首吊り坂
光明大学。それが今年から僕が通うことになった大学だった。
光明大学は偏差値は低くも高くもない中堅大学だが、入学試験には面接が含まれており、どんなに筆記試験の成績がよくとも面接次第では不合格になることで有名な、性格や人格を重視した大学である。
光明大学の基本理念は、「目を見て話す」というものだ。
情報化社会が進む昨今では、メールや電話を介することにより、お互いに面と向かって話し合うような機会が失われている。だが、それでは相手の本心に直に触れることはできず、真に協力しお互いを高めあうことはできない。互いに顔を見せ合い、相手に向かって話すときも、相手の話を聞くときも、常に相手の目を見ること。もし相手の目を見て話をすることができないのなら、その人物から放たれた言葉はすべて嘘っぱちであると。
まあ僕自身よくわからない。とにかくそのような理念のもと、社会に出て立派な人間として活躍できる人間を作り出すことが目的の学校に僕は入学した。
深い理由はない。それどころか一般の受験生が聞いたらそれでいいのかと言いたくなるような理由でこの学校を選んだのだ。
ずばり、基本理念に『目を見て』という言葉が入っていたからこの学校を選んだというのが理由だ。
一般の人には見えないものが視えてしまう僕には、『目』だの『見る』だのという言葉へ過敏に反応する癖がついてしまっていた。
そんな僕がたまたま人気の大学について特集した雑誌を読んだ際に光明大学の基本理念を見つけ、なんとなく興味を持ち、なんとなく受験をしてみた結果、普通に合格。そういうわけで、僕は光明大学に通うこととなったのだ。
さて、そんな適当な理由のもとこの大学にやってきた僕は、入学式の日にあった新入生のためのオリエンテーションに参加し、それなりに親しくなれそうな人を見つけ交流の輪を広げ、素早く大学における基盤を固めていった。
そうこうして足場づくりに奔走していた僕は、入学から数週間が過ぎたある日、学内にあるサークル紹介の掲示板をぼんやりと眺めていた。
そして、どのサークルに入ろうかと掲示板を眺めていた僕の目は、一枚の勧誘ポスターに目を止めた。
僕が見つめるポスターには『オカルト研究会』と大きな文字で書かれており、可愛らしくアレンジされた真っ白な幽霊の絵が描かれていた。
別に運命を感じたわけではない。ただ、どうにもそのポスターが気になった。いや、オカルト研究会というものが気になったのだ。
科学万能主義のこの時代に、わざわざオカルトなどというものをこの最も青春を謳歌できる時期に取り扱っているサークル。もしかしたら、そこには僕と同じように霊が視える人間が集まっているのではないか。
もちろんそんな望みが薄いことはわかっている。しかし一抹の期待を押し殺しきれず、その日の講義が終わってから、オカルト研究会の部室へと足を運んだ。
オカルト研究会の部室では、数人の男女が楽し気に、今話題の心霊スポットについての話をしていた。
僕が部室に入っていくと、それらの会話をやや遠巻きに眺めながら椅子に座っていた女性が僕にあいさつし、
「入部希望ですか?」
と声をかけてきた。僕が曖昧にうなずくと、、その女性はどこか寂し気な笑みを浮かべながら聞いてきた。
「あなたはオカルトに興味があるのですか?」
再び曖昧にうなずくと、彼女は可愛らしく微笑み座っていた席に戻っていった。
しばらくの間、おそらく僕がこの部室に入ってきたことに気付いてもいないであろうオカルト研究会の部員たちの幽霊談義を聞いた後、静かに部室を出て行った。
彼らの話を聞いている限り、オカルト研究会には僕が期待していたような人はいなかった。ただ、オカルトと名の付くような不思議なことを酒のつまみに話し合うだけの集まりでしかなく、霊が視える人はおろか、そもそも霊を信じてさえいないだろうといった人ばかりのように感じた。
元からそこまで期待していたわけではないとはいえ、あまりにも想像と離れた有様に、僕は一度小さくため息をつくと、家に帰ろうと歩き始めた。
すると、僕のことを追いかけるようにして、オカルト研究会の部室から人が飛び出してきた。最初はただトイレにでも出てきたのだろうと思い、気にせずそのまま帰ろうとしたのだが、その人は「待って」と言うと、僕の目の前に立ちふさがった。
その人物は、さっき部室に入った際に、唯一会話を交わした女性だった。彼女をいぶかしげな目で見ていると、彼女は突然思いがけないことを言ってきた。
「君、幽霊が視えるんだよね?」
僕は彼女の言葉を聞き、一瞬何を言われたのかわからず、あっけにとられた表情のまま見つめ返した。が、彼女の言った言葉を脳で正しく処理した瞬間、僕は彼女の手をつかんで近くの喫茶店に向かっていた。
まだ大学周辺の店に疎かった僕は、結局彼女行きつけのお店に案内してもらい、そこで話をすることとなった。
ちなみに、今僕たちのいるお店の名前は『レイ』という名前の喫茶店であり、オカルト研のメンバーがその名前を気に入ってよく使い始めたのだそうだ。店の雰囲気は照明がやや暗めに設定されていることもあってか、学生がワイワイと騒ぐような場所ではなく落ち着いた雰囲気の店だった。
席に着くとまず、僕と彼女はお互いに軽く自己紹介をした。
彼女は御神楽明音だと名乗った。
髪は黒のストレート、肌の色は白く、物憂げな表情を浮かべてはいるものの、とても美しい女性だ。
僕はさっそく、最も知りたいことを彼女に尋ねた。
「御神楽さんは霊が視えるのですか?」
彼女は物憂げな表情のまま首を横に振る。
「ごめんなさい、私には幽霊を視る力はないわ」
僕は彼女の顔を見つめながら言う。
「では、なぜ僕が霊を視えると思ったのですか?」
彼女は少し懐かしそうに視線を上に向けながら、呟くように言った。
「あなたにね、似ている人と知り合いだったの」
視線を僕に戻し、話を続ける。
「私が小学校にいたころにね、霊が視えるって噂されてた女の子がいてね。彼女は普段はただのおとなしい女の子だったけど、時々何もないはずの空間をじっと見てたり、突然何かに怯えるように体を震わせたりしてたの。あまりにも彼女の行動に不自然なところが多かったから、いつの時からか彼女には霊が視えていて、普段から私たちとは違う世界を見ているんじゃないかって噂になったの。そのころの私は幽霊とか妖怪とかを信じてて、さっきあなたがオカルト研究会で見た人たちみたいに、暇があれば幽霊や妖怪について調べて友達や家族に対して熱く語ってたの。そんな私だったから、同じ学校内に幽霊が視える少女がいるなんて噂を聞いたときはいてもたってもいられなくて、友達や先生に聞きこんでその女の子と会おうとしたの。聞き込みのかいあって、聞き込みを始めた日の放課後にはその少女のことを突き止めたわ。ただその日はすでにその少女が家に帰った後だったから、彼女の机の上に『明日の放課後に会いに行くので帰らないでください』っていう書置きを残して帰ったのよ。それで次の日の放課後、私は宣言通り彼女に会いに行ったわ。彼女は教室でちゃんと見ず知らずの私のことを待っていた。その瞬間が私と彼女の初対面だったわけだけど、私はすぐに彼女が幽霊の見える少女だと気付いたわ。彼女が身にまとっている雰囲気は明らかにほかの生徒たちとは違ったから。それで私は自己紹介もなしにすぐさま彼女に問いかけたの、「幽霊が視えるって本当なの?」って。そのまま彼女の返答も聞かずに私は幽霊や妖怪について熱く彼女に語りかけ始めたんだけど、その時の彼女の表情。憐れんでるというか、馬鹿にしているというか、悲しんでいるというか……、まあ私には結局彼女がどんな気持ちで私の話を聞いていたのかはわからなかったけど、ただその表情がオカルト研究会の部室であなたが見せた表情にそっくりだったの。だから、つい」
御神楽はそういうと、テーブルの上にあった水を飲み、一度軽いため息をついた。
「ごめんなさいね。あなたには全然関係のない話を長々と。あなたに声をかけたのはそれだけの理由で、私が霊を視えるわけじゃないの」
ごめんなさい。御神楽はもう一度そう僕に謝ると、椅子に深く座りなおした。僕は彼女のはかなげな表情を見ながら、軽く首を横に振る。
「謝罪なんて必要ありませんよ。僕から理由を尋ねたんですから。それより、その少女とは今も連絡を取っているのですか? もし連絡先を知っているなら一度」
「彼女は死んだわ」
僕が最後まで言う前に、御神楽は言葉を吐き出した。彼女の言葉の意味を一瞬理解できず、僕は口を閉じたが、意味を理解すると同時に再び言葉が口をついて出た。
「どうして、死んだのですか」
「少し長くなるけどいいかしら?」
御神楽は先ほどの話が思いがけず長くなったからか、今度は先に断わってきた。今、僕がどんな表情をしているのかは自分自身にもわからないけれど、きっと随分強張った顔になっていたとは思う。僕と同じく霊が視える人間がいて、その人が寿命とかではなくすでに死んでいる。そのことは、僕の心に深い影を落としていた。
御神楽は、僕の目をしばらく見つめた後、ふと視線を上に向け、ゆっくりと思い出しながら語り始めた。
私とその少女が出会った小学校はこの町とは別の、ずっと遠い地方の田舎町だったのだけれど、その町にはいくつか都市伝説が存在したの。そのうちの一つに『首吊り坂』っていう伝説があったわ。住宅街にある何の変哲もない坂なんだけど、その坂の中間地点に一本だけ大きな木が立ってるの。噂によると、その木では何人もの人間が首を吊って自殺をしたとされていて、真夜中にその坂に行くとその木で首を吊って自殺した人たちが坂に現れて、通りがかった人たちに首を吊るように勧めてくるっていう伝説。
当時の私はその伝説が本当なのか確かめに行こうとしたこともあったけど、親から夜間の外出を禁止されていたせいでできなかったわ。でも、彼女の――霊が視える女の子のクラスメイトは、彼女が本当に霊が視えるのかどうかを確かめるという目的もかねて、深夜に首吊り坂に肝試しに行ったの。当然彼女を連れて。
私がその話を知ったのは彼女が首吊り坂を訪れた次の日のことだったから、そこで一体何があったのかは私には全く分かっていないわ。ただ、彼女は首吊り坂で肝試しをした次の日学校を休んだ。ちなみに、私は彼女と初めて会ったあの日から、毎日放課後になると彼女に会いに行ってたわ。基本的には私がただただ幽霊について彼女に持論を語り続けて、彼女がそれを黙って聞き続けるだけっていう変わった関係だったけど、不思議とつまらなくはなかったわ。彼女は私の話にほとんど反応してくれなかったけど、私の話をしっかりと聞いていてくれてるように感じたし、何より私の存在を嫌がるどころか喜んでいるようにさえ感じたの。必要とされている、きっとそう感じていたから私は彼女に毎日会いに行っていたのかもしれない……。
まあ、私のことは置いておいて彼女の話に戻すけど、彼女が首吊り坂に行ったことと、その次の日に休んだということを聞いた私は何だか胸騒ぎを覚えて、先生に彼女の住所を聞くと、そのまま彼女の家に向かったの。私が彼女の家を訪れてインターホンを鳴らすと、彼女の母親が出てきたわ。私がお見舞いに来たっていうと、彼女の母親は喜んで私を家の中に入れてくれた。しばらく彼女の母親と話した後、私は彼女のいる部屋に案内してもらったの。
彼女は真っ青な表情でベッドに横になっていた。あまりにも彼女の体調がよくなさそうだったから、私はお見舞いに来たのだということだけを告げてすぐに家に帰ろうとしたの。けど、彼女は苦しそうに顔をしかめながらも私に言ってきた。
「帰らないで。あなたと生きて会えるのも今日で最後かもしれないから……」
突然彼女がそんなことを言ってきたから、私は驚いてそのわけを尋ねたわ。そしたら彼女は、私のほうを向きながらも、私に焦点を合わせずに話し出した。
「……首吊り坂には今も自殺者の霊がいる。彼らは今も仲間を探している。私には霊、なのかどうかはわからないけれど普通の人には見えないものが視えていた。でも今まで視えていた霊が何を思って、どんな目的があってそこにいるのかはわからなかった。でも、あそこにいる霊が何を思っているのかははっきりと分かったの。彼らは寂しかった。ただ、とにかく寂しかった。年齢も性別もばらばらだけど彼らは共通してこの世界になじめず、ほとんどの時間を孤独に過ごしてきた人たちばかりだった。だから、彼らは人里離れた山奥などではなくて、人がたくさんいる住宅街近くのあの坂で自殺をした。彼らはこの世界になじめずに死を選んだけれど、一人になりたかったわけじゃない。それどころか自分と同じような人と知り合って、孤独を少しでも癒したかった。だから、あの坂には孤独を抱えた人が同じように集まって、自分の仲間がやってくるのを待ち構えている。そして、私には彼らの気持ちが痛いほどよくわかる……」
彼女はそう言って一度口をつぐんだ。私は彼女に何と声をかけてよいかわからず、ただ彼女の顔をじっと眺めているしかなかった。彼女と知り合ってまだ大して時間が経っていないし、私は幽霊や妖怪などの不思議なものが好きなだけであって、それが実際に見えてしまう人の気持ちなんて一度も考えたことがなかったから。だから、私には彼女にかける言葉が見つからなった。
しばらくすると、今度こそ彼女は私の目をしっかり見て話し始めた。
「霊が好きで、それを視える人に対しても怖がったり気持ち悪がったりせずに接してくれる。最初こそ少し鬱陶しいと思ったけど、初めて一緒にいて苦痛にならなかった。私がおかしな行動をしてもあなたは気味悪がらずに一緒にいてくれた。でも、この世界は私の存在を受け入れてくれないし、あっちの世界も、あなたと一緒にいたら私のことを受け入れてくれない。
ねぇ、お願いがあるの。私はもうあっちの世界に居場所を見つけてしまったけれど、私と同じ境遇で、少し前の私同様どちらの世界にも受け入れてもらえない人もいると思う。その時は……」
彼女は突然そこで言葉を切り、再び私を見ながら私でないものに視線を向けた。そして、彼女は一度小さくため息をつくと、目を閉じてから私に向かって言った。
「少し疲れたわ。お見舞いに来てくれてありがとう。もう帰っていいよ」
彼女は急に私を遠ざけようとしてきた。やっぱり私には彼女にどう声をかけていいか分からなくて、私は言われるままに彼女の部屋から出ようとした。私が彼女の部屋の扉を閉める際に、かすかにだけど「ありがとう」って声が聞こえた気がした。それで私は、彼女に向かって大きな声で「ごめんなさい」って言い返して、走って彼女の家から出て行ったわ。
その日の夜だったか、その次の日だったかはもう覚えてないけど、彼女は自室で首を吊って自殺した。
御神楽はそこで言葉を切り、僕の目を見つめながら問いかけてきた。
「ねぇ、私ってどうすればよかったのだと思う? いまだになんて声をかければよかったのか分からないの。彼女に生きろ、って言うべきだったのかな」
僕は御神楽の目を見つめ返しながら言う。
「御神楽さんは間違ってないと思います。彼女に対して実のない言葉を投げかけてもいたずらに苦しませるだけだったでしょうし。ただ、この世界にだって彼女の居場所はきっとあった。要するに自分の居場所を先にどちらに見つけるかの問題でしかなかったんです。だから、彼女はきっと後悔はしていないし、あなたを恨んでもいないと思います。ですからあなたが彼女の死に責任を持つ必要はありません。どうか、泣かないでください」
御神楽は涙を流していた。きっと彼女は自分が泣いていることなど意識していなかっただろう。涙は時に自分の意志とは無関係に流れるものだ。
御神楽は涙をぬぐうと、少し恥ずかしそうにほほを染めながら僕に言った。
「恥ずかしいところを見せてしまいましたね。最初はあなたが彼女と同じく霊が視える人だったなら、困った時に私に相談してほしいということを伝えるだけのつもりだったのに……。何だか私のほうが相談に乗ってもらう形になってしまったけど、もしあなたがその視える体質のせいで困っていることがあったなら今度こそ私が相談に乗ります。できるだけあなたの力になりたいから」
僕は一度頭を下げてから言う。
「ありがとうございます。霊が視えることを受け入れてもらえただけで――」
「霊なんて存在するわけないだろ」
突然、僕の言葉を遮るようにして、一人の男が口を挟んできた。全身をグレーの服で包んだ、ネズミ男のような格好をした男。
僕が戸惑いつつその男を見ていると、御神楽が男に声をかけた。
「レイ君、いたのね。いるんだったら声をかけてくれればよかったのに」
「お前がよく分からないくだらない話をしていたからな。かったるくて話しかける気が失せたんだ。それにお前が連れてる男も霊が見えるとか戯言をほざいてたからな」
今の今まで霊が視えたことで自殺することになった少女の話を聞いていたせいだろう。俺はレイという男の発言に対し憤りを隠せず、彼に食って掛かった。
「霊がいない、なぜあなたはそんなことが言えるのですか。霊がいないと言うくらいならあなた自身は霊を視たことがないのでしょう? だったらいるかどうか否定も肯定もできないはずだ」
レイは馬鹿にしたように僕を見ながら言う。
「悪魔の証明を俺にさせたいのか、お前は? くだらねぇ。そもそももし霊なんてものがいるとして、そいつらが生きてる奴らに影響を起こせるなら、今頃すべての人間が霊の存在を認めてるだろ」
「霊が視えるには一定の条件がいるんだ。その人自身の感情とそこにいる霊が求めている人間の種類。霊にだって感情はある。というよりも霊は特定の感情の塊だと言ってもいい。だから霊が求めている相手にしかその影響は及ぼされないし、視ることもできない」
「都合のいい話だな。俺からしてみれば心を病んでいる奴が自分自身を納得させたいという理由のために生み出した幻覚や幻聴だとしか思えないな。お前の言う霊が求める相手ってのはどうせ全て心の弱っている人間だけだろ。もし本当に霊が感情の塊なら、なんで犯罪者がぴんぴんして牢屋で生きてんだよ。どうして霊は自分を苦しめた人間のもとに行こうとしない」
「霊を否定する人はたいていそのことを持ち出しますね。でも、今まで霊を視てきた僕にはわかる。霊の影響を受ける人間は多かれ少なかれ死を意識している人間なんだ」
僕の言葉に、レイは目を怒らせて睨み返す。
「要するに心の弱い人間ってことだろ」
「違う。本来どんな人間だって死に対する興味や憧れがある。それは心の強さや弱さに関係なくだ。もちろん普段は死に対する恐怖のほうが強いけど、いつかは自分に絶対に訪れるものなんだ。死に対して特別な感情を持っていない人なんてほとんどいない」
「俺にはお前が何を言いたいのか全然わからないな。仮にお前の言うことが事実だとしてそれで犯罪者が霊の影響を受けない理由にはならないだろ」
僕は首を横に振る。
「そもそも君は犯罪者が霊を視えないと言っているようだけど、多くの犯罪者は霊を視ていると思うよ。ただ、人を殺すような犯罪者は死に対しての関心がない人がほとんどなんだと思う。だから彼らは人を殺せるし、霊からの影響も受けない」
レイはくだらないという思いを吐き出すように、大きくため息をつく。
「お前の話は仮定ばっかで実がねぇな。それこそ否定も肯定もできねぇよ。まぁお前の霊に対する話はめんどくさいからいったん置いておくにしても、御神楽の話してた霊感女が霊のせいで自殺したってのが嘘だってことぐらいは認めるよな」
僕はまたしてもレイの言葉に対して過敏に反応してしまう。
「どうして御神楽さんの話が嘘だっていうんだ。彼女の話にはおかしなところなんて何もなかっただろ」
レイはちらりと御神楽を見る。御神楽はさっきまでに比べてやや顔が青ざめているようだが、レイに対して小さく頷いた。話してもいいという合図だろう。
レイは僕へと視線を戻し話し始める。
「俺は今の御神楽の話を聞いたとき、とりあえず二つのことが気になった」
「二つのこと?」
僕はレイに聞き返す。
「ああ。まず一つ目、その自殺した霊感女と一緒に首吊り坂に行ったガキどもがどうなったのかだ。まあ十中八九なんともなかったんだろうな。もしそいつらも自殺したり、気が狂ったりしていたならさすがに御神楽も話しただろうしな。まあこのことはお前の考えから言わせてもらえば、そこにいた霊が求めていた人材じゃなかったから影響を受けなかったってことだろうが」
僕はレイの言葉にうなずいて返す。
「多分そうだと思う。同じ心霊スポットに行っても霊の影響を受ける人と受けない人では明確に差が出るから」
レイはまるで興味がないように、僕の言葉を軽く聞き流す。
「ふーんそうか。で二つ目だが、どうして霊感女が自宅で自殺したのかってことだ」
「そんなの簡単なことでしょう。彼女は御神楽さんと最後に話がしたかったんだ。だから自殺を留まって御神楽さんが来るのを家で待っていたんだ」
「ふん、よくわかんねぇ話だな。そもそも、その首吊り坂に行くと首を吊って自殺するように霊に勧められるんだろ。だったら本来そこで自殺すべきだし、そのあと家に帰ってから自殺するのはおかしい。というか、御神楽を待っていたのは別にいいけど、御神楽と話した後どうして首吊り坂に行かずに家で自殺したんだよ。霊ってのはそんなに簡単に移動ができるのか」
僕は少したじろぎつつも言い返す。
「それは僕にもわからないけど……。きっと彼女が首吊り坂に行ったあと、何人か霊がついてきたんだ。彼女が御神楽さんとの会話を不自然な形でやめたのも、霊が彼女に何か指示を出したせいだと思うし。結果としては、たぶん彼女の家から首吊り坂までは霊になっても移動できる状態にあったんじゃないかな」
レイは心底僕を蔑んだ目で見つめてくる。
「これだから自称霊感野郎は嫌いなんだよ。不自然な点があれば全て霊のせいにするし、とりあえず霊なら何でもできるとか考えてやがる」
「な、僕はそんな風に考えてなんか――」
「俺の考えでは……」
再び僕の言葉を遮るようにしてレイは話し出す。
「霊感女が御神楽に対して話すのを途中でやめたのは、あることに気付いたからだろう」
「あること?」
「まああることが何かを話す前に、御神楽に質問があるんだが」
御神楽は突然自分に話が振られて、驚いたようにレイを見る。
「質問って何?」
「お前さぁ、なんで霊感女の部屋から出るときに謝ったんだよ」
レイの言葉に御神楽が息をのむ。御神楽が沈黙しているのを見て、レイは視線を僕に向けた。
「さて、自称霊感男君に霊感女が自殺した本当の理由を教えてやろう。まあ、正しいかどうかは知らないけどな」
僕はレイの目を力強く見つめ返しながらゆっくりと頷く。
「いいよ、君の考えを聞くよ」
レイはにやりと笑い、口を開いた。
「そうだな、まずどこから話すべきか。とりあえず、首吊り坂への肝試し計画は御神楽が立てたというところからかな」
僕はその言葉を聞き早くも反論しそうになる。が、レイは僕のことを睨み付け、無言の圧力をかけてきた。僕が何とか口を開かずに我慢しているのを見たあと、御神楽のほうをちらりと見てからレイは話を続け始めた。
「当時の御神楽は霊だの妖怪だのにいたく興味があったんだろ。さっき自分でも言っていたが首吊り坂の伝説が本当かどうか確かめてみたいとも思ってたらしいな。さて、俺としてはもう一つ疑問、というか御神楽が微妙に話を避けていたことなんだが、いったい御神楽とその霊感女が普段どんな話をしていたのかだ。一方的に御神楽が霊感女に話しかけていたらしいが、まさか霊が視える女に会いに行ったくせに霊が本当に見えるかどうか確かめるようなことを一切しなかったわけじゃないよな。首吊り坂を検証できなかったのには夜間の外出禁止という理由があったからであって、検証できる伝説なんかは当然自分で確かめに行ったんだろ?」
最後は御神楽に対しての質問になっていた。御神楽はやはり少し青ざめた顔つきのまま、小さく頷いた。
御神楽が頷いたのを確認してから、レイは再び話し出す。
「つまり、御神楽は霊感女に対してしつこく霊が視えているかどうか検証しようといたはずだ。だが、そもそも霊が視えない御神楽は、霊が確実にいる場所なんか当然知らないし、結果として霊感女が本当に霊が視えるのかを確かめるすべを持っていなかった。だが運がいいことに、御神楽は一つ、自分が検証することこそできてないが、霊が出るとされている場所を知っていた」
「首吊り坂……」
僕は思わずつぶやいてしまった。そんな僕の様子を見て不敵に笑いながら、レイは続ける。
「そう、首吊り坂だ。御神楽はおそらく霊感女のことをそもそも疑っていた奴らに、霊感女を首吊り坂に深夜に連れて行くように頼んだんだ。もし伝説通り霊が現れるのなら、霊が視えるはずの霊感女に何らかのリアクションがあると思ったんだろうな」
僕は、レイがあまりにも一方的に御神楽さんの考えを決めつけていることに腹がたってきた。
「どんな根拠があってあなたはそんなことを言うんですか! 御神楽さんに対しても失礼だとは思わないんですか! 御神楽さんもこの失礼な男に何か言ってやってくださいよ!」
僕は御神楽のほうを見るが、御神楽は下をうつむいたまま何も答えない。僕は御神楽にさらに言葉をかけようとしたが、レイが先に話を挟んできた。
「根拠はないぞ。最初に言ったが正しいかどうかなんか知らん。ただ、霊が実在するなんて理由よりもはるかにありそうな可能性を言っているにすぎないからな」
「だったらそんな可能性聞きたくありません。根拠もないのにこじつけだけで人を傷つけるような話をするなんて……」
僕が憤りを隠せないでいると、レイは馬鹿にしたように僕を見つめてきた。
「まあ最後まで聞けよ、話は途中だし。それに多少は根拠もあるさ。ここまで聞いたんだし最後まで聞いてくだろ?」
「……だったらさっさと話してください。もしあなたの言う話が最後までただのこじつけだったのなら、僕は二度とあなたと口はききませんが」
「俺は元から霊感野郎なんかと話したくはなかったけどな。さてどこまで話したか。そうそう、御神楽が仕組んだってところまでだったよな」
レイはそう言うと、テーブルにあった水を飲んだ。
「御神楽の思惑通り、霊感女は首吊り坂に連れていかれた。さて、お前ならここで霊感女が霊を見てしまい自殺する気にさせられたのだというのだろうが、俺は違う。首吊り坂に行ったこと自体は間違いないと思うが、そこで起こったのは霊との遭遇なんかじゃない。一緒にいたクラスメイトからのいじめだよ」
「な! いじめ……」
呆然とする僕に対して呆れた視線を向けながら、当然のことだと言わんばかりにレイは話す。
「俺からしてみれば当然のことなんだがな。霊が視えるとか自称するような奴はいじめらて当然だろ。まあその霊感女は霊が視えると自称していたわけではないようだが、否定もしていなかったんだし仕方ないよな。んで、そこでこっぴどいいじめにあった霊感女は生きる気力を失った。まあどんなことが行われたのかは想像もつかないがな」
レイはいったん遠くに視線を送ったあと、再び僕のほうを向いた。
「さて、その次の日、御神楽は霊感女が学校を休んだのを知り、さらには自分が霊感女を首吊り坂に連れて行くように頼んでいた奴らが、楽し気に昨日のいじめについて語っているのを聞いてしまった。それはもう焦っただろうな。単純に霊が視えると言われる場所に霊感女を連れていき、実際どんな霊が視えたのかどうかでも聞く程度のつもりだったはずなのに、予想外の事態になってたんだからな。それで急いで霊感女の様子を見に行った。ここからが俺にとっての根拠部分に当たるんだが、御神楽は霊感女と会ったにもかかわらず、何も言葉をかけられなかったらしいな。いくら様態が悪いように見えたとしても、本当に霊が実在しているのだと聞いた霊好き女が、何も話せないってのはいくら何でも変だろ。というか霊云々を抜きにしても、励ましの言葉ぐらいかけるだろ、普通。まあこれは自分が原因で霊感女がいじめを受けて自殺しそうになっているのに気づいて、ショックで言葉も出なかったってところだろうな。加えて霊感女の部屋から出るときに言った言葉、『ごめんなさい』。なんで謝ったんだ? 御神楽が謝る理由なんてどこにもなかっただろ」
僕は黙ってレイを見ている。レイも視線を逸らすことなく話をまとめにかかる。
「だが、もし今までの話がすべて事実だとすれば、どうだ、しっくりくるとは思わないか? ちなみに霊感女が突然話を打ち切ったのは、おそらく御神楽がこのいじめの件について何らかの形でかかわっているのではないかと、態度あたりから気づいたからだろうな。さて、俺の仮説はこれで以上だが、感想は?」
僕は、何も言えなかった。彼の言葉を信じたわけではないし、正しいと思ったわけでもない。ただ、御神楽さんが何も反論しようとしてくれないから、当事者でもない僕がどう反論していいのかさっぱり思いつかなかったのだ。
僕がしばらくの間黙って御神楽さんを見ていると、御神楽さんが小さな声でぽつりと呟いた。
「あんなことになるなんて、全く考えてなかったの……」
僕はその言葉を聞き、完全に返す言葉を失った。