほとんど意識を向けなかったとしても不思議じゃ――」
「みーっつ、そもそもなぜ『タママ』って本が死を呼ぶ本だと分かったのか」
反論を遮ってレイの口から告げられた言葉は、僕の頭を真っ白にした。
呆然自失といった態で固まってしまった僕に対し、レイは淡々と言葉を続けた。
「読むと死ぬ呪いの本が本当にあるとは思えないが、噂になっている以上それについての証言者が出てくること自体はおかしくない。だが、証言者が呪いの本について知る方法はそもそも二つしかないはずだ。一つは友人やたまたま会話した人から間接的に聞くこと。もう一つは呪いの本を読んで死んだ知り合いを持っていること。それ以外には呪いの本について知る術なんてない。あの証言者が言っていたように、すれ違った時たまたま目に入った本を呪いの本だと断定するなんてあるわけないんだよ。どうだ、何か反論があるなら聞かせてもらおうか」
小馬鹿にしたような目でこちらを見つめてくるが、今回ばかりは反論の余地がない。いや、正確に言うなら一つだけあるにはあるのだが、それはレイに言っても一笑に付されるだけだろうからやはり言えない。
強く唇をかんで押し黙っていると、御神楽さんが涼やかな声で言った。
「レイ君の言ってることが正しいとしたら、結局あの人はどうして噓の証言をしたのかな? こうしてあっさり嘘だと分かるような証言をしたってことは、以前からこの噂を広めようと考えていたのではなく、ついさっき考えたばかりだと思うんだよね。レイ君はそこら辺のことも分かってるの?」
「まあな。それに関して多少面倒なことになるかもしれないから、お前らもちょっと手伝えよ」
どこか楽しそうな声音でそう言うと、レイはにやりと笑みを浮かべた。
「本当にこんなことして大丈夫なんですか。それにさっきの話、本当に起こると思っているんですか?」
「呪いの本が実在するなんてよりはるかにあり得ると思ってるぜ。まあ俺の思い過ごしだったらそれに越したことはねぇけどな。それと、俺はこのルートで何度も図書館に潜入しているが一度もばれたことはない。まず問題ないだろ」
「夜の図書館に不法侵入だなんて、何だかワクワクしちゃうな。ちょっぴり青春してる感じがする」
「そんな呑気なことを言ってる場合じゃないと思うんですけど……」
あれから、僕と御神楽さん、レイの三人はすでに閉館して真っ暗になった図書館の中に潜入していた。当然鍵がかかり、外からは侵入できないようになっているはずなのだが、レイが以前見つけたという秘密の通り道を使うことによって難なく侵入することに成功した。
こんなざるな警備態勢で大丈夫なのだろうかと大学側を心配する気持ちもあるが、レイの話が事実であれば今は緊急事態。今回だけはそのざるな警備体制に感謝しないといけない。
僕たちはレイの指示に従って、離れすぎない程度にバラバラに分かれて本棚の陰や机の下に身を潜める。
レイの話が杞憂であればこのまま何も起こらず、今やっていることは無駄足に終わるのだが、果たしてどうなるか――
さほど待つこともなく、その答えはやってきた。
僕たちが使ってきたのと同じ秘密の通路を使って、人型大の黒い影が図書館に入ってくる。
レイの言っていたことが正しかったのだという事実に、興奮と緊張がどっと胸の中で踊り始めた。
決して気づかれないよう声を潜めて影の動きを見守っていると、影は何の迷いもなくある本棚に向かって一直線に歩き始めた。
僕は音を立てないよう慎重に体を動かして、ゆっくりと影の後を追う。目には見えていないが、御神楽さんやレイも少しずつ接近しているはずだ。
と、影の動きがある本の前で止まった。影はおもむろに本棚へと手を伸ばし、一冊の本を引き抜く。
「あ、あれは……」
影が引き抜いた本を視た途端、僕は言いようもない震えを全身に感じた。影が手に取る直前まで、それは何の変哲もないただの本だった。僕の目から視ても他の無数にある本と何ら変わらない、どこにでもあるありふれた本。しかし、今僕の目に視えているその本は、他のどんなものよりも異彩を放っていた。
無数の霊の手が本の周りに憑りついていて、まるで一つの生命体の様にさえ見える。幾重にも張り付いた霊のせいか、不思議とその本は虹色に輝いているように見えた。
見る者を魅了し、視る者を包み込んでしまう力を秘めた本。
僕はそのあまりの輝きに、自然と体が動き始めるのを感じた。
理性ではまずい、危険だという声がする。だが、理性以外の、僕の魂ともいえる部分が、確実に、その本へと引き寄せられていた。
いつの間にか隠れていた机から抜け出し、僕は本のそばへと寄っている。視界には、まばゆく輝く一冊の本だけが映り込む。そこにはびこる無数の霊が証明しているように、ありとあらゆる深い感情をまとったそれ。読んでしまえばたちどころに心を奪われてしまうことは間違いない。だが、心を奪われても構わないから、少しでもそこに書かれてあることを――
「んじゃ、これは回収させてもらうぜ」
ふと気づくと、いつの間にか影に近寄っていたレイが、影から本を奪い取っていた。それは気軽に。まるでただの本を手に取るように。
唖然とする僕と影。レイはそんな僕たち二人に目を向けることなく、自然な動作で本を開き、中を覗き込んだ。
ハッと、慌ててレイを呼び止める。
「レイ、ダメだ! その本を読んだら君まで――」
「何だ、大したことは書いてないな、つまんねぇ。まあ呪いの本だとか言っても所詮はこんなもんだろ。じゃ」
レイはポケットから直方体の小さな箱――ライターを取り出すと、何のためらいもなくその本に火をつけた。
「「な!!!」」
僕と影の声がシンクロする。
信じがたい光景。先程までこの世のものとは思えない魅力的すぎる輝きを放っていた本が、めらめらと真っ赤な炎に包まれていく。
「おっと、ここで燃やすのは不味かったな。火災報知器が鳴り出しちまう。燃やすんなら外でやんねぇと」
口笛でも吹きそうな気安い調子で、レイは隠し通路を使って外へと出て行く。
呆然と立ち尽くし、何が起こっていたのか理解できずにいること約一分。我に返った僕は、急いでレイの後を追って外へと向かう。
外に出て、真っ先に目に入ったのは、完全に火に包まれ黒に染まっていた呪いの本。
レイはどこから取り出したのか、手に持っていたペットボトルを振りかざし、中の液体をドバドバと本に振りかけ鎮火させる。
やはり唖然として声も出ない僕に向かって、レイはにやりと笑ってみせた。
「これで呪いはなくなったな」