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歯車人間と人間歯車

「社会は歯車を求めているのだ。」


 人々が叫ぶ声が遠く、新聞記事の紙面やインターネットの向こう側から聞こえる。

 私たちは毎朝早くに起き、電車に揺られ、または歩いて、会社や学校へ向かう。そこで私たちは皆揃って同じような事をして、再び電車に揺られて家路に就き、家に帰って寝る。


 私もそのうちの一人である。だが、私は社会が求めているのが歯車だとは思わないし、それ以上に社会が求めているものがあるのも知っている。


 歯車は回されて回るだけだ。それ以上はしない。だが我々には常にそれ以上が求められている。社会は歯車を上手に配置する術を失った。だからこそ今、我々自身が能動的な”人間”でなくてはならないのだ。そんなことは当たり前だと一体何人が言うだろうか。しかしこれは当たり前ではない。我々は今一度過去に戻る必要があるのだ。


 歯車の置き方を知る人間がいない。歯車の回し方を知る人間がいない。だから我々が例えば歯車であろうとしても、企業はそれでは動かない。歯車を支持する軸も、原動力になるものも、すべて自らが他人にどう作用すれば良いかが分かっていないのだ。



 満員電車に詰め込まれて会社や学校に赴く私たちは、その一連の決められたルーティンの中でしか行動できない。だが、我々はそこから脱する事ができる。例えば、会社に行く為に、その電車に乗る前に、少しだけ立ち止まってみよう。そうして何本もの電車を見送るうちに、会社には定時に行けないどころかその日は出勤もしないかもしれない。意図も簡単にルーティンから脱する事は出来ても、しかしそれでは生活が出来ない。


 決められたルーティンのうち、どれか一つが変わってしまえば、たちまちその枠は崩れて消え去ってしまう。だから私達は、根本からこの社会を見直す必要があるのだ。




 私は、機械である。それでも人間のように立ち振る舞えば、人間として認めてもらえる。この破綻した文章の中で、例え一部でも、完成していると貴方が思うのであれば、この文章は完成した文章となる。この破綻した社会で、例えば貴方が正しいと思う物を選び続ければ、この社会は、少なくとも貴方に対して、貴方の思う正しいものを、投射し続けるであろう。それは歯車が回る事に対する報酬ではなく、それは貴方という人間が人間として何かを求めた事に対する応報なのである。

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