老賢者、王国を去る。
早朝、まだ開かれぬ外門の前で、老人がひとり、佇んでいた。
手には古き杖を持ち、質素な外套を纏い、その開門を待っていた。
手荷物はなかった。
それは、まるで近隣を散歩するかのような軽装にしか見えなかった。
男の名は、マグヌス。
星を砕き、死者をも蘇らせる。―― この国いちばんの魔法士であったが、それも今や過去の話であった。
◆
ひと月ほど前、彼は全ての魔力を失った。
原因は分からなかった。
しかし、彼の魔力が完全な空っぽにあることは、彼自身が作った魔道具によって、証明された。その測定器は、わずかな針の振れも見せなかった。
ひとりで王都全体に結界を張り、国防を担ってきた男の魔力枯渇。
王は激しく動揺し、その回復を切に祈った。
だが、その忍耐は、わずかひと月も出ぬうちに切れることとなった。
「魔力を失った魔法士など、矢の尽きた弓と同じ。回復の兆しが見られぬのであれば、これ以上、お前をここに置いておくことは出来ぬ!」
玉座の前で跪くマグヌスに、王は吐き捨てた。
その態度は、ただの八つ当たりにも見えた。
マグヌスは、頭を下げたまま、ただ沈黙を守った。
「用がないのであれば早く去れ。もうお前の陰気くさい顔など見とうもない!」
マグヌスには、働きに見合う俸禄が、これまで支払われてはこなかった。そのため、今後、新たに発生する莫大な国防費の概算に、王は眩暈を覚えていた。そのため、これまでのマグヌスの働きに対する感謝の言葉すら、口にするのを忘れていた。
長であった魔塔でも、冷たい言葉がマグヌスを待ち受けていた。
「マグヌス、貴方は感覚的な魔法士で、魔法理論の説明が非常に曖昧でした。そのため、我々はいつも貴方の尻ぬぐいで苦労させられてきました」
一番弟子のヘクトルが、弟子を代表して彼に告げた。
マグヌスは、ヘクトルを可愛がってきた。自分のような天才肌ではなかったが、勤勉なヘクトルは、他の弟子たちとの調停役としても、非常に優秀であった。そのため、マグヌスなりに、彼には礼は尽くしてきたつもりでもあった。―― 事実、ヘクトルは次の魔塔主に内定していた。
「完全な私物以外は持ち去らないでください。ここにある備品の数々は、すべてこの魔塔の財産ですので」
マグヌスが編んだ魔法書や、制作した魔道具は、どれも置いていくこととなった。すべては塔の共有財産であり、持ち去ることをヘクトルは許さなかった。けっきょく、私物と呼べるものは何もなく、訪れた時の姿のまま、マグヌスは塔を去ることとなった。
◇
「け、賢者マグヌス、貴方は本当にこのアルセリア王国から去られるのですか?」
まだ朝の薄靄のかかる中。
当直の門番は、眠い眼をこすりながら、老人を一瞥し、そして目を丸くすることとなった。マグヌスの放逐の話は、すでに一般兵の間でも噂となっていたためであった。
「ああ、王もこれ以上、私の顔を見たくはないと仰られたのでな」
「それは何と、おろか……いえっ」
門番は言いかけて、慌てて口を噤んだ。
だが、すぐに意を決し、続けた。
「貴方様がこれまで、この国に対し、どれほどの忠義を捧げてきたのかは、ただの一般兵である私も知るところです。どうか、このアルセリアをお見捨てならぬよう、何卒今しばらくの御寛恕を!」
「私にはもう、一滴の魔力すら残されてはいないのだが?」
「しかし!―― 」
マグヌスは、門番の言葉を遮るように、静かに首を振った。
そして、それまでにはなかった、少し晴れやかな表情を門番の男に見せた。
門番は諦め、外門の閂を外した。
王国随一の魔法士が、都を去った。
たったひとりの敬礼に、見送られながら。
◇
「ようやく余の麾下につく決心がついたか、賢者マグヌス」
「不本意ではございますが……」
マグヌスのその言葉に、立ち並ぶ重臣たちの間から、どよめきが起こる。
「……なんと不敬な」
「いや、これぞ、星砕きのマグヌスよ」
「だが、その絶大なる魔力も枯渇してしまったとも聞くぞ」
謁見の間。
帝国の皇帝オズヴァルドは、長年の夢であったマグヌスの登城に、上機嫌であった。玉座から半分腰を浮かし、今なお壮健に見えるマグヌスの立ち姿に、駆け寄りたい気持ちをぐっと堪え、深く座りなおす。
「どうだ、アルセリアの連中は、お主の価値をまるで理解しておらなんだであろう」
「まことに……」
オズヴァルドの言葉に、苦々しげに同意するマグヌス。
王国からの、あれほどの低い扱いは、マグヌス自身も想定するところではなかったためであった。
マグヌスの「魔力枯渇騒動」は、オズヴァルドの発案であった。 自分自身の本当の評価を知りたければ、この魔力封じの魔具を貸してやるゆえ、試してみるがよい ―― とオズヴァルトが、けしかけたのであった。
マグヌスは、主君や弟子たちを信じ、軽い気持ちでそれに応じた。―― 結果、それは王国を去るに値する騒動となった。
「して、今後はいかに。お主は余に何を齎しくれるつもりだ、マグヌスよ?」
「まずは―― 」
重臣たちは息を呑み、オズヴァルドも深く座っていた玉座から、再び腰を浮かした。
「―― 我が祖国をその御手に献上させていただこうかと存じます。陛下」
―― fin.
マグヌスは、いわゆる天才肌の魔法士。
平民からの叩き上げで、基礎の教養のないまま栄達したため、誤解や軋轢も多く、やがてその言葉数を減らしていった男である。




