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老賢者、王国を去る。

作者: エンゲブラ
掲載日:2026/05/01

早朝、まだ開かれぬ外門の前で、老人がひとり、たたずんでいた。

手には古き杖を持ち、質素な外套をまとい、その開門を待っていた。

手荷物はなかった。

それは、まるで近隣を散歩するかのような軽装にしか見えなかった。


男の名は、マグヌス。

星を砕き、死者をも蘇らせる。―― この国いちばんの魔法士であったが、それも今や過去の話であった。



ひと月ほど前、彼は全ての魔力を失った。

原因は分からなかった。


しかし、彼の魔力が完全な空っぽにあることは、彼自身が作った魔道具によって、証明された。その測定器は、わずかな針の振れも見せなかった。


ひとりで王都全体に結界を張り、国防を担ってきた男の魔力枯渇。

王は激しく動揺し、その回復を切に祈った。

だが、その忍耐は、わずかひと月も出ぬうちに切れることとなった。


「魔力を失った魔法士など、矢の尽きた弓と同じ。回復の兆しが見られぬのであれば、これ以上、お前をここに置いておくことは出来ぬ!」


玉座の前でひざまずくくマグヌスに、王は吐き捨てた。

その態度は、ただの八つ当たりにも見えた。


マグヌスは、頭を下げたまま、ただ沈黙を守った。


「用がないのであれば早く去れ。もうお前の陰気くさい顔など見とうもない!」


マグヌスには、働きに見合う俸禄が、これまで支払われてはこなかった。そのため、今後、新たに発生する莫大な国防費の概算に、王は眩暈めまいを覚えていた。そのため、これまでのマグヌスの働きに対する感謝の言葉すら、口にするのを忘れていた。


長であった魔塔でも、冷たい言葉がマグヌスを待ち受けていた。


「マグヌス、貴方は感覚的な魔法士で、魔法理論の説明が非常に曖昧でした。そのため、我々はいつも貴方の尻ぬぐいで苦労させられてきました」


一番弟子のヘクトルが、弟子を代表して彼に告げた。


マグヌスは、ヘクトルを可愛がってきた。自分のような天才肌ではなかったが、勤勉なヘクトルは、他の弟子たちとの調停役としても、非常に優秀であった。そのため、マグヌスなりに、彼には礼は尽くしてきたつもりでもあった。―― 事実、ヘクトルは次の魔塔主に内定していた。


「完全な私物以外は持ち去らないでください。ここにある備品の数々は、すべてこの魔塔の財産ですので」


マグヌスが編んだ魔法書や、制作した魔道具は、どれも置いていくこととなった。すべては塔の共有財産であり、持ち去ることをヘクトルは許さなかった。けっきょく、私物と呼べるものは何もなく、訪れた時の姿のまま、マグヌスは塔を去ることとなった。



「け、賢者マグヌス、貴方は本当にこのアルセリア王国から去られるのですか?」


まだ朝の薄靄うすもやのかかる中。

当直の門番は、眠いまなこをこすりながら、老人を一瞥いちべつし、そして目を丸くすることとなった。マグヌスの放逐の話は、すでに一般兵の間でも噂となっていたためであった。


「ああ、王もこれ以上、私の顔を見たくはないと仰られたのでな」


「それは何と、おろか……いえっ」


門番は言いかけて、慌てて口をつぐんだ。

だが、すぐに意を決し、続けた。


「貴方様がこれまで、この国に対し、どれほどの忠義を捧げてきたのかは、ただの一般兵である私も知るところです。どうか、このアルセリアをお見捨てならぬよう、何卒なにとぞ今しばらくの御寛恕ごかんじょを!」


「私にはもう、一滴の魔力すら残されてはいないのだが?」


「しかし!―― 」


マグヌスは、門番の言葉を遮るように、静かに首を振った。

そして、それまでにはなかった、少し晴れやかな表情を門番の男に見せた。


門番は諦め、外門の閂を外した。


王国随一の魔法士が、都を去った。

たったひとりの敬礼に、見送られながら。



「ようやく余の麾下きかにつく決心がついたか、賢者マグヌス」


「不本意ではございますが……」


マグヌスのその言葉に、立ち並ぶ重臣たちの間から、どよめきが起こる。


「……なんと不敬な」


「いや、これぞ、星砕きのマグヌスよ」


「だが、その絶大なる魔力も枯渇してしまったとも聞くぞ」


謁見の間。

帝国の皇帝オズヴァルドは、長年の夢であったマグヌスの登城に、上機嫌であった。玉座から半分腰を浮かし、今なお壮健に見えるマグヌスの立ち姿に、駆け寄りたい気持ちをぐっと堪え、深く座りなおす。


「どうだ、アルセリアの連中は、お主の価値をまるで理解しておらなんだであろう」


「まことに……」


オズヴァルドの言葉に、苦々しげに同意するマグヌス。

王国からの、あれほどの低い扱いは、マグヌス自身も想定するところではなかったためであった。


マグヌスの「魔力枯渇騒動」は、オズヴァルドの発案であった。 自分自身の本当の評価を知りたければ、この魔力封じの魔具を貸してやるゆえ、試してみるがよい ―― とオズヴァルトが、けしかけたのであった。


マグヌスは、主君や弟子たちを信じ、軽い気持ちでそれに応じた。―― 結果、それは王国を去るに値する騒動となった。


「して、今後はいかに。お主は余に何をもたらしくれるつもりだ、マグヌスよ?」


「まずは―― 」


重臣たちは息を呑み、オズヴァルドも深く座っていた玉座から、再び腰を浮かした。


「―― 我が祖国をその御手に献上させていただこうかと存じます。陛下」




―― fin. 

マグヌスは、いわゆる天才肌の魔法士。


平民からの叩き上げで、基礎の教養のないまま栄達したため、誤解や軋轢も多く、やがてその言葉数を減らしていった男である。

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